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剣豪図鑑

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詳細 2015年2月26日 00:00更新

伊東 一刀斎(いとう いっとうさい、生没年不詳)は戦国時代から江戸初期にかけての剣客。姓は伊藤とも。江戸時代に隆盛した一刀流剣術の祖であるが、自身が「一刀流」を称したことはなかったという。名は景久、前名、前原弥五郎。

経歴について
一刀斎の経歴は異説が多く、どれが正しいか拠り所がない。生没年は、天文19年(1550年)生年説、永禄3年(1560年)生まれ寛永5年(1628年)没説、また寛永9年(1632年)に90余歳で没という説、永禄3年(1560年)8月5日生まれで承応2年(1653年)6月20日に94歳で没という説がある。出身地は、一般には伊豆国伊東の人であり、出身地から伊東姓を名乗ったといわれている。しかし、「瓶割刀」の逸話によれば、一刀斎は伊豆大島の出身で、14歳のときに格子一枚にすがって三島に泳ぎ着き、三島神社で富田一放と試合して勝ち、神主から宝刀を与えられた。この刀で盗賊7人を斬り殺し、最後の1人が大瓶に隠れたところを瓶ごと二つに斬ったという。ほかに、西国生まれ、近江堅田生まれ、加賀金沢生まれ、越前敦賀生まれとの説がある。また、終焉地についても丹波篠山説のほか、敦賀城主大谷吉継の剣の師だったが、大谷が関ヶ原の合戦で戦死したために浪人し、下総小金原(現在の松戸市小金付近か)に隠棲して死去したともいう。

鐘捲自斎に剣術を学び、妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣を授けられたとされる。ほかにも、自ら編み出した極意として、愛人に欺かれて刺客に寝込みを襲われ、逆襲したときに生まれたという秘大刀「払捨刀」。他に刃引・相小太刀・越身。鶴岡八幡宮に参籠して無意識のうちに敵を斬り、悟りを得たという「夢想剣」などがある(溝口派伝書、他流伝書)。その後一刀斎は諸国を遍歴し、名のある剣士と勝負すること33度、ただの一度も敗れなかったという。

現存する伝真田幸村写本『源家訓閲集』に収録の「夢想剣心法書」には、文禄4年(1595年)7月のもので署名が「外田一刀斎他二名」とある。外田一刀斎とは鐘捲自斎の別名でもあり、自斎も経歴のよくわからない人物である。したがって、出身地など両者の事績が重なっている可能性もあると考えられる。一方、柳生氏の記録『玉栄拾遺』の注記には、一刀斎の師は「山崎盛玄」とされている。「名人越後」と称された富田重政(富田流)の弟(兄とも)に山崎左近将監景成があり、剣名が高かった。あるいはこの山崎景成が「山崎盛玄」である可能性もある。
晩年、一刀斎は弟子の善鬼(姓不詳。小野姓とするのは俗説)と神子上典膳に下総小金原で勝負させ、勝った典膳に一刀流秘伝を相伝した。典膳は後の小野忠明(小野次郎右衛門)である。一刀流は、小野忠明の後、子の小野忠常の小野派一刀流、次子(忠明の弟とも)の伊藤典膳忠也の伊藤派一刀流(忠也派、伊東派とも)に分かれ、以後も多くの道統が生まれた。




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2006年10月21日

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