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原始仏典コミュの相応部経典 大篇 第七 神足相応1 「四神足1」

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この「神足相応」は、「四神足の修行方法とその成果」に関してもっとも詳細に書かれているまとまりで、ここより他にさらに詳しい四神足の記述は見当たりません。ですから、ここから四神足の修行方法を見いださなければなりませんし、逆に言えばここの記述だけで四神足を実践するには十分です。「神足相応」がある『南伝大蔵経16下』のP99–155までを全引用するので、計3、4トピックぐらいになると思います。


(『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P99から)

相応部経典>大篇



「 [五一] 第七 神足相応(イッディパーダ・サンユッタ)

      第一 チャーパーラ品

   [一] 第一 此岸

二 比丘たちよ、四神足を修習し多修すれば、此岸より彼岸に到るに資する。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、この四神足を修習し多修すれば、此岸より彼岸に到ることに導く。


   [二] 第二 失

二 比丘たちよ、もし四神足を失うことがある者は、正しく苦が尽きることへと向かう聖なる道を失う。
 比丘たちよ、もし四神足を得ることがある者は、正しく苦が尽きることへと向かう聖なる道を得る。
 何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、もしこの四神足を失うことがある者は、正しく苦が尽きることへと向かう聖なる道を失う。
 比丘たちよ、もしこの四神足を得ることがある者は、正しく苦が尽きることへと向かう聖なる道を得る。


   [三] 第三 聖

二 比丘たちよ、四神足を修習し多修すれば、聖なる出離にしてこれを修する者を正しく苦しみの滅尽に至らせる。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、この四神足を修習し多修すれば、聖なる出離にしてこれを修する者を正しく苦しみの滅尽に至らせる。


   [四] 第四 厭患

二 比丘たちよ、四神足を修習し多修すれば、一向厭患・離貪・滅尽・寂静・証知・等覚・涅槃に資する。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、この四神足を修習し多修すれば、一向厭患・離貪・滅尽・寂静・証知・等覚・涅槃に導く。


   [五] 第五 一分

二 比丘たちよ、過去世の沙門婆羅門であって神足の一部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修したのだ。
 比丘たちよ、未来世の沙門婆羅門であって神足の一部を成就するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の沙門婆羅門であって神足の一部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、過去世の沙門婆羅門であって神足の一部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修したのだ。
 比丘たちよ、未来世の沙門婆羅門であって神足の一部を成就するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の沙門婆羅門であって神足の一部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。


   [六] 第六 悉皆

二 比丘たちよ、過去世の沙門婆羅門であって神足の全部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修したのだ。
 比丘たちよ、未来世の沙門婆羅門であって神足の全部を成就するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の沙門婆羅門であって神足の全部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、過去世の沙門婆羅門であって神足の全部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修したのだ。
 比丘たちよ、未来世の沙門婆羅門であって神足の全部を成就するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の沙門婆羅門であって神足の全部を成就する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。


   [七] 第七 比丘

二 比丘たちよ、過去世の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住した者は、すべてこの四神足を修習し多修したのである。
 比丘たちよ、未来世の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。何を四とするのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
四 比丘たちよ、過去世の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住した者は、すべてこの四神足を修習し多修したのである。
 比丘たちよ、未来世の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住するであろう者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。
 比丘たちよ、現在の比丘であって諸漏が尽きることによって無漏の心解脱・慧解脱を現実に自ら証智し実証し具足して住する者は、すべてこの四神足を修習し多修するのである。


   [八] 第八 仏

二 比丘たちよ、四神足がある。何を四とするのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、勤三摩地勤行成就の神足を修習し、心三摩地勤行成就の神足を修習し、観三摩地勤行成就の神足を修習する。
三 比丘たちよ、この四神足を修習し多修するがゆえに、如来・応供・正等覚者と名付ける。


