ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ユング心理学研究会コミュの11月19日ユング心理学の理論(2)元型論その1/4

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

みなさま。大変遅くなり、ご迷惑をおかけしました。


講師 白田信重先生
日程 2009年11月19日
会場 中野の某所

ユング心理学の理論(2)元型論その2/4
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48925597&comment_count=0&comm_id=1454900

ユング心理学の理論(2)元型論その3/4
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48925599&comment_count=0&comm_id=1454900

ユング心理学の理論(2)元型論その4/4
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48925602&comment_count=0&comm_id=1454900

1.講座冒頭の白田さんによる序
カール・グスタフ・ユング1875-1961
1900年フロイト『夢判断』を上梓。その年にユングはブルクリ病院の医局員としてスタート。ユングの学者としてのキャリアは1900年から1961年までのほぼ60年間に収まる。
ごく単純に20年ごとに前期・中期・後期と分けてみると、機械的な分け方であるが、ユング(の変遷)を理解するのに役に立つ。というのは、ユングは20年ごとに大きな転換期を迎えているというのが事実としてあるから。
1930年を中心にして、前期・後期という分け方がされるときもある。1930年はキャリアの真ん中。
今回の3回シリーズの講座は、3回で前期・中期・後期の話をしようとしている。前回が前期。今日をやろうとしているのが中期。次回は後期。

前期は、言わばユング心理学の確立期。ユング心理学は1921年の「タイプ論」で基本的に完成したと言われている。
1900年からの10年間。いわゆるコンプレックス論が成立。言語連想実験をやり、フロイトと仲良くなり、精神分析運動に参加する。
1910年ころからフロイトとの関係がおかしくなる。1912年の「リビドーの変容と象徴」で両者は訣別。ユングの心のエネルギーの考えがフロイトの考えとは離れた。
フロイト:心的エネルギー=リビドー(性的エネルギー)
ユング:性的エネルギーより根源的な心的エネルギーがあって、それがさまざまな形をとる。

それが確立するのは1921年の「タイプ論」。タイプ論とは心のエネルギーの使われ方による分類である。
普通の心理学の本を読んで、ユングに関する記述があるのは、おおよそ1921年の「タイプ論」までの話。これより後のことは、まともな心理学の本には載っていない。
心理学の本の中のユング像
精神分析運動のひとり
「タイプ論」人格心理学の古典
だいたいその2つ。
あとは言語連想実験のところに名前が載っているくらい。
これより後は(ユングの中期以降は)心理学史からユングの名前が消える。これより後ユングは心理学者としては認められていない。臨床心理学とか一部老年期の心理で名前が聞かえることがあるくらい。しかし基本的には科学的心理学の範疇には入らない。

今回扱うユング中期は、元型論の確立期。
元型という言葉をユングがはじめて用いたのは1919年「本能と無意識」。前期・中期・後期の機械的な区分けがここでも役に立つ。
1930年代中盤で元型論がほぼ出来上がる。
もっとも元型論の元の発想は、1912年の「リビドーの変容と象徴」に少し出ている。ここでは原像Urbildという言葉を使用。このあたりに萌芽はある。しかし、元型という言葉を使って自分の思想としてまとめ上げていくのは、1920年代から1940年までの間である。
ど真ん中の1930年が重要である。このときにユングは「共時性」という言葉を公式に発言する(中国学者リヒャルト・ヴィルヘルムの追悼文)。よくよく遡れば、1920年代の私的なセミナーで使用したという記録はあるが、公式に使用したのは1930年である。
この「共時性」により、ユング思想は完全に分かれる。前と後ろでは完全に別物になる。
今回お話したいのは「元型論」はなにかということと同時に、ユング前期と後期を分けるの人生の転換点は何だったのかについてである。
ユングの考えの切り替わるポイントの話。

1931年論文「人生のステージ」:人生には幼年期・青年期・中年期・老年期があって、青年期と中年期のちょうど中間のところに人生の転換点がある。
1934年「魂の死」人生の前半は上っていくけれど、人生の真ん中で死に向かって生きていくことになる。前半と後半で生き方が違うと言い始める。
「共時性」を公式に使用した1930年はちょうどその時期に当たっている。
そういう意味で非常に面白い時期。当時55歳。55歳でユングの人生は変わった。

