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原始仏典コミュのラーダ相応1

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(『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P297−306 に相当)

相応部経典>3 犍度篇



「     第二 ラーダ相応


     第一品


   第一

160.サーヴァッティ因。
 そのとき尊者ラーダは先生を訪ねた。訪ねて先生と挨拶して一方に座った。一方に座って尊者ラーダは先生にこう言った。
 先生、「魔、魔[マーラ、マーラ]」と言われます。
 先生、何が魔ですか。

 ラーダ、色が存在するならば魔・殺す者が存在し、また死がある。
 ラーダ、それゆえにあなたは「色は魔である」と見、
 「殺す者である」と見、
 「死である」と見、
 「病気である」と見、
 「腫れ物である」と見、
 「矢である」と見、
 「痛みである」と見、
 「痛むものである」と見なさい。
 このように見るならば彼は正しく見ている。

 ラーダ、受が存在するならば魔・殺す者が存在し、また死がある。
 ラーダ、それゆえにあなたは「受は魔である」と見、 
 「殺す者である」と見、
 「死である」と見、
 「病気である」と見、
 「腫れ物である」と見、
 「矢である」と見、
 「痛みである」と見、
 「痛むものである」と見なさい。
 このように見るならば彼は正しく見ている。

 ラーダ、想が存在するならば魔・殺す者が存在し、また死がある。
 ラーダ、それゆえにあなたは「想は魔である」と見、
 「殺す者である」と見、
 「死である」と見、
 「病気である」と見、
 「腫れ物である」と見、
 「矢である」と見、
 「痛みである」と見、
 「痛むものである」と見なさい。
 このように見るならば彼は正しく見ている。

 ラーダ、行が存在するならば魔・殺す者が存在し、また死がある。
 ラーダ、それゆえにあなたは「行は魔である」と見、
 「殺す者である」と見、
 「死である」と見、
 「病気である」と見、
 「腫れ物である」と見、
 「矢である」と見、
 「痛みである」と見、
 「痛むものである」と見なさい。
 このように見るならば彼は正しく見ている。

 ラーダ、識が存在するならば魔・殺す者が存在し、また死がある。
 ラーダ、それゆえにあなたは「識は魔である」と見、
 「殺す者である」と見、
 「死である」と見、
 「病気である」と見、
 「腫れ物である」と見、
 「矢である」と見、
 「痛みである」と見、
 「痛むものである」と見なさい。
 このように見るならば彼は正しく見ている。

 先生、では何のために正しく見るのですか。
 ラーダ、忌避するために正しく見る。
 先生、では何のために忌避するのですか。
 ラーダ、離貪するために忌避する。
 先生、では何のために離貪するのですか。
 ラーダ、離脱するために離貪する。
 先生、では何のために離脱するのですか。
 ラーダ、涅槃するために離脱する。
 先生、では何のために涅槃するのですか。
 ラーダ、問い過ぎている。問いの終わりを捉えて見ることはできない。
 ラーダ、梵行に住することは涅槃に入り涅槃に彼岸し涅槃に完結する。

 註 魔 マーラ māra
   殺す者 マーレーター māretā
   死 ミーヤティ mīyati 
   病気 ローガ roga
   腫れ物 ガンダ gaṇḍa
   矢 サッラ salla
   痛み アガ agha
   痛むもの アガブータ aghabhūta
   正しく見る サンマーダッサナ sammādassana
   忌避する ニッビダー nibbidā
   離貪する ヴィラーガ virāga
   離脱する ヴィムッティ vimutti
   涅槃   ニッバーナ nibbāna
   梵行   ブラフマチャリヤ brahmacariya 修行



   第二 有情

161.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダは先生にこう言った。
 先生、「サッタ、サッタ[有情・衆生・生けるもの]」と言われます。
 先生、どうしてサッタと言われるのですか。

 ラーダ、色を欲する者・貪る者・喜ぶ者・渇愛する者はそこで執着し[サッタ]そこで執着を捨てる[ヴィサッタ]。それゆえにサッタと言われる。
 受を欲する者・貪る者・喜ぶ者・渇愛する者はそこで執着しそこで執着を捨てる。それゆえにサッタと言われる。
 想を欲する者・貪る者・喜ぶ者・渇愛する者はそこで執着しそこで執着を捨てる。それゆえにサッタと言われる。
 行を欲する者・貪る者・喜ぶ者・渇愛する者はそこで執着しそこで執着を捨てる。それゆえにサッタと言われる。
 識を欲する者・貪る者・喜ぶ者・渇愛する者はそこで執着しそこで執着を捨てる。それゆえにサッタと言われる。
 ラーダ、たとえば男の子や女の子が泥で造った家で遊ぶとする。その泥で造った家への貪りを離れず、意欲を離れず、愛を離れず、渇きを離れず、熱煩を離れず、渇愛を離れないうちは、彼らはその泥で造った家に拘り、愛好し、財産とし、自分のものとする。
 ラーダ、しかし男の子や女の子がその泥で造った家への貪りを離れ、意欲を離れ、愛を離れ、渇きを離れ、熱煩を離れ、渇愛を離れたときは、その泥で造った家を手や足で破り、壊し、粉々にして愛好しないものと為す。
 ラーダ、このようにあなたも色を破り、壊し、粉々にし、愛好しないものと為し、渇愛を尽くすために修行しなさい。
 受を破り、壊し、粉々にし、愛好しないものと為し、渇愛を尽くすために修行しなさい。
 想を破り、壊し、粉々にし、愛好しないものと為し、渇愛を尽くすために修行しなさい。
 行を破り、壊し、粉々にし、愛好しないものと為し、渇愛を尽くすために修行しなさい。
 識を破り、壊し、粉々にし、愛好しないものと為し、渇愛を尽くすために修行しなさい。
 ラーダ、渇愛が尽きること、それが涅槃である。



   第三 有綱

162.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダは先生にこう言った。
 先生、「有に導くものの滅、有に導くものの滅」と言われます。
 先生、何が有に導くもので、何が有に導くものの滅ですか。

 ラーダ、色への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、これが有に導くものと言われる。それらの滅が有に導くものの滅である。
 受への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、これが有に導くものと言われる。それらの滅が有に導くものの滅である。
 想への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、これが有に導くものと言われる。それらの滅が有に導くものの滅である。
 行への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、これが有に導くものと言われる。それらの滅が有に導くものの滅である。
 識への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、これが有に導くものと言われる。それらの滅が有に導くものの滅である。
 
 註 有に導くもの バヴァ〔有〕・ネッティ〔導くもの〕 bhava netti
   意欲 チャンダ chanda
   貪り ラーガ rāga
   喜び ナンディー nandī
   渇愛 タンハー taṇhā 渇望すること
   近づいて取ること ウパユパーダーナ upayupādāna
   心で執ること チェータソー・アディッターナ cetaso adhiṭṭhāna
   住むこと アビニヴェーサ abhinivesa
   随眠 アヌサヤ anusaya



   第四 遍知

163.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、遍知すべき法と遍知と遍知した人間を説こう。それを聞いて善く考えなさい。説こう。
 「はい、先生」と尊者ラーダは先生に応えた。先生はこう言った。

 ラーダ、何が遍知すべき法か。
 ラーダ、色は遍知すべき法である。
 受は遍知すべき法である。
 想は遍知すべき法である。
 行は遍知すべき法である。
 識は遍知すべき法である。
 ラーダ、これらが遍知すべき法である。

 ラーダ、何が遍知か。
 ラーダ、貪りが尽き、怒りが尽き、愚かさが尽きること。
 ラーダ、これが遍知と言われる。

 ラーダ、何が遍知した人間か。
 阿羅漢と言うべきである。このような名、このような姓ある尊者である。
 ラーダ、これが遍知した人間である。

 註 遍知 パリンニャー pariññā 知り尽くすこと
   遍知すべき法 pariññeyyā dhammā
   遍知した人間 pariññātāvī puggalo



