田中美知太郎は哲学を日常の言葉で言おうとして言った人である。なぜ言おうとしたかというと、哲学は元来日常の言葉で屋内や路上で語られたものだからである。樽のなかなるディオゲネスは、王に特別の言葉では答えていない。それなのに明治以来のわが国の哲学は無意味に難解な字句で語られ、それは読むものに絶望に近い迷惑を与えた。ところが二十年前私は田中美知太郎を読んでそこに難解な字句が一つもないのに驚いた。田中美知太郎が世間に出たのが昭和十年ごろだとすれば、これは当時の哲学界に反旗をひるがえす危険な試みだったろうと私は遅ればせながら察したのである。
ー山本夏彦ー
田中美知太郎の言葉をぼちぼちとアップしていきます。