彼のフルネームはLeonardo di Ser Piero da Vinci(ヴィンチ家出身でセル・ピエロの〔息子の〕レオナルド) である。姓のDa Vinciは「ヴィンチ村出身」という意味であるが、実際には出身地を表すよりもヴィンチ家出身を意味している。レオナルドは彼の作品に「Leonardos」または「Io, Leonardo」とサインした。専門家も彼の作品を「da Vincis」ではなく「Leonardos」と表記する。ちなみに、ヴィンチ(Vinci)はイ草(Vinchi)に由来し、レオナルドもそのモチーフを作中に取り入れている。
レオナルドは1452年、イタリアのアンキアーノ村で生まれた。生家は現存する。5歳からすぐ隣のヴィンチ村に移り住んだ。ヴィンチ家は13世紀より続くヴィンチ村では名の通った血筋で、父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ (Ser Piero da Vinci)は公証人を務め、家は裕福であった。母カテリーナ (Caterina) は農民あるいは木こりの娘といわれ、詳細は分かっていないが、ヴィンチ家に頻繁に出入りしていたとされる。 父とカテリーナに婚姻関係は無い。しかし、「セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」という名前が与えられたことと、祖父アントーニオの日記に生まれた様子が詳細に記載されていることから、私生児とはいえレオナルドが望まれない子供であった可能性は低い。 カテリーナはレオナルド出産の数ヵ月後にアントーニオ・ディ・ピエーロ・デル・ヴァッカ・ダ・ヴィンチに嫁いでいる。父セル・ピエロも同時期にフィレンツェ出身のアルビエーラと結婚した。
レオナルドの芸術作品は、『最後の晩餐』(1498年, Ultima Cena or Cenacolo ミラノ) や『モナ・リザ』(1503 -1506年, La Gioconda, ルーヴル美術館蔵) のような精巧な絵画がよく知られている。彼の絵画の特徴はスフマート技法と空気遠近法である。画家として非常に有名であるが、現存する絵画は17点(うち数点は弟子の手との説もある)に過ぎない。そのうち1点のみ北アメリカ大陸にある。彫像は残っていないが、小さな馬の彫刻がリマリック(アイルランド)のハント美術館にある。
1490年頃のノートにはCanon of Proportions (プロポーションの法則)が書かれている。このなかの『ウィトルウィウス的人体図』は、当時発見された古代ローマの建築家のウィトルウィウスの「建築論」にある「人体は円と正方形に内接する」という記述を表現している。この図は、レオナルドの描いた中で最もよく引用されるものの一つであり、イタリアの1.00ユーロ硬貨にも用いられている。