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近鉄難民です。コミュの【心熱く】あなたの思い出の試合は?【語れ!】

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あなたが最も印象に残っている試合を教えてください。

近鉄戦ならどんな試合でも構いません。
実際見た試合じゃなくても構いません。
時代、勝ち負け、球場… 一切問いません。

自由に語ってくださいな♪

コメント(44)

実際に観戦した試合の中から挙げるとすれば、2001(平成13)年7月17日の対ロッテ18回戦(千葉マリン)です。シーズンの前半最終戦でした。
4−9と5点リードされた9回表、ロッテの抑え小林雅を相手に近鉄打線が猛反撃。大村が勝ち越しの11号。結局この回大量8点を挙げ、12−9で勝ちました。
「決してあきらめない」という姿勢が伝わってきました。9回表の攻撃は涙をこらえながら観戦していた記憶があります。切ないほどにいい試合でした。シーズン後半の躍進、そして優勝につながる重要な試合だったと思います。
10・19の第2戦です。
吹石のホームランは忘れられません。当時小学生でTVをみていたんだと思いますが、解説者も泣きながら「野球はだからすばらしい、めだたんくても努力したもんがむくわれるんです」といっていて私も泣きました。
このHRは第2号、しかも1号は前日の試合。この年なんども2軍に落ちた大ベテラン、練習はコツコツ、けっして目立たない苦労人、内野ならどこでも守るし時には外野も守った。引退間際のこんな選手に野球の神様はプレゼントをくれたんですかね。
「努力すれば報われる」なんて現実そうおこることではありませんが、このHRは、「努力すれば報われる」ことを日本中に教えてくれました。
どんな大打者のHRより、このときの吹石のHRほど、泣けるHRはありません。
>のぶさん。
同じ試合を見てらしたのですね。(・∀・)
お疲れ様でした。

なんだか今思い出しても悔しい!
試合後、ロッテファンと飲む予定だったのですが、
長かったのと悔しいのとで、中止になりました。
俺、心狭いなぁ…w

試合後、バスを蹴ってた近鉄ファンがいたって話を聞いて、
少し寂しくなりました。
88・10・19 
いまさら説明不要でしょうけど
近鉄を応援するきっかけになりましたし

 観戦した中では03年お盆の鷹3連戦、大阪ドームが満員になったのが何より驚きました。1勝1敗1分で鷹にマジック点灯で良いことばかりではなかったですが、ベストバウトはこれかなぁ・・・
僕は2001年9月24日の大阪ドーム対西武です。
ローズ55号達成と、北川、ノリの9回のホームラン。
松坂に勝ったあの試合で優勝できると確信しました。

近鉄らしいすばらしい試合だったと思います。
私もオシシュウさんと同じ試合です。
当時私は東陽町某社でインターンシップというものをやっていたのですが、17:00に終わってすぐに球場に向かってました。
ですから、3連戦ともマリンに着くのは19:30くらい。
途中からの応援ですから、いつもより気合を入れて応援していました。内容は前出の通り。
印象に残っているのはカラスコがナイスピッチング(私にとっては意外)、豊彦さんがまさかのホームランを打たれたことです。

私にとってはこれが千葉マリンでの最後の近鉄戦でした・・・
北川の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン!(おっ、すげぇ一発変換)会社で見てたんですが、喜びを通り越して飛び回りました。
俺も北川の代打逆転サヨナラ満塁ホームランですかね!!
当時大学受験勉強でラジオを聴いていて、なんとなく打つんじゃないかと思って、勉強する手を止めて聴いてたのを思い出しますね☆
打った瞬間に居間に下りて行きテレビを夢中で見ていました^^
さまざまな試合が思い出されますが、1989年10月14日の優勝を決めたダイエーせんでしょうか。

阿部野橋から急行に乗って臨時停車した藤井寺駅についたのが
午後3時ごろでした。3塁側内野自由席で観戦しました。

目の前で監督が胴上げされ栗橋選手も胴上げされました。

野茂、ブライアント、石井。大阪ドーム第1号の鈴木選手は惜しくも亡くなられましたが、優勝をきめた翌日あべので、ブライアント選手に偶然出会い、握手させていただきました。
>UKさん
 私もあの日は吹石がヒーローになる姿を思い描いておりました。でも地味な選手は最後まで地味なんですね。

 何かそんな天命のようなものを感じてしまいました。
1997年9月20日、ノリの1試合3連発!
ノリの成長だけが楽しみだったころ、手首の怪我で不調だった以外にもさらなる怪我で抹消。無理をおしての再登録、復帰明けの試合でした。

オリクス戦だったかなあ・・・
0−0の緊迫した試合の5回と7回に連発。2−0とリードした8回には満塁ホームラン!
ノリ一人で6打点、6−0で勝ちました!

