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映画・ドラマの演出コミュの用心棒

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二つのヤクザの組が争う宿場町に現れた主人公が
持ち前の頭脳と技を使って彼らと対決する、超一流娯楽活劇作品

これは、
『荒野の用心棒』
『ラストマンスタンディング』
やアニメ等でもリメイクされ、
また近々日本でもリメイクされることになっており、
『スターウォーズ ep4』
ではこの作品の一場面がそっくりそのまま再現され、
ケビン・コスナー主演の
『ボディガード』
ではこの作品の一場面が作品の中で映し出されたという、
国内外に大きな影響を与えた作品でもある。

主人公の桑畑三十郎は三船敏郎の当たり役となった。

黒澤明監督作品:1961年公開

コメント(5)

他のコミュに書き込んだやつをちょっとまとめてみました。


宿場町にやって来た主人公が居酒屋に入り、
店の主である権爺に町のいろんな事情の説明をされるシーン。

この場面では雨戸をガラーーーッ!!と開けて
宿場町の様子を映像を見せながら説明するわけですけど、
その雨戸が開いた窓ってのは、
これは現代劇やSFでいったらモニターみたいな使い方ですね。

で、あれは主人公や他の登場人物達が見るために使うわけですが、
もちろんそれは観客に見せるっていう意味もあるわけですよね。
つまり外の状況を映像を見せて具体的に説明する
ってことですよね。
だから単にセリフでの説明よりもスゴく分かりやすい。

そういう意味で考えてみると、黒澤映画ってそういう、
「観客に対する説明」が非常に上手いですよね。

『生きる』ではみんなの思い出話を短い回想シーンをつなげて
主人公の行動や人柄を説明したり、
『七人の侍』では村の地図を描いたり、
また、野武士の数を○で描き、倒していったらそれに×を付けて
相手をどれくらいやっつけたかってことを説明したり、
『隠し砦の三悪人』では今自分達が置かれてる状況や
どうやって脱出するかってことを
地面に地図を描いてそれを説明したり、
『天国と地獄』でも捜査会議で地図を使って説明したり、
あとは子供が描いた犯人の絵が決め手になったり、
『赤ひげ』では回想シーンや日記なんかを効果的に使って
そのときどきの状況を具体的に説明してますよね。

そういう、セリフだけでなく、
映像で具体的に見せるっていうやり方が、
言葉の違う外国でも黒澤映画が人気だってことの
一つの理由なのではないかと私は思っています。
片方のヤクザの親分である清兵衛がスゴい実力を見せ付けられ、
自分の屋敷で主人公に対して用心棒料の交渉をする場面。

ここはまず、いくら出すか訊く主人公に対して
「三両ってことで、ひとつ…」と応える清兵衛。
それを聞いた主人公は憮然とした表情で席を立つ。

で、彼はそのまま何事もなかったかのようにサッサと歩いて行く。
途中清兵衛がお金の額を上げるけど、でもサラっと「桁が違う」と言い、
さらにサッサと歩いていく。その姿は常に悠然としてて冷静。

で、彼はそのまま下に降りて草鞋を履いて外に出ようする。
その姿を見て、敵方の丑寅の方に行かれちゃ困ると思った清兵衛は
主人公が外に出ようとする直前で「50両っ!」と叫んで、
ようやく商談成立。

ってことでこの場面は、一人だけ悠然としてる主人公と、
慌てる清兵衛&その二人のやり取りの成り行きを黙って凝視してる
周りの人物達のギャップが楽しい
(まぁそうやって悠然としてるから清兵衛も落ち着きを失って
50両も出すハメになったんでしょうが)。

んで、このシーンのポイントは最後の部分。

この場面では清兵衛が「50両っ!」って言った直後に
外に出ようとしてる主人公が戸を開きますが、
ここで上手いのが戸が開いた瞬間に外の明るい光が
清兵衛と主人公をサッ!と照らすことですね。

戸が開いた直後に主人公はすぐに清兵衛の方を向く
(つまり後頭部を見せる)から実質は清兵衛のみが明るく照らされる。
ので、この場面は「50両っ!」って叫んだあと、
まるで「ピンポーン!」って正解のチャイム代わりみたく
外の光が清兵衛に当たるわけですよね。
あと戸を開けきったときの「ガンッ!」って音も同様に効果的。

