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大西瀧治郎

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詳細 2016年12月8日 15:15更新

大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。
軍令部次長、海軍中将。
兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波市)出身。
海軍兵学校第40期生。

幼い頃より、日露戦争の英雄・広瀬武夫に憧れて海軍を志し、旧制柏原中学校を卒業後、海軍兵学校へ入学した。
兵学校卒業後、海軍少尉に任官され、1918年にはイギリスへ留学、帰国後は海軍航空隊の養成に尽力した。
太平洋戦争時、中将となっていた大西は、いわゆる神風特攻隊の編成を行なったことにより「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれる。
当初大西は「特攻は統帥の外道である」とし、特攻隊の編成には反対の立場をとっていた。
しかし、1944年6月のマリアナ沖海戦での連合艦隊の一方的敗北以降、日本海軍航空隊が従来の航空攻撃では連合軍艦船に対してほとんど打撃を与えられなくなった状況で特攻戦法の導入を主唱したのは、ほかならぬ当時第1航空艦隊司令長官であった大西であった。
ただし、特攻戦術を推進したのは伏見宮博恭王で、皇室に累が及ぶことを防ぐために大西の名前が使われたという説もある。

1945年8月16日、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。
自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて苦しんで死んだという。享年54。

割腹自決時に遺した辞世の句は2つあり、「これでよし 百万年の仮寝かな」の方は特に有名である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

             ■死生感

            決死不如不思死生
        決死は死生を思わざるに如かず

 

             ■独白

        わが声価は棺を覆うて定まらず。
        百年の後、また知己なからんとす

 

             ■辞世

       これでよし 百万年の仮寝かな

 

             ■遺書

     特攻隊の英霊に日す 善く戦ひたり深謝す
       最後の勝利を信じつつ肉弾として
             散華せり

     然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに到れり
        吾死を以て旧部下の英霊と其の
           遺族に謝せんとす

       次に一般青少年に告ぐ
     我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
             聖旨に副ひ

     奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり
      隠忍するとも日本人たるの矜持を失

       ふ勿れ 諸子は国の宝なり
   平時に処し猶克く特攻精神を堅持し日本民族の福
      祉と世界人類の為 最善を尽くせよ
webサイト「大西瀧治郎 海軍中将」さんの所より引用。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-oonisi.htm


最初の特攻
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/saisho_no_tokko.html

大西瀧治郎中将の苦悩
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi.html

大西瀧治郎中将特攻作戦の真意
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/oonishi/oonishi_shini.htm

最初の特攻 関 行男隊長
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/saisho_no_tokko/seki/sekitaii.html

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