右、中、左(中、右、左かも)と3連発で度肝を抜かれてその後の活躍を予感させました。
その後、5年連続で日本人二冠王とまでは予測できませんでしたが、今の状況も思ってもみませんでしたね(^^;

その試合、ノリの代わりに二軍落ちしたのは大石大ちゃんで現役引退を表明しました。
日時は忘れたけど85年か86年の高校時代に友人と行った阪急戦。
西宮球場です。デービスのHRが西宮の場外に消えていった(と、
思う)シーンが忘れられません。
それとあの時代西宮は何故か選手が試合中に観客通路をウロウロ
していて、(ジュースとか飲んでた。ホント)よそ見してた私が
吹石選手に激突し、持ってたコーラをぶっ掛けそうになったんで
すが、吹石さんは「兄ちゃん、ごめんな!」と謝ってくれました。
古きよき時代の話です....
2004年9月頃のダイエー戦。(あやふや過ぎる…)
2-4くらいで負けていて、9回裏。
当時売り出し中・大西のサヨナラスリーラン!!
合併・消滅が決まった中、悲壮な叫びが響くライトスタンドは歓喜の渦に…。

選手も、試合へのモチベーション維持が難しい中、
よくぞ最後まであきらめない、意地を見せてくれた。

言うまでもなく、近鉄ファンは皆涙に暮れたのでした。
やっぱりもう一試合書きたいですね。

昨年ホリエモンが球場観戦に来た試合。ライトスタンドにホリエモンがやって来た時に明らかに球場の雰囲気が変わったのを感じました。
 そしてリードされてた近鉄は代打星野おさむがヒットと気迫の盗塁。水口、北川の同点、逆転打。9回無死2,3塁のピンチに豊彦さんが見事な火消し。
 
 そして試合後にライトスタンドに向かって選手達がやって来た時、私も涙がこぼれそうでした。こんなチームを失くしてなるものか、という気になった日でした。

結構ですよ。できれば1試合にして熱く語って欲しいのですが、
正直、1試合だけでおさまりきらないですよね。
こんないいチームだったのですから。。。

熱く語っていただけるのなら、いろんな試合のことを書いてもらってOKです。
ただ、5試合も6試合もグダグダ書くのは止めてくださいね。
趣旨変わっちゃいますから。

私ももう1試合ぐらい書いてみようかな?w
詳しい日付けも、勝ち負けも忘れましたが
20数年前に行われた、後楽園での
VSファイターズ戦ですね。
この時、センターの平野がホームへダイレクトに
返球したのを観て「カッコイイ!!!」
と思ったのが、バファローズファンへの
入口でした。
満員で炭酸ガス濃度が上がっていたせいか空気が酸っぱく感じられた9.26
といいたいところですが、他の方も書いてますので、

2001年日本シリーズ第2戦。


チケットの席種はライト内野指定とありましたが、
座った場所はポールよりフェア側の下段席でした。
応援団の隣で盛り上がる席です(ラッキー)。

第1戦の1安打完封負けの悪い雰囲気を引きずったまま
第2戦もリードされ、ノリのHR・ローズの犠牲フライで追いすがるも
前川が気前よくワイルドピッチで1点献上。

やばいなーと思ってたところで、
出ましたいそべっちのナイス返球&古久保ナイスブロック。
これで雰囲気が変って水口同点3ラン。

三沢→不機嫌様(岡本)で反撃を断ち切り、
8回裏水口がつないだ後のローズの勝ち越し3ランは、
私のほうにまっすぐ飛んできて頭上はるか上を越えて
上段スタンドに突き刺さりました。


