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マルクス主義

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詳細 2017年11月18日 09:09更新

マルクス主義(マルクスしゅぎ、独: Marxismus)とは、マルクスとエンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された思想体系の名称である。マルクスの言葉を金科玉条としているかのような印象を避けるため、「科学的社会主義」とも称される。

レーニンの説明では、ドイツの古典哲学(ドイツ観念論)、イギリスの古典派経済学、フランスの初期社会主義が思想的な源泉だとされる(「マルクス主義の三つの源泉」)。

マルクスは、資本主義の高度な発展が共産主義社会の条件と基盤を形成すると見ていた。マルクスは、労働者階級をプロレタリアート、資本家階級をブルジョアジーと呼び、労働者が資本家から剰余価値を搾取され、支配されていると規定した。それに対してレーニンなどはブルジョアジーの支配を革命によって打ち倒し、労働者階級の権力を打ち立てた後に共産主義社会を目指すのがマルクス主義の根本であるとした。そこには資本主義が未発達の後進国における意志的傾向が見られるが、結果的にマルクス主義は、マルクスが批判したイデオロギーの一つとなり下がったといえよう。

マルクス主義は、最も読まれている『共産党宣言』によって、既存の社会体制を革命によって打ち倒すという「革命必然論」、歴史発展段階における最後の階級対立をブルジョアジーとプロレタリアートの対立としてとらえる見方、『ゴータ綱領批判』での「過渡期=プロレタリア独裁論」、民族解放理論、「プロレタリア国際主義」などによって知られている。

『経済学・哲学草稿』などの初期マルクスの思想に依拠する西欧マルクス主義者は、労働をブルジョアジーによるプロレタリアートの疎外という概念で説明した。つまり、プロレタリアートを被支配者、ブルジョアジーを支配者とし、資本家が利益を追求する以上労働者は労働者のままであり、資本家によって富から疎外されているととらえた。そして、この搾取がそれによる経済格差などの社会問題を生み出す原因であると考えた。ここでは、労使間は階級闘争に結びつく対立的なものとして捉えられている。このような疎外論は、広松渉などが説く物象化論の登場により、『ドイツ・イデオロギー』で乗り越えられた、あくまでも初期マルクスの通過思想にすぎないと説かれた。しかし、後期マルクスの著作である『資本論』にも疎外概念が登場することからしても、広松らの物象化論は失当であり、後期マルクスにおいても疎外論が貫徹されていると見るのが妥当であるとする見方もある。

弁証法的唯物論(史的唯物論)では、生産関係(下部構造)によって、社会形態(上部構造)が決まり、下部構造が変われば上部構造も変わると考えた。歴史的には、この関係を一方向的に捉え人間の主体性や創造力を軽視・無視する傾向が支配的となったこともあるが、これはマルクス主義の負の遺産であり、ドイツ・イデオロギーに見られるマルクスの思想とは異質のものであるともされる。

また、歴史観においては生産力の発展が歴史の推進力であり、発展に応じて、原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→共産主義と社会が段階的に発展していく(唯物史観)とした。そして、その資本主義の究極の発展により、社会が弁証法的に否定の否定がなされ、ふたたび、そして資本主義の成果を止揚した共産制に転ずるというのがマルクス主義の基本理論である。

この資本主義の本質はブルジョアジーによる搾取であるから、プロレタリアートによる革命によって共産主義に取って代わりさえすれば、社会問題は完全に解決されると考えたマルクス主義者が多かった。

 
歴史的展開
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その運動は19世紀末にベルンシュタインによる修正主義を生み、議会制民主主義と段階的な社会改良による社会主義への平和的・連続的な移行を説くようになり、一方、レーニンによるロシア共産主義は、議会主義の未発達なロシアの現状から武力による革命と革命の前衛党である共産党の独裁を強調した。

マルクス本人の「これをマルクス主義というのなら、私はマルクス主義者ではない」という発言もあり、何を以てマルクス主義と定義するかという論争はマルクスとエンゲルスの死後にいっそう活発に行われた。「正統なマルクスの後継者は誰なのか」「科学的社会主義の正しい理解とは?」ということが労働者に基盤を持つ革命家たちの焦眉の課題となっていき、マルクスの残したテキストはドイツ、またはロシア社会民主党員の間では政治闘争の武器となってしまった。

1917年のロシア革命をレーニンらがプロレタリア独裁をめざす革命と規定したことにより、『マルクス主義の実現を果たした』ロシア(ソ連)のレーニンが、そしてレーニン死後は書記長として権力を掌握したスターリンが、マルクス主義の最高権威であるとされた。理論の正統性なるものが一部の人物や傾向に独占されたことは、共産主義運動内部での理論的批判を著しく困難にした。同じマルクス主義でもレフ・トロツキーやローザ・ルクセンブルクの著作は、レーニンやスターリンに対する反逆として共産主義運動から追放され、その他のブハーリンなどの異論はスターリン時代のテロリズムや粛清裁判で物理的に排除された。従って、毛沢東のようなマルクスの予想の埒外の革命戦略は、マルクス理論に照らして検証されず、中華人民共和国がソ連から自立したときにかえって中ソ論争の火種となったと考えられる。イタリア共産党創立者のグラムシのような、現代でも豊かな可能性がある社会思想が積極的に紹介されたのは、スターリン死後のことである。

ソ連型のマルクス主義(マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、西欧のマルクス主義者は異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、最初に西欧型のマルクス主義を提示したのは哲学者のルカーチだった。ルカーチはソ連型マルクス主義の弾圧に屈したが、ドイツのフランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者たちは、アドルノやベンヤミンを筆頭に、ソ連型マルクス主義のような権威主義に対する徹底した批判を展開し、西欧のモダニズムと深く結びついた「批判理論」と呼ばれる新しいマルクス主義を展開し、ポストモダンとされる現代思想に対しても深い影響力を見せている。

20世紀に入って、マルクス主義を思想的基盤として、ソビエト連邦をはじめ、アジア・東欧・アフリカ・カリブ海域において、多くのソ連型マルクス主義(スターリン主義)による社会主義国が生まれた。しかし、1991年のソビエト連邦崩壊に前後して、そのほとんどは姿を消した。国家自体は維持したまま社会主義体制を放棄したケースもあれば、社会主義体制放棄とともに複数の新たな国家に分裂したケース(旧ユーゴスラビアなど)や、近隣の資本主義国に吸収統合される形で国家ごと消滅したケース(旧東ドイツなど)もあった。

改革開放以降、市場経済が本格的に定着した中華人民共和国では、寧ろ半儒教的だった毛沢東時代とは違ってマルクス主義の経済発展段階の学説に忠実であり、その究極地点こそが共産主義だと認識されている。現に1987年に中国共産党は現在の状態を生産力が低い初期段階に規定し、あくまで整合性が保たれていることを確認した。これに倣う形でベトナム社会主義共和国もドイモイを導入した。一連の政策は恐らくレーニン政権末期のソ連の新経済政策(NEP)が根拠になっていると思われる。

一方、ラオス人民民主共和国、キューバ共和国は独自の路線を歩んでいるが、朝鮮民主主義人民共和国にいたっては1990年代に入ってマルクス主義の理論を離脱し、さらに看板さえ降ろし、以降は公式プロパガンダの内容や立場を変える頻度が劇的に増えている。

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