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戦争反対!コミュの紛争。

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みなさんが考える
「紛争要因」とは何ですか?

コメント(513)

>472誤字訂正

×フリーランスのサイバー工g系も考えられないわけではない。
○フリーランスのサイバー攻撃も考えられないわけではない。
>サイバー工g系



サイバー・エロゲー

と一瞬,読んでしまった当方参上.

 長すぎると思ったら分割します.斬り捨て御免.
907 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2007/11/12(月) 11:56:50 ID:94e/mzO1
ttp://www.ft.com/cms/s/0/41b17514-9088-11dc-a6f2-0000779fd2ac.html
Smart power is a smart investment Published: November 11 2007 19:07
(FT)アーミテージ&ナイの「スマートパワー論」について

シンクタンクのCSISから出されたアーミテージとナイを中心とするグループの報告書
が、アメリカの外交政策のあり方を論じている。この報告書ではアメリカに対する世界各
国の評価が低下していることから論を始めていて、その対応策を提案している。

In short, invest in “smart power”, a blend of hard and soft, more effective than
either alone.
簡単に言えば報告書はアメリカが「スマートパワー」開発に投資すべきだと言う。それは
ハード・パワーとソフト・パワーをブレンドして、各自が単独で行使されるよりもより効
果的で有らしめるとする。

Little of this may be new, but all of it bears repeating. If an administration
receptive to such advice were to adopt it, US diplomacy and, when necessary,
military action would doubtless be more effective.
これは少しも新しい考えではないけれど、そうしたアドバイスをアメリカ政府が受け入れ
るような受容力(包容力、理解のあるところ)を示すのであればアメリカ外交と、そして
軍事行動でさえ、より効果的になるのだろう。
いつも思うのですが、向こうのリベラルって「自国にとって有利なこと」を前提に話を進めるんですよね、その手法として「国際協調」や「ソフト・パワー」を組み込むというだけの話で。

このあたりが、日本の所謂リベラルとまったくアプローチが違うと思います・・・。
江畑謙介氏の「テロリズム」記述に関して追記します。

------------------------------------------------------------------------
従来、防衛力の基本的役割は「抑止力」であり、そのために日本でも最小限必要とされる「基盤的防衛力」の保持を防衛力整備計画の中心的考え方としてきた。
抑止力とは、こちらがある力を保持することで、相手にこちらに対して無理難題を押し付けられたり、武力攻撃(によって問題の解決を図ろうとする方法)を行わせないようにしたりするというものである。
この考えの基礎には、こちらがある程度の防衛力(軍事力)を持つから、相手は攻撃をかけてもそれ相応の被害を免れず、それは相手の目的達成に引き合わないと思わせる、という概念があう。これは目的達成に必要な犠牲と達成によって得られるものとをはかりにかけて、得るものの大きさを推量する、すなわち「費用対効果」を図るという合理的なかんがえがある点を前提にしている。
ところが前述のようにテロリズムでは、このような合理的な考え方がほとんど存在しない。目的は相手に代償を問わず被害を与えることであって、そこにいかなる自分の犠牲が生じてもかまわないというのが多くのテロリズムの基本だから、これだけの軍事力を持っていれば、相手にそれ相応の被害を与えて・・・という考え方が通用しない。このような相手(テロリスト)に対しては、もちろん、そのテロリズムを実行させないための最大限の防止努力(情報収集による先手を打った逮捕、資金や武器入手経路の根絶など)を行うが、実行されてしまった場合(最悪の事態を想定して備えておくのが安全保障の基本である)、その被害を最小限に食い止める対応措置を講じねばならない。その。その能力を持つ必要がある。これが対処能力である。「被害を最小限に食い止める」対応措置は「被害管理(カンセクエンス・マネージメント:Consequence Management:CM)」という。
------------------------------------------------------------------------

江畑謙介 「日本の防衛戦略」 59-60ページ
質問:情報革命は、国家間のパワーをどのように変化させたか?

回答:まず、国家間のパワーを均等にすることは現在のところできていない。
それどころか、逆に強国に有利に働いており(戦争などはその顕著な例だろう)、リアリストたちは汚名をそそいだと感じているかもしれない。

しかしながら、政府の役割と国家のパワーを低下させたのも事実で、この面ではリベラリルやコンストラクティヴィストの予見が正しい。

社会間の色々な伝達経路という面からみると、複合的相互依存は大きく進行していると見ることも可能だ。

「情報の氾濫」が起きて、これは人々に「豊穣のパラドックス」をもたらした。
ナイ教授は以下の見解を述べている。

----------------------------------------------------------------------
情報の過剰が関心の希少化をもたらしたのである。人々は膨大な情報に直面したとき、何に焦点を当てるべきか見極めることが困難になる。情報よりも関心が希少資源となり、背後の雑音から価値ある情報を区別できるものが、パワーを得る、編集や進行にかかわる者の需要が増し、このことは、どこに注目すべきかの指示を出せる者にといったものを授与する能力が、ますます重要になるのである。
----------------------------------------------------------------------

情報が氾濫することによって、世論はプロバガンダに対して、より慎重で敏感となった。無料情報の一形態としてのプロバガンダは、新しいものではなく、ヒトラーやスターリンが1930年代にこれらを有効活用した。

1990年代には、ミロシェビッチによってテレビの統制が行われ、セルビアで権力を維持するためには必要不可欠だったし、1993年にはモスクワで権力闘争がテレビを通じて行われた。

現代では「信憑性」が決定的な要素であり、ソフト・パワーの重要なパワー源となる。

「評判」は以前よりはるかに重要になっていて、信憑性を作り上げたり、それを破壊したりするような政治闘争が起きている。

政府は、他の政府だけではなくて、ニュース・メディア、企業、非政府組織、科学共同体ネットワークなど、広い範囲で選択肢と信憑性を競い合っている。


とりあえず、今日はここまで、続きは明日ー
 切ってしまって申し訳ありませんが,キッシンジャーが国連について述べていたので,貼っておきますね.

92 名前: 日出づる処の名無し [sage] 投稿日: 2007/11/17(土) 17:55:26 ID:4c8ES0n1
tp://www.opinionjournal.com/editorial/feature.html?id=110010875
THE WEEKEND INTERVIEW Diplomacy in the Post-9/11 Era
BY DAVID B. RIVKIN JR. Saturday, November 17, 2007 12:01 a.m. EST
(WSJ・OPJ)週末インタビュー:ヘンリー・キッシンジャーに聞く911後の外交

キッシンジャーにアメリカの外交政策について尋ねているもので、なかなか興味深いもの
が。例えば、キッシンジャーは国連は重要で特に安保理が大切だが、実際滋養は機能しな
いのでNATOに頼らざるを得なかったとしているけれど、今はそのNATOさえ将来危うげだと
言う。

The real difference, Mr. Kissinger interjected, lay in "what government[s] can ask
of their people." It is because "European governments are not able any more to ask
their people for great sacrifices," he argued, that they have so readily opted for
a "soft power" approach to so many foreign policy issues. This will, of necessity,
make it harder for Europe to reach a consensus with the U.S.

WWIIと、その直後の時代に比べて、現在の欧州は変質している。政府が国民に対して大い
なる犠牲を求めることが出来なくなっている。そのために欧州の外交はソフトパワーにの
み依存しがちで、それが欧州の外交政策とアメリカのそれのコンセンサス形成を難しくし
ている、と彼はいう。(この記事は購読契約無しに読めるOPJにある)
結局、コストを下げるためにソフト・パワーを使っているけど、必要なハード・パワーに注視しないと、最終的には割りに合わなくなるということでしょうかな。
>480の続きです。

伝統的な政治とは、軍事的に、もしくは経済的に「誰が勝つか」というものだったが、情報化時代になると「究極的に誰の物語が勝つのか?」が焦点となるかもしれない。
その意味で、政治とは「競合する信憑性のコンテスト」のようなものになる。

これについて、ナイ教授は以下のように述べている。

-------------------------------------------------------------------------
政府は他の政府と、また他の組織と、事故の信憑性を増し相手のそれを弱めようと競争している。1999年のコソヴォでの出来事や翌年のセルビアでの出来事の解釈をまとめるために、セルビアとNATOが展開した闘争を想起すればよい。2000年10月のスロボダン・ミロシェヴィッチ失脚にいたるデモに先立って、セルビア人の成人の45%がラジオ・フリー・ヨーロッパやヴォイス・オブ・アメリカを聞いていた、これとは対照的に、国家が統制するラジオ局ラジオ・ベオグラードを聞いていたのは、わずか31%に過ぎなかった。さらに、国内の別のラジオ局B92は西側のニュースを提供しており、政府がこれの閉鎖を試みた時にもインターネットでこうしたニュースを提供し続けた。