ちなみにユングの後期は次回扱うテーマだが、錬金術研究の時期。
1942年「アルケルシカ」(記録者注:聞き取れなかったかもしれない)
1944年『心理学と錬金術』
ユングは死の晩年まで錬金術関係の本をずっと書いていく。この錬金術の研究は元型論の発展と関係がある。今日はウィルバーのところで少し話しますが、詳しくは次回に。錬金術研究を通してユングはなにをしたか?
板書した図は、単純な分け方だが非常に有効。ちょっと念頭に置いておくと結構便利。ユングが書いたものがあって、それが何年に書かれたのかを見てこの図と比べると、それだけで結構いろいろなものが見えてくる。
まるでユングが10年ごとの機械的な区分けに合わせてくれるかのように生きている。これを見ると、人間には10年ごとに何かがあるのかなと思ってしまう。

2.要旨(レジメ写し)
ユングにおける元型論は、心の構造と動きを支える深層についての理論で、1920-1930年代に一応の完成を見せるが、その後も理論的に大きな変遷をする。
当初の元型論は、認識論的あるいは動物行動学的に規定された「人類共通の、心のふるまいのパターン」であった。元型は人間の心理学的発達段階に応じて現れ、それぞれの発達段階での成長を促すように作用する。
しかし後期になると、共時性論や錬金術研究などの展開を通じて、元型概念は物質・心両方を同時に統制する実在論的な宇宙的原理として位置づけられるようになっていく。



3. 元型論の概要(前期元型論):
元型とは…心のふるまいのパターン(本能との類縁性、「集合的無意識」を構成する)
元型的イメージが現れると、強い感情価をもって一定の方向に心的エネルギーが水路付けされる人生の典型的な状況に対応して発言し、人格の成長を促す(元型の目的論的発動;林道義)
個人的無意識と集合的無意識との関係
元型はコンプレックスを形成する核、心的エネルギー充当の源泉
両者は現象としては分割不可、しかし概念的な区分けをすることには大きな臨床的意義がある。(レジメより)

普通に流通している元型論。後期(錬金術研究の時期)は「元型論」という名で全く別の思想を語っているくらい異なる。
ウィルバーによる批判は後述するが、ウィルバーはユングの前期元型論を否定しつつ、錬金術研究の時期にユングがしていたのと近い内容を行っているかのように見える。おそらくウィルバーは後期元型論を参照せず、前期元型論のみを参照している!?
シュタイナーもユングを批判しているが、1940年代以降のユングのことは亡くなっているので知らない。
ユングに対する批判は、ユングの思想を不変であることを前提に行われている。しかし、時期によって言っていることが異なり、内容が変わっていることを把握すると、果たしてその批判が的を射ているかどうかが怪しくなる。

1919年「本能と無意識」で元型という用語を用いる。
概略:どうも人間の中にも動物の本能に相当する、似たようなものがあるのではないか。それを元型と呼ぶ。
動物の本能の例)この例は白田先生が作った例
ある魚がいる。その魚のオスのおなかは赤い。他のオスが縄張りに侵入すると、攻撃して追い出す。それはオスのおなかの赤いところに反応している。だから赤い髪にも反応し、それに対しても攻撃を仕掛ける。赤いものを見ると攻撃を加えるという本能が開発され、実際に行動している)それが動物行動学に言う本能。つまり何らかのプログラムのようなものが動物の中にあって、ふだんはそれが眠っているが、いざそれが揺り動かせる状況()
例えば赤いものが出てくると、それが開発されて動き始める。そのように行動するように動物を強烈に突き進めませてしまう。そういうシステムがある。
どうも人間の心の領域にも同じようなものがある。
ある種のイメージは人間の心を強く惹きつけて、人間を一定方向にクッと動かしてしまう。人間にはいろいろな人がいて、人それぞれいろいろな反応をする。でもとあるイメージが出てくると、みな同じような反応をする。同じように動いてしまう。そのようなイメージがある。
例えば分かりやすい例で言えばアニマ像。ある女性のイメージがあったときに、男性は強く惹きつけられる。
男性の女性に対する反応が生物学的な体の構造に起因しているとすれば、同じようなものが心の領域にもある。そのようなものがいくつかパターンとして存在する。
というのがユングの元型論のとっかかりであった。

