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ユング心理学研究会コミュの3月ユングセミナー「妖怪たちはどこにいる?」

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  ユングセミナー「妖怪たちはどこにいる?」レポート (3月13日)

講師:甲田烈(相模女子大非常勤講師・トランスパーソナル学)
書記:稲本雅之

 今回書記は清志郎さんの予定でしたが、体調を崩して休まれたため、当日会場で急遽僕が指名されてしまいました。 (^^;)
 甲田さんのお話を充分理解できない所もあったので、レポートを書いたあと甲田さんに送信して補正をお願いしました。
 でもすぐにはお返事がなかったため、アップが遅くなってもいけないと思い、そのまま書き込ませていただきます。
 修正などあったらよろしくお願いいたします。m(_ _)m  

 妖怪というと僕は、水木しげるの子泣き爺とか座敷童子のイメージしかありませんでしたが(^_^;)、当日はもっと深いお話が伺えました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

まず“つかみ”は「河童」のお話から。
福岡県久留米の筑後川に河童伝説があり、河童の手が保存されている(資料写真)。
昔、河童は「水神」「河伯」「水虎」と呼ばれ、崇められていた。
17世紀、久留米の水天宮から江戸に移され祭られた。
18世紀、熊本(肥田)で河童と相撲を取ったとか、河童に騙されたなどの話が伝わり、
現在の河童のイメージができた。
水の神から落ちぶれてしまった。
水泳禁止の看板に、河童に襲われる絵が描いてあったりする。
甲田さんの知り合いが小学生のとき河童を見たという話。
ザリガニを釣っていたら緑色の手が出てきて、犬が引きずり込まれ、数秒で白骨化した。
この話は「事」。そこに「河童」という「名」が付けられる。
話が伝わっている土地から、どういう経緯で伝説が伝わってきたかによって、
文化や人間のシステムが見えてくる。

●井上円了(1859〜1919)「妖怪学」
「世界万有悉妖怪也」
怪しい現象,物事=妖怪である。
寝ているときに足音がするという現象があるとする。
音が聞こえるというのは「事」。
「ざしきわらし」が音を立てている。←「名」が付けられる。
自然への畏敬・驚嘆・人間存在の非合理性、不条理との付き合い方を示す「叡智」。
妖怪の裏へ反転すれば神への通路が開ける。
現象を離れて真如はない。
現象から真如を見る。真如から現象を見る。←妖怪学の骨子。

●南方熊楠(博物学,民族学)
「心」と「物」の交わる部分が「事」(現象)である。
名前を付けることによって現象を記述する。
昔からの妖怪の記述は文字だけで、見えないものである。
子泣き爺のキャラクターはコミックの中だけ。
妖怪とは「いる」もの、もしくは「起こる」ものである。
「在るコトが居るモノに成る」。
例えば、鳥(=物)は客観的記述。鳥の言い伝えは「縁」。
「在る」(存在)−−「いる」(実存的領域)−−「ある」
ex.「プリントがいる」というのは実存のあり方。

●半田広宣(チャネラー)
降りてきたものが本当に正しいかどうかは分からない。
降りてきたものに対して突っ込み返すと、裏側から融合していく。
元型に取り憑かれるのではなく、元型に“取り憑く”。
ひっくり返ることによって、裏(本質)が見える。
自己と他者の視線を考えてみると、自分は他者の瞳孔の中に吸い込まれている。
自分が逆さまになれば、相手もひっくり返る。
自己と他者の位置をひっくり返す。
(「ヘーゲルは逆立ちをしている」)。
前の前は後ろ。望遠鏡で宇宙の果てを見ると、自分の後頭部が見える。アインシュタイン

●「裏」は非二元。
「事」。「心」にも「物」にも還元されない。
表裏を合わせて見る。それが妖怪。
妖怪は善悪両義的。怪しいものが神になる。

妖怪はキャラクターとしての属性を帯びて、化け物になっていく。
「物」が「化ける」。
現象としての妖怪と、キャラクターとしての妖怪。
化け物が出てくる話は現実社会を批評している。
ex.イケメンが妖怪の世界に放り込まれるとブスになる。
異界から現実を批評する。
自分もその中に含まれていると見て、込み込みで批評する。戒め。
妖怪の話は神の話になる。

「表の中に裏あり。裏の中に表なし。」四国陰陽道イザナギ流の祭文。
「表式」と「裏式」。
表式だと、忌まわしいは「御祓い」をして出ていってもらう。
裏式だと、まがまがしいものの上の世界(=裏)に引き取ってもらうよう「願う」。
浄化してもらう。

「心」と「物」の間にある「事」として現れるのが妖怪。
(現象−−気配,声,においなど。)
「事」は現実的であり、あの世的である。
両者に属さないで、ここにある。
名前を付けることによって、相手が何者か特定して語り合う。人格化する。
妖怪に触れるときには、名付ける。
神は「事」だが、名前を付けられるのは人間。
妖怪と人間の付き合いは「事」と「名」の間にある。
 

