河本 栄得(かわもと えいとく、1968年11月1日-1994年10月31日)は、日本のお笑い芸人で、お笑いコンビ「ベイブルース」の一員。吉本興業所属。
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大阪府大阪市港区に生まれる。
高校時代は大阪市立桜宮高等学校http://
阪神タイガースの矢野輝弘は、野球部の同期生。
吉本総合芸能学院(NSC)7期生。
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[第7期 雨上がり決死隊、矢部美幸(元ちゃんねるず・ナインティナイン矢部浩之の実兄)、なるみ(元トゥナイト)、高山トモヒロ(ケツカッチン、元ベイブルース)、安尾信乃助、たかおみゆき、 惠藤憲二スタイルインベストメント代表(ex.ピープル)]
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1988年、高校野球部時代の親友、高山トモヒロと共に「河本・高山」を結成し、ボケを担当。NSC卒業と同時に、コンビ名を「ベイブルース」に変更した。
コンビ名の由来はもちろん野球選手のベーブ・ルースからだが、照れと野球部出身であることを強調したくないということから、上田正樹の「悲しい色やね」の歌詞から取ったということにしていた。その為「ベーブルース」ではなく、「ベイブルース」という表記となった。
吉本興業の芸能学校NSCに7期生として入学後、漫才コンビ「河本・高山」を結成。
今宮子どもえびす漫才コンクール、NHK新人漫才コンクールに出場後、卒業と同時にコンビ名を 「ベイブルース」に改名。
第11回ABCお笑い新人グランプリなど数々の新人賞に輝く将来性有望なコンビだったが、平成6年10月31日河本栄得氏が急病(劇症肝炎)にて他界、体調の悪化を訴え入院してから、僅か10日後の悲報であった、この為に漫才コンビとしては活動休止。
(ベイブルースの看板は残したままで高山知浩はピンタレント活動をしていたが、後に正式な解散が発表され、平成13年9月18日に和泉修氏と漫才コンビ・ケツカッチンを結成した。)
当時ベイブルースは心斎橋2丁目劇場の舞台や、関西ローカルのテレビ・ラジオなどに出演し、吉本期待の若手コンビとして期待されていた。
しかし、1994年10月中旬、大阪近郊で毎日放送(MBS)のテレビ番組のロケ中に体の不調を訴えて大阪市内の病院に入院する。
が、容態が急変し、誕生日前日の同年10月31日、劇症肝炎の為25歳の若さで急逝。人気絶頂の最中の夭折だった。
河本の突然の訃報に、相方・高山の悲嘆は大きかった。
大阪市淀川区内で行われた河本の葬儀・告別式で高山は「皆さん、天国に向かって"河本のアホ"と叫んだって下さい」と弔辞を読み上げた。
また、河本の実母は出棺の際「栄得、いややぁ…」
と早すぎる息子の突然の死を悔やんでいた。
告別式には関西各地からの女子高生のファン数人が弔問に訪れた。
はっきりいって河本栄得氏の早逝が、トミーズから中川家、ますだおかだまでの関西漫才の空白期を生んだといっても過言ではない。
☆受賞歴☆
1989年(平成元年)
第10回 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール 福笑い大賞
1990年(平成2年)1月15日
第11回 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞
1990年(平成2年)
平成元年度 第20回 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
1990年(平成2年)
第25回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 新人奨励賞
1991年(平成3年)12月
第20回 上方お笑い大賞(読売テレビ) 銀賞
1995年(平成7年)
第30回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 審査員特別表彰
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