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ジダンと雑談

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詳細 2010年12月22日 14:15更新

ジダンと雑談がしたくてフランス語を本気で勉強してる方、一緒にフランス語の勉強をがんばりましょう。

ジネディーヌ・ジダン オフィシャルサイト
http://www.zidane.fr/homepage.html

Zinedine Zidan Video
http://www.1zidane.com/


*ジネディーヌ・ジダン
本名 ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン
愛称 ジズー、将軍
カタカナ
ラテン文字表記 Zinedine Yazid Zidane

生年月日: 1972年 6月 23日
身長: 185 cm
体重: 78 kg
ポジション: ミッドフィルダー
現所属クラブ: レアル・マドリー (ESP)
国際試合ゴール数: 31 (集計日: 7月 9日)
国際試合出場数: 108 (集計日: 7月 9日)
国際試合初出場: France v. Czech Republic ( 8月17日)

所属クラブ
1988年-1992年 - カンヌ(フランス) 61試合6得点
1992年-1996年 - ボルドー(フランス) 140試合28得点
1996年-2001年 - ユヴェントス(イタリア) 151試合23得点
2001年-2006年 - レアル・マドリード(スペイン) 155試合38得点

クラブ通算 507試合95得点


アルジェリア移民の二世で、マルセイユ北部郊外のラ・カステラン地区の貧困な団地で育った。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー(トップ下)。愛称「ジズー」「将軍」(同じフランスのミシェル・プラティニもかつて将軍と呼ばれており、初期の愛称は「プラティニ2世」)。

ジネディーヌ・ジダンのキャリアは、マルセイユの裏通りで始まった。アルジェリア移民の子のジダンは、14歳でスカウトの目にとまり、ASカンヌのアカデミー入団を果たした。
17歳になるまでにはカンヌの1軍に上り詰め、1990/91年のシーズンでは先発の座を獲得したが、次シーズンのチームの降格は避けられなかった。チームの降格後、「ジズー」はボルドーと契約を結び、引き続き高いレベルで彼の才能を開花させることになった。

まもなくジダンは、「レ・ジロンダン」の先発メンバーとなり、ボルドーがUEFAカップの決勝に進んだ1995/96年シーズンに最初の成功を味わった。バイエルン・ミュンヘンに負けはしたが、ボルドーでの功績により、ジズーはフランスの伝説的ミッドフィルダー、ミシェル・プラティニの後継者に値すると高く評価された。ちなみに、プラティニとはジダンが1984年のヨーロッパ選手権でボール・ボーイを務めた時、偶然にも直接出会っていたという。

代表チームには、1994年に招集された。マルセイユから来たこの少年のデビュー戦ほど鮮烈なものはなかっただろう。「レ・ブルー」(フランス代表)がチェコに2-0とリードされた後、才能溢れるジズーは2得点を挙げ、たった1人で試合の流れを変えてしまったのだ。

代表として大輪の花を咲かせたのは1995/96年シーズン。その後、イングランドでのヨーロッパ選手権の活躍へと続く。この大会で、エメ・ジャケ監督は、このボルドー出身プレーヤーに全幅の信頼を寄せた。この前代表監督の選手時代同様、ジダンは良い選手の条件である2つの要素、すばらしいテクニックと揺ぎない決意を兼ね備えていた。

クラブでの素晴らしいプレーとフランス代表としての活躍により、ジダンはすぐにヨーロッパのトップクラブに招かれた。1996年の夏、彼はイタリアのユベントスに落ち着く。同じシーズン、「オールド・レディー」と呼ばれるユベントスが、アルゼンチンのリバー・プレートを下してインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を掲げた時、ジダンは新しいクラブで最初のトロフィーを手に入れた。

トロフィーを手にした喜びは、すぐに1997年と1998年にイタリアリーグ優勝へと続き、さらにこの夏、ジズーは、彼の栄光リストに最高の栄誉を付け加えることとなった。いうまでもなく、1998年FIFAワールドカップで地元パリのファンを前に飾った優勝だ。