プロバガンダと映る映像は、軽蔑されるだけではなく、その区の信憑性についての評価を害するとすれば、全く逆効果となるであろう。2003年に、サダム・フセインの大量破壊兵器やアル・カーイダとのつながりを誇張された主張は、イラク戦争のための国内的支持を獲得する助けになったかもしれないが、世論調査が示しているように、この誇張が後に判明すると、米英の信憑性は大きな打撃を被ったのである。新しい条件の下では、物柔らかな販売法の方が強引な販売法よりも効果的であるかもしれない。
-------------------------------------------------------------------------

イラクの事例を見れば分かるように、パワーは必ずしも情報を手元に留保している者に流れるわけではない。

非公開情報は、これを保持している者の信頼性を損ないうる。

これについて、ナイ教授は以下のように分析している。

-------------------------------------------------------------------------
ノーベル賞受賞者ジョージ・アカーロフ(George Ackerloff)の指摘するように、中古車のディーラーは、自分が扱っている中古車の欠陥を、顧客よりもよく知っている。さらに、悪い車の持ち主の方が、いい車の持ち主よりも、車を売ろうとするものである。こうした事実から、知られざる欠陥に適応するために、顧客は自分が払おうとする価格の割引を求める。したがって、ディーラーがより多くの情報を持っていることは、彼が受け取る平均代金を上げるには役立たないばかりか、よい中古車を真価で売れなくしてしまうのである。貿易を巡る非対称的相互依存では、貿易をしなくて済む者や貿易を断つことに耐えうる者がパワーを掌握するが、それとは異なり、情報力は、何が正しく重要かを、編集し認証できるものに流れるのである。
-------------------------------------------------------------------------

<まとめ>

・情報革命は、国家のパワーを均質化せず、却って強国を有利にしているが、それでも国家の役割とパワーは低下している。

・現代の政治では「信憑性」をうる事が大事なファクターとなりつつある。

・プロバガンダは、政府の信憑性を落とす可能性もある。

・情報は、手元に留保していれば有利とは限らない。

ジョゼフ・S・ナイ「国際紛争」第8章を参照


ふー・・・ようやく290ページまでたどり着きました。
質問:(インターネットなどによる)無料情報が豊富になることと、情報の信頼性の重要度が増すことによって、ソフトパワーはどのように変質するのか?

回答:情報を生み出し、広める能力が限られた状態では、雑誌や新聞などのメディアを統制すればよかった、例えばラジオ局を武力制圧するといったハード・パワーの行使によって「ラジオ」というメディアのソフトパワーを得ることができた。
世界的規模を持つテレビ局では、財力そのものがソフトパワーを生み出す源泉となる。

これについて、ナイ教授はCNNの例などを挙げている。

-------------------------------------------------------------------------
例えば、産業・技術でのアメリカの指導的地位のゆえに、CNNはアンマンやカイロではなくアトランタを拠点にしていた。1990年にイラクがクウェートを侵攻した折、CNNが基本的にアメリカ企業で合った事実が、世界中でこの事件を、(1960年代に広く受け入れられたインドによるポルトガル領ゴア「解放」との類比で)植民地支配の屈辱を晴らす正当な試みとしてよりむしろ、(1930年代のヒトラーの行動との類比で)侵略として位置づけるのに役立った。だが、2003年までには、アルジャジーラやアルアラビアのような地域のケーブル・ネットワークが台頭し、アメリカの独占を切り崩し、イラク戦争に関する諸問題の地元の特徴づけに貢献した。
------------------------------------------------------------------------

情報化時代における複合的相互依存の状況では、ハードパワーとソフトパワーの密接な関係は、多少とはいえ弱まるだろう。
当然、放送のパワーは残るだろうが、他に多様なコミュニケーション・チャンネルが存在し、互いを支配するために武力行使が不可能な多様なアクターに統制されていく、インターネットの力が強まっていくだろう。

ひとたび過剰な情報源ができると、テレビ・ラジオ、ウェブサイトを誰が(どのアクターが)所有しているかよりも、どの情報源や誤情報に誰が関心を払うかが、紛争に影響を与えていくだろう。(ブロガーがデマを暴いていく事なども例としてあげていいかな?)

放送は、古くから世論に影響を与えている情報流通の一つだった。

これについてナイ教授は以下のように分析している。

-------------------------------------------------------------------------
ある紛争や人権問題に焦点をあてることで、放送者は他のことではなくある外国での紛争に(たとえば、1990年代の南スーダンではなくソマリアに)対応するよう政治家に圧力をかけてきた。政府がテレビやラジオ局に影響を及ぼし、操作し、そして統制しようとしてきたことは、驚くには当たらないし、比較的少数の放送局が同じメッセージを多くの人々に伝えているうちは、それに相当成功してきた。しかし、大規模な放送[ブロードキャスティング]から多様で個別の伝達[ナローキャスティング]への変化は、重要な政治的意義を持っている。ケーブルとインターネットによって、送信者は受信者を細分化して狙いを定めることができる。
政治にとってさらに重要なことは、インターネットの相互作用である。それによって関心が集まるのみならず、国境を超えた行動の調整が促進される。低いコストでの相互作用は、新たな仮想共同体の発展を可能にし、物理的に遠く離れているもの同士にも1つの集団の一員だと想像させるようになる。
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<まとめ>

・各人が得られる情報量と信頼性の重要さが増すことによって、ハード・パワーでソフト・パワーを得られるような場面が少なくなってきた。

・インターネットなどの多様なコミュニケーション手段の存在は、単純な武力では統制できないであろう。

・情報源の多様化、共有化は、紛争に影響を与えていくだろう。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第8章を参照
これで第8章を終了しようと思います。
この後日記にて中東戦争・航空編 レバノン紛争をやってから第9章という流れを考えています、そして第9章で「国際紛争」FAQは一旦終了となります。

ではFAQ

質問:情報革命と民主化にはどういう関係があるのか?

回答:情報革命がおきている国家は、ほとんど民主主義国家であり、これは偶然じゃない。

民主主義は基本的に「自由な情報交換」が可能であり、政治体制や統治がそれによって脅かされない。
民主主義国家は、情報の入手が限りなく自由に近いので、情報の形成も可能であり、発展途上国のように権威主義的国家にはこのような状況を見ることは少ない。

例えば、中国ではインターネットのプロバイダを政府が管理し、比較的少数の利用者をモニターすることで、インターネットの市民からのアクセスを統制することができる。
このような制限を潜り抜けることは可能だが、リスクが大きく、コストが高くなる。

また、政治的に効果的であるためには、完全な統制が必要とも言えないとナイ享受は述べている。

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シンガポールは政治的には統制が強く、経済的には自由主義の国家であり、これまでのところ、政治的統制をゆるめずにインターネットの役割を増大させている。だが、シンガポールのような社会は、より広範な知識労働者が「ネット」への規制緩和を求める発展段階に達しており、シンガポールは、情報経済での競争にとって最も希少な資源である創造的な知識労働者を失う危険を冒している。したがって、シンガポールのディレンマは、一方で情報経済が求める個人の創造性を奨励するために、教育制度を再編しつつも、同時に、情報の流通を巡る既存の社会的統制を維持しようと格闘していることである。閉鎖的システムはより高くつくようになる。
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上記のような閉鎖的なシステムのコストが高くなる要因として、重要な決定が不透明である権威主義的国家では、外国人が投資のリスクを大きく見積もることがあげられる

透明性は、投資を求める国々にとって重要な資産になりつつある。

かつては、情報を手元から話さない、開示しないことは権威主義的国家にとって価値あるものだと思われていた。だが、いまや地球的規模の競争で、投資をひきつけるのに必要な透明性や信頼性を損なう要因となってしまう。

これは1997年のアジア通貨危機の際に明らかとなった。
透明性が低い政府は信頼されない、そうした政府は提供する情報が偏っていて、開示する情報を選択しているように思われるからである。

さらに、経済発展が進んで、中間層が増えるに従い、抑圧的手段は、国内のみならず国際的な評価にもつながる。

これについてナイ教授は台湾と韓国の例を挙げている。

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民主化と表現の自由を求める要求の高まりを押さえつけることは、評価とソフト・パワーの点で高くつくと言うことを、台湾と韓国は共に1980年代後半に認識した。民主化を始めることで、両者は経済的危機に対処する能力を(たとえば、インドネシアと比べて)強化したのである。
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一旦切ります、次のポストで8章は終了です。
相互作用と仮想共同体が将来にどのような影響を与えるかは、未だに不確定だが、様々なチャンネルを通じて、無料の情報が流通していくことの政治的効果は、すでに明瞭になっている。

国家は、社会に関する情報を統制できなくなりつつあり、発展を望む国家は、外国の投資や技術、組織などを必要とするので、結果として透明性の高い国家の方がより発展のチャンスを得られることになる。

地理的な共同体(国家など)は引き続き最も重要な要素だが、急速な発展を望む政府は、自国内の官僚を守るような情報の隔壁を放棄せざるを得ない。(上記のように、透明性を確保しないと、外資がよってこないため)

