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史跡コミュの宇陀松山城跡

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 奈良県宇陀市大宇陀区春日

 2006年07月28日指定

 大和盆地南東の山間部にある中世から近世にかけての城跡。南北朝時代に国人領主の標高470mの山上に秋山氏が築城した。
 天正13(1585)年、大納言豊臣秀長の入部により秋山氏が追放された後、大規模に改修され、城下町も大規模に整備された。中央に天守・本丸が東西に並び、その周囲を帯郭が囲む。本丸には本丸御殿が確認されている。本丸の周囲は石垣に沿って瓦葺きの多門櫓が囲む。発掘では各種の瓦類や陶磁器類が出土しており、城内の建物や生活の様子を知る事が出来る。
 高石垣と複雑な構造の虎口をもち、礎石建ち瓦葺建物を配するなど、いわゆる近世初期城郭の特徴をそなえているが、元和元(1615)年に城主福島高晴が改易された際、徳川家康の命を受けた小堀遠州により天守・本丸・帯郭の全域が破脚されており、門・櫓・御殿の解体・撤去、石垣・石段・礎石の破壊の状況が明瞭に観察される。これに関係する書状が残されており、城割りの具体的状況が把握できる希有な事例である。また、それに先立つ秋山氏の段階の遺構も周辺で確認されており、中世から近世にかけての宇陀地方の中核的な城郭と城下のあり方を知る上で欠く事の出来ない重要な遺跡である。
 なお、宇陀松山藩主織田長頼が陣屋町の北方関門として再建した西口関門は別枠で史跡に指定されている。

*城下町宇陀松山
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41393781&comm_id=194642
*松山西口関門
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41400709&comm_id=398257

コメント(4)

8日水曜日に行って来ました。

左;春日神社境内 本丸に続くとされる抜け穴
中;春日門櫓台
右;登山道
左;西帯曲輪
中;天守台
右;本丸井戸
左;天守台より見下ろす東帯曲輪
中;天守台土塁
右;二の丸横堀

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