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デザイン心理学 レンズコミュの第01会:デザインという定義

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定義それ自体は
色々な雑誌などで
やり尽くされていることは承知の上で
あえて持って来ました。

ここではデザイナーだけでなく、いろんなカテゴリーの方からの意見で
つむぎあげたいなと思っています。

人それぞれという点では
話す必要なんてないのかもしれない。

まあ第一回ということなので
ここから始めなければいけないかなと思っています。

RENsは基本的に概念の共有

コメント(21)

ただいま片手にAXIS112を所持しながら、ここに記載されている事項を書き出しています。
余談ですが、この本の特集になっているA マンジャロッティ氏は目下お世話になっている人の師匠だそうです。

デザインという概念はいかなる範囲で捉えているか?
単に外面的な造形および意匠と見る視点が一方の極「ガワ」にあり、他方の極には本質や構想に近いもの捉える視点「イデア」がある。
面白いです。是非購読してください。って俺はAXISの回し者かいっ。マージンくれないかなぁ。
何冊かタダで頂いたご恩もありますので、このくらいは微々たるものですが助力いたします。

4つの項目から選んでください。
「表現」:構想やアイデアそのもの VS 製品や事物の表現の仕方
「目的」:問題、課題解決が第一 VS 製品や事物の洗練
「価値」:存在価値 VS 価格的な付加価値
「行為」:機能そのもの VS 外面的装飾

「理解ー分解ー再構築」
とりあえず、自分が考える「P」デザインの歴史から紐解いて見ようと思います。

ことの発端は第二次大戦後の有り余った物資ややるせない憤りから起こった。
ERGONOMICS:人間工学
身体の疲労のー筋肉の疲労ー治療ーやわらげるー工場で働くヒトの潤滑というサイクル。

つづいて、PROXEMICS:近接学、近接空間論
対人間としたときに起こりうる状況ーヒト型に対する感情の調節ー世界平和レベルでの潤滑というサイクル

そして、今もっとも新しいAFFORDANCE:身体性
暗黙知 形式知 全のイチ 今度は人間社会における無意識化で怒っているストレスの回避という潤滑。
基本的にどれも機能そのものを重視していると思われます。
という意味では「行為」の欄には機能重視に当てはまるかな。
嘘かマコトか俺の友達がウソをつく時にとっさにでるヒト化特有の数字に3(だけじゃないけど)
があるっていってたんだけど、それと深沢氏が「R3」というのに惹かれた。
たしかスイスのGRID SYSTEMでも3で割れと言っているけどね。

ざっとですが、自分が考えうる視点での解釈です。
やべぇ自分の稚拙な解釈に腹立ちます。

ちょっと休憩。
いまの事務所でストッケの正座の感覚で座れる椅子(名前忘れた)
に座って仕事しているんですけど、これが結構座り心地いいのよ。
なんで、これが日本でなくて、北欧でつくられたのか、むしょうに腹がたつ。
まあいいや。

この先にあるのが自分の求めている理想がありそうな予感がしているのですがね。
まだ理解、分解が乏しい分、再構築したときにしょぼっと思うことが多々ありますが。

タイムリーで日本の友達から面白いメイルが帰ってきた。
世論=盲目だから俺たち自身という個の所有それ自体に意味が成されるようになってくるという面白い内容です。
そいつ自体途方もなくあてのない旅がすきな奴で、まあ俺もそれに似たような種類の人型で、「ハレとケ」
公と私的なものが絡み合って融けてくれたらそれは望むべき場所だと思う。

日本でマルセルデュシャンの展示会を見学したのですが、理解不能なところも何点かあったのです。
それってどうなんだろう?とりあえず客観的な視点からするとやさしくはないですよね。
それに、なにクソって思っては通路を右往左往しながら真剣に解読していたバカが二人いましたが。笑
だからといって、ではUSERに傾倒するのかって難しい立ち位置ですよね。

とりあえず僕の今の答えは右、左、右、右でした。
[ヒトの欲求段階]

マズローの法則、、、いかにもまずそうです。

1:生理的欲求
欲求の第一段階で生きていく為の基本的欲求。食欲、性欲など。動物欲ですね。

2:安全の欲求
生理的欲求を満たされる状態を継続したい。すなわちとどまっていたいいう欲求。

3:社会的欲求
安全な場所が確保されると、次に周囲に認められたいという社会的欲求がでてきます。
集団の長になりたい、サークルのリーダーになりたいという欲求。
会社で出世していくという階段のことですね。
一般にこのあたりまでいったりきたりすることになります。
途中を飛ばして生理的欲求が満たされないのに、社会的欲求がでてくるとう事はありえません。!?