それに対してどのように対処するか? 例えば統合失調症の患者にそういうイメージが出てきて、ある一定方向に強く動かされてしまって、自分のコントロールが効かなくなってしまった。それに対して、例えば対象化して意識化して、少しでもコントロールできるようになれば、そこから逃れることができる。というような臨床理論の基礎が出来上がる。

ここまでは臨床的な話で、ここから話すのが今回いちばん大事なところ。
「人生の典型的な状況に対応して発現し、人格の成長を促す(人格の目的論的発動;林道義)」
例えば先ほどの魚の例では、その魚はふだん赤いものを見ても反応しない可能性がある。繁殖期になってはじめて他のオスを攻撃するようになる。その魚が稚魚であるときや繁殖期にないときには、赤い色のものに反応する必要がない。
それが繁殖期になると突然赤いものに反応するようになる。これは言ってみれば本能というものがある段階に来て、ちょうど上手な時に働いてくれというときに、はじめて働き始める。それが本能の仕組みである。
実は人間の心にも同じような仕組みがあるのではないか。つまり人間が成長して行って、ある段階になったときに、その段階の成長ができるようにあるイメージが浮かんできて、そのときの成長を促すのではないか。そこで成長して新しい段階になると、また新しいイメージが湧いてきて、それがまたその人を成長させるのではないか。ずっと成長を続ける。その段階、段階ごとに元型が変わってくる(講義録作成人メモ:元型か元型的イメージか?)。これが元型の目的論的発動。
これこそがユング心理学のもっとも要の部分であるし、もっとも議論になるところ。前回の大橋さんの講義で出たが、ユング心理学がさまざまなドラマを作ることに利用されている。その要でもある。この辺の理論を応用している、これについてはちょっと詳しくやりたい。

個人的無意識と集合的無意識との関係。これらは別物ではなく、概念的に分けているだけ。例えば母親コンプレックスがあるとする。母親コンプレックスは母親元型があって、それに個人的な要素が加わって個人的なコンプレックスになる。だから個人コンプレックスと元型はきれいには分けられない。常に混ざり合っている。しかし、それを概念的に分けていくことが臨床的には意味がある。
人生の状況に応じて元型が発動する。では具体的にどのプロセスでどのような元型が発動し、人間がどう変わって行くのかというプロセスが問題になる。それを説明して行く。

4.元型と人間の発達過程
ユング派の中でもっとも議論の盛んな部分。ユング派は大きく分けて、古典派・発達派・元型派に分けられる。これから説明する人間の発達スケールをどう捉えるかというところで派閥が分かれている。
この部分が分からないと、なぜユング派があのように分かれているのかが理解できない。
ユングは人生の前半で自分自身を作り上げて、後半は死に向かって進んでいくと言っていたという話をしましたが、人生の前半は自我を作っていく過程なのだとユングは言う。人生の後半は個性化過程が始まる。前半と後半と人生の課題をはっきり分けている。これ自体にいろいろ議論があるが、自我の形成過程と形成した後の個性化過程とに分けて考えている。だからここでも2つに分けて考える。