コメント(8)

 稲本さん。要約いただき、ありがとうございました。
 当日は盛況で嬉しかったです。
 さて、この要約に大過はありません。が、字句の訂正や記憶違いの修正、語彙の補足などをした上のものを私の方からもアップしておきますので、ご参照下さい。

 文が長いので、まず前半です。

    ユングセミナー「妖怪たちはどこにいる?」レポート(3月13日)
講師:甲田烈(相模女子大非常勤講師・トランスパーソナル学)
書記:稲本雅之

まず“つかみ”は「河童」のお話から。
福岡県久留米の筑後川に河童伝説があり、河童の手が保存されている(資料写真)。
昔、河童は「水神」「河伯」「水虎」と呼ばれ、崇められていた。
16世紀、久留米の水天宮から江戸に移され祭られた。
17世紀、熊本(日田)で河童と相撲を取ったとか、河童に騙されたなどの話が伝わり、 現在の河童のイメージができた。
水の神から落ちぶれてしまった(柳田國男説)。
・水泳禁止の看板に、河童に襲われる絵が描いてあったりする(。福岡市東区六田々池
・甲田さんの知り合いが小学生のとき河童を見たという話。
緑色の手が出てきて、犬が引きずり込まれ、数秒で白骨化した。
この話は「事」。そこに「河童」という「名」が付けられる。
・ケン・ウィルバーの四象限により解析可能。「カッバをみる」という体験(個の内面)・その場で取られる行動や脳内の生理的変化等(個の外面)・「河童」という伝承や姿形のイメージ(集団の内面)・博物書や寺社の勧請を通したイメージの伝達(集団の外面)
・話が伝わっている土地から、どういう経緯で伝説が伝わってきたかによって、
文化や人間のシステムが見えてくる。

●井上円了(1859〜1919)「妖怪学」
「世界万有悉妖怪也」
怪しい現象,物事=妖怪である。
寝ているときに足音がするという現象があるとする。
音が聞こえるというのは「事」。
「ざしきわらし」が音を立てている。←「名」が付けられる。
自然への畏敬・驚嘆・人間存在の非合理性、不条理との付き合い方を示す「叡智」。
妖怪の裏へ反転すれば神への通路が開ける。
現象を離れて真如はない。
現象から真如を見る。真如から現象を見る。←妖怪学の骨子。

●南方熊楠(1867-1941)・・・博物学・民俗学
「心」と「物」の交わる部分が「事」(現象)である。
名前を付けることによって現象を記述する。
昔からの妖怪の記述は文字だけで、見えないものである。
例・子泣き爺のキャラクターはコミックの中だけ。
妖怪とは「いる」もの、もしくは「起こる」ものである。
「在るコトが居るモノに成る」。
・博物学のまなざしにおいて、例えば鳥の生態や姿形は「物」の記述。 それと同時に、鳥に対する言い伝えや怪異・妖怪の伝承も同時に記述される。これが「心」の記述。「心」と「物」が重なる領域が「事」。「事」は複数の因果関係が多次元的に重畳する領域である。
・存在論的解釈・・「在る」(存在)−−「いる」(実存的領域)−−「ある」
ex.「プリントがいる」というのは実存のあり方。

●ヌース理論の提唱者・半田広宣氏の体験から
降りてきたものが本当に正しいかどうかは分からない。
降りてきたものに対して突っ込み返すと、裏側から融合していく。 最終的にはチャネリングソースと融合
・ユングの言葉を借りれば、元型に取り憑かれるのではなく、元型に“取り憑く”。
ひっくり返ることによって、裏(本質)が見える。
自己と他者の視線を考えてみると、自分は他者の瞳孔の中に吸い込まれている。
自分が逆さまになれば、相手もひっくり返る。
自己と他者の位置をひっくり返す。
(マルクス曰く「ヘーゲルは逆立ちをしている」)。
前の前は後ろ。「望遠鏡で宇宙の果てを見ると、自分の後頭部が見える」。アインシュタイン
 続いて、後半です。

●「裏」は非二元。
「事」。「心」にも「物」にも還元されない。
表裏を合わせて見る。それが妖怪。
妖怪は善悪両義的。怪しいモノ・コトが神になる。

妖怪はキャラクターとしての属性を帯びて、「化物」になっていく。
「物」が「化ける」。
現象としての妖怪と、キャラクターとしての妖怪。
化け物が出てくる話は現実社会を批評している。
ex.イケメンが妖怪の世界に放り込まれるとブスになる。
異界から現実を批評する。
自分もその中に含まれていると見て、込み込みで批評する。戒め。
妖怪の話は神の話になる。

「表の中に裏あり。裏の中に表なし。」四国陰陽道いざなぎ流の祭文。
「表式」と「裏式」。
表式だと、忌まわしいは「御祓い」をして出ていってもらう。
裏式だと、まがまがしいものの上の世界(=裏)に引き取ってもらうよう「願う」。
浄化してもらう。