4:自我の欲求
今度は社会的欲求が満たされた人間が持つ欲求で、自分らしく生きたいという欲求です。
ここからの欲求は社会的立場や、収入を超越したところにあり、自分の存在を確かめたていくような欲求。

5:自己現実の欲求
最も高い欲求の段階で、自我の境地にありながら、社会に貢献している。
自分のためだけに生きながら、そのことが人類に役に立っているという貢献。

日本の環境に満足し、レベル3に到達し、
逸脱したいと願い海外に来るという行動パターンはだいたい誰にでもあてはまる行為なんじゃないんでしょうか?
日本という国、いやデザインということそれ自体はレベル4、5の世界じゃないんでしょうかね。

たまにレベル1で海外に来てしまう輩もいますがね。突然変異ですね。笑
でも、生理的欲求から自我の欲求又は自己実現の欲求にいくのは、
これはピラミッド型なのではなく輪廻式の形をとっているからだと思います。

その欲求の根本を感性が支配する。
[感性の構造]

人間の思考パターンおよび、行動パターンにより類推することができます。

心理学者ユングは、人間の意識の底には本人の気付かない無意識界があり、
これには個々に違う無意識と、人間が太古から持っている原型であり、
普遍的にある集合的無意識の二重構造になっていると言っています。

感性教育研究所では、この祖先から脈々と受け継いで来た普遍的に持っている感性を、
普遍の感性と呼び、物事を判断(無意識のうちに)するすべての基準となっています。
この部分は本能に匹敵する情報で、存在の衝動や、行動の衝動、快楽の衝動の元となる感性です。

先天の感性は、父親や母親から遺伝的に受け継いだ感性で、
感情の激しさ、起伏、物事の受け止め方、行動の習性といったものを現しています。

後天の感性は、成長過程で五感から吸収して新たに書き加えた、
環境によって構築された感性を言います。過去の経験から、感じたまま受け止めずに感情を押さえて注意を払ったりする感性です。
この後天の感性を組み立てる基礎には、先天の感性があり、組み替えられるものではなく、
貼り付けていったものであるといえます。
この構造から、物事を受け止めるときに、先天の感性でストレートに受け止める部分と、
後天の感性でフィルターを通して見るように修正された見方をする部分があります。
しかしこの修正された部分というのは元々の見方とまったく違う見方ではなく、いわば2重画像のような見え方になっています。
そして一つ一つの体験は記憶バンク(記憶を蓄えておくメモリー)に、
一枚の映像として右図のように無数に蓄えられ、音、におい、痛み、冷たさ、暑さとと言った感覚は、
直接それぞれの細胞に、エングラム(記憶痕跡)として蓄えられています。

人が、ある出来事に直面するとき瞬時にこのバンクの中から映像を取りだし判断の規準としたり、
エングラムによる痛みやにおいの再現がその出来事から遠ざけたり又行動に駆り立てたりするわけです。
このYES’or NO’の決断を感性すなわち感情情報がやっています。

これが俺のいいたいREN'sって意味に似てるね。
http://www.enba.org
「デザインという概念はいかなる範囲で捉えているか? 」
大きなテーマ...。bozeさんの3つの書き込み、3回読み返しました。
今まで自分が漠然と感じてはいたものの、はっきりとは考えていなかったことが、ぼんやりではあるけれど、像を結んできたような感じがしました。
「デザインという概念」 は、2つの要素のせめぎ合いという性格があるのではないか、ということ。
機能vs装飾、存在価値vs付加価値、etc...。
普遍の感性vs後天の感性。