   [九] 第九 智

四 比丘たちよ、「これは欲三摩地勤行成就の神足である」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この欲三摩地勤行成就の神足を修習すべし」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この欲三摩地勤行成就の神足をすでに修習した」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
五 比丘たちよ、「これは勤三摩地勤行成就の神足である」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この勤三摩地勤行成就の神足を修習すべし」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この勤三摩地勤行成就の神足をすでに修習した」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
六 比丘たちよ、「これは心三摩地勤行成就の神足である」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この心三摩地勤行成就の神足を修習すべし」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この心三摩地勤行成就の神足をすでに修習した」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
七 比丘たちよ、「これは観三摩地勤行成就の神足である」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この観三摩地勤行成就の神足を修習すべし」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。
 「この観三摩地勤行成就の神足をすでに修習した」といまだかつて聞いたことのない法において私に眼が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた。


   [一〇] 第十 塔

一 このように私は聞いた。あるとき、世尊はヴェーサーリの大林の重閣講堂に住していた。
二 ときに世尊は明け方に下衣を着て衣鉢を持ってヴェーサーリに入って乞食をした。ヴェーサーリに行って乞食し、食後に乞食から還って具寿アーナンダに告げた。
 アーナンダ、坐具を取りなさい。チャーパーラ塔に行って昼の間、坐ろう。
 はい、大徳。
と具寿アーナンダは世尊に答え、坐具を取って世尊に従った。
三 ときに世尊はチャーパーラ塔に行った。着いて設けられた座に坐った。具寿アーナンダもまた世尊に敬礼して一方に坐った。
四 一方に座ったとき、具寿アーナンダに世尊は言った。
 アーナンダ、ヴェーサーリは楽しい。
 アーナンダ、ウデーナ・チェーティヤ(塔廟、霊祠)は楽しい
 アーナンダ、ゴータマ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、サッタンバ・チェーティヤ(七聚塔)は楽しい。
 アーナンダ、バフプッタ・チェーティヤ(多子塔)は楽しい。
 アーナンダ、サーランダダ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、チャーパーラ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、四神足を修習し、多修し、乗と作し、地と作し、随成し、積習し、善く造作するならば、アーナンダ、もし欲するならば一劫、あるいは一劫あまり住するだろう。アーナンダ、如来は四神足を修習し、多修し、乗と作し、地と作し、随成し、積習し、善く造作した。アーナンダ、もし欲するならば如来は一劫、あるいは一劫あまり住するだろう。
五 世尊がこのように広大な相をあらわに示したがアーナンダは通達することができず、世尊に請いて「大徳世尊、一劫住してください。善逝、一劫あまり住してください。衆生の利益、衆生の安楽、世間の哀愍、人の義、利益、安楽のために」と言わなかった。魔のためにその心が覆われていたがためである。
六-七 再び世尊は・・・・・・
八 三たび世尊は具寿アーナンダに言った。
 アーナンダ、ヴェーサーリは楽しい。
 アーナンダ、ウデーナ・チェーティヤ(塔廟、霊祠)は楽しい
 アーナンダ、ゴータマ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、サッタンバ・チェーティヤ(七聚塔)は楽しい。
 アーナンダ、バフプッタ・チェーティヤ(多子塔)は楽しい。