高度発展を望む国家は、もはやブラックボックス化して安心するような余裕はない。

現在は、情報革命の初期段階であって、どんな結論だろうが、それは暫定的なものに過ぎない、だが、ナイ教授は4つの議論にまとめることができると主張している。

-------------------------------------------------------------------------
第一は、国家間のパワー配分に関して、情報・通信革命が均等化効果を持つと予見した点で、一部のリベラルは誤っている。1つには、規模の経済と参入障壁が、通商・戦略情報に関して残存するからであり、また1つには、無料の情報に関して、大国がしばしば信頼性の競合で有利な地位を占めているからである。

第二に、情報の安価な流通は、国境を超えた接触経路に重要な変化を引き起こした。国境を超えて活動している非政府組主体は、自らの見解を組織し宣伝する上で、はるかに大きな機会を持っている。主権国家はますます容易に浸透されるようになり、ブラックボックスとは程遠くなりつつある。政治指導者は、外交問題で一貫した方針を維持するのがより困難になっていることに気づくであろう。

第三に、情報革命は変容しつつある政治過程であり、そこでは、信頼性という主要なパワーの源泉をめぐって、開放的な民主主義的国家や脱国家的主体が権威主義国家よりもうまく競争を展開している。

最後に、政府とNGOの双方にとって信頼性が主要なパワーの源泉になりつつある。より多元的で浸透性の高い国家では、政府の政策上の一貫性は減少しつつあるが、その同じ国家が信頼性とソフト・パワーで優位に立つかもしれない。つまり、リアリストが強調するように、地理的基盤を持つ国家は情報化時代にも政策に枠組みを提供し続けるであろうが、コンストラクティヴィストが指摘するように、その枠組みの中での世界政策の過程は、深刻な変化にさらされているのである。
-------------------------------------------------------------------------

<まとめ>
・情報革命がおきている国家に民主主義国が多いのは偶然ではなく、必然的要因があるからである。

・透明性は、外部からの資金、技術、組織を呼び込むために必須となりつつある。

・国家のような地理的共同体は引き続き最も重要な要素だが、それだけで発展は望めない。

・高度発展のためには、情報的な隔壁を除かざるを得ない。

・情報革命の議論は四つに分類することが可能である。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第8章を参考

これで8章終了、長くなってしまいました・・・

一旦、中東戦争・航空編に戻りますが「グローバル化の定義」について、ナイとコヘインから回答を書きたいとは思っています、では。
レバノン紛争、イラク原子炉爆撃・航空編が終了しましたので、こちらへ復帰します。

質問:フランシス・フクヤマが言うように「自由主義」に対抗するようなイデオロギーはもはや存在しないのか?

回答:ある意味で正解、ある意味で間違い。

確かに冷戦の崩壊で、自由主義的資本主義に真っ向から対抗するイデオロギーは無くなった。

これについて、ナイ教授は以下の見解を述べている。
------------------------------------------------------------------------
自由主義的資本主義に対抗しうる統合的イデオロギーはもはや存在しない。そsちえ、裕福な民主主義諸国間の関係は、根本的に変化した。ドイツとフランス、あるいはアメリカと日本は、もはや相互間の戦争を想定も計画もしていない。カントのリベラルな予測通り、複合的相互依存の形態が、民主主義的平和と言う広い諸島を形成している。
------------------------------------------------------------------------

※「ドイツとフランス、あるいはアメリカと日本は、もはや相互間の戦争を想定も計画もしていない。」

に関しては、異論があると思うので、反論プリーズ。
私としては「少なくとも現在は」という保留条件を付けたいところ。
アメリカも、日本に対する戦争は計画していなくても想定してシミュレートはやっているはず。

一方で、冷戦の終結は「歴史の終焉」というより「回帰」ではないかという見方も行っている。

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冷戦後の世界は「歴史の終焉」というよりはむしろ、歴史への"回帰"であると言えるだろう。歴史への回帰とは、より通常の状態、すなわち単一のイデオロギー対立が国際政治におけるより大きな紛争を引き起こさない状態のことである。自由主義的資本主義には、まとまってはいないが、多くの対抗勢力がある。中国やロシアは資本主義や世界市場を利用するが、両国とも自由主義でも完全な資本主義でもない。他の地域では、宗教原理主義者が自由主義的資本主義の規範と実践に挑戦している。宗教原理主義はひとくくりにされることがあるが、実際には原理主義にも多くの種類がある。共通しているのは、それらが世俗的な自由主義的資本主義に対する反発であり抵抗である、と言う点である。冷戦後の自由主義的資本主義に対する主要な対抗勢力は、人種的・宗教的・民族的な共同体主義である。
-------------------------------------------------------------------------

・冷戦の崩壊により、自由主義や資本主義に対抗する「統合的な」イデオロギーは存在しなくなった。

・ただし、自由主義・資本主義が単一のイデオロギーになったわけでも、至上のイデオロギーになったわけでもない。

・自由主義・資本主義に対するイデオロギーは多く存在している。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
新年一発目行きます、「国際紛争」もこの第9章を残すのみとなりました。

質問:サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」の問題点は?

回答:彼の理論は、バランス・オブ・パワーの論理を8つの文明にわけ、その相違からくる紛争要因を分析しているが、各文明における「内なる対立」を軽視しすぎている。

ハンチントンは、紛争の要因としての文化に着目しているが、トインビーのやや恣意的な文明の分類を援用したため、ハンチントンの議論は単純化しすぎたものとなった。

ナイ教授は以下のように分析している。

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第7章でみたように、文化は平均的でも静的でもなく、重複し流動的なものである。ハンティントンの世界地図が示す大「文明」間よりも、「文明」の内側(たとえば、アフリカやイスラム内部)で、より多くの紛争が発生してきた。オサマ・ビン・ラディンによるテロ攻撃と西洋に対するイスラムの聖戦の呼びかけは、ハンティントンの議論が正しかったことを証明するものだ、と見る向きもあるが、2001年9月11日以降の出来事を過激な原理主義者と穏健派によるイスラム内での内戦とみなすことも十分可能である。多くの穏健なイスラム教徒は、オサマ・ビン・ラディンよりも、穏健なキリスト教徒やユダヤ教徒と、より多くの共通点を有している。
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「文明の衝突」の問題は、「内なる対立」を軽視しすぎると言うことか。
私も「文明の衝突」は読みました、確かに各文明の分析や衝突要因などには見るべきところも多いものの、冷戦崩壊後、多くの紛争は「内戦型」なので「文明間の衝突」だけでは紛争要因を説明できないと思う。

ジョゼフ・S・ナイ「国際紛争」第9章を参照
もう一ついっときます

質問:サミュエル・ハンチントン、フランシス・フクヤマ双方に共通する問題点は?

回答:「冷戦後」の世界を、一つのパターンに押し込めようとしているところ。

冷戦後の世界は、むしろ冷戦前よりも複雑化しており、多様な文化、多様な経済的な近代化のパターンが存在する。

これについて、ナイ教授は以下のような見解を示している。

-------------------------------------------------------------------------
フクヤマの賛美する自由主義的資本主義や民主主義的平和は、ほとんどの脱工業化社会にうまく該当する。前工業化段階の国々と工業化段階の国々との関係では、リアリズムの説明能力の方が高い。文化的対立に焦点を当てたハンティントンの議論は、前工業化段階の世界と他の世界のとの関係では、より説得力をもっているのである。
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やはり、最大の問題点は「一つの型」にすべてのパワーを押し込めようとしたところだろう。

ジョゼフ・S・ナイ「国際紛争」第9章を参照
現在305ページ、あと15ページほどです。

質問:人種的・文化的な紛争は、どのような場面で誘発されるのか?

回答:近代化やグローバリゼーションなどの社会的な変革によって、自らの愛電ティディを脅かされた時などに紛争の可能性が高まる。

これについて、ナイ教授は以下のような見解を示している。

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似通った民族的特徴を持つ人々が共通のアイデンティティを求めると、極めて強力な思想となるし、彼らが国家を統制しようとすると、われわれはそれをナショナリズムと呼ぶ。こうした国民国家は、ハンティントンが焦点を当てる脱国家的な文明や宗教的文化と緊張関係にあると指摘して、リアリスト[現実主義者]はハンティントンを批判する。中東に関して既に見たように、エジプトやシリアといった国民国家は汎アラブ主義よりも強かったし、今ではイスラム原理主義と戦っているのである。
-------------------------------------------------------------------------

人種や文化が原因の紛争は、社会的変革がおきる時、反動のようにな形で顕在化すると言える。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:ナショナリズムの強弱の変化はどのような要因があるのか?