ちょっと乱暴な括り方かもしれませんが、こうも言える?
普遍の感性が求めるのが、機能や存在価値の方。
先天、後天の感性が求めるのが、装飾や付加価値の方。

これに’ヒトの欲求段階’が加わると、...。デザインする側と消費する側でちょっと事情が変わってくるとおもいます。デザインはレベル4、5の世界、とbozeさんは言っているけど、例えばこういうこともあるよ。モノが、デザイナーの意図がどうであれ、それを持っている人の社会的ステイタスを表す道具にもなり得る、つまりレベル3の欲求を満たす道具にもなり得る、ということ。情報とか、社会の性格とかいった要素が絡んでくることですが、例えば××さんデザインの××という時計を持っていれば、その人はそれを手に入れる経済力があり、かつ文化的意識も高いのね、と周りに認めてもらえる(かもしれない)。

ところで、話はそれますが、bozeさんの言うとおり、数字の3って、確かに不思議です。3、という数字になると、とたんに話が良くも悪くも複雑になる。フィボナッチ数列にも、当然3は入っているしね。自然界にあらわれる数列だから、ヒトの’普遍の感性’に、3という数字は太古から刻まれているんですかね?さらに余談ですが、3の倍数は、桁の数字を一桁になるまで足して行くと、必ず一桁の3の倍数、つまり3か6か9になるのですよ。たとえば、3822なら、3+8+2+2=15,さらにその15を、 1+5=6、という具合...、って、もしかして知ってた?
いろんな意見ということで書きこさせてもらいます。

基本的にただデザインというのであれば俺は作ったもののほぼすべてがそうであると思います。

まあ分類するとしたらデザイン、アート、ごみ、といったところでしょうか?

つまりはアートでなくてごみではないもの。

それがデザイン。

。。。

なんかここでこれじゃだめそうだ。。。

けど俺の中ではそういう感じですね。


まあここでは【良い】デザインの定義をしてるような気がするんだけど。。。

たとえばこの問題

4つの項目から選んでください。
「表現」:構想やアイデアそのもの VS 製品や事物の表現の仕方
「目的」:問題、課題解決が第一 VS 製品や事物の洗練
「価値」:存在価値 VS 価格的な付加価値
「行為」:機能そのもの VS 外面的装飾

これなんかは何を問いているのかがはっきりしないため(理解能力なくてすいません_| ̄|○ )勝手な解釈で答えてみる。
なんかアート、デザイン、(ごみ)の境界線みたいな感じがするけどどこまでをイメージするかによって答えは違ってくるような。。。

「表現」:構想やアイデアそのもの(これはどっちもありえる。。。)
「目的」:問題、課題解決が第一
「価値」:存在価値(よく意味は分からないが_| ̄|○ )
「行為」:機能そのもの

となります。これは良いデザインではなくどちらがデザインかをかなり極端なイメージで答えてます。

例 外面的装飾のない機能そのものVS機能そのものがない外面的装飾

といった感じ。

良いデザインの定義だとしたらまたパーセンテージで考えなければならないだろうけど。。。


(-公- )ウーン。。。俺の書きこかみ合っているだろうか。。。
YURI
やっぱ近いものを感じますね〜。最近の私のお気に入りの書にその話がまるまる載っていますよ。
どこかで盗撮されている気分になりました。笑

「昔は武士は食わねど、高楊枝」のような、
高校生がヴィトンやシャネルを持つ一点豪華主義的な日本の思想。
ヨーロッパなどでは、資金力の上で成り立つ階級層で分けられていた。
昔の日本も着ている服で分けられていますね。

もちろんレベル3の時代もありました。でも今は飽和した状態だと機具します。
成熟社会は目が肥える。飽和した状態から起こりうるデザイン。
もっと純粋な競争になってくるのかと思いますけどね。

もっと面白いのはレベル1もしくわ2で起こっているデザイン!?ですよ。にっしっし。これは後ほど。



「フィボナッチ級数」
ヒンズーアラビア語と10進法をヨーロッパに導入したダビンチのあだ名から命名。
(余談:レオナルド村のダ 「ヴィンチ」さんだそうです。by TAKA)
各数は先行する二つの数を加算したもの。
1,2,3,5,8,13,21,34、55
先行数を後続数で割ると0.618になる。
広く一般に知られている言葉では「黄金分割」という言葉なら分かりやすいですよね。
まあ、木の葉のつき方や、ひまわりの種子、花びらなどに該当するものです。