試合後のドーム駐車場は「絶対優勝するぞー!」と叫ぶ奴続出。
私はというと、赤堀ユニ着たまま自宅近くの焼き鳥屋に行って、
ツバメの丸焼きを注文して店員さんを引きつらせてましたw


もう一度「いったれ!やったれ!」やりたいなぁ。
はじめましても兼ねて書かせて頂きます。
2001年9月24日の大阪ドームでの西武戦。初めて生で見た試合でした。
それまで地元だというのに球場に足を運んだことがなくて友人に誘われてたまたま見に行ったのですが、選手もスタンドのお客さんも本当に凄かった!とにかく圧倒されてしまってちょっとしたカルチャーショックでもありました(笑)そして近鉄が大好きになりました。
9月26日はスタンドで友人と抱きあってただ泣いてました。なんかもう放心状態でしばらくドームから帰れなかったです。

ドームに足を踏み入れるたび、選手やファンのパワーに圧倒されました。独特の応援スタイルも大阪らしくて楽しくて、たとえ負け試合でもゲームセットまで楽しめる素晴らしいチームでした。
本当に近鉄のゲームに関しては楽しかったとかおもろかったとかいい思い出しか残ってないです。

また「はーよーやーれー」って言いたいな…。
私は、2004年5月29日、松山坊ちゃんスタジアムでのマリーンズ戦です。
大阪ドームに移転してから初めての地方開催が、私の故郷松山で行われるとあって、喜び勇んで帰省を兼ねて観戦しました。
そのシーズン好調な滑り出しでその日まで無傷の連勝中だった岩隈の先発だったし、1回にノリの天井があったら当たってるんじゃないかと思うぐらい高い飛球の先制HRも出たし、楽勝ムードでライトスタンドでの応援を楽しんでました。
しかし、岩隈が追いつかれ同点のままマウンドを降り連勝記録を伸ばすことも出来ず、試合は延長戦へ。11回裏、ランナーを2塁に進めたところでマリーンズもコバマサを投入してきましたが、星野の快心の一撃!右中間に座ってた私の方に向かって飛んできて、「スタンドまで来んでええ!ヒットでええ!早く落ちろ!」と叫んでました。その後、星野はもみくちゃ、ライトスタンドもお祭り騒ぎ。試合は長かったし、なかなかチャンスをものにできなかったので疲れましたが、そんなの吹っ飛んでました。
球場に行っての観戦は数試合しかないのですが、唯一の勝利、最初で最後の勝利でした。その2週間後、失意のどん底に落ちるなんてコトは夢にも思っていなかった幸せな一時でした。
1988年10月17日の阪急戦です。
近鉄=阿波野、阪急=星野伸之が先発で、どちらの投手も被本塁打1本、その前にランナーが居たか居なかったか?で勝敗が分かれました。1−2で負けたと記憶してます。
ここで負けてしまったため、残り3試合全て勝たねばならなくなり、10.19へ…と、つながっていったわけですね。

実は、試合内容よりも試合終了後のことが頭に残ってます。
複雑な気分で、スタンドを立ち去ることができずにいました。
西宮球場はセンター後方に選手の出口があったらしく、選手の皆様が、荷物を携えて球場を去っていく姿を眺めることができたんです。選手の姿を見て、回りのファンの方々から「○○〜!頑張れ〜!!」と声援が飛んでおりました。それに手を挙げてこたえてくれる選手が多かったです。

阿波野投手が球場を去ろうと、ダッグアウトからバックスクリーン方向へ歩き始めた時のことでした。
私の左側に居た近鉄ファンのお兄さんが「阿波野〜〜〜!!よう投げた!!お前は立派や〜〜〜!!お前はエースや〜〜〜!!近鉄のエースや〜〜〜!!」と叫んだんです。
それが引き金となったのか、他のファンの方々からも「阿波野〜!ようやった!」「川崎でも頑張ってくれ〜〜〜!!」とあちこちから声援が飛んだのです。それに気付いた阿波野投手は、スタンドの方を向いて、帽子をとり、深く頭を下げてくれたのでした。
カクテル光線に照らされた中で頭を下げたまま、しばらく静止していた阿波野投手の姿が、あまりにも印象的で、いまだに脳裏に焼きついています。