(1).自我の形成過程:人生の前半期の課題
これはユングの考えでもあるけれど、ユングの一番弟子と言ってよいエーリッヒ・ノイマンが『意識の起源史』に書いた。ユングは自分が書きたかった本であると絶賛。
実はユンギアンが使っている元型概念のかなりの部分は、ユングよりもむしろノイマンによるところが大きい。特に人生の前半についてはノイマンの本の独壇場と言ってもよいほど。例えばグレートマザーはユングも使っているが、それをユング派の言葉として確立したのはノイマン。
ノイマンの元型論は影響が大きく、極端な話になるが、ノイマンの元型論をどう考えるかによって、派閥が分かれていると言ってもよい。
ノイマンによる自我の形成過程のイメージ
(ア)ウロボロス
錬金術に出てくる蛇、自分の尾を飲み込む。環(わ)になっている。始まりにして終わり。すべてを含んだ全体性を表す。つまり自我も何もない、他者との区別がない、すべてが一体となった、混沌とした状態。
ある元気が現れた時にある心理発達がある→反対から言うと、その人の心理発達を見るのにあるイメージを見るということもできる。
その人がどういうイメージを見ているかによって、その人の心理発達がどのレベルまで来ているのかということが判定することができる。
実際にユング派の臨床家は、クライアントの夢のイメージを見て、そのクライアントがどの課題に来ているのかを見ている。

(イ)グレートマザー=太母(たいぼ)とも言われる
自我が分離して行く過程で現れる。
すべてを包み込む偉大なる母。
プラス面:自分たちを育んでくれる大きな存在。母親に包まれている子どもの心理を考えてみると、まだ自我の発達はほとんどない。
マイナス面:子どもを喰らう、すべてを飲み込んでだめにしてしまうような太母像。

河合隼雄先生 ある子どもをカウンセリング。母親が怖い人で、自分が何をしようとしても母親がすべてダメにしてしまう。でもそのお母さんに会ってみると、ふつうのお母さん。おかしいところはない。これはいったいどういうことか。
お母さんはたぶんふつうのお母さんなのだが、子どものほうにそのお母さんを怖いもの、自分を引きずり込んでしまうものとして見るような子どもの心理がある。
これこそがグレートマザーが子どもの心理に表れて来ている。つまりその子どもはお母さんから、心理的に独り立ちしようとし始めている。ところがまだじゅうぶんではないので、
完全には自立できない。そういう状態にあると、お母さんが自分を飲み込むかのようにイメージしてしまう。そのように見えてしまう。だからお母さんに何かあるというよりも、何かから自立しようとしていると、自分を今抱いてくれる存在を邪魔していると捉える。
そういう心理が起こる。これがグレートマザーのマイナス面。
その人の自我というものが発達し始めようとしている段階、だけれどもまだ不完全ですぐに飲み込まれてしまう。そういう段階にあることをグレートマザーのイメージは示している。逆に言うと、お母さんが怖いと思うから、あるいはお母さんのここが嫌だと思うから、はじめてお母さんと分離できる。
お母さんとずっと一緒でよいと思っていたら、お母さんとは分離できない。
このグレートマザーのイメージが出て来ることで、お母さんと分離できる。逆に言うと、分離しようという意思があるからグレートマザーのイメージが出てくる。


(ウ)大地の分離、原両親、英雄の誕生(自我の誕生)
大事の分離:神話の中で混沌とした世界から、空と大地が分離して、世界ができあがる。どういうことかと言うと、ある程度自我が誕生した。つまり父と母がはっきり分かれて、言いかえると認識できるようになって(原両親)、自分自身が1個の人間として生まれた(英雄の誕生)。
子どもが生まれた、新しいものができたという夢を見たら、なにかあるものから脱して、スタートラインに立った状況にその人があるのだなと解釈できる。

(エ)竜殺し(怪物退治)
ここは面白いところ。竜殺しは1つに分かれる。母殺しと父殺しに分かれる。
母殺し=自我の独立。今まで自分のあった一体となった世界を殺してしまう。退治してします。自分の存在を飲み込もうとするグレートマザーから独立したけれど、まだ不安定。その人間が飲み込もうとする存在を殺す=退治するところで自我が確立するとみなす。
そういうイメージが湧く=今まで属していた世界から独立したことを表す
こういうモチーフが(講義録作成人メモ:夢にか?)出てくると、その人はそういう段階にある。
この辺りは映画・物語ではいちばん核心となるところ。

一応の社会的成員としての独立
どういうことかと言うと、母殺し・父殺しで1本線が引ける。
心理的な意味で母殺しをした人間は一応社会的成員として、1個の人間として独立できている。
社会で社会人としてやっている以上、たいていの人間はこのレベルには到達しているというのがユングの考え方。まだその課題を果たしていない人もいるが、基本的にはできているとみなしてよい。
ところがここから先になると、やる人とやらない人がいる。個性化過程とも関わるが、そういう線引きが母殺しと父殺しのあいだにできる。

