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ザメンホフ博士の会

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詳細 2015年8月18日 12:47更新

ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(Людовик Лазарь Заменгоф,Lazaro Ludoviko Zamenhof, 1859年12月15日 - 1917年4月14日)はユダヤ人の眼科医・言語学者で、現在のところ最も広く使われている人工言語、エスペラントの創案者。

彼の母語はロシア語だが、ポーランド語、ドイツ語も流暢に話し、後にはフランス語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語も学んだ。さらに彼はイディッシュ語、イタリア語、スペイン語、リトアニア語にも興味を持っていた。

ザメンホフは1859年にポーランドのビャウィストク(Białystok)で生まれた。当時、ポーランドは帝政ロシアの一部で、町の人々は四つの主な民族のグループに分断されていた;ロシア人、ポーランド人、ドイツ人、そしてイディッシュ語を話す大勢のユダヤ人のグループがその四つである。彼はグループの間に起こる不和に悲嘆し、また憤りを覚えていた。彼は憎しみや偏見の主な原因が、民族的・言語的な基盤の異なる人々の間で中立的なコミュニケーションの道具として働くべき共通の言語がないことから起こる相互の不理解にあると考えた。

ワルシャワの中等学校に通いながら、彼はある種の国際語を作ろうと試みた。それは文法の非常に豊富な一方で、大変複雑なものでもあった。ザメンホフは(ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語と共に)英語を学んだときに、国際語は比較的簡単な文法を持ちながら、語の新しい形を作るのに接尾辞を幅広く用いるようなものでなくてはならない、という構想を固める。

1878年までに彼の Lingwe uniwersala(普遍言語?)はほとんど完成しかけていたが、彼は若すぎたために著書を出版することができなかった。卒業後すぐに彼は薬学を、最初はモスクワで次にワルシャワで学び始める。1885年には大学を卒業し、眼科医として開業する。患者を治療する傍ら、彼は国際語の計画を進める。

彼は国際語を述べた書冊を出版するべく二年にわたって基金を設立しようと試みるが、後に彼の妻となる女性の父親から経済的な援助を受けることでその必要はなくなった。1887年には "Doktoro Esperanto. Lingvo internacia. Antaŭparolo kaj plena lernolibro"(「エスペラント(希望する人)博士. 国際語. 序文と完全なテキスト」)と題された著書が出版されることになる。ザメンホフにとってこの言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、異なる人々や文化の平和的な共存という彼の理念を広げる手段でもあった。彼は1917年にワルシャワで亡くなった。

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2006年6月13日

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カテゴリ
学問、研究
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