デザインでいうと、バルセロナチェア、ビートル車など。

一粒の砂の中に世界を
一本の野花のなかに神(無神論者ですが、、、)を見ることは、
あなたの掌に無限をたもち、
ひとときの永遠をもつことだ、、、、そうです。by ウィリアム ブレイク。

日本で有楽町のでっかいビルで行われた人体の科学みたいな展示会で、
脳をスライスした本物の中には黄金比が隠されているし、
好きな女の背骨のX線の写真にも、綺麗な黄金比が隠されている、、、と思う。

大和比かもしれないが、、、気になるところだ。

大和比 1:1,414
YOSITO
合っているか、間違っているかというものの考え方自体がすでにとらわれているように感じますが、、、
確かに、この項目自体での解釈は偏りがちになると思います。戦争と平和みたいなものですね。笑
アート、デザイン、ゴミと3段階に分けたその理由を知りたいな?
自分の個人的意見から言わしてもらうと、

アート=マスターベーションが大衆に受け入れられた物質
デザイン=マスターベーションと人間がより良く生きるための物質
ゴミ=より良く生きるために使い物にならなくなった物質

イメージすることが大事な要素ですね。


『イメージとイマジネーション』

この世に夢を見ない人はいないだろう。
動物でさえ夢を見ることがある。
眠っている猫の耳や尾がピクピクと動くのはよくあることだし、
犬も眠っている時に、まるで喧嘩でもしているかのように鼻を鳴らしたり、うなったり、前足で宙をかいたりする。
そればかりか、動物というものは、目覚めている時でも、何かを「見る」ことができるものなのである。
暗い押入れをじっと見ている猫の背の毛が、これという理由もないのに逆立つこともある。
そして、我々人間も、見えもせず、聞こえもしないのに、何かにぞっとして鳥肌の立つことがある。
これはイマジネーションが働いているからである。
人間だけがイマジネーションを持っているわけではないが、人間は想像したことを互いに話し合える唯一の生物である。
想像したことを言葉に表わせば、物語を創作したことになるし、それを鉛筆で描けば絵を描いたことになる。
想像するということは、心の中に「一つのイメージをつくる」
、、、、、1枚の絵をつくることである。

イマジネーションが働き出すには、いくつかの異なる原因がある。
病気で床についていて、何もすることがない時など、
じっと天井のひび割れを見つめていると、それが動物や木のように見えてくることがある。
これはイマジネーションが実際には存在しない線を補うからである。
また、インクのしみは、偶然にできたものではあるが、種々の事物を想像させる。
このことに気づいた心理学者たちは、人間の心の中にあるものを探るために、インクのしみによるテストを考案した。
同じしみを見ても、人によって見えるものが異なるからである。
「デザインの自然学」

どうしてリンゴの花びらには5枚の花びらがあるのか?子供だけがこんな質問をする。
俺が子供の頃どうしてみんなカブトムシを描くのに横から描くのかに疑問を持って、
正面から描いたと俺の友達が言っていた。自分の記憶は定かではない。
俺の友達も小学校1年にして、パイナップルを木の上に描いて賞をもらっていた。笑

子供だけ疑問に思うこと。
オカンが海外から帰った私に質問したのは、太陽はどこにいてもみな同じに見えるのか?
ISAO氏がいった言葉は、この世に平行ってのはあるか?
MASAYA氏は木が2つで林、3つで森、じゃあ4つは?

ってこいつら大人じゃんかっ!!
ある意味みんな馬鹿です。大のつく。

子供の頃の追憶からのデザインに身を寄せたい。

子供であったとき知っていたあの畏敬の念をわれわれの中に目覚ませるのだ。
なにかが現れる。それは我々よりずっと大きく、しかも我々の一部である。
限界のないものが、限界から生じる。ということだ。



このコミュニティーの意向どおり共有するスペースなので、肩ひじはらずに行きましょう。
話題がつまらなければ、終わってしまうし、面白ければ進んでいくだろうし、
実際、自分自体何を話しているのか先がみえないです。笑

大事なのは、興味深い課題とそれに関して自分のできること。
いろんな価値観を、見て、聞いて、信じて。
全部知らないでいいというのをやめようと思う。
BOZE様。

とりあえず言いたい!
レオナルドダヴィンチ。
「ヴィンチ村」の「レオナルドさん」じゃなかったっけ??