父殺し 既存の規範の改革
社会の成員になったときに、いろいろな社会的な決まりとか規範とか慣習とかいろいろあるが、そういうものを自分が殺して新しいものを作るという段階。それが父殺し。誰もがやる訳ではない。というのは普通の人は、社会的な規範の中でふつうに生きている。それ自身を改革することはあまりやらない。
けれど問題意識を持った人間はそこに挑んで行って、父を殺して、自分自身の新しい規範を作って、それを社会に問う。
自分勝手ではだめ。社会の規範として通用する練られたものをちゃんと提示する。そういうことをするのは少数の人間。

(オ)女性の獲得
固定観念が入り込んでいるが、竜を殺すことによって、何か価値あるものを得る。怪物にとらわれているお姫様がいて、怪物を退治してお姫様を助けるというモチーフによって表されている(講義録作成人メモ:ギリシア神話のペルセウスの怪物退治とアンドロメダ姫の救出。日本神話のスサノオノミコトの八岐大蛇大事とクシイナダヒメの救出)。
これが自我の形成過程のシンボル面。
ここまでは個性化過程ではない。実はここに議論があって、実は人生の前半から個性化過程が始まっているという議論もある。弟子はこれに関して様々な意見を述べたが、ユング自身は人生を前半(自我形成過程)と後半(個性化過程)に分けることに非常にこだわったらしい。それにはそれだけの理由があったろう。
そして、ユングは個性化過程を人生の前半でやってはいけない。それは有害だとまで言った。人生の前半で個性化過程を考えなくてよい。それよりも人間として独立することを考えなさいということを言っていた。


つづきへ
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48925597&comment_count=0&comm_id=1454900

コメント(4)

 講義録、ありがとうございますお願い

 ところで、あれは、アルケルシカ虎(←これはトラだが)じゃなく、パラケルシカだったかな冷や汗人差し指…あと、ブルクリではなく、ブルクヘルツリかな。
ひろひこさん、ありがとうございます。

ほとんど逐語みたいな講義録です。本当にお疲れさまです。
改めて読んでみると、結構いいかげんな話し方をしているなあと我ながら思います。
汗が出ますわ。

私のところだと、図が開けません。
Java Script がうまく動いてない感じです。


幾つか補足します。
けろりんさんのご指摘はその通り。
 

「本能が開発」は、正しくは「本能が解発」。
「解発」は動物行動学用語で、一定の要因によって本能的行動が誘発されること。
英語で言えばrelease(リリース)。
本能的行動を解発する刺激や要因を解発因(リリーサー)と呼ぶ。
例に挙げた魚のオスで言えば、
「赤い色」のイメージは「攻撃」という行動を誘発する解発因になっている。

要するに、人間の心における本能的な部分を誘発する解発因が元型的イメージ。
それが前期元型論の、最も基本的な考え方です。


>その段階、段階ごとに元型が変わってくる(講義録作成人メモ:元型か元型的イメージか?)。

成長段階ごとに現れる元型が変わってくる、ということです。
例えば、自我が母親から自立することが必要となる成長段階では、
グレートマザー元型が活性化し、それに対応するイメージが意識領域に現われ、
そのイメージが心理的自立という動きを引き起こす。
思春期以降になると、アニマ・アニムス元型が働き始めて
異性との関係を築くような心理的働きを誘発する、という感じです。
けろりんさま、のぶさま

 誤謬箇所のご指摘ありがとうございます。
 ご指摘いただきましたところの修正は、PDFバージョンの講義録に反映しますね。

 今回は前回より楽勝かな?と思っていたけれど、甘かったです。なにぶん知識がなく、レコーダーを何度も再生しても、聞き取れない。。。
白田さんから見ることができない旨お教えいただきましたので、板書の図解を再掲載します。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ユング心理学研究会 更新情報

ユング心理学研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。