ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

なんとなく家具、なんとなく空間コミュのなんとなく自然

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
自然をなんとなく語るとは何事か!といろんな方に怒られそうですが、自然というものについての考え方は個人差が非常に大きく、安定しないものだと思います。なので、みんながなんとなく自然と感じる気持ちも大切にしましょうという事でよろしくお願いします。きっちり語るもよし、何気に思った事を載せて見ても良しという事で。

コメント(9)

■ライトミルさんが木のカテゴリで書かれた文章を転載いたします。(ライトミルさん、無断ですみません)

この前デサインの中に見る自然感という感じでいろいろかいてみました、その後また別の見方もあるかな?と考えるようになりその事について少し書いてみたいと思います。
以前僕は南アルプスの駒ヶ岳のふもと山梨県白州町に住んでいる事があり、そこはもう自然がいっぱいで、夜寝ている時、耳を澄ますと小川のせせらぎが聞こえるほどでした。その頃は自然はもう当たり前で、とくに自然の中からインスピレーションを感じる事は、今ほどなかったような気がします。<縄文は別ですが、、>
そして東京にきてみると人工物に囲まれ、何だか固くて息苦しさも感じるほどでした。そうした中でも公園や線路沿いには大地の力や植物の生命力を感じる事ができます。
何でもそうだと思うのですが、1つの世界につかりすぎるとそのものの良さまでみえなくなってしまうのではないでしょうか?
僕が東京で見た自然感とは、その対極とを同時に見据える事によってみえてきたような気がします。ふと、、、今思った事ですが、そうした相対的な見え方にとどまらず、もしかしたら1つの世界の中にも2面性が存在するような気がしてきました。
例えていうなら、真っ赤なフェラーリがあるとします。自然感とはほど遠いようにみえますが、時間の経過とともに、赤い塗装のはがれた所から、灰白い金属元素が現れるかもしれません。 
飛んでいる鳥も飛べなくなる可能性を秘めているとか。。。
そうした広い意味での自然感というものを見据えて、いろんな方と意見交換できればと考えています。
僕の自然についての考え方はライトミルさんと似ていますが、少し違います。単純に自然の定義が違うだけ、かもしれませんが。
個人的な観念ですが、僕は全てが自然だと思っています。電気にしろ、PCにしろ、インターネットにしろ。
デジタルは自然ではないと考えられがちで、緑、水、土等で構成される要素が自然だと一般的には考えられていますが、人間が作り出した人工物もまた、自然のものだと。自然物という大枠の中にある、一つのカテゴリに人工物という分野がある、という観念です。
だって、動物が巣を作ったとしても、それは誰もが自然のものだととらえるように、人間という存在をもっと他の動植物と同等に考えるようにすると、全てがそう思えてくるわけです。
人間が自然を破壊している、という考えは、あくまで現在地球上に存在している人間や動植物が生存しにくい環境へと、人間が作り変えている、というだけではないのかなと思っています。もし、そのまま人間が生存できない環境になってしまったとしても、自然という世界は姿を変えて存在し続ける事は間違いないでしょう。そんな事で宇宙も無くなったりしないでしょうし、宇宙規模では何事もなかったかのように、時間が流れるんだろうな、とも思います。
だけども、自分を含めて人間という存在が世の中に生まれているかぎりは、命と文化の流れを途絶えさせたくない、という気持ちを持って、まわりの環境と語り合い、言葉だけでなく現実に動かしていくためにどうすればいいか、といった事などを、手探りで探る感じ。それが僕の基本的な自然観かもしれません。
そうそう。
話はずれるかもしれませんが、自然観で思い出したこと。
僕は露天風呂が大好きなんですよね。
自然との一体感を得られるから。
一体感と言っても、ものすごく簡単な理由で得られているものですが、結構同じ言葉を他の人から聞いても、なぜ一体感となっているか、という部分について語られているものを見たことがないので、なんとなく僕が思うところを書いてみようかなと。
本当に簡単な事なんですが、水はまわりの景色を反射するため、お湯につかるとお湯の部分は全てまわりの景色が写し込まれます。そのため、水に映し出された景色で視覚的に体が無くなり、景色の中で頭だけが浮かんでいるような感覚を得られる。だから景色との一体感を得られるのかなぁーと、思うのです。
半兵衛さん
露天風呂の話面白いですね。本当に簡単そうなところが特に気に入りました。半兵衛さんは柔軟に物事を見られる人なんでしょうね。
さあ僕もこれから柔軟体操始めよう。。。。。。。。
自然とは少し違うけど、最近google関連の話で話題になっているものを紹介。
衛生写真を地図的用途として使用したものです。
アプリケーション化されているGoogle Earthでは、地球儀をぐるぐるまわして、拡大縮小して見ることができる。僕の家も発見してしまった。何が面白いかって、鳥のように飛んでるような感覚、擬似だけど世界中の地域の写真が見れるということ。エジプトのピラミッドなんかも見れる。とても知的好奇心を刺激してくれる一品で、小学生の頃にこんなものに出くわしていれば、地理に関して非常に詳しくなれたんじゃないかなと思う。

ブラウザーを使ったもの
http://maps.google.com/maps

アプリケーションとして作られたもの
http://earth.google.com/
このページの右にある
Get Google Earth - Free Version
をクリック。その先からDL
Google Earthは、相当楽しい!
というかハマッてるのは置いておいて、最近は国防問題にも踏み込まれてきているみたいだ。機密施設なども見えてしまうため(USAの重要拠点については隠されているみたいだが)、インドや韓国政府などからクレームがきているらしい。
それらの状況も踏まえて考えると、今後、Google Earthが世界に与える影響は非常に大きなものだろう。空が何者も踏み込めない領域ではなくなってしまっている。空からの目線がある、それだけで世界の都市形成プログラム・施設構成等が変わっていく事が容易に想像できる。
そういえば、古代ローマ時代の新しい遺跡が、Google Earth利用者によって発見されたらしい。未知の可能性が本当に沢山つまった画像群だと思う。
人はゼロからものを作れません。何かを組み合わせてしか、人は物を作れません。
なので私はいつもこの手の話をする時、谷川俊太郎の詩のフレーズを思い出してしまいます。
「いのちはいのちを生けにえとして光り輝く」
自然って、私の中でそういうもの。敬意を表するに価するもの。
モノや思想、アイデアなんかに限定する必要はないんだけど、世の中にオリジナルはないということですよね。
いのちはいのちの積み重ねで成り立っているもの。
それをもう少し、遠くからながめると、例えば人間の営みそのものが一つの生命体の生命活動にとてもよく似ているなと、最近よく思います。
それは、マクロにもミクロにも考えていけるもの、でもあって、ミクロに考えると、人間が構成されている細胞一つ一つが生命とも考えられるし、マクロにとらえると、人間一人一人が、一つの生命体を構成している細胞のようにも見えてくるし。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

なんとなく家具、なんとなく空間 更新情報

なんとなく家具、なんとなく空間のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング