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武田二十四将コミュの加賀美信濃守虎光

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加賀美信濃守虎光について語り合いましょう。
加賀美信濃守虎光についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋



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加賀美信濃守虎光 1490〜1529年

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加賀美四郎ともいう。
武田信虎の重臣。
加賀美氏は、武田信義の弟加賀美遠光が甲斐国(巨摩郡)加賀美庄(現在の南アルプス市加賀美/若草町加賀美)に拠り、加賀美氏を称したのにはじまる。 加賀美遠光からは次男秋山光朝、三男小笠原長清、四男南部光行、五男伴野時長、六男加賀美光清、七男於曽氏などに別れ、秋山氏からは山田氏、上田氏、常葉氏、下山氏、小笠原氏からは跡部氏、溝口氏、矢田氏、丸毛氏、赤沢氏、津毛氏、下條氏、大井氏に別れている。大井氏からはさらに、大室氏、長土呂氏、岩尾氏、平賀氏、根々井氏、耳取氏、小諸氏、武石氏、森山氏、平原氏、瞳崎氏、八代氏、鳴海氏、大倉氏に別れている。南部氏は陸奥へ渡り、一戸氏、八戸氏、新田氏、金沢氏、北氏、石川氏、南氏、石亀氏、毛馬内氏、野沢氏、堤氏、大光寺氏、横田氏、久慈氏、大浦氏、七戸氏、四戸氏、金田一氏、櫛引氏、足沢氏、九戸氏、小軽米氏、江刺氏、波木井氏などに別れ、伴野氏も阿刀部氏などに別れている。いかに加賀美氏から諸氏へ別れているかが分かるが、甲斐国においても、加賀美氏の勢力は大きく、武田信虎が甲斐統一をはかるうえでも目の上のたんこぶとなっていた。
亨禄2年(1529年)、武田信虎の勘気に触れ、武田信虎に討伐され、抵抗むなしく討死した。
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