回答:これは、各国/地域のナショナリズムの強さとその原因を比較すれば分かりやすい。

東西ヨーロッパの場合、東側では共産党支配の元、民族/エスニック紛争は半世紀の間封じ込められていた。

だが、ソ連の崩壊により、一気に押さえつけられていたものが噴出し、対立が起きるようになった。

ユーゴスラヴィアではセルビア人、クロアチア人、ムスリム、コソヴォ系アルバニア人の間で争いが表面化し、深刻化していった。(というか、国がそれを煽った)

また、ユーゴ紛争をきっかけとして、旧ソ連圏内のいたるところで、多くのエスニックグループが国境を超えて、別のエスニック紛争とナショナリズム隆盛を招く可能性が増加した。

これとは対照的に、西側では冷戦崩壊後の国家間紛争はごく少なく、更に強い民族意識があったはずの国々がEUを形成するに至り、旧東側の国々も取り込んでいる。

その理由として、ナイ教授は経済的要因を挙げている。

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理由の一つとして考えられるのは、経済成長の果たす役割である。人々が裕福になるにつれて、敵対感情は薄れるであろう。また、民主主義もその理由の一端であろう。なぜなら、自らの方向を自由に決める機会を与えられれば、人々は激情を抑えることが出来るからである。過去の西側での敵対感情の中には、民主的な手続きを通して克服されたものがある。第二次世界大戦の終わりから西ドイツで起こった論争が、教科書の改訂とドイツの新しい歴史認識に繋がったことが、その例である。また、西欧をより大きな枠組みに取り組んだ地域的な制度も、理由の一つである。これによって極端なナショナリスティックな思想の拡大が抑制されたのである。
-------------------------------------------------------------------------

だが、西欧でさえ、ナショナリズムが衰退して、消え去るといった状況とは程遠い。

多くのヨーロッパ人は、自国のアイデンティティを完全にヨーロッパのアイデンティティに取り込まれることは望んでいない。

フランスとドイツには依然として恐怖感が残っている。
フランスがヨーロッパ統合を支持する理由の一つは、ドイツ人を抑制するためである。(WW1後の教訓を生かしているとも言える)

また、多くの人たちは移民問題に懸念を持ち、反発している。
理由は、アフリカ北部や東欧からの移民は貧しく、個別にやってきて、さらにテロリスト集団かも知れないからだ。

西欧の右翼政治家は外国人排斥を訴えていて(サルコジなんか特徴的か?)この観点からみても、西欧からナショナリズムや人種対立の問題が完全解決していないことを示している。

これについて、ナイ教授は以下のように述べている。

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依然として、主権の存在は裕福な少数派を世界の貧しい多数派から保護している。それでも、東西ヨーロッパの比較は注目に値する。幸運にも、東欧諸国の多くがEUに加入することを望んでいるため、それらの諸国の指導者や国民は穏健化している。
だが、民主主義的平和と言う諸島の拡大は、緩やかな過程である。
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・ナショナリズムの強弱は地域によって差がある。

・ナショナリズムの弱いと言われる地域でも、完全にナショナリズムが消えたのとはほど遠い。

・民主主義平和のプロセスはあくまで緩やかなものである。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:情報技術の革命による「分権化」はどのように進行しているのか?

回答:元々はジョージ・オーウェルの小説「1984年」のようにコンピュータ技術は中央集権化をもたらすと思われていたが、情報技術の革命によって、情報通達のコストが劇的に下がることにより、権力は逆に分散化している。

情報革命がどれくらいの範囲と速度で分権化を推進するかは、国によって異なるし、これに対して対抗勢力が台頭するかもしれない。

しかしながら、政府は外交政策の独占を失いつつあり、世界政治の舞台は非国家主体と共有せざるを得なくなる。

この「権力の分散」メリット・デメリットについて、ナイ教授は以下のように述べている。

-------------------------------------------------------------------------
権力の分散は、肯定的な帰結と否定的な帰結の双方をもたらしうる。肯定的な見解では、技術が経済発展を促進し、権威主義体制を揺るがすことになる。
その結果、民主主義的平和の諸島が拡大する速度が増すであろう。

否定的な見解では、破壊的意思をもった個人やテロ集団、さもなければ弱小国家が大量破壊兵器を入手して、国家間システムの無政府状態ではなく真の無政府状態を作り出す、つまり新しい封建主義の出現ということになる。こうした不安定な世界では、経済のグローバル化は遅れ、基本的な人身の安全を図るためにホッブス流の専制的政府が必要となり、市民の民主主義自由度は犠牲にされるかもしれない。
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一端切ります。
続きです。

肯定的な見解では、コミュニケーション手段の発達で、国境を超えたやり取りが容易となり、地球上のほかの地域で起こっていることの情報へのアクセスが簡単になるし、地球規模での組織化もより可能となった。

NGOは環境・人権といった大義の為に脱国家的キャンペーンを展開できるし、インターネットは市民に情報を提供することで、権威主義体制を弱めている。

脱国家的主体で最も注目を集めるのは、多国籍企業だ。世界中で投資を拡大し、いろんな世界の市場で利益をあげながら、多国籍企業は従来とは異なる世界経済を形成している。

各国の政府間では、国際投資の誘致をめぐって競争が行われており、世界貿易の大部分は、多国籍企業によって担われている。

これについてナイ教授は以下のように述べている。

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ホンダは、今では日本国内よりもアメリカ国内でより多くの自動車を生産しており、アメリカ製の自動車を日本に逆輸出している。アメリカ政府は、EUにアメリカ製のホンダ車を受け入れるように圧力を掛けている。つまりアメリカは、アメリカ製の日本車をヨーロッパに輸出することがアメリカの国益であると考えているのである。同様に、IBMはに日本における大型コンピューターの最大の生産者なのである。日本IBMは日本で研究を行い、日本人を雇っている。

このような中でロバート・ライシュ(Robert Reich)元労働長官は、「われわれは何者なのか」という疑問を投げかけた。企業の本社の所在地を重視すべきであろうか、それとも、研究を生産を行う場所を重視すべきであろうか。彼は、アメリカ国内で生活する人々にとって重要なのは、日本にあるアメリカ企業よりも、アメリカ国内で活動する外国企業であると主張する。ライシュに異を唱える者たちは、彼が必要以上に先を見すぎていると批判する。多国籍企業の大分文意は基本的に国籍があり、アメリカ国内生産の4分の3はアメリカ国内に本社を置く企業によってなされているのである。けれども、ライシュの主張は将来を考える上での興味深い示唆ではある。国境を超える投資の増加に伴って、アイデンティティが混乱し、「我々は何者なのか」という問題が複雑化しており、環境問題での相互依存の深化とともに、これが長期的な地球規模の問題に影響を与えるであろう。
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一端切ります続きは明日。
「明日」と言いながら放置していた件・・・orz

続き書きます、現在308ページ

もし、アメリカが国内市場から「外国企業」を締め出したらどうなるか?
多分、世界規模での競争に耐えられない非効率的な企業を生み出すだけだろう。

保護主義的な政策の問題は、それが相手だけではなく、保護対象にもダメージを与える可能性があるところだろう。

この対応問題について、ナイ教授は1990年代の日米両国の貿易障壁についての交渉を例に出している。

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アメリカは日本の国内管轄問題に関して、強く圧力をかけた。日本にはスーパーマーケットの規模に関する法律や、外国企業の市場への参入を阻む習慣があった。このアメリカの外圧は日本の消費者を利することになったで、多くの日本の政治家と消費者はそれを歓迎した。いわば、アメリカの生産者と日本の消費者との間に、国境を越えた連合ができていたのである。その代わり、日本政府はアメリカに財政赤字の削減を求めた。アメリカの貿易赤字は財政赤字と関連しているからである。つまり、日米の官僚は皮相な交渉をしていたのではなく、両国の主権に深くかかわる問題について交渉していたのである。
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・情報革命による「分権化」には肯定的な意見と否定的な意見がある。

・否定的な見解は、テロなどの新たな脅威を、肯定的な見解では、交易の無国境化があげられている。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:情報技術革命は、大量破壊兵器の拡散にどのような影響を与えたのか?

回答:技術の脱国家的拡散は、企業と技術の熟練を移転し、貿易、移民、教育、思想の流通などを通じて行われたため、NBC兵器の大量破壊兵器を製造可能な国家は40カ国に上る。

化学兵器技術の誕生は役100年前で核・弾道ミサイルは50年前だった。
冷戦中は、不拡散政策によって、核兵器の拡散はある程度拡散したが、ソ連の崩壊して、それらの後継諸国が技術の流出を抑えられなかったため、大量破壊兵器の拡散は深刻化している。

ソ連崩壊前の核保有国は8カ国であり、そのうちの5カ国(米ソ中英仏)は、1968年の核不拡散条約(NPT)の中で正式に核保有を宣言した。

後の三カ国(イスラエル・印・パキスタン)は条約に批准せず、極秘に核開発を行ったと考えられていた。

核拡散の状況について、ナイ教授は以下のように分析している。

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1998年に、インドとパキスタンは公然と核実験を行った。イラン、イラク、北朝鮮の三国はNPTに調印したが、なんとか核兵器を開発しようとしていると、広くみなされていた。南アフリカ、韓国、アルゼンチン、ブラジル、そしてリビアの5カ国は、同じ道を歩み始めたが途中で方針を変更した。興味深いことに、30カ国以上が核開発の能力を持ちながらそうはしなかった。つまり、実際に核保有国となった国々の3〜4倍の国々が核保保有能力を持っていたのである。1963年に部分的核実験禁止条約に署名したケネディ大統領は、1970年代までに25カ国が核保有国になると考えられていたが、そうはならなかったのである。
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・大量破壊兵器の拡散は冷戦期よりもはるかに深刻となっている。

・しかしながら、核拡散は意外に広まっていない。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照

これについては、次のFAQで詳しく書くことにします。
最近「パル判事」を読破中のため、中々こちらに手が回りません・・・(上下巻あわせて1800ページあまりってどんだけだよ)

では、FAQです。

質問:無政府状態の国際社会では、核兵器は究極の自衛手段であるにもかかわらず、なぜ核拡散は限定的だったのか?

