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テリージーンヴォレア

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詳細 2016年5月27日 16:56更新

ハルク・ホーガン(Hulk Hogan)のリングネームでの活躍で最も知られるテリー・ジーン・ボレア(Terry "Gene" Bollea、1953年8月11日 - )は、アメリカジョージア州オーガスタ出身のプロレスラーである。今でもアメリカでは伝説的な存在であり、現在のWWEで活躍するレスラーの中にも熱狂的なファンが多数いると言われる。日米のプロレス界において「最も成功したプロレスラー」の一人。ニックネームは超人、リアル・アメリカン、ハリウッドなど。なお、ホーガンの熱狂的なファンのことをハルカマニアと呼ぶ。

行動を共にしていたレスラーのブルータス・ビーフケーキ(エド・レスリー)はホーガンの弟とされていたが実際は血縁関係はない。甥のホレス・ホーガン(マイク・ボレア)もプロレスラー。

娘のブルック・ホーガン(Brooke Hogan)は、セクシー路線の歌手としてアメリカで活動している。※Brooke Hogan画像 

実際、レイ・ミステリオやカート・アングルのようなレスリングテクニックはなく、試合自体は意外と拙い部分もあるが、逆に観客の心を掴む演技やパフォーマンスは抜群で、彼こそスポーツ・エンターテイメントを体現しているレスラーであると言える。

経歴
高校時代にウエイトリフティングで体を鍛え、南カリフォルニア大学時代には「ラッカス」というロックバンドのベーシストであった。アントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技戦をテレビ観戦して打倒猪木を志し、プロレス入りを決意(というのは梶原一騎原作のプロレススーパースター列伝の創作。実際にはフロリダでジャック・ブリスコの試合を見てプロレス入りを決意したという)。ヒロ・マツダによってレスラーとしての基礎をトレーニングされ、1977年に「テリー・ブルドー」のリングネームでプロデビューを果たした。

1979年12月にニューヨークのMSGに初進出したのを機にリングネームを映画「超人ハルク」にあやかり、ハルク・ホーガンに改名した。デビュー当初は、フレッド・ブラッシーがマネージャーを務めておりWWF(現WWE)期待の星であったが、スタン・ハンセンの陰に隠れた感は否めなかった。

当時は1955年生まれと称しており、金色のマントをまとい胸と背中に黒い剛毛を生やし、髪の付け根も黒かった。怪力ぶりを発揮して、デビュー戦から二十数連勝という驚異的な成績を残したことから「マジソンスクエアガーデンの奇跡」と評され、ホーガンの名を知らしめた。

彼の知名度を更に向上させたのが、1982年のアメリカ映画『ロッキー3』への出演である。ホーガンはプロボクサーのロッキー(シルヴェスター・スタローン)と戦う敵役のプロレスラー「サンダー・リップス」として有名になり、その後さまざまな映画に出演している。

1980年から1983年にかけては、新日本プロレスを主戦場として日本で大ブレイクした。

1983年に活動の中心をアメリカに戻した後は、WWFに所属。1985年にレッスルマニアが開始されると人気が一気に爆発し、ファンの圧倒的支持を得た。この時期以降、長期に渡りトップ・レスラーとして活躍してアメリカン・プロレスの象徴的な存在となると共に、プロレス自体の世界的な人気獲得に多大な貢献を果たした。

20代前半から髪が薄く、当初バンダナは「ハゲ隠し」だったが、次第にそれがファッションとなっていった。


リングインした際のパフォーマンス(2004年8月)1994年にそれまで所属してたWWFを離れ、WCWに移籍。WWFから一貫してベビーフェイスであったが、1996年にはヒールのユニットであるnWoを結成する。WCWはWWFの人気を上回るようになっていく。ビル・ゴールドバーグとの歴史的超人対決で会場を沸かせた。

2001年のWCW崩壊後、2002年2月にnWoの一員としてWWFに復帰する。引き続きヒールであったが、レッスルマニア18でのザ・ロックとの対戦後ベビーフェイスに戻る。その後スマックダウンにてビンス・マクマホンとの対決が中心のアングルが組まれ、レッスルマニア19で対決し勝利する。

2003年5月にミスターアメリカというマスクマンに扮するも、その後ストーリーに不満を抱き同年6月にWWEを離脱する。

2005年4月、WWE殿堂入りを果たす。またレッスル・マニア21にてWWE再登場を果たす。7月にWWEの番組の一つRawに正式に復帰し、登録され、ショーン・マイケルズと抗争を繰り広げた。2005年のサマースラムで両者の戦いは決着した。


日本での活躍
1980年5月に新日本プロレスの「第3回MSGシリーズ」に参戦するため初来日。グリーンボーイとしての参戦だったが、新日本のファイトスタイルを吸収して短期間でトップレスラーの仲間入りを果たし、アメリカに先駆けて日本で大ブレイクした。

