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江戸消防記念会

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詳細 2016年6月5日 02:13更新

今からおよそ287年前の享保4年(1719年)徳川幕府八代将軍吉宗の時代、時の町奉行大岡越前守忠相の唱導で「いろは四十八組」の町火消が江戸(東京)に誕生し、さらに翌年、本所・深川に南・北・中の十六組が生まれました。
 当時、江戸の消防組織には定火消・大名火消などがありましたが、これらはあくまでも幕府直轄、若しくは各大名私設の消防常備軍で、江戸城・大名屋敷をはじめ、上野東叡山寛永寺、浅草・本所の御米蔵、湯島聖堂など徳川家ゆかりの建物という柳営(将軍の陣営)中心の防護が主力であり、江戸の庶民は蚊帳の外で幕府の庇護は受けられなかったのでした。
 しかし、ひとたび町場から火事が起これば、武家屋敷と言えども火事の洗礼を免れず、一蓮托生の運命にあったことは当然で、振袖火事をはじめ数多くの江戸の大火がこの事実を物語っています。こうした消防に国境なしと言う事態を憂慮された儒学者荻生徂徠の進言により、大岡越前守が施策として打ち出したのが「江戸の町は江戸の庶民の手で護らせる」という、いわゆる自衛・自治の孝え方に根ざした町火消の創設といわれています。そして町火消には、勇気、機敏、技術に秀でた一般に「鳶」と呼ばれる建築労働者を中心に選ばれました。彼等は義勇消防の担い手として、選ばれた名誉と意気に感じ身を犠牲にして幾多の猛煙猛火と闘いながら、文化・文政・天保と町火消の全盛時代を現出しつつ「江戸の華」として庶民に頼られ親しまれてまいりました。その後1867年、明治維新によって町火消は市部消防組と名を改め、その後、何度かの変遷があり、東京の町を守り抜いてきました。
 しかし、昭和14年(1939年)戦時下の国民総動員令により防空消防強化策として、従来の市部消防組は既存の防護団と統合し、警防団を組織することになり自動的に消防組は廃止されました。(警防団はその後昭和23年消防団として生まれ変り、再び水火消防一本の任務に戻り活躍している。)江戸消防記念会は、こうした町火消、市部消防組の後裔で、その心を心とし町火消以来永い歴史と伝統により連綿と受け継がれてきた纒・伴纒・火消用具等の保存、木遣り・梯子乗り等の技術伝承など、江戸の文化を語る上で欠くことのできない火消文化を後世に伝えるため、旧市部消防組の有志によって昭和14年(1939年)に結成され、その後昭和29年(1954年)公益法人となり、以来今日まで50余年にわたり各種の文化事業を行ってまいりました。(記念会概要から)
江戸消防記念会HP↓
http://www.edosyoubou.jp/

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