回答:3つの要因が挙げられる。

1.冷戦中に米ソがお互いの同盟国に対して、なんらかの安全保障を提供したから。

以下ナイ教授の見解

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ドイツと日本が核武装しなかったのは、アメリカによって安全が保障されていたからである。アメリカが同盟国に対するいかなる国からの核の脅威も排除することを確約したことによって、日本もドイツも核兵器を保有する必要がなかったかのである。小国との同盟にも重要なものがあった。たとえば韓国と台湾は、1970年代にアメリカがヴェトナム戦争以後アジアから撤退すると見て核開発に乗り出したがアメリカが反対し保護の継続を約束すると、開発を中止した。同様にソ連も東欧の同盟諸国や第三世界でソ連の影響下にあった諸国が核開発を行うことを阻止した。
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2.米ソが核管理に関して協力するようになったから。

核開発の初期段階では、両超大国は極めて競争的で、お互い有利な状況を作り出そうとして、核技術を利用しようとした。

しかし、1968年には両国が協力するようになり、核不拡散条約を結ぶまでになった。

1977年には米ソを含む各技術供給国15カ国が原子力供給国グループを設立し、核開発に関する輸出規制のガイドラインを定めた。

3.条約・制度などの成立

これまでに187カ国が核不拡散条約に批准し、非核保有国の核兵器開発と、核保有国による核兵器輸出などによる移転禁止が制度化している。

非核保有国は、ウィーンのIAEA[国際原子力機関]の査察を受け入れている。

インド、パキスタン、イスラエルなどのごくわずかな国は、この条約を受け入れておらず、イラクや北朝鮮は、この制度を反故にした。

イラクの場合、湾岸戦争後に核開発計画が解体された。

冷戦後の核拡散について、ナイ教授は以下のように述べている。

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冷戦後の世界においては、同盟や制度や安全保障の今後と、旧ソ連圏からの各技術の拡散の行方が懸案である。ケネス・ウォルツのようなネオ・リアリスト[真現実主義者]は、核兵器の拡散によって抑止が働き、安定をもたらすと主張する。核兵器の存在によって冷戦が熱戦になることが妨げられてきたのなら、中東や南アジアなどの地域のいても同様の水晶玉効果が慎慮と秩序を生み出すに違いない、というのである。この考え方の問題点は、統一的単一主体間の抑止という合理的モデルに依存しすぎていることである。もし、冷戦後の世界で核兵器が管理できなくなるときこそ、最大の危険だとすれば、合理的モデルに基づいた推察は不適切である。今後核開発を行うであろう国々の多くはクーデタや軍部の分裂によって不安定なのである。
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・冷戦中に核拡散が進まなかった理由は

1.米ソが同盟国に何らかの安全保障を提供したから。
2.米ソが核管理に関して協力したから。
3.条約制度が確立していったから

である。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
さて、色々ありこちらの進行が遅れましたが再開します。

質問:脱国家的な脅威は、これからの安全保障にどのような影響を与えるのか?

回答:冷戦時代、核兵器は精密な安全装置によって管理されており、発射には複雑なシーケンスが必要だった。

だが、新たに核開発を行おうとする国々の多くは、おそらくこの手の装置を備えないだろう。

冷戦の終結と技術の拡散によって、核軍拡競争に参加しようとする国が核を使用する可能性は冷戦時よりも高まる可能性もある。

だが、今世紀において最も大きな脅威の1つが「国家の枠組みを超えたテロリスト集団」が大量破壊兵器を所有することだろう。

ビン・ラーディンとアル・カーイダのネットワークはこうした兵器を入手しようとしており、パキスタンの科学者と接触したことがわかっている。

核分裂兵器(いわゆる通常の核兵器)の生産は困難で、持つのには莫大な費用がかかる、だが、核兵器だけが唯一の脅威ではない。

イラクの例を見ればわかるように、さまざまな国がBC兵器を開発している。

生物化学兵器をテロリストが所有することの脅威について、ナイ教授は以下のように述べている。

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生物兵器は核兵器よりも製造が容易で(製造法はインターネットで検索可能)、無防備な民間人に脅威を広めるために使用可能である。1993年に、ニューヨークにある世界貿易センターの地下駐車場でトラック爆弾を破壊させた国際テロリストが、高性能爆薬に炭素禁や化学兵器のサリンを併用していれば、数千人の犠牲者を生み出したであろう。2001年にテロリストたちは、ハイジャックした民間航空機を巨大な巡航ミサイルにして、この目的を達成した。
もし、彼らが核兵器を入手していたら、数十万の命を奪ったであろう。アル・カーイダのネットワークが壊滅しても、問題が解決するわけではない。1995年に、日本のカルト宗教集団オウム真理教が東京の地下鉄でサリンを使って、12人の犠牲者を出した。オウム真理教はすでに国家の枠組みを超えて拡大し始めており、生物兵器の開発実験を行っていたし、核兵器の調査も行っていた。

テロリスト集団はまた、病院や航空管制や銀行取引用の電力をつかさどる情報システムを攻撃することで、大損害を与えることが可能である。このような攻撃は、基幹となるサーバ・コンピュータのある場所を高性能爆薬で爆破することによっても実行可能であるが、何万マイルも先のコンピュータをハッキングすることで国際的に実行することも可能である。
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・冷戦後に核開発に参入してきた国が核兵器を使用する可能性は冷戦時よりも高いかもしれない。

・脱国家的テロリストが大量破壊兵器を使用する状況というのは、21世紀において最大レベルの脅威である。

・新たな攻撃手段として、サイバー攻撃が出現してきた。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照

ようやく311ページまできました。
お疲れ様です。毎度参考になります。

私もポール・ポーストの「戦争の経済学」を読んで何か記事を書く予定です。ただ、この手の本はあんまり読んだ事が無いので大変。
>「戦争の経済学」を読んで何か記事を書く予定です。

週刊オブイェクトの方でしょうか?
チェックしておきますw

>ただ、この手の本はあんまり読んだ事が無いので大変。

軍事系のと違って、あんまりはっきりとした結論がないんですよね、この手の本。
質問:これから起きうる「脅威」に対しては、どのような対処が必要となってくるのか?

回答:テロリストに対して、従来の抑止が限定的であることを見ても、新しい概念の安全保障が必要になるだろう。

(※ただ、これは散々言ってきたが、従来の安全保障が必要なくなるということではない、そうではなく、従来の安全保障だけでは十全ではなくなってくるという意味、だから厄介なんだけど。)

アフガニスタンのように、ある国家がテロリストを支援していることが立証される場合はともかく、報復先が明確な場合は稀だからだ。

また、911以前のアメリカにおける最悪のテロはオクラホマ市の連邦ビル爆破に見るとおり、完全に国内的な問題だったが、現在では国際的な問題であることが多い、国際的なテロリズムのネットワークが情報革命とともに確立されたから。

テロ組織の行動について、ナイ教授は以下のように分析している。

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犯罪集団が、ある国家の政府を制御しながら、表向きは国際法を遵守して行動し、内政干渉に対して主権保護の権利を主張するかもしれない。このような場合、他国は干渉することに正当性を見出すだろう。
ラテンアメリカやカリブ海には、この状況に近づいているところもある。1989年のアメリカによるパナマ侵攻とマニュエル・ノリエガ大統領の拘束、そして麻薬密売の罪によるアメリカ国内での裁判がその例である。2002年にジョージ・W・ブッシュ大統領は、テロリストの脅威に直面した場合の先制攻撃を容認する、新しい「国家安全保障戦略」を発表した。
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国家の枠組みを超えた脅威が広まるにつれ、国内問題と国際問題を区別するウェストファリア条約的な基準で国家を捉えることに疑問が生じるだけではなくて、それを超えた安全保障と防衛の概念が生まれている。

国家を超えた安全保障の概念に関して、ナイ教授は以下のように述べている。

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新たな脅威の大部分は、強大な軍事力では対応できないものとなるであろう。民間セクターによる施設の保護や防犯対策とともに、諜報、税関、警察組織の緊密な協力が重要な役割を見出すであろう。もし民主主義がこうした課題達成に失敗し、大量破壊兵器を用いるテロリストが、国家間ではなく個人間の無政府状態を創出すれば、将来に関するフクヤマの見通しはより怪しいものになろう。
もちろん諸国の政府がこの挑戦に立ち向かいテロを封じ込めることができたとしても、国家間秩序に関するより伝統的な問題は残るであろう。
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・21世紀の脅威には、従来の安全保障の概念以外の物が必要である。

・テロリストを支援している国家が明確に立証される場合は少ない

・ウェストファリア的な考えでは、新たな脅威に対処できない。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」 第9章を参照
質問:21世紀初頭の国際秩序の姿はどのようになるのか予想可能か?