「デザインの自然学」持ってるよ。飽きない本だよね。
森が5つで樹木きりん(木木木木木)なんだけどなー。

自己紹介も済ませていただいたので
私なりにレンズを切り込みます。

4つの項目から選んでください。
目的により異なると思う。
二つに分けてみました。
企業にとって「企業イメージに繋がるもの」と
「実際に黙っていても売れて行くもの」です。
matteoはイタリアでは特にこれが顕著だと言ってました。

★products for ブランディング(和製英語?)
「表現」:構想やアイデアそのもの 5 VS 製品や事物の表現の仕方  5
「目的」:問題、課題解決が第一 7 VS 製品や事物の洗練 3
「価値」:存在価値 7 VS 価格的な付加価値  3
「行為」:機能そのもの 5 VS 外面的装飾  5

★products for sale
「表現」:構想やアイデアそのもの 9 VS 製品や事物の表現の仕方  1
「目的」:問題、課題解決が第一 9 VS 製品や事物の洗練 1
「価値」:存在価値 4 VS 価格的な付加価値  6
「行為」:機能そのもの 9 VS 外面的装飾  1

まず、表現の仕方とされる「機能やアイデアそのもの」「製品や事物の表現の仕方(フォルム?)」は両方勝ち負けでは無い。
「P」的には夫婦のように支え合うものだと思う。
機能やアイデアを中途半端なフォルムでまとめたものは
意図は伝わるけど100円ショップ止まり。そして王様のアイデア止まり。ただ、製品や事物の表現の仕方・・・これをフォルムの詰めと私なりに解釈させていただくとこの部分だけでも
実際プロダクトには成ると思う。
ただ、私の領域のオフィス家具ジャンルだと
後者だけでは他人に良さを伝えることが難しく
良さを言葉で解らないと納得して購入できない。
そのため前者を借りる。

「目的」これは物があふれる世の中で
必要ない物を作る必要性は基本的に無い。
必要のあるものは全て何かしら目的はあるのでしょう。
この二つから選ばなきゃいけないとなると、、
何を必要とするかに拠るのだと思うのだけど
例えば「ある程度金を流通させるためにモデルチェンジで
人々の興味や知識をかきたたせる」ことを目的とするなら
製品や事物の洗練で良いと思うし
その中に使いやすさ、強いては環境保全みたいな目的が入れば
前者になるのではないでしょうか。

「価値」はfor sale用には価格的な付加価値、値ごろ感・お得感みたいなのが重要だと思うし、for ブランディングにはi-podみたいなのを例に出すと、多少高価でも存在価値、自分が使用しているというアイデンティティの充足で良しとされちゃうと思います。

「行為」に関しては「装飾」っていつから悪い意味と
捉え勝ちになったのだろう、、と個人的に考えてました。
「装飾」って「配慮」ではないんかね?
「余分なものを付加する」と理解しがちですが。

私の見解はこんなところです。

マズローは高校の頃好きでした。
カントが決まって3時に散歩をすることと
同時に今でもよーく覚えてます。

深澤さんと話してて面白いなぁと思ったのは
ある程度社会的に認知されたデザイナーおよびアーティストが
レベル4で安穏としていると
やがて自分の中にその期待を裏切ろうという欲求が出てくる。
自分の作風を他人が決めつけその殻が自覚しないうちに
出来てしまうそうな。
でも、これはここのレベルに達しないとわからない。
収入を考えずにデザインできたらそんなに良いことは無いです。
パトロン募集中!

