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水田三喜男

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詳細 2011年4月21日 02:41更新

水田 三喜男(みずた みきお)、1905年4月13日―1976年12月22日。
日本の政治家にして城西大学創立者。「経済・財政の水田」として日本の経済成長と国際的地位向上の推進役であった、戦後日本の代表的な大蔵大臣の一人でもある。柔道5段、剣道3段。座右の銘は【偽らず、欺かず、媚びず】。

千葉県曽呂村(現・鴨川市)出身。水田家は400年ほど前に讃岐(現在の香川県)の地から移住してきた家系とされ、祖父・竹蔵、父・信太郎はいずれも村長を務めた。

旧制安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、京都帝国大学法学部に入学。1931年に卒業し、東京市職員、専修大学講師、北越石油監査役、日本鋼板常務、大同石油取締役を遍歴、1946年(昭和21年)の戦後第1回目の総選挙で当選し、以後13回連続当選。

1953年、第4次吉田茂内閣で経済審議庁長官として初入閣し、保守合同直後の1955年に自由民主党政務調査会長に就任。大野伴睦派にて、政策通として活躍。1956年には石橋湛山内閣で通商産業大臣となる。

1960年、第1次池田勇人内閣で大蔵大臣に就任。積極財政論者として池田の高度経済成長政策に共鳴し、推進役となる。第2次池田内閣でも留任し、続く佐藤栄作政権では第1次〜第3次内閣に渡って蔵相を務めた。

大野の死後に大野派が船田中派と村上勇派に分裂すると、船田派に参加するが、1971年に船田派を離脱、村上派や藤山愛一郎派と合流して水田派を結成。中間派の領袖として影響力を持った。

1976年の第34回衆議院議員総選挙で13回目の当選を果たしたが、直後に急死。享年71。

教育に強い関心を抱き続け、1965年に城西大学を創立した。また、東洲斎写楽をはじめとする浮世絵のコレクターとしても知られる。


・・・と、ネットで拾った情報を適当に繋いでみました。



なぜこのコミュを作ったかって?水田三喜男は私の祖母の従兄だからですよ。
・・・親戚とは言え、ひとりの先人として考えてみたくて簡単な情報をまとめたので、ついでに作ってみた、というのが本当のところですがね(笑


まぁ、水田三喜男に関係する方等々、適当にご参加下さい。管理人は、例え(管理人が若輩過ぎて水田三喜男の家族から認識されていなくても、勝手に身内として考えているので呼び捨てていますがご了承下さい。


*トピ立ては、まず、【既に似た主旨のトピが無いかどうか】を確認してから立ててください。また、トピの題名には、内容が伺える言葉を含んでください。【質問です】などというのは、質問であることはわかっているので、質問の内容を多少なりとも題名に入れるなり、聞きたいことをずばり書くなりしてください。

まぁ、気軽にご参加下さい♫

*トップ画は水田三喜男です。・・・当たり前か(;´∀`)

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