回答:冷戦が終結したことにより国際システムに変化がおきたのは事実。

だけど、それをもって「新たな世界秩序」の幕が開けるというのは「秩序」という言葉をどう捉えるかで違ってくるため、説得力が薄い。

ナイ教授は、リアリスト・リベラリスト・コンストラクティヴィストの三つのアプローチから以下のように述べている。

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リアリストは、無政府状態の世界では、つまり、自助努力と軍事力以外に秩序を決定付けるものが存在しない世界では、国家が権力と安全を追求しようとするために戦争が起こると主張する。
この考えでは、"秩序"は主として国家間のパワーの構造あるいは配分を意味する。リベラル[国際協調主義者]やコンストラクティヴィスト[構成主義者]は、紛争とその予防はバランス・オブ・パワーのみによって決まるのではなく、国内構造や、国家の価値やアイデンティティ、文化、さらには紛争解決にかかわる国際機関によっても決定されると主張する。リアリストとは対照的に、リベラルは、国連のような組織は期待感の安定を図ることで紛争予防と秩序の形成に寄与し、ある種の継続性と現在の協力が将来向く応えると言う感覚を生み出すのだと主張する。このため、リベラルにとっての秩序は、制度に加え、民主主義や人権などの価値とも結びつけれらるのである。最後に、コンストラクティヴィストは、いかなんる秩序でもさまざまな成員が競合しており、価値中立的ではありえないことを想起させる。
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この他に「秩序」を悪意的に解釈する人たちも存在する。

アメリカのパット・ロバートソンとか、フランスのジャン=マリー・ルペンなどの排外主義者やナショナリスト集団では「新しい世界秩序」とは、世界を支配しようとする政界・財界のエリートの陰謀である。(正直、自分で書いててMMRネタとしか思えん)

この考え方を元にすると、ウォール・ストリートやロンドン、東京の金融市場と連携して、他者の犠牲の上に私服を肥やす集団が存在し、彼らが世界を牛耳ろうとしていることになる。

長くなったので、ここで一旦切ります。
続きです。

また、イスラム原理主義者の中には、この「秩序」とは西洋社会が非西洋社会を支配しようとしている考えに他ならないと思うかもしれない。

上記のように、秩序に関していろいろな概念があるため「新しい世界秩序」の定義を作ることは困難となる。
これらの考えは単独ではいずれも紛争の原因を理解するには不十分だからだ。

ナイ教授は以下のように分析を行っている。

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長期的な社会変化が国家主権の現範を侵食しつつある現在、リアリストがバランス・オブ・パワーを強調することは必要ではあるが、それだけでは十分ではない。主要な自由民主主義国家の間に平和が浸透しているという見方は正しいが、大国も含めて多くの国が自由民主主義国家ではないため、万能の解決策ではない。冷戦期における2極構造はある種の安定をもたらした。冷戦期に第三世界での紛争は増大したが、アメリカ、ヨーロッパ、日本の間の経済摩擦は、ソ連の軍事的脅威という共通の懸念のため抑制され、また東ヨーロッパでの悲痛な民族分断もソ連の存在によって押さえつけられてきた。2極構造は崩壊したが、紛争は続いている。けれども、それは異なる原因によるものである。
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・冷戦崩壊後において「新しい世界秩序」は定義が曖昧であるがため、説得力に欠ける。

・秩序という言葉自体も、見方によってさまざまに変化する。

・単独の考えでは、今日の紛争原因を探るのは不可能である。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照

313ページまで来ました、残り7ページ
質問:冷戦崩壊後における「パワーの移行」に関する危険性はどのようなことが考えられるのか?

回答:色々な歴史・政治学者が述べてきたように、急激なパワーの移行は大規模武力紛争の原因になる。

これは、WW1・WW2におけるドイツの隆盛、WW2以後における米ソの二大極化と対立などの例を見れば明らかだ。

冷戦後は、米の一極化、中の台頭、ロシアの後退に伴う急激な力の移行期があった。(ただしロシアは力をかなり取り戻しつつあり、逆に米は少し力を後退させはしたが)

この力の移行に関しては変化の方向性を予測するのが困難で、この予測の困難さこそが紛争の原因ともなっている。

変化の方向性の一つは多極化で、フランスのシラク前大統領は、多極世界への回帰を呼びかけた。
しかし、これを19世紀型の世界秩序に求めるのは間違いだ。

19世紀の秩序とは5大国(イギリス・ロシア・オーストリア・フランス・ドイツ)のバランス・オブ・パワーに基づいて構築されたものだが、冷戦後の力関係は同等と呼ぶには程遠い状況で、ロシアは核兵器を保持し続けているが、1990年代を通じては力を後退させ続けた。
逆に中国は長期にわたって高い経済成長を成し遂げたが、依然として発展途上国である。

日本とドイツは超大国になる・・・という予測も1990年代にはあったが、これは間違いで、経済規模ではEUが同等であるものの、軍事的にはアメリカが唯一の超大国になっている。

経済については、ヨーロッパ、アジア、北米の三つの経済圏を中心に組織されるという見方もあるが、グローバル化と多国籍企業、エスニック・グループのような非ブロック、非国家主体の増大によって、これらの要素が、自らの行動を制約する能力には限りがあるだろう。

また、ハンチントンが述べるような文明間の視点から論じることにも限界がある。

長くなったので一旦きります。
続き

2003年のイラク戦争で、国際秩序をアメリカの世界帝国化と言う人たちもいた。

これについて、ナイ教授は以下のような見解を述べている。

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多くの点で、帝国という比喩は魅力的である。アメリカの軍事力は世界中の基地と共にグローバルに展開しているし、その地域ごとの司令官たちは時には総督のように振舞う。かつてラテン語がそうであったように、英語は時には国際語である。アメリカ経済は世界最大で、アメリカ文化は磁力のように人を惹きつける。だが、優越の政治を帝国の政治と混同するのは、誤りである。19世紀や20世紀のヨーロッパの海外帝国について我々が考えるような意味では、アメリカは決して帝国ではない。というのも、そうした帝国主義の中核的特徴は政治的支配だったからである。アメリカとより弱小な国々との間には、確かに不平等な関係が存在するし、搾取を導きうるが、公式の政治的統制を書くものを「帝国」と呼ぶのは、単に不正義なだけでなく誤解を招く。
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イギリスが世界帝国を築いていた時よりも、現在のアメリカは大きなパワーを有しているが、当時のイギリスに比べれば、他国に対する統制という意味では、アメリカがパワーを行使しうる場面は限られている。

これについて、ナイ教授はイギリスとの対比を引き合いに出している。

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対外関係は言うに及ばず、ケニアの学校や税金、法律、選挙は、イギリスの関係に統制されていた。今日のアメリカはそうした統制力をほとんど持たない。2003年に、国連安保理でアメリカは、メキシコやチリがイラク問題をめぐる2度目の決議案に賛成投票を強いることすらできなかった。帝国論者たちは、「帝国」という言葉は単なる比喩だ、と答える。だが、この比喩に伴う問題は、それがワシントンからの統制を含意しており、こうした統制は今日のパワー分布の複雑なあり方とほとんど合致していないことである。
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・パワーの急激な移行は紛争の大きな原因の一つとなる。
・パワーの移行を予想することは困難である。
・「一極化」と「多極化」の考え方がある。
・アメリカは確かに大きな力を有しているが、それは帝国と呼ぶにはあまりにも統制が脆弱である。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:グローバルな情報時代におけるパワー分布とは?