   第五 沙門

164.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、これら五つは取蘊[しゅうん 執着されたまとまり]である。何が五か。
 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊。
 ラーダ、いかなる沙門バラモンであってもこれら五つの取蘊の味と欠点と脱出とを事実の通りに知らないならば、ラーダ、私は彼ら沙門バラモンを沙門たちの中で沙門とは認めないしバラモンたちの中でバラモンとは認めない。
 また彼ら尊者は沙門の義・バラモンの義を現世において自ら超知し実証し具足して住さない。
 ラーダ、しかしいかなる沙門バラモンであってもこれら五つの取蘊の味と欠点と脱出とを事実の通りに知るならば、ラーダ、私は彼ら沙門バラモンを沙門たちの中で沙門と認めるしバラモンたちの中でバラモンと認める。
 また彼ら尊者は沙門の義・バラモンの義を現世において自ら超知し実証し具足して住する。



   第六 沙門[二]

164.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、これら五つは取蘊である。何が五か。
 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊。
 ラーダ、いかなる沙門バラモンであってもこれら五つの取蘊の生と滅と味と欠点と脱出とを事実の通りに知らないならば、ラーダ、私は彼ら沙門バラモンを沙門たちの中で沙門とは認めないしバラモンたちの中でバラモンとは認めない。
 また彼ら尊者は沙門の義・婆羅門の義を現世において自ら超知し実証し具足して住さない。
 ラーダ、しかしいかなる沙門婆羅門であってもこれら五つの取蘊の生と滅と味と欠点と脱出とを事実の通りに知るならば、ラーダ、私は彼ら沙門婆羅門を沙門たちの中で沙門と認めるし婆羅門たちの中で婆羅門と認める。
 また彼ら尊者は沙門の義・婆羅門の義を現世において自ら超知し実証し具足して住する。



   第七 預流

166.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、これら五つは取蘊である。何が五か。
 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊。
 ラーダ、聖なる弟子はこれら五つの取蘊の生と滅と味と欠点と脱出とを事実の通りに知るならば、ラーダ、こう言われる。
 「聖なる弟子は流れに入った。
  堕ちることのない法である。
  決定した。正しい覚りに向かう」と。



   第八 阿羅漢

167.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、これら五つは取蘊である。何が五か。
 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊。
 ラーダ、聖なる弟子はこれら五つの取蘊の生と滅と味と欠点と脱出とを事実の通りに知り、取ることなく解脱するならば、ラーダ、こう言われる。
 「阿羅漢である。漏が尽きた。
  完成した。為すべきことを為した。
  重荷を下ろした。善利に達した。
  生存に結びつけるものを遍く尽くした。
  正しく悟った。離脱した」と。



   第九 意欲と貪り

168.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、色への意欲・貪り・喜び・渇愛、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを色において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 受への意欲・貪り・喜び・渇愛、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを受において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 想への意欲・貪り・喜び・渇愛、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを想において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 行への意欲・貪り・喜び・渇愛、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを行において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 識への意欲・貪り・喜び・渇愛、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを識において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。



   第十 意欲と貪り[二]

169.サーヴァッティ因。
 一方に座った尊者ラーダに先生はこう言った。
 ラーダ、色への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを色において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 受への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを受において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 想への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを想において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 行への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを行において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。
 識への意欲・貪り・喜び・渇愛・近づいて取ること・心で執ること・住むこと・随眠、それらを断ちなさい。
 このようにそれらを識において断つならば根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となるだろう。

                        ラーダ相応 第一品

   その頌
    マーラとサッタとバヴァネッティ、パリンネッヤーと二つのサマナ。
    ソーターパンナとアラハーと、チャンダラーガの二つ。



(『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P297−306 に相当)


   続く

コメント(2)

このマーラ・スッタは最初から奥深いですよね。

そんなに長くないのでラーダ相応も全部訳そうと思っています。

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