だからそれによって主人公がその金額で納得したってことが
より一層分かるんだと思います。
で、上記の場面での途中のセリフの言い方について。

このシーンで清兵衛は
少ない金額からドンドン高い金額を言って
最終的には五十両までいくわけですが、
その途中の「二十両!」ってセリフがね、
個人的には特にいいなぁって思ったんですよね。

ここって最初に清兵衛が「じゃあ、二十両!」って言うときって、
顔がちょっと笑ってますね。
彼としては二十両っていう大金だから
絶対相手も反応すると思ったんでしょう。
が、主人公は全く無視して草鞋を履いてる。

だから彼はその主人公の落ち着きがよく理解出来ない。
こっちは二十両も出そうって言ってるのになんで冷静にしてるんだ、
って感じで。
なのでその気持ちが次の必死な表情での
「二十両!」になるんですよね。

で、このときの「二十両!」ってセリフはよく聞くと
「にじゅうりょ!?」って言ってますよね。
この場合のポイントは「?」だと思うんですが、
つまりこの場合の「にじゅうりょ!?」ってセリフは
「ちょっとアンタ聞いてんの!?二十両って言ってんだよ!?」
っていう気持ちを込めた「にじゅうりょ?」だと思うんですよね。

これを普通の映画とかドラマでやる場合は大抵
「先生、二十両ですよ!二十両でもまだ不足なんですか!?」
って言わせたりするんですよね。
でもそれは当たり前過ぎるし場面のリズムも壊す。

それを踏まえてこの映画のその場面を見てみると
実にシンプルな表現でそれを伝えてますよね。
みなまで語らずしてそれを表現してる。

余計なことはせず、必要なものを必要な分だけやるっていう
黒澤映画独特の場面かな、って思います。
ヤクザの組の一つ、丑寅のところにやってきた主人公が
用心棒になると言ってくるけど、
でも階段上の丑寅はそれを断る、
けど、主人公が重大な情報を伝えることによって
激しく動揺してしまうってシーン
(イラスト参照)。

この場面は、
階段の上から降りてくる丑寅の顔はしばらく見えず、
足の動きだけでその動揺する表情や感情を表現してる
ってとこが面白いと思います。

でも、顔を映さずに登場人物の心情を表すやり方としては、
他には例えば洗い物をしてる手が止まるとか、
背中で感情を表すっていうやり方もありますよね
(タバコを持ってる手っていうのもあるか)。
まいずれにせよ顔以外の部分で表情や感情を表す
っていうのは他にもたくさんやり方があると思います
(影を使ってもいいし)。

って意味で、このシーンは私的には
そういう表現方法の一つのバリエーションなんじゃなかろうか
って思います。

だから足のみを映すことで動揺を表すっていうのは
そんなに特殊ってほどのことでもない、
と、本来なら言えるかもしれませんが、
でも、この場面では他の部分ではなく、
足が使われてることがやっぱり大変重要なんだと思います。

この場面って、まずは丑寅の屋敷に主人公が来て
「丑寅に会いたい」って言って階段の下に座りますよね。
で、子分が呼びに行くと丑寅が階段の上の方から
主人公に声をかける。

この場面の最初は階段の上で姿を見せない男の声。
しかもこの場合は遠い所にいるわけだから声も遠い感じ。

ってことで、ここでの丑寅は自分は関係ないって感じの
文字通り「高見の見物」状態なわけですよね。
だから画面に姿を現さないし、声も遠い。

で、次に足の先の方が映る。
ここは、シッカリと立ってる。
ので、着物の裾が全く乱れてない。

ところが次に主人公にあることを告げられた丑寅は
驚いて一歩進めて一段降りる。つまりその分体を見せる。
このとき注目すべきは裾の開き具合だと思います。
激しくダンッ!って降りるから、
ここでは着物の裾が一瞬チラ!って開くんですよね。
それが丑寅の心の動揺を表してるように見える。