回答:従来の上から下への垂直式のパワーに加え、横のつながりによる水平のパワーが展開され、それぞれが複雑に絡み合う事によって「3層のチェスゲーム」のようなパターンが諸国家間に展開している。

この「3層のチェス」の1層目は「政治・軍事」であり、これが垂直方向の最上位に位置していて、この場面において、アメリカが軍事的な単極を展開している。

チェスの2層目は「経済」であって、この場面では、アメリカの単極と言えず、例えばEUが足並みをそろえた時は、アメリカも対等の立場での交渉を強いられる。

これについて、ナイ教授は以下のように述べている。

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たとえば、反トラスト問題や貿易問題では、合意に達するために、アメリカも半ば妥協しなければならない。
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チェスの最下層、3層目は、政府の統制が届かない脱国家的主体がメインであり、テロリストから銀行家まで色々なアクターが存在してる。

この層では、パワー分布はかなり広くなっているとナイ教授は述べている。

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テロ以外の例を少し挙げるなら、国際資本市場での個人投資家の動き次第で金利によるアメリカの経済運営が制限されたり、麻薬貿易、エイズ、移民、地球温暖化が2国以上にまたがる深層の社会的原因を持ち、アメリカ政府の統制の及ばないものとなっている事が挙げられる。こうした問題を論じるのに、1極構造や覇権、アメリカ帝国と言った伝統的な用語を用いる意味はない。
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さらに、アメリカ「帝国」論に関して、以下のように批判している。

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伝統的な軍事力基盤に帝国を論じる者は、一面的な分析に頼っている。だが、3層構造のゲームでは、1つの層だけに集中して他の層や3層間の垂直の連関に注意を怠れば、失敗する。テロとの戦いで、最上位での軍事行動では、アメリカがイラクの専制体制を倒したが、同時に最下層の脱国家的局面では、アル・カーイダのネットワークが新たな志願者を募る能力を高めているという連関が想起されよう。グローバリゼーションの闇の部分を代表するこうした問題は、本質的に多国間のものであり、問題解決のためには協力が必要とされる。
こうした世界をアメリカ帝国と表現しては、アメリカが直面している世界の実態を見誤ることになる。
さらに、そうした分析の別の問題として、アメリカの世論が古典的な帝国の役割に耐えうるか否かというものがある。1898年に世界大国として浮上した時に、アメリカは一時的に真の帝国に陥る誘惑に駆られたが、公式の帝国の幕間は長く続かなかった。イギリス人とは異なり、帝国主義はアメリカ人にとって、快適な経験ではなかった。一貫して帝国への関心がほとんどない事を、世論調査は示している。むしろ、世論は引き続き多国間主義に好意的であり、国連の活用を望んでいる。おそらく、帝国と言う比喩を用いるよう進めるカナダのマイケル・イグナチョフ(Michael Ignatieff)が、世界のアメリカの役割を「軽い帝国」と呼ぶのもそのためである。
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・現在のパワー分布は3層に分かれたチェス・ゲームのようなものである。
・3層のパワーのうち、最上位ではアメリカは帝国的単極化を達成できるものの、2層目、3層目となるにつれ、その力を行使できる場面は限定される。
・アメリカは「帝国」の定義とは異なる。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
 『オッペンハイマー』下巻をこの前,読み終わった(何のためにこの本を読んだのかは,聞かないように(笑))のですが,この中にケナンとオッペンハイマーの盟友関係について出てきまして.

 それによれば,ケナンは,いわゆるソ連封じ込め政策が核戦略をはじめとする軍事偏重になっていることに非常に不満だったようで,核の全面国際管理を主張し,水爆開発に反対していたオッペンハイマーと親しくなったそうで.

 ですが,オッペンハイマーはスパイ容疑で査問され,有罪にこそならなかったものの政治的に失脚,水爆は開発されて核軍拡競争が本格スタートします.

 この過程でケナンも少なからぬ打撃を受けただろうことは,想像に難くありません.

 まあ,オッペンハイマーも,なんというか,スターリン政権に対する見方が(リアリストの当方から見れば)そうとうに甘いことは否めませんが.
>それによれば,ケナンは,いわゆるソ連封じ込め政策が核戦略をはじめとする軍事偏重になっていることに非常に不満だったようで,核の全面国際管理を主張し,水爆開発に反対していたオッペンハイマーと親しくなったそうで.

ケナンの著書にも「恨み節」とも取れる部分が記述されていましたね。
特にケナンは、核軍拡に対して大いなる不満があったようです。

さて、久しぶりに書き込むか。

質問:現在の国際社会において、軍事力はどの程度の影響力があるのか?

回答:もちろん、紛争解決に決定的な役割を果たすのは間違いないが、パワーの分布が複雑すぎて、「決定的な」影響を与える場面は限られてくる。

つまり、さまざまなパワーが多層的なチェス盤の上にあるような状況であり、しかもそれぞれが交差しているので、単純には語れない。

以下、ナイ教授の見解

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仮に軍事力が貨幣のような代替可能物品であって、あらゆる分野で結果を左右できるのであれば、このような複雑さは問題とならない。しかし、今日の世界政治上の経済や脱国家的ゲーム盤では、軍事力はそれらの結果を左右するほどのパワーは持っていない。アメリカは、どの国よりも多様なパワーの源泉を所有し、恵まれてはいるが、現在の世界秩序は古典的な意味でのアメリカ帝国の時代を意味しない。世界で唯一の超大国も独りではやっていけない。グローバリゼーションにより、国際的な課題を巡って、最強の国でさえ他と協力せざるを得ないのである。たとえば、国際金融の安定や世界的な気候変動、伝染病の拡散、脱国家的な麻薬、犯罪、テロ・ネットワークなどを考えて見ればよい。
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軍事力は、確かに巨大な強制力であって、決定的な役割を果たす力は持っているものの、それを行使する場面は限られており、さらに、軍事力で解決できな分野の問題は増え続ける・・・もしくは、違った意味合いでの軍事力行使が必要になると思う。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:冷戦後の世界はどのように見るべきか?

回答:独特のカテゴリーに属すると見るべきだろう。

コンストラクヴィストは、機械的な極と極との対立という見方は硬直に過ぎると主張している。

パワーは多元的となり、構造は複雑になり、国家はますます様々なパワーの侵食を受けるようになる。

このように、複雑さを増す世界では、単純な軍事力を通じての「バランス・オブ・パワー」によってのみ構成されるわけがない。

また、リアリストの世界秩序観は、確かに必要だし重要だが、十分ではない。

これについて、ナイ教授は以下のように述べている

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リアリストの世界秩序観は必要ではあるが、十分ではない。なぜなら、世界をウェストファリア体制から次第に遠ざけてきた長期的社会変化を考慮しないからである。1648年にヨーロッパ諸国は、30年にわたり宗教をめぐって分裂した後にウェストファリア条約を結び、事実上、統治者が国民の好みに関係なくその国家の宗教を決めることで合意した。秩序は、国民の主権ではなく、国家の主権に基づいていた。中身が殻のビリヤードボールのように取り扱われた国家間の機械的なバランスの維持は、その後の数世紀の間に高まったナショナリズムと民主的な参加によって侵食されたが、国家主権の規範は維持された。
今日では、国境を越えるコミュニケーション、移民、経済的相互依存の急速な高まりによって、伝統的な概念の崩壊に拍車がかかり、規範と現実のギャップが広がっている。
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長くなったので、ここできります。
そして、ナイは前は完全に「非現実的」と言われたリベラルのアプローチがそれなりの妥当性を得てきていると主張している。

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このような変化によって、諸国家だけではなく諸国民からなる世界社会と、軍事力だけでなく価値観や制度に基づく秩序を主張するリベラルの考え方が、妥当性を帯びるようになっている。イマニュエル・カントの民主主義による平和的連邦の提案のような、かつてはありえない理想主義と見なされていたリベラルの考え方が、今では突拍子もないものではなくなり、政治学者は自由民主主義同士が戦争した例がない事を論じるに至った。たとえば、ドイツ統一がもたらす影響を巡る議論では、ヨーロッパが[過去のような]未来へ回帰すると考えるリアリストの予測よりも、新しいドイツが民主的でEUという制度を通じて西ヨーロッパの近隣諸国に結び付けられている、と強調するリベラルの予測の方が高かった。
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※この「民主主義国家同市は戦争した例がない」というのは誤りだろう。
ナイ自身、1章でアテネとスパルタの戦争例を挙げている。(スパルタが民主主義国家だったかは異論がでるにせよ)
また、探せば「民主主義国家同士の戦争」の例を挙げることはそんなに難しくないだろう。

また、このようなリベラルのアプローチは全く新しいものでもないし、全ての国に当てはまるわけじゃない。(アフリカの内戦国に「世界連邦を!」といったところで、全く無意味だし)

冷戦秩序下でも、規範と制度が存在することはしたが、限定的な役割しか果たさなかった。WW2中ルーズベルト、チャーチル、スターリンは、パワーの多極化を想定して、国連で5大国が拒否権を維持しつつ、集団安全保障と小国への不可侵を成立させようとした。

しなしながら、当人たちの意思とは無関係に(もしくは想像を超えて)二極化が進行した結果、この「ウィルソン主義的なアプローチ」は頓挫してしまった。

これについて、ナイ教授は以下のように述べている。

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両大国はお互いのイニシアチブに対して、拒否権を発動したために、国連は侵略の排除というよりは、停戦監視のために平和維持軍を駐留させるという、より小さな役割しか果たす事が出来なくなった。ソ連のパワーが低下し、国連の集団安全保障構想を1990-1991年にはイラクに適応する上で、クレムリンがアメリカと協力するという新たな方針を打ち出したが、それは新しい世界秩序の到来というよりは、1945年に発行するはずであったリベラル制度の一部が再現されたに過ぎなかった。
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しかしながら、湾岸戦争では「多国間合意による集団安全保障」という、まさしくウィルソン的なアプローチが機能し、リベラル・アプローチは1局面的には復活した。