2つの勝利
フランススタジアムでのブラジルとの決勝戦で、彼は、FIFAワールドカップ初の2ゴールを決め、誰もが認めるこの大会のスターとなった。さらに2000年の夏、フランスはヨーロッパ選手権の勝利で強さを見せつた。ジダンは、1998年に続いて、世界の代表監督らが選ぶFIFA最優秀選手の栄光を受けた。

1年後、ジダンは世界記録となる7300万ユーロでレアル・マドリードと契約したが、レアルにとってジダン獲得はそれだけの価値のあるものだった。サンティアゴ・ベルナベウの観客を特異なスキルで喜ばせ、正確なパスをチームメートに出し、驚くべきゴールを挙げていった。今まででも最高の「作品」は、2002年UEFAチャンピオンズリーグの決勝で決めた超音速のボレーシュートだ。このシュートでレアルはバイヤー・レバークーゼンに勝利した。この頃、類まれなこのプレーヤーのパワーは、ピークに達していたと言えよう。

2002年韓国/日本大会では、本番に向けた最終練習でケガをしたために、不運に終わった本大会の「レ・ブルー」3試合のうち、ジズーは最後の試合にしか出場できなかった。2年後、ポルトガルで開かれたユーロ2004では、イングランドとの初戦の最後の2分で2得点を挙げて試合を2-1とし、チームの負けを救ったが、次にギリシャに破れ敗退。伝説の背番号10は、精神的にも肉体的にも疲れ果て、国際試合から引退することを決めた。

しかし、引退は長くは続かなかった。2005年夏、何年かぶりに長い休暇を楽しんだ彼は、代表ユニフォームの誘惑に再び魅せられた。そして決心を翻し、フランスを2006年ドイツ大会への難関を突破するため、チームに戻ってきたのだ。
2006年4月26日、体力的な衰え等を理由にドイツW杯限りで現役を退く意向を発表した。
2006年5月14日、レアル・マドリードでの最後の試合に出場。契約を1年残しクラブから引退した。
2006年7月9日、FIFAワールドカップ・ドイツ大会決勝の延長戦後半、マテラッツィに対する頭突き行為によりレッドカードを受け、退場。チームも準優勝に終わり、ジダンのサッカー人生は思いもよらぬ形でその幕を閉じた。しかし大会中の活躍が評価され、カンナヴァロらを抑えて本大会のMVPに輝いた。

フランスの神様
サッカー史上最も偉大な選手の一人と評価されており、90年代後半から2000年代前半までの全盛期においては「世界最高のサッカー選手」と称えられた。FIFA最優秀選手賞3度、バロンドール、ゴールデンボール賞などの個人タイトルに加え、ワールドカップ・ユーロ(欧州選手権)・トヨタカップ・チャンピオンズリーグなどの主要タイトルをすべて制覇。アルジェリア移民2世という彼自身の出自も手伝って、移民国家の象徴としてフランスでは一スポーツ選手の枠を超えた絶大な人気を誇る。


プレイスタイル
パス、ドリブル、トラップといったボールを扱うテクニックは超一級品で、ボールコントロールに関しては歴代の名選手の中でも別格。185cmの恵まれた体格の上体を生かして懐深くボールをキープ、両足を巧みに使いながら複数の相手DFをかわし、抜群の視野の広さを持って前線へ正確なパスを送るプレーが彼の真骨頂。まるで踊っているかのような優雅なボールキープで試合を支配する様は「マエストロ」(攻撃のタクトを振るう意味で)と評される。ジダンの周りだけ 違う時間が流れている様に見える独特のボールタッチや、殆ど倒れそうな状態からでも正確なパスを送る事のできるバランス感覚など、同じ人間とは思えないほどのプレーをすることから、宇宙人とのニックネームもつけられた。世界的スターが集まった2000年代前半のレアル・マドリーでも、彼の存在感は際立っており、多くの評論家・解説者が「ジダンのプレーは次元が違う」「彼は別の惑星から来た選手なのか」とため息を漏らしていた。

一方、得点力に関しては歴代名選手と比べると物足りない部分があり、2006年1月15日のセビージャFC戦でのハットトリックはプロ17年のキャリアを通じ初めてのことであった。