2日後、歴史に残るような凄い試合が展開されるとは夢にも思わなかったですね「今日は負けたけど、ロッテ相手やし(当時「お客様」でしたから)きっと3連勝してくれる!」と信じていましたから。
2003年5月、大阪Dのハム戦。先発は岩隈と金村。
大村のHRで先制(まだ到着してなかったので目撃できず)。
ところが岩隈の調子が悪いのとファースト山下やショート星野の拙い守備で5回ぐらいで1−6だったかな。一人で観てたし「もう帰ろうか」と弱気になったものでした。
ところが大村が今度は満塁弾、憲史のHRなどで追い上げムード。近鉄投手陣も負けじと失点を重ねる乱打戦。
8回裏、代打・益田の逆転3ランで9−8と遂に勝ち越し。
最終回のマウンドには岡本。大塚がチームを去り、ストッパーが確定していなかった時期でした。この岡本が西浦と坪井に連続HRを浴びてあっさり逆転・・・

9回裏、ローズが起死回生の一発で10−10の同点! 更に延長に突入しての11回、打席には再びローズ。結果は見事なサヨナラHR。

壮絶な死闘でした。
こんな面白い試合もありましたよ。2004年某日藤井寺球場でのウエスタン阪神戦、いつもは200〜300人くらいの観衆がこの日は土曜の阪神戦ということもあり3000人は入ってたと思う。うれしいことに7割が近鉄ファン、もし京セラドームで一軍交流戦が実現してたらまちがいなく阪神ファンのほうが多いであろうが当日近鉄一軍は西武ドームで試合、一方阪神は夜から甲子園でナイターということもあり近鉄ファンが多かったと推測される。試合の方は先発が近鉄高村、阪神前川と共に上から落ちての調整登板、阪神の方は野手も上坂、秀太、沖原等、そこそこ名の知れた選手が出場していた。序盤から高村が乱れ0−7と阪神大量リード近鉄1,2点返した後の6回か7回に前川が近鉄時代の本領発揮、四球がらみに打ち込まれ三木のバックスクリーンへのアーチ、投手交代のあと森谷左打席でライトへ2ラン、とどめは主砲山下のレフトへの特大一発などで9−7と逆転した。気持ちよかったな、しかし終盤阪神の反撃に会い10−12くらいで負けたと記憶している(最終スコアは少し間違ってるかも)それにしても近鉄の次代を背負うはずだった山下、森谷両選手、上にあがるとなんでこんなからっきしアカンのかなぁ、楽天いってしもたけど鉄平や塩川、草野、西村あたりに負けとらんとレギュラーとってや、山下はフェルナンデスおるからなおさらきびしいなぁ・・応援してますよ!
優勝した2001年の開幕戦がすごく印象に残っています。
日ハムに、打順が一回りするうちに3本ホームランを打たれ0-5とリードされるも、最終的に乱打戦を制して10-9の劇的勝利。

でも、僕がこの試合で一番しびれたのは、盛田の復活登板です。
脳の手術を受けて長期欠場していた盛田の名が場内に告げられたとき、本当に嬉しくて力いっぱい拍手しました。
僕の思い出の試合は大阪ドーム最終戦ですね。
北川の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランも盛田の復活登板も鈴木追悼試合もいっぱいありますが、応援している大好きな球団が完全消滅するという辛さは近鉄ファンにしか味わえない屈辱だったと思います。
松坂がノリの為に登板してくれたり吉岡が代打で復活したり感動のフィナーレでした。
星野のタイムリーでサヨナラ勝ちした時も『なんでお前やねん?!』って思いと『終わった〜(泣)』って思いとが交錯して隣の人と抱き合って泣きました。

野球観戦で泣いたのはあの試合が最初で最後やと思います。

生涯最高試合です。

今では観戦した全ての試合がベストゲームです。

長文失礼しました。
野茂が投げ三振ショー村上がホームランを打ち勝利した去りし日の川崎球場…………泣き顔
>>39
それ覚えてる
スローモーションでリプレイも流れて切なかったうれしい顔

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