人の欲求を満たしてあげるのに
レベル1やレベル2は感謝されやすい。
目的がはっきりしているからね。
デザインは人のための仕事かどうか?
ある程度生活に余裕が出てこないと
知識も欲求もその方向に出てこないし
そういう意味で感謝されにくい仕事なんだろうなと割り切る。

音速に近いスピードで飛んで
後から人が音を認知してくれればそれで良い。と。
アート、デザイン、ごみに分けた理由

個人的には人や動物が作ったもののほとんどはデザインと捉えることができると思います。

そう呼ばれないものがアート(基本的に何らかの魅力を持っていて、何の機能のないものだったり機能を邪魔するようなデザインがされてるものを人はそう判断するのだろう)

そしてごみ。あるいは人が作ったと認識されないものといった感じかな?
使用目的もわからず、美しいとも感じないもの、まさか意図して作ったとは思わないようなもの。

変な形の粘土とか。。。
これ作ったのかなーごみなのかなーといった形のもの。。。

つまり、製作者の意図は関係なく受け手が自分の基準によってこれらを判断していると言った感じではないでしょうか?

ただ商品としてのデザインで他と一番違うのはものを形作るまでがデザインではなく、売るまでだということではないでしょうか?
(まあさっきの粘土もごみではなくこういう美しいもんを作ったと説明することもできるけど)


例。新しい生活改善のアイデアの物を作る(ものすごく美しい)
受け手 む(`・д・´)!?なんだこれ?なんかのオブジェかな?(アートと認識)

作り手 使用方法を説明
受け手 Σ(;゚Д゚)Ohこんな使い方するのか?変わったデザインだけど使えるなー(デザイン)

となります。

ま、これが美しいと捉えられずに使用方法も説明しなかったらごみになるということで。

つまりはデザインというのはものを形にするまでではなくその後の行為も含まれるのではないでしょうか?

そしてよいデザインと感じさせるのはそのものの形と同じくらいその後の説明(PRであり洗脳)が大切だと思っております。
>*´д`*さん
>そしてよいデザインと感じさせるのはそのものの形と同じくらいその後の説明(PRであり洗脳)が大切だと思っております。

ここの部分、凄く同感です。
アートディレクターやグラフィックデザイナーの協力(もしくは自力)により
一般消費者にどうリアルに、心に忍び込ませるかという行為がないと、正直どんなに良いものをデザインしたとしても
人の目に触れず、ひっそりと留まることしかできないのです。

作りっぱなしで物の良さが伝わればそれで十分だけど
本来黒子で良いはずのデザイナーが
揃いも揃って皆こんなにメディアに出てきて
説明をくわえなければならないのは
それだけでは誤解を与える、もしくは伝えきれないと
思っているからなんではないでしょうか??

森じゃなくて木の間違いでした、、(*_*)
KAORING
生と死って対極ではなく隣り合うものだと、葉隠れでは問いています。
この項目を対称として捉えること自体がおかしいことですね。

「差別化がデザイン」
デザインが付加価値論で語られるとき、常套的に使用される言葉である。
差別化という仕組みは人間を差別し、社会を分断し、集団を分断していることでしかない。
この差別化はきわめて拝金的な商業主義のためのデザインとなる。
シーンはあくまでも構造のひとつでしかない。
「唯物論的視点、唯心論的視点」
デザインってのはなんらかの創作者の意図があってつくられるわけだが、それだけじゃEGOですよ。
でも、そこから、USERのIDEAによってさまざまに変化するのがすばらしいデザインなのかな?
だから創作者の意図が強く出すぎるともうそれ以上考えることを必要としないUSERは退屈になってしまうのかな?
そのハザマ。好きでもなく嫌いでもない。中庸?いやもっと遡るとMESOTESになってしまうのかな。

「表現」
昔100円ショップで売られていた爪きりにびっくらこいたことがあった。
普通にまっすぐじゃなくて、爪を切る角度が90度回転してあるの。想像できるかなぁ?
ここに自分ってものすべてが集約されるのだと思う。

「目的」
DOMUSでの課題でとても面白かったのは、必要か必要でないということがわからないの。
だって、作品それ自体がまったく新しいものだから。簡単に言うと、ベンチャーデザイン。
私たちはINTERACTIVE DESIGNと称していた。
今ある力もしくわ将来こうなるであろうという力を素にどういう新しい展開が行われるかというデザイン。
APPLEやSONYなんかはここが強いよね。だからDESIGNと消費者から認められるんだろうね。
環境保全というのは建前でしかないと思う。
最近よくECOとかUNIVERSALとか耳にしますが、それは奇麗事。
YANAGI SORIがECOやUNIVERSALを口にしなくてもそれはすでに纏っているデザイン。ゴールドクロス。by 聖闘士聖矢
だと私は感じます。それを口にしてしまったら、、、