 アーナンダ、サーランダダ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、チャーパーラ・チェーティヤは楽しい。
 アーナンダ、四神足を修習し、多修し、乗と作し、地と作し、随成し、積習し、善く造作するならば、アーナンダ、もし欲するならば一劫、あるいは一劫あまり住するだろう。アーナンダ、如来は四神足を修習し、多修し、乗と作し、地と作し、随成し、積習し、善く造作した。アーナンダ、もし欲するならば如来は一劫、あるいは一劫あまり住するだろう。
九 世尊がこのように広大な相をあらわに示したがアーナンダは通達することができず、世尊に請いて「大徳世尊、一劫住してください。善逝、一劫あまり住してください。衆生の利益、衆生の安楽、世間の哀愍、人の義、利益、安楽のために」と言わなかった。魔のためにその心が覆われていたがためである。
一〇 ときに、世尊は具寿アーナンダに告げた。
 さあアーナンダ、時を知りなさい。
 はい、大徳。
と具寿アーナンダは世尊に答え座から立って世尊を敬礼し右回りをして遠くない一つの樹下に座った。
一一 ときに、具寿アーナンダが去っていまだ久しくないときに、マーラ・パーピマンは世尊のいるところに来た。来て言った。
 大徳世尊、般涅槃してください。善逝、般涅槃してください。大徳世尊の般涅槃の時です。大徳、世尊はこのことを言いました。「パーピマン、もし私の比丘たちがいまだ、賢明であり、訓練され、畏れなく、安穏を得て、多聞であり、法を持ち、法随法行であり、正しく行じ、随法行者であり、自ら師(阿闍梨)の教えを受けて、宣説し、教示し、開示し、顕示し、開顕し、分別し、明白にし、他の誹謗が生じたならば同法によって善くこれを論破し、神変ある法を説くに至らないならば、私は般涅槃しない」と。
 大徳、今や世尊の比丘たちはすでに賢明であり、訓練され、畏れなく、安穏を得て、多聞であり、法を持ち、法随法行であり、正しく行じ、随法行者であり、自ら師の教えを受けて、宣説し、教示し、開示し、顕示し、開顕し、分別し、明白にし、他の誹謗が生じたならば同法によって善くこれを論破し、神変ある法を説くに至りました。
一二 大徳世尊、般涅槃してください。善逝、般涅槃してください。大徳世尊の般涅槃の時です。大徳、世尊はこのことを言いました。「パーピマン、もし私の比丘尼たちが・・・・・・
一三 もし私の優婆塞たちが・・・・・・優婆夷たちがいまだ、賢明であり、訓練され、畏れなく、安穏を得て、多聞であり、法を持ち、法随法行であり、正しく行じ、随法行者であり、自ら師の教えを受けて、宣説し、教示し、開示し、顕示し、開顕し、分別し、明白にし、他の誹謗が生じたならば同法によって善くこれを論破し、神変ある法を説くに至らないならば、私は般涅槃しない」と。
 大徳、今や世尊の優婆夷たちはすでに賢明であり、訓練され、畏れなく、安穏を得て、多聞であり、法を持ち、法随法行であり、正しく行じ、随法行者であり、自ら師の教えを受けて、宣説し、教示し、開示し、顕示し、開顕し、分別し、明白にし、他の誹謗が生じたならば同法によって善くこれを論破し、神変ある法を説くに至りました。
一四 大徳世尊、般涅槃してください。善逝、般涅槃してください。大徳世尊の般涅槃の時です。大徳、世尊はこのことを言いました。「パーピマン、私の梵行がいまだ富み栄え、増広し、人に多く増大し、神と人が善く説くところとならなければ、私は般涅槃しない」と。
 大徳、今や世尊の梵行はすでに富み栄え、増広し、人に多く増大し、神と人が善く説くところとなりました。
 大徳世尊、般涅槃してください。善逝、般涅槃してください。大徳世尊の般涅槃の時です。
一五 パーピマン、落ち着きなさい。久しくからずして如来は般涅槃するだろう。今から三ヶ月が過ぎて如来は般涅槃するだろう。
一六 ときに、世尊はチャーパーラ・チェーティヤにおいて念じ正知して寿行(āyusaṅkhāra)を捨てた。世尊が寿行を捨てたとき、大地震があり、恐怖が起き、身の毛もよだち、天の太鼓が響いた。
一七 ときに、世尊はこの義を知ってこのときに自ら詩を説いた。

  等しい、等しくない有を生じる 有行を牟尼は捨てる 
  内に楽しみ定に入り 鎧のような我有を破る  
                        第一 チャーパーラ品[畢]

  此中摂頌に曰く
  (一)此岸と、(二)失と、
  (三)聖と、(四)厭患と、
  (五)一分と、(六)悉皆と、(七)比丘と、
  (八)仏と、(九)智と、(一〇)塔と。」

     『南伝大蔵経16下 相応部経典6』(大蔵出版) P99-112   

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