丑寅が着てる着物はどちらかというと暗めな感じだから、
着物の裾の内側の白っぽい部分が見えると
より一層動きが強調されますよね。

続けて主人公に告げられた丑寅はさらに階段を降りる。

で、これって単に段を降りるってことだけじゃなく、
ここでは最初は画面向かって右にいた丑寅が
左に激しく横移動しながら段を降りるんですよね。

階段の、一段一段の段差の距離ってのはあまり長くない。
だからいくら激しく降りて迫力を出そうとしても限界がある。
でも、横に大きく移動すると、垂直に段を降りるよりも
その動きはそうとう大きくなるわけですよね。

さらに、ここではまず片方の足が下の段に行って、
もう片方は交差するように上の段に残ってますよね。
だから、ここも横移動したことによって
両足の間がそのまま下に降りる場合よりもずっと開いて、
体勢がその前と比べて
ずいぶん動きのあるものになってるように見えるので
より一層、丑寅の動揺が伝わるんですよね。
しかも、足が開くということはその分着物の裾も開くわけだから、
さらにそれが強調されることになる。

もいっちょさらに、
当然ながら着物っていうのは曲げればシワが出来るので、
普通よりもかなり足を曲げてるって感じが、
着物のスソのシワによってもさらに伝わるんですよね。

そしてもう一つ、
この場面では丑寅はドテラのような裾の長い服を羽織っている。
ので、ここでは移動するとき
そのドテラのような服の長い裾の部分も移動するので、
より一層丑寅の動きが強調される
(外を走るときに下にホコリを撒いて疾走感を強調するのと同様)。

そして、丑寅がピタッ!と動きを止めたときは
その裾が上の段で止まって、足の開きよりももっと広がってますよね。
だからその裾の広がりで、止まってる画面にスゴく躍動感を感じる。
しかもそのドテラのような服の柄がちょっと派手だから
それがさらに強調されている。

ってことで、ここは

・最初は姿は見えない
・足の先だけが見えて、冷静に立ってる。裾は乱れてない
・一歩降りる。裾が少し乱れる
・二歩降りる。横移動。足がもっと開く。裾ももっと乱れる

って感じで、段階を追ってドンドン映像的に動きが出てるんですよね。
だから主人公の話を聞いて初めは余裕こいてた丑寅が
ドンドン動揺してくる様がより一層感じられるんだと思います。
んで、私的にこの場面では、
その足の動きよりももっと面白いなぁってところがあります。

それは「上下移動による画面内での登場人物の心情の変化」であります。

前述の通り、このシーンの最初は画面の中心に主人公が映ってて、
そんで丑寅は、姿が見えなくて声も遠いという「高見の見物」状態。

それが、主人公と会話をする際には少しだけ足先を見せ、
次に主人公から告げられたことで動揺して一歩降りてまた少し体を見せ、
さらに次の話で二歩下に降りてもっと体を見せ、
そして次には主人公が立ち上がって
それに合わせてカメラもスっ…!と上がることで顔まで画面内に登場させて
主人公と同じように映る。

でそのあと丑寅は階段の途中の段にドカッ!と座りますが、
ここではその動きに合わせてまたカメラがスっ…!と下がるので、
立ってる主人公の顔は映らなくなり、一人丑寅だけが映る。

そんで主人公は用心棒になって欲しかったら金を出せってことで
丑寅の方に手を伸ばす。

だからここは主人公と、最初は高見の見物をしてた丑寅の立場が
完全に入れ替わってしまうんですよね。
最初は余裕があった丑寅は最後ではスゴく動揺して慌ててる。
そしてそれを、顔が映らないほど高いところにいる主人公が見てる。

ってことで、
ここは階段の上→下にしゃがむっていう丑寅の上下の移動
っていう要素があるからこそ、
より一層丑寅の心情が強調され、分かりやすくなっているような気がします。

あと、上下の動きってことで言うと、
この映画はかなり横広の作品なんだけど、
上記のような描き方になってるんで自然と見事な縦の構図になってて、
それが立体感を感じさせるんですよね。

ちなみにそのあと丑寅は意を決して主人公にお金を渡しますが、
このとき、立ち上がるときに背負ってたドテラのような服が
スルっと脱げ(?)ますよね。
だからここでもそういうものを使って
意を決した丑寅の心情をより分かりやすく表現してるんだと思います。

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