「価値」
私の記憶によるとミケ−レ デ ルッキがAXISに記載しているように、
マーケットはデザイナーが動かしていくようでなければならない。
マーケットに左右されるデザインはデザインとは言えないと述べている。

「装飾」
KAORINGさんすてきです。

カスティリオーニがかなわなかったもののひとつに羊飼いが使う一本足の椅子があったそうです。
よく日本の昔話に登場する切り株の椅子もすごいと感じますね。
言いたいのはレベル1の感謝をどれだけの人ができているのか?
今、自分がひとりで生きていられると思っている人はまず分かっていないと思う。
まあそんな人いないですけどね。

今の世の中を飽和といったのはいろんなことを分からなくても生きていけるし、
もしかしたら、そっちの方が幸せなんですよね。

光速の中にあるエーテルみたいなものになりたい。
それじゃあ誰も理解できないのかな?笑
YOSITO
知ってるかもしれんけど、
スタンリーキューブリック作「2000年宇宙の旅」って映画しってるかな?
俺DVDで持ってたけど、日本にあるかも、、、
まあ、その中の一部になわばり争いに負けたサル大将がこん棒みたいなモノの使い方を発見するシーンがあるのよ。
あれは笑った。夜中にもう大爆笑やったね。
それを使って次戦のなわばり争いに勝つのさ。
もうお笑いだよ。

その後に未来の遺物みたいなオーナメントみたいなが現れるんだけど。
サルたちがそれに群がるのさっ見たこともないものに興味が湧いているように。
あっこれがデザインなのかなって思いましたね。でも使い方が分からないのよサルだからね。
YOSITOは今、君の周りにあるすべてのものをデザインと呼べますか?

日本で講演を聴きにいったのですが
第6回 「暮らしの中のジャパニーズスタンダード」陶磁器編
その中であるおっさん=長谷川氏が客の手にとどいてポットはポットになる。
川上(作り手)と川下(受け手)製品と商品。とてもおもろい意見で楽しかったのを思い出しました。
君はおもしろいよ。

原理は単純を構想は複雑を極め人はもっとも人らしく。by APPLESEED
KAORINGも言っているとおり言葉=デザインも大事な要素なんですよね。

P.S君の顔みたいな文字を書けないので本名ださせていただいています。
この文字はま、ま、まさか君はポーネグリフ(歴史の本文)が読めるのかっ。
by ワンピース
>kaoringさん
共感していただいてうれしいです。

作りっぱなしで物の良さが伝わればそれで十分だけど
本来黒子で良いはずのデザイナーが
揃いも揃って皆こんなにメディアに出てきて
説明をくわえなければならないのは
それだけでは誤解を与える、もしくは伝えきれないと
思っているからなんではないでしょうか??

確かにそうですね。
商品だけの魅力で物が売れるなら販売員なんてあまり必要ないわけですしね。

個人的にはクリエイションって言うのはその販売まで含んだところまでだと思っているのでそのメディアとかにでたりするのもまだ商品を作っている途中なのではないでしょうか?

ファッションの場合は特に固定された美(お洒落と感じさせるもの)がないのでいかにそれを美しいと思わせることができるかどうかが大切ですしね。

というわけでクリエイションは物質に対してだけでなく一般人の思想に対してまでアプローチかけなければそれを完成させることができないのでは?という考えを持っています。
>Ultimo BOZE
2000年宇宙の旅はみましたよ。
ただそれを使ってるところってありましたっけ?
なんか四角い大きな黒い石があってそれに集まってきて火を使い出し。。。って記憶しかないですね_| ̄|○

それにしても陶器。。。いいとこついてきましたね。
確かにあまりデザインとは言わない様な気がします。

アート、デザイン、ごみ。。。では言い切れないのか?
(早くもあまりデザインについて考えてきてないのがばれる_| ̄|○

陶器が難しい位置にいるのはやはり人間の手+自然で作られたものだからではないでしょうか?