だが、それと同時に、そのアプローチの欠陥を露呈したとナイ教授は分析している。

一旦切ります。
続きです。

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国連憲章に謳われる集団安全保障構想は国家中心的で、国境を超える場合には適用されるが、内戦には適用されない。リベラルは民主主義と民族自決の原則を盾にこの問題を避けようとしてきた。すなわち、自国内で保護されたいのか否かを、その国内の民族に決めさせようとしてきたのである。しかし、すでに見てきたように、民族自決とは見た目ほど単純なものではない。誰が誰に自決権を与えるのか?今日の世界では、単一民族からなる国家は10%以下である。人口の75%を1つの民族が占める国家は半数でしかない。旧ソ連圏の国家の大部分は多数のマイノリティ〔少数民族〕をかかえ、また多くの国々が境界線を巡って争っている。五十数カ国からなるアフリカでは、およそ1000の民族が国境内、あるいは国境を超えてひしめき合っている。カナダでは、ケベックのフランス語を話す多数派が特別な地位を要求し、中にはカナダからの独立を扇動するものもいる。一度このような他民族・多元語国家で問題が起きると、解決を見るのは困難になる。このような世界では、地方自治と国際的な少数民族の権利の拡大はある程度望めるにしろ、無制限の民族自決への支持は、膨大な世界無秩序を生み出す事になるだろう。
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まとめ

・リアリストもリベラリストのアプローチもそれぞれ限界があり、冷戦後の世界秩序を単一では説明不可能。

・冷戦時には、集団安全保障は二極化(冷戦化)によって阻まれた。

・湾岸戦争では、集団安全保障のアプローチが成功したといえるが、同時にその欠陥も露呈してしまった。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照
質問:内政不干渉原則を決めた「ウェストフェリア条約」はいまだに有効か?

回答:中国などの言い分を見てもわかるように有効ではあるが、その効力は徐々に減衰していて、原則論とは言い難くなってきている。(例:ボスニア紛争介入、イラク戦争、アフリカの特定紛争(資源争奪戦の色彩も強いが))

これに変わり「ポストウェストフェリア体制」が生まれつつある。

以下ナイ教授の分析

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すでに、1945年には、国連憲章の第55条、第56条の中で、国家は人権と基本的自由の尊守のための集団的責任を負うとされた。1991年に湾岸戦争後のイラクへの干渉に関する国連安保理決議が出される前でさえ、南アフリカのアパルトヘイトに対する制裁を国連が勧告したことは、国連憲章中の主権に関する規定に厳密に制約を受けない先例となった。ヨーロッパでは、1975年のヘルシンキ合意によって、少数民族の権利が成分化され、違反した場合は欧州安全保障協力会議(CSCE)と欧州評議会にかけられるようになった。国際法は徐々に進化している、1965年、アメリカ法律協会は国際法を「国家と国際組織の行動を取り扱う規則と原則」と定義したが、20年後、同協会の法律家たちは「国家、国際組織と個人の関係」をも付け加えた。個人と少数民族の権利は、単なる国家の問題以上のものとして扱われつつある。
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また「現実が追いついていない」という批判に対しては、以下のように述べている。

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[たしかに]世界の多くの、おそらくは殆どの地域で、このような原則が軽視され、違反してもお咎めなしになっている。このような不当行為すべてを正そうとする多国籍部隊の介入も、更なる混乱を生み出す大きな原因となるだけかもしれない。しかし、既に見たように、介入は程度の問題でも、最も軽いものでは声明や経済制裁、最も重いものでは完全な侵攻作戦にまでいたる。
限定的介入や複数国による主権の侵害が、国家間のパワーの分布を突然混乱させることなく、徐々に増加するであろう。
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これよりも大規模な、たとえば国内での大量虐殺やNBC兵器の開発が疑われる地域が、地域全体の脅威になりそうな場合は、国連憲章第7章にしたがって、軍事制裁が行われるかもしれない。

この手の問題は、大体が拡大解釈され、次第にそれを行使する場面が拡大していくかもしれない。

また、地域レベルで国家が集団として動くこともあるだろう。


・ウェストフェリア体制は、今でも有効な条約ではあるが、至上のものではない。

・主権国家に対する干渉と一口にいっても、様々な方法がある。

・このように、内政干渉を行う場面は増えていくだろう。

ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」第9章を参照

318ページまで終了です残り2ページ。
グローバル化の話が、別トピで出ていたのと、前にグローバル化の定義について質問がありましたので、このトピに書きます。

質問:グローバル化の定義とは。

回答:「グローバル化で、世界はどう変わるのか」(ジョゼフ・S・ナイ、ジョン・D・ドナヒュー編集による<ガバナンスへの挑戦と展望 プロジェクト>による研究では、以下のように定義されている。

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グローバリズムとは、相互依存関係の網の目(ネットワーク)がいくつもの大陸にまたがって広がっている世界の状態を言う。これらのネットワークは、資本や財、情報の考え方、人や力、環境や生物学に関連する物質(たとえば酸性雨や病原菌)の流れや影響によって繋がっている。グローバリズムが拡大するのがグローバル化、縮小するのが反グローバル化だ。相互依存と比べて、グローバリズムには二つの特徴がある。

(1)複数の関係―グローバリズムは単なる一対一の繋がりではなく、つながりのネットワークを指している。たとえば、「日米間の経済面や軍事面の相互依存」という言い方はできるが、「日米間のグローバリズム」とは言えない。
日米間の相互依存は現代のグローバリズムの一部だが、それ自体はグローバリズムではない。

(2)距離―ある関係の網の目が「グローバル」とみなされるには、単なる地域のネットワークではなく、いくつもの大陸にわたる距離を伴っていなければならない。距離は当然ながら連続型変数であり、隣同士(たとえば米国とカナダ)から、地球の反対側(たとえば英国とオーストラリア)までさまざまだ。したがって、相互依存を「遠距離」と「地域内」に画然と分けることはできず、たとえば日本とインド、エジプトと南アフリカと言った、中間的な距離の関係をグローバルとするかどうか決めるのは意味のないことだ。そうは言うものの、「グローバリズム」という言葉は、近隣の地域的な関係にはそぐわない。距離が大々的に縮まるのがグローバル化(グローバリゼーション)である。対照的な語に、「地方化(ローカリゼーション)」「国家的・全国的にすること(ナショナリゼーション)」「地域化(リージョナリゼーション)」がある。
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長くなるので、一旦切ります。
続きです。

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いくつか例を挙げてみよう。イスラム教がアラビアからアジアを横断して現在のインドネシアまで急速に普及したのはグローバル化の明らかな例だが、ヒンズー教が最初にインド亜大陸に広まったときは、私たちの定義ではグローバル化ではない。
アジア太平洋経済協力会議(APEC)にはアジアとオーストラリアに加えてアメリカ大陸の国々が参加しているので、APEC諸国間の関係は複数の大陸にまたがる相互依存だが、東南アジア諸国連合(ASEAN)は地域的なものだ。
グローバリズムは普遍性を意味しない。2000年の時点で、米国は人口の25%がインターネットを利用していたが、南アジアでは0.01%にとどまっていた。現在、世界の大半の人が電話を持っておらず、何億もの人が、世界市場や世界的な情報の流れとはほとんど無縁の辺鄙な農村で暮らしている。グローバル化は多くの点で貧富の差を拡大させ、均質化や公平を意味するものではない。(省略)
統合された世界市場では財や人や資本が自由に移動し、金利は同じになるはずだ。
しかし、現状は、まったくそうのようになっていない。20世紀後半、世界の生産高と比べて世界貿易は二倍、海外直接投資は三倍の伸びを記録したが、今の英国とフランスの貿易
生産高に対する貿易の比率)は1913年のレベルよりわずかに拡大した程度で、日本はそれ以下である。見方によっては、資本市場は20世紀初頭の方が統合されていたし、労働力の可動性は6000万人がヨーロッパから新世界へ渡った19世紀後半の法が高かった。社会的には、宗教的信条や他の基本的価値観の異なる人たちが接触したことによって、しばしば衝突が起こった。こうした衝突の象徴ともいえるのが、イランのイスラム教原理主義者が米国を「大悪魔」と称したことと、1989年、天安門広場で民主化を要求する学生勝ちが自由の女神像の複製を作ったことである。明らかに、グローバル化は社会的にも経済的にも均質化をもたらすとは限らない。
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「グローバル化で世界はどう変わるか」 14-16ページ


以下私見
以上から「グローバル化」は保守よりも、むしろリベラル寄りの考えでありはするが、そこにイデオローグの入る隙間はなく、単なる「現象」と取られるのが適当かと思います。

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