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谷崎ワールド

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詳細 2016年3月28日 00:07更新

●谷崎さん
  

 明治19年7月24日東京市日本橋区蛎殻町(現中央区日本橋人形町)で生まれています。府立第一中学校(現日比谷高校)、旧制第一高等学校卒業、東京帝大国文学科入学。明治43年に、反自然主義文学の気運が盛り上がるなかで小山内薫らと第二次「新思潮」をおこし、「刺青」などを発表、この年授業料滞納で東京帝大を退学になります。明治44年「三田文学」で永井荷風に絶賛され新進作家として世に出ます。大正10年には佐藤春夫との「小田原事件」を起こします。関東大震災後に関西へ移住、関西の伝統をテーマとした「吉野葛」「春琴抄」を世に送りだします。戦時中に「細雪」の執筆を始めますが、軍部により中央公論への掲載を止められます。昭和19年私家版として「細雪」を印刷配布しますがこれも軍部により禁止されます。終戦後、住まいを京都に移し、「細雪」を昭和23年に完成。昭和24年文化勲章を受賞、住まいを温かい熱海に移し「瘋癲老人日記」等を発表します。昭和40年7月30日湯河原の湘碧山房で亡くなります(79歳)。

 谷崎を他の文士たちはどう思っていたのでしょうか、嵐山光三郎の「追憶の達人」を読んでみると、川口松太郎は「…谷崎に門下生はなかったが、弟子と自称しているのは今東光、わたし、舟橋聖一の三人である…」と書いています。谷崎には弟子と呼ばれる人はあまりいなかったようです。谷崎のことを正宗白鳥は「…何世紀に一人といったような才能に恵まれた作家」と評価しています。三島由紀夫は「これだけの作家が亡くなれば、国家が弔旗をかかげてもいいし、国民が全部黙祷してもいいと思います。‥‥‥その一生の成果が国民的哀悼という形で迎えられないというのが慨嘆にたえない。…」と発言しています。また、芥川龍之介が『あの頃の自分の事』で帝劇の音楽会で遭った谷崎潤一郎の最初の印象を書いています。「…途中の休憩時間になると、我々は三人揃って、二階の喫煙室へ出かけて行った。するとそこの入口に、黒い背広の下へ赤いチョッキを着た、背の低い人が佇んで、袴羽織の連れと一しょに金口の煙草を吸っていた。久米(正雄)はその人の姿を見ると、我々の耳へ口をつけるようにして、『谷崎潤一郎だぜ』と教えてくれた。自分と成瀬(正一)とはその人の前を通りながら、この有名な耽美主義の作家の顔を、偸むようにそっと見た。それは動物的な口と、精神的な眼とが、互に我を張り合っているような、特色のある顔だった。我々は喫煙室の長椅子に腰を下して、一箱の敷島を吸ひ合ひながら、谷崎まん吾郎論を少しやった。…」とあります。なかなか的確な表現だと思いますね。


●谷崎さんの転居

 谷崎さんは東京から、小田原、横浜、そして再び東京に戻り、関東大震災の後、関西に移り住みます。戦時中は一時津山、勝山に疎開しますが、終戦後、好きだった京都に住まいを移します。しかしながら京都の寒さに耐えられず熱海に最後の住まいを求めます。

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2006年9月28日

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カテゴリ
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