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オリバー・クロムウェル

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詳細 2015年1月9日 20:10更新

オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwell, 1599年4月25日 - 1658年9月3日)は、イギリスの政治家で、軍人である。


生涯
イングランド東部のハンティンドン州のピューリタンでありジェントリ階級の地主の家庭に生まれる。大伯父にヘンリー8世の元で「行政革命」を実施した政治家トマス・クロムウェルを持つ名家であった。ケンブリッジ大学で学び、1628年に庶民院議員となる。ピューリタン革命では議会派に属し、1642年に鉄騎隊と呼ばれる騎兵隊を指揮してヨーク西方マーストン・ムーアの戦いで活躍し、議会派が鉄騎隊をモデルに組織した新型軍の副司令官となり、1645年のイングランド中部のネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派側を勝利に導いた。内乱の終結後議会は軍の解散を求めるが、クロムウェルは議会派の中でも国王との妥協を赦さない独立派に属し、妥協を求める長老派と対立しており、長老派を追放したクロムウェルは、独立派議員による議会を主導、1648年に再び決起した国王チャールズ1世を処刑し、1649年5月に共和国を成立させた。

共和国の指導者となったクロムウェルは革命軍の中で急進的であった水平派を弾圧し、中産市民の権益を擁護して重商主義政策をはじめる。貴族や教会から没収した土地の再分配、1649年から1651年にかけて反議会派の拠点でもありケルト人の土地でカトリックのアイルランドやスコットランドに対して侵攻を始め、各地で住民の虐殺を行う。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後はイングランドの植民地的性格が強い土地となる。


1651年の「クロムウェル航海法」とよばれる航海条例は、クロムウェル自身は関わっていない。しかしこれが議会を通過したことによってオランダの中継貿易を制限させ、英蘭戦争の引き金になった。

中産市民は王党派の反革命の可能性もあったためクロムウェルの独裁を支持し、クロムウェルは1653年に議会を解散させ終身護国卿となり、成文憲法である「統治章典」に基づき独裁を行った。議会によって国王への就任を2度にわたって望まれるが、これを拒否して護国卿という名において統治にあたった。しかし1658年にインフルエンザで死亡すると、引き継いだリチャード・クロムウェルはまもなく引退し、護国卿政は短い歴史に幕をおろした。長老派が1660年にチャールズ2世を国王に迎え王政復古を行う。王政復古後、反逆者としてクロムウェルの墓は暴かれた。

ロンドンのウェストミンスター宮殿(国会議事堂)正門前に鎧姿で剣と聖書を持ったクロムウェルの銅像がある。

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2006年8月1日

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カテゴリ
学問、研究
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