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文字の歴史コミュの洞窟壁画

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約3万年前、クロマニョン人の文化として始まった
彩色絵画の歴史の中で、文字の技術の前身である
線の技術はどのように進化していったのかを
考えてみます。
いわゆる洞窟壁画として知られる彩色絵画は
約3万年前に始まり、約1万年前まで2万年かけて
図式的な単純な表現から写実的な表現まで進化して
行きました。
その間、写実的な表現に図式的な記号も
併用されて続けていました。
この2万年間は線の所在が一番わかりにくい時代です。
描写技術の進歩や記号の機能を追い求めるうちに
純粋な線の技術が存在しなかったと断定されそうになる
事例でもあります。
確かにこの2万年間、線は隠蔽されているといえるでしょう。
しかし、輪郭線や境界線など、思わぬところに
あからさまに隠されているものでもあります。
輪郭線や境界線は完全に形や面の機能に取り込まれていながら
純粋な線を一瞬浮き彫りにするものでもあります。
また、洞窟壁画が約1万年前に突如として終焉を迎える
ということも興味深い問題をなげかけます。

コメント(2)

洞窟絵画の終焉は、建築の発明とともに始まったと考えても良いのでしょうか?
また、洞窟絵画の主題に農耕が見当たらないような気がします。
狩猟と農耕の関係は洞窟と建築の関係と相似形と考えても良いのでしょうか?
洞窟絵画の終焉は、農耕の始まった時期と重なりますが
地理的には重なりません。
建築との関係に関しては、
まず洞窟絵画が描かれた場所は住居とは別です。
都市の始まりとは時期が重なりますが
これも地域的には極めて限定されます。
確かに分散している石像建造物の痕跡と関連づけることは
可能かもしれませんが、石像建造物は
謎が多すぎて歴史的にも統計的にも
妥当な推測を引き出すことができません。
洞窟絵画の終焉は直接的には
動産芸術の増加と図像の図式化との
関係が見て取れます。
具体的には陶器の彩色が痕跡として
確認できるでしょう。
従って狩猟と農耕の関係との相似形は
洞窟と陶器の関係と見ていいのではと
考えています。

ちなみに関係同士の相似形とは
analogiaのことですか?

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