彼の得意技「ルーレット」とは、ドリブルの途中、両足の裏でボールを転がしながら一回転をし、プレスに来た相手選手をかわす技。彼が考案した技ではないが、トッププレーヤーでこの技を試合中に頻発させるのは彼以外にいないため、ジダンの代名詞ともなっている。ちなみに、彼のルーレットを特別にマルセイユ・ルーレットと呼ぶのは日本だけである。


大舞台での勝負強さ
また、大きな大会になるほど力を発揮するのも彼の特徴である。 ワールドカップ通算12試合5得点、欧州選手権通算13試合5得点。W杯決勝通算3得点はペレ・ババ・ハーストと並び史上最多タイ、また2大会に渡る決勝戦でのゴールはペレ・ババ・ブライトナーに続き史上4人目。

EURO2004グループリーグ・イングランド戦ではロスタイムに2ゴールを決め逆転勝利に貢献。

現役最後の大会となったW杯ドイツ大会でも、低調だったグループリーグから一変、決勝トーナメントでは全盛期をほうふつとさせるプレーでフランスを決勝にまで導いた。準々決勝ブラジル戦ではアンリの決勝ゴールをアシストし、この試合のMVPに選ばれた。これまでジダンのアシストからアンリがゴールを決める場面は、共に出場したフランス代表55試合で1つもなく、メディアからの批判を受けていたが、これが初めてにして唯一のアシストとなった。

また、2002年チャンピオンズリーグ決勝のレバークーゼン戦でのゴールは、彼のテクニック・勝負強さを最も物語っているプレーであり、選手ジダンのハイライトとも言える。1対1の同点で迎えた前半終了間際、ロベルト・カルロスが左サイドから送った山なりのボールを、ペナルティエリアの外から左足でダイレクトボレーシュート。ボールは綺麗な弧を描きゴール左上隅に突き刺さった。サッカー史上最も美しいゴールのひとつと言われるこのボレーが決勝点となり、ジダンはキャリア初のチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。


人間像

温和な性格
敬虔なイスラム教徒であり、パーティーなど華やかな生活を好まない。 インタビュー等で見られる、はにかみ屋で静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される。 チャリティー活動も熱心に行っており、人望も厚く、ピッチの外では非常に温厚なことで知られている。 また、子供時代からのアイドルは、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表)。子供にエンツォの名前を付けるほど尊敬しており、選手として初めて対戦した1996年トヨタカップではユニフォーム交換をし、非常に感激した様子であった。


もうひとつの顔
しかしながら、試合において、暴力行為により警告を受けたり退場になったりした回数は少なくない。キャリアを通じて受けたレッドカードは通算14枚。 有名なところでは、1998年フランスW杯でサウジアラビアの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)、ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き、また、2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ちをするなど、瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られている。

2006年ドイツW杯の韓国戦で警告累積、次の試合が出場停止になった際、スタジアム内の扉を蹴り壊した。通常は修繕されるものだが、施設側は「サッカー史上最も偉大な選手の一人に蹴られた扉」ということでそのまま保存することに決めた。


2006 FIFAワールドカップ(ドイツ)決勝戦
現役最後の試合となったイタリアとの決勝戦延長後半5分、相手DFマテラッツィの胸元に頭突きを喰らわせて一発退場。その直前に、ジダンとマテラッツィは2,3の言葉を交わしており、両者ともその内容について沈黙を続けたため、世界中で様々な憶測が飛び交い、マテラッツィによる人種差別発言の有無も取り沙汰され、社会問題となった。7月12日夕方(仏時間)フランスのTV局カナル・プリュス及びTF1によるインタビューでジダンは事件後初めて沈黙を破り、「母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された」と語った。また自身の行為について、「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい」と謝罪の意思を述べたものの、「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか?」「後悔はしていない。後悔をすれば、彼(マテラッツィ)の行動を認めることとなってしまう」と語り、頭突きをした行為自体は後悔していない事も強調した。7月20日、FIFAの規律委員会は、出場停止3試合及び罰金7500スイスフラン(処分当時の円換算で約70万円)の処分を決めた。ただし、出場停止処分については、彼自身がすでに現役引退を表明しているため、社会奉仕活動3日間の義務付けとなった。



パリの語学学校
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