聖飢魔IIは地球を征服し悪魔教を布教させる為に魔界より「地球征服40年計画」の一環として組織された教団である。布教媒体に音楽を採用し、B.D.14年(1985年)9月地球デビュー(レコードデビュー)を果たすと同時に、魔暦元年(1999年)に解散するという異例の発表をし、話題を呼んだ。
以後、現在にいたるまで小教典(シングル)24枚[番外3枚]、大教典(アルバム)19枚、活動絵巻教典(ビデオ、DVD)18枚発布している。
第1小教典(シングル)「蝋人形の館」でブレイク、第8小教典(シングル)「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」は「蝋人形の館」と共に35万枚のセールスを記録する。中でも代表作、大教典(アルバム)「WORST」は日本のヘヴィーメタル・バンドでは初のオリコン1位を記録。地球デビュー盤から9年間、10大教典(アルバム)連続10万枚以上のセールスを記録。
ミサ(LIVEの事を聖飢魔IIではこう呼ぶ)においても、テレビやラジオ等のマスメディアを通じての布教活動、音楽のみならずバラエティーや文化、芸術方面で幅広く活躍する聖飢魔IIのそのエンターテインメント性は遺憾なく発揮され、老若男女を問わず、信者(ファンのようなもの)を増やし続けている。
安定した集客力はデビューから解散まで維持され、14年間連続、集客2000人以上のホールで全国ツアーを行い、述べ724回にのぼる。(「東京厚生年金会館」で通算50回の公演は記録。)
B.D.10年(1989年)、大晦日にNHKで放送される国民的番組、紅白歌合戦に第7小教典「白い奇跡」で出演。海外公演においては、B.D.8年(1991年)イギリスのロンドン、スペインのセビリアにおいてミサを行い、MC・歌詞を現地の言葉(英語、スペイン語)に置き換え、地元の信者を熱狂させた。
B.D.7年(1992年)、CM出演でも話題を集め、中でもフジ写真フィルム「写ルンです」CMにて大賞や最優秀出演者賞を受賞。B.D.5年(1994年)にはCNNラリーキングショーに日本で活躍するアーティストとして初めて出演。B.D.1年(1998年)、「ふるさと総・世紀末計画」という計画のもと、47都道府県全てでミサを行い、また24の都道府県においてノーギャラでCM出演を果たし、日本全国を活性化させ、さらに悪魔教を布教させた。魔暦元年(1999年)、7月〜8月「大黒ミサツアー(ZEPPツアー)」、10月〜12月「THE FINAL BLACK MASS TOUR」、12/29,30,31、東京ベイNK ホールにて「THE ULTIMATE BLACK MASS」でミサを行い、3ツアーにおいて30ヵ所・36公演・約84000人の動員を集めた。
魔暦元年(1999年)12月31日、地球における任務を予定通り完了し、解散。昨年、D.C.7年(2005年)地球デビュー20周年をむかえ、期間限定再集結し全箇所即日完売した全国ミサツアー「THE LIMITED BLACK MASS TOUR D.C.7 恐怖の復活祭」、「THE SPECIAL BLACK MASS オールスタンディング処刑(一部を除く)」を行う。