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史跡コミュの斎宮跡

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 三重県多気郡明和町斎宮

 1916年00月00日、三重県が史跡に指定。
 1979年03月27日、文化庁が史跡に指定。

 斎宮(サイクウorイツキノミヤ)とは古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した皇女である斎王の御所のこと。
 『日本書紀』によると、人皇第10代崇神天皇が皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリビメノミコト)に命じて宮中に祭られていた天照大神を倭の笠縫邑に祭らせたとあり、これが斎王の始まりとされる。そして次の垂仁天皇の時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命が各地を巡行した後に伊勢国で天照大神を祭り、天皇は倭姫命を天照大神の御杖代(ミツエシロ)、即ち神の意を受ける依代と定め、以後、歴代天皇が皇女を伊勢に派遣して斎王とし、伊勢神宮に奉仕させる習慣が生まれたとされている。
 人皇第31代用明天皇朝以後は仏教隆盛のためか斎王の伊勢派遣は一度途絶えたが、人皇第40代天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女であり万葉歌人として名高い大来皇女を捧げ、以後、正式に制度として確立された。主に天皇の代替わりごとに新しい斎王が選ばれて都から伊勢へと旅立ち、平安京遷都の後も長く続く制度となった。
 斎王の伊勢下向は数百人もの行列となったため群行と呼ばれた。
 伊勢での斎宮の生活の地は、伊勢神宮から約20km離れた斎宮寮で、普段は寮内の内院で起居しつつ斎殿を遥拝しながら潔斎の日々を送り、年に三度、6月の月次祭、9月の神嘗祭、12月の月次祭の「三節祭」に限って神宮へ赴き神事に奉仕した。斎宮寮には寮頭以下総勢500人余の人々が仕え、137ha余の敷地に碁盤目状の区画が並ぶ大規模なものであった。
 斎宮の建物は仏教的要素を徹底的に排するため、全て礎石を用いない掘立柱建築であり、瓦も一切使用されなかった。
 鎌倉時代末期になると制度は途絶えがちになり、第96代後醍醐天皇皇女の祥子(サチコ)内親王が任命されたものの、南北朝の戦乱のため群行する事なく終わり、以後、廃絶してしまった。
 また、弘治年間(1555-58)に土豪野呂三郎が斎宮城と呼ばれる平城を内院跡に築城、勝手に徳政を敷き、狼藉を働いたため、伊勢国司北畠材親(キチカ)に追討された。明治になって、現在の斎宮歴史博物館付近にあった竹神社が城跡に移築された。
 斎宮跡は斎宮寮の跡で、東西東西2?、南北700mにわたる137haがその範囲として指定されている。昭和45(1970)年から本格的に開始された発掘調査は、現在も継続的に続けられており、史跡の東部では、奈良時代末期の東西7区画、南北4区画の碁盤目状の整然とした区画が確認されたほか、斎王が生活した内院の調査も進んでいる。
 古来、地元で斎王御殿跡と語り継がれて来た斎王の森は、実際には薬部司跡だという事が判明している。
 牧の跡に斎宮跡歴史ロマン広場が設けられ、実物十分の一のスケールで斎宮中心部の建物が復元されており、いつきのみや歴史体験館では十二単試着体験等が出来る。
 遺跡西北部にある斎宮歴史博物館では、ジオラマによる解説や多くの重要文化財を含む発掘出土品の展示等が行なわれている。

コメント(15)

10日木曜日に行って来ました。

左;近鉄山田線斎宮駅 馬部司跡
中;斎宮御館石碑 寮司跡
右;歴史ロマン広場 古代米栽培地
 牧跡に建つ「いつきのみや歴史体験館」です。入場は無料です。斎王の群行の際に用いられた輦輿である葱華輦(ソウカレン)の展示等が行なわれています。
牧跡の歴史ロマン広場に設けられた実物十分の一の斎宮内院模型です。

左;十分の一八脚門模型
中;十分の一神殿模型
右;歴史ロマン広場
歴史ロマン広場では花菖蒲が満開になっていました。
左;大溝跡
中;薬部司跡
右;歴史ロマン広場 サツキ
 斎王の森です。
 地元では斎王の御殿跡と伝承されて来た地ですが、発掘調査の結果、薬部司の北側に隣接した主要区画外のエリアに過ぎない事が判明しています。
左;斎王の森 掘立柱建物跡
中;同上
右;塚山地区のトウモロコシ畑
 史跡エリア西北部にある塚山古墳群です。5世紀末〜6世紀前半のもので、円墳と方墳が混在しています。

左;塚山一号墳
中;塚山二号墳
右;塚山三号墳
 史跡エリア西北部にある斎宮歴史博物館です。斎宮のジオラマや出土品の展示が行なわれています。

左;外観
中;斎王群行
右;斎王居室

 斎宮歴史博物館に展示されている斎宮出土品です。全て重要文化財です。

左;羊型硯
中;朱彩大型土馬
右;鳥型硯
 同じく斎宮歴史博物館に展示されている斎宮出土品です。全て重要文化財です。

左;灰釉陶器
中;緑釉陶器大壺
右;緑釉緑彩

 歴史の道。斎宮ゆかりの歌碑が並んでいます。写真は円融天皇の妹である斎王規子内親王〔任;975〜984〕の歌碑です。
 「すずか山 しづのをだまき もろともに ふるにはまさる ことなかりけり」

中・右
 掃部司跡に建てられていた笛川地蔵院の六地蔵石幢〔三重県指定文化財〕です。笛川地蔵院は明治初年の廃仏毀釈で破却されました。
 斎王の居所だった内院跡の竹神社〔延喜式内社〕です。明治時代に現斎宮歴史博物館付近から移築されました。祭神は長白羽神・天照大御神・建速須佐之男命etc.です。

左;一の鳥居
中;拝殿
右;本殿
左;斎宮城跡(内院跡)
中;同上
右;舎人司跡

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