個人的に萩焼と備前焼きが好きなので中学のとき調べた知識で言うとある程度の色ので方(温度や火の動きなどに関係)は達人になるとだいたいの予想がつくけどでも100%予想どうりのものはできないらしい。。。

つまりは人が作っているけど100%作っていない。

まあこういうデザインのがほしいとかは言いますが微妙な位置取りですね。。。

あとは先ほど言った、作った後のPR
もしデザインという感じで打ち出して言ったら人々はデザインを意識するのではないでしょうか?

基本的フォルムはデザインされてるわけだし。

普通のマンションとデザイナーズマンション。。。
どちらもデザインされてるのにPRの違いで片方はデザイナーズ。片方はデザインされてることに気付かれませんから。。。


あと
だから創作者の意図が強く出すぎるともうそれ以上考えることを必要としないUSERは退屈になってしまうのかな?

この問いは深いですね。
街づくりを考えていてやはりある程度の答えを出さないといけないのが幸福とは?なんですけど幸福な状態の持続は退屈でしかないですからね。。。
アート、デザイン、ごみ、から考えるのは、良い切り口だと思います。私も試みてみます。

アートは、その発生源はあくまでも個人(アーティスト)にあり、その意見(思想)or叫び(世論?)or意思(人生)or whatever の表現であり、社会に受け入れられるかどうかは実は二の次。受け手には基本的には鑑賞されるもの。アーティストが主役。

デザインは、その発生源は社会にあり、社会の問題、課題を解決するため、より良い生活のためになされる行為であり、だからして社会に受け入れられるべきもの。受け手がそれを使用する。受け手が主役になってくる。デザイナーは、かおりんの言葉を借りると、本来黒子であるはず。

ごみ。ごみ。...。奥が宇宙並みに深すぎて広すぎて一言では言えません。色々な事情により生まれてくる。発生した時からゴミ、であるものと、価値がないとされてゴミとなるものがあると思います。
発生したときからのゴミ→生産過程、生産後、使用過程、使用後に必然的に出たもの。
価値がなくてゴミ→場合によっては格上げされる。

やはり、デザインというのは、受け手がそれを使用する、というのがポイントなんでしょうね。それには、よしさん、かおりんの言うように、受け手にどうアプローチするか、何をセールスポイントにするか、どんなイメージを刷り込むか、ということもデザインのうちでしょう。
そこから、受け手に渡ったら、さらに、bozeさんが書いているように、デザインされたモノはuserのideaによって変化しうる。
受け手は、もはや受け身ではなく、userになるのですね。アートよりももっと多くの感覚器官を動員して、ダイレクトに、モノと接触する。userは主役なのだから、お気に召すままに使用してしかるべきなのです。
だから、創作者の意図が強く出過ぎると、userは退屈する、ということになるんでしょうかね、userの主役の座が狭くなるから。
でもだからといって、デザイナーが不在になるかと言えば、そうともいえないモノもあると思います。それこそ、世に出す時点で受け手にどうPR(洗脳)するか、デザイナーの存在をどう刷り込むかも関わってくるけど、デザイナーがモノに仕込んだ仕掛けが、人の習慣や生活、社会のありかたに影響していくこともあると思います。

人間の欲求段階のレベルと、モノがどのレベルでデザインされたのか、という関係も、面白い現象を生み出していそうですね。レベルが合わないと、やっぱり退屈するか、ゴミになるか、なのかな。
禅問答はやってると、生きてることが罪みたいになってくるからやめた方がいいかな (笑)

ゼロから何かを生み出すこと
誰も考え付かないことをやってみること
それがデザイナーの仕事だと思う。

エコも大切だし、地球が滅びないようにするのは大事だけど
それにとらわれすぎると、ろくなことないよね。

誰も気付かないことに気付いてください。
人を驚かせてください。

それがデザイナーのすごいとこです。

モノでもいいし、気持ちでもいいし。

人のエネルギーが高まったら、きっといいことあると思うんだよ。

地球上に生きてる人が、くらーい顔やら悲しい顔にならないこと。

そのためにデザインができることってあると思う。
自分と違う人が沢山いることを自覚することが重要。

人に気づきを与えることの重要さ

これはプロダクトに出来る唯一のこと。

と、考えます。

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