「心」と「物」の間にある「事」として現れるのが妖怪。
(現象−−気配,声,においなど。)
「事」は現実的であり、あの世的である。
両者に属さないで、ここにある。
名前を付けることによって、相手が何者か特定して語り合う。人格化する。
妖怪に触れるときには、名付ける。
神は「事」だが、名前を付けられるのは人間。
妖怪と人間の付き合いは「事」と「名」の間にある。
イナモトさん

 ご苦労さまでした。レポートありがとうございます。
 面白い内容ですね。聞けなくて残念でしたが、これ読むとなーんとなく分かります。
 妖怪という現象に焦点を合わせて存在についての本質が展開されているのだと思いました。

 背後に隠れている本質である「もの」と世界が開けている「私という」「こころ(意識という言い方でも良いかもしれない)」のぶつかる接点が、現象であり、実存であるというのが私の理解です。
 そして、その実存は、物質として現れるだけではない。妖怪として現れるものもあるんだという理解です。

 言い方を変えると、人の意識が、見えている世界やその時代や風土や社会現象を作り出している背後にある「もの」と、ある意識レベルで接点をもつと現象として、妖怪を見た、感じたという事象が発生する。そして、それは幻なのではなく、実存というものの本質なので、まさにそこに居るのだなぁと思います。

 そういった意味で、都市伝説も妖怪なんでしょうね。
イナモトさん
セミナーがはじまってから、急にレポートお願いした申し訳ありませんでした。
にもかかわらず、甲田さんの深遠な哲学的妖怪論の要点を分かりやすくまとめていただき、流石にシナリオライターのイナモトさん!と改めて敬服しています。
ありがとうございました。

※ そしていま甲田さんご本人の追補コメントを拝読しました。
当日は、九州の久留米市の河童伝説などのフィールドワーク旅行から、直接会場に駆けつけていただき、さっそくそれを取り入れた興味深い妖怪論のお話ありがとうございました。
当日ご出席されない皆さんも、ちょっと哲学的な難解なところもあるとは思いますが、是非ごらんになって、この機会に妖怪好きの方々のいろいろなお話ができればと思います。

ということでとりあえずご参考までに、今回の甲田さんのお話とは少し外れるかも知れませんが、コメントしてみました。

先月の白田さんの『ユングと心霊の世界』が「幽霊」の話だとすると、今回の甲田さんの「妖怪」のお話で、一応『裏面』というか日本のシャドウの主役が揃ったことになりますね。
それでは、幽霊と妖怪とはどう違うのか?
みっくん流のユング的視点で切ってみると次の通りです。

幽霊は、心の中の個人的無意識(あるいはコンプレックス)が、外界の対象に投影した特定の人間のイメージで、元he あるいは元sheと考えます。
一方妖怪は、心の深層の集合的無意識(あるいは元型)が、外界の対象に投影した非個人的なイメージで、魔物(creature)であり元神さまと考えます。
ちなみに、ユング的には、神=集合的無意識のイメージです。
すばらしい記録、感謝です。

じゃあ、天使はなんなの?ユング的には。
 甲田さん、拙いまとめですみません。
 訂正していただきありがとうございました。
 もっと全面的に直したいと思われたでしょうが、恐縮です。m(_ _;)m
 お陰で妖怪の本当の姿を知ることができました。

 清志朗さん、当日はお越しになれないで残念でした。
 さすが清志朗さん、講義を聞いていないにも拘らず、鋭い理解ですね。
 僕より良く理解してらっしゃる。(^^;)

 みっくんさん、幽霊と妖怪の違いは、なるほど端的で分かりやすいですね。

 アンナさん、話はずれますが、僕のテーマである境界性人格障害の人は、元天使だったと言われます。
 無垢でピュアですが、人間に転成して間もないため、人の不完全さを理解できず、神のような完全さを求められて、破綻してしまうのです。


>じゃあ、天使はなんなの?ユング的には。

その前に「天使」って何でしょうね。
クリスチャンでない日本人には、聖霊と天使の区別もはっきりしていないのではないでしょうか?

ユングの集合的無意識=元型イメージには、神、アニマ・アニムス、老賢者、トリックスター、グレートマザー、英雄など、さまざまなイメージがあります。

聖霊は教義上では三位一体で父なる神と同じですから、心の神元型イメージの投影と考えますが、天使の方は人間と同様に神の被造物とのことですから、アニマ・アニムスあるいは老賢者といった人間の元型イメージの投影と考えられるのではないでしょうか?

因みに、みっくんにとって天使はアニマ元型イメージの投影ですね。
投影の対象は?ヒミツウインク
イナモトさんの解釈、なるほどな〜心子さんへの変わらぬ愛が伝わってきますわ。

私の解釈は、人間はみな天使。
少し傷ついたり忘れたりしてるだけ。
私の使命はそれを思い出させること。

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