アントニオ猪木やタイガーマスク、さらにはスタン・ハンセンやアブドーラ・ザ・ブッチャーなどの外国人レスラーとも戦っている。日本初登場時の得意技はアバランシュホールドだったが、ハンセンに触発されて、アックスボンバー(片腕を90°に曲げ、ラリアットのように肘を相手に叩きつける技)を使うようになり、大ブレイクした。なお、ホーガン自身はこの技を「ホーガンハンマー」と呼んでいた。

「世界中の王者の中から最強を決める」と銘打って新日本が1983年に開催した大会「IWGP決勝リーグ戦」に参加し、リーグ戦の結果アントニオ猪木と同点一位となる。そして1983年6月2日に東京・蔵前国技館で行われた決勝戦で、猪木をアックスボンバーで失神KOして病院送りにした事件は、伝説としてプロレスファンの記憶に残っている。

当時、右手人差し指を高々と上げ「イチバァーン!」と叫ぶ決めポーズは日本で話題になり、漢字で「一番」と書かれたタンクトップやTシャツも発売された。現在では"ICHIBAN"はNo.1を意味する語としてアメリカでも有名な日本語の1つとなった。

久々に来日した2003年10月12日に東京ドームホテルで記者会見が開かれ、その中で新日本とIWGPに対する熱い思いを語ったが、最近は新日本とWWEの関係が断絶された事から、IWGPヘビー級王座への挑戦はおろか来日すらほとんどしなくなった。

またあまり知られていないが、1981年に全日本プロレスへの移籍が発表されたことがあり、実際にテリー・ファンクの仲介で契約書を交わす段階にまで至った。しかしホーガンはそれを新日本に見せ、ギャラ吊り上げの交渉に使ったためご破算となったといわれている。その行動に怒ったテリーは京王プラザホテルでホーガンを殴り倒した。


ミスターアメリカ
ミスターアメリカ(Mr.AMERICA)はアメリカの覆面プロレスラー。

ハルク・ホーガンは2002年5月にWWEに復帰するが、その翌年にビンス・マクマホンの手にかかり出場停止にされてしまう。しかし、そのときにスマックダウンを救うためにひとりのマスクマンがさっそうと登場した。彼こそがミスターアメリカである。

星条旗風のロングタイツ、そして中央に星をあしらったブルーのマスクが特徴的。

当初、ひげの生え方や見事にビルドアップされた筋肉、白いリストバンドをしていることなどから、その正体はハルク・ホーガンではないかと騒がれた。しかし、ビンス・マクマホンの手によって嘘発見器にかけられた際、「あなたはハルク・ホーガンですか?」との質問にネガティブの結果が出ていることからも、この噂は否定されている。尚、この際ビンス自ら嘘発見器にかかり、嘘発見器が故障してないことを証明している。

本人は「ハルク・ホーガンに憧れ、トレーニングをして十分なビタミンを摂取してこの身体を手に入れた」と語っている。なお、ハルク・ホーガンがWWEから離脱すると同時にミスター・アメリカも姿をくらませている。そしてビンス・マクマホンが「ミスターアメリカはハルクホーガンだったので解雇した」と番組で述べ、実際に素顔を見せている映像(TV放送終了後に来場したファンへのサービスとしてマスクを外していた。また、ギミックと関係なく実際にトラブルで解雇された)を流したことで、ミスターアメリカが登場するストーリーは終了している。

あまりのバカバカしいギミックと唐突な終わり方だったために伝説的な存在としてファンの脳裏に焼きついている。


必殺技
アックスボンバー
ランニング・レッグ・ドロップ
ビッグ・ブーツ

その他
2002年レッスルマニア18のザ・ロック戦はホーガン自身8年ぶりのレッスルマニア登場、しかもヒール役(NWO軍)にもかかわらず観衆6万7000人が時空を超えてハルカマニア一色と化し「ピープルズチャンピオン」ロックを完全脇役扱い。ハルクアップ→スリーパンチ→ビッグブーツ→レッグドロップのムーヴに全観客が総立ちとなりスカイドームが縦揺れするほどの熱狂に包まれたシーンはアメプロ史に残る名シーンである。試合自体はザ・ロックが勝利したものの、その夜ばかりは、ホーガンが主役であったといえる。
年をとった今でもなお、たまにWWEのマットに姿を現す事がある。

現役のプロレスラーの多くがホーガンのファンであるらしいが、レスリングの技術をセールスポイントにするレスラーの中には、ジレンマを感じる者も少なくないらしい。


入場曲
Voodoo Child (slight return)/ジミ・ヘンドリックス
エアギターをしながら入場する
Real American
Eye Of The Tiger/サヴァイヴァー


一番(1983年)

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開設日
2006年10月28日

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カテゴリ
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