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お城めぐりしよう!コミュの『城砦寺院部』(このお寺や神社ってお城じゃない?)

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コミュ内全体

 他部において出城と思われる寺についてコメントのやり取りがあり、新たに出来た部活動が盛り上がっているのをみて、管理人さんの了承を得て新部を立ち上げる事といたしました。


 こちらでは、お城のような造りの神社仏閣や、城跡に建てられた神社仏閣の情報交換をしていけたらと思っています。


 神社仏閣めぐりも好きで見て廻るのですが、本堂本殿の周りをみていると堀や土塁などが見受けれます。その寺の歴史を知ると、寺社が自衛のために要害化したものや廃城後に建てられたものなどが少なくありません。

 「城砦寺院(じょうさい じいん)」を厳密に説明するならば、寺社の荘園を守るために武装化、門徒が領主側と対抗するために武装蜂起などにより、寺社が要塞化され城としての意味も持つものとなります。しかし、こちらでは拡大解釈して以下のとおりとしてみました。


1.寺社が自ら城郭化したもの
(例:石山本願寺、比叡山延暦寺、根来寺)

2.寺社として造られているが、実は戦になったら城砦として使うようになっていたもの
(例:金沢の妙立寺[忍者寺])

3.城があった場所に寺社が建立・移転されたもの
(例:久能城→久能山東照宮、飯高城→飯高壇林)

4.寺社があった場所に城を造ったもの
(例:久能寺→久能城、惣宗寺→佐野城)

5.明確に城としての文献等にはでてこないが、堀・土塁・地理的条件など状況証拠から城と思えるもの
(例:喜多院)

#4は強引かと思いますが、寺社が要所に建てられていて城としての側面がある一例になると思います。


 「城砦寺社」というとちょっと難しいテーマかと思いますが、ここではトピックの題にあるとおりお城として体裁がある神社仏閣と幅をもたせて、ぶっちゃけていうならば寺社と城を結びつけて遺構のあるなしに関わらず情報交換の場としてみたいです。

 どうぞご贔屓のほどよろしくお願いいたします。


画像左、香取神宮の本殿。城砦寺院と思われる遺構が残る。
画像右、大島城址にある大島神社。

コメント(332)

凸すぎさくさん

山科本願寺は天文元年(1532年)の『経厚法印日記』に城との認識があり、土塁で寺内を構成していたようですね。
それに、六角方と法華の一揆衆とも争っていたので、これはまぎれもない城砦寺院跡ですね。

ここは史跡指定にもなっており、これだけ土塁があるのもまたいいですね。
 大阪府南河内郡河南町の真言宗醍醐派準別格本山竜池山弘川寺です。背後に弘川城が築かれ、境内もしばしば合戦場となったため、城塞っぽい雰囲気です。
 弘川城・弘川寺については以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=68864812&comment_count=18&comm_id=398257
 和歌山県伊都郡九度山町の高野山真言宗伽羅山善名称院〔和歌山県指定史跡〕です。真田昌幸・幸村父子が蟄居していた屋敷跡に建立された寺で、通称真田庵と呼ばれます。南門は長屋門風、本堂は本堂は三層城郭風の八棟造です。
こちらには初めて投稿します。
171 todoさんの紹介されていた 豊後国玖珠郡の三島宮ですが

以前、九大・木島先生に 「ここの偽装城郭が・・・」 とメールしたところ 「誰が偽装城郭なんていっているの?あなたが言っているだけでしょう?」 と手厳しい反論をいただきまして、悔しかったので鳥瞰図描いてみました。
http://ameblo.jp/esqi-oyaji/entry-11241278437.html
専門家には、『偽装城郭』 なんて言葉を不明瞭に使うべきではないのでしょうか、ねぇ。
(左)岡崎城址。現在では無量寺を中心とした一帯。神奈川県伊勢原市。
岡崎城は、源頼朝の臣、岡崎(三浦)義実の居城で、
戦国時代には北条早雲と戦った三浦道寸の居城でもあった城。
無量寺は、岡崎城が築かれた丘を登り切ったところにあって、
城主居館跡であると伝えられています。
周辺にも城の面影がかなり残っていると思います。近くには義実公のお墓も。

(右)真田城址。現在では天徳寺一帯。神奈川県平塚市。
真田城は、岡崎義実の嫡子、佐奈田(岡崎)義忠の居城であった城。
天徳寺は、石橋山の合戦で討死にした義忠公を弔うため、
天正年間になって真田城跡に建てられたそうです。

両者は直線距離にして3km程。
どちらの寺にも案内板があって、城跡であることを伝えています。

「岡崎城」「真田城」といったら、普通、違うものを想像しますけどね(笑)
大阪府泉大津市に隣接して建つ寺院の太鼓櫓です。

左;浄土真宗大谷派松岡山南溟寺 真鍋城跡に建ちます。
右;浄土真宗本願寺派江月山緑照(ロクショウ)寺
西本願寺といえば太鼓楼!
西本願寺堺別院の三重の大型櫓です。
太鼓楼につづく堂々たる大型の長屋門は
後北条氏の治めた河内国狭山陣屋から移築したもの。
>>[303]

開店休業のような状態にしてしまってますが、部長をやらせてもらってます(^^;)

城跡にある神社もこのトピであつかっています 。

城主やその一族の鎮魂(寺なら菩提を弔う)や城や城主にかわりその地を守る(鎮守)ものが多い。

また、江戸時代廃城になった中世城郭の多くは地元の方でも知らなかったりして探すのがたいへんですが、神社仏閣があるとそれを目印にすれば城へ行きやすいからです。
 大阪府豊中市の浄土真宗本願寺派小曽根山西福寺太鼓楼です。立派な「櫓」ですね。
 西福寺については以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1932748148&owner_id=250900
大垣市加賀野にある八幡神社。ここは加賀野城跡なんですが、城跡が神社になり、ここにある自噴水の井戸が名水と言う事で、大勢の人達が水を汲みにやってきます。
また、南の方にMAPを見てもらうと水路に囲まれたお家が…。ストリートビューでは立派な家で、江戸期は庄屋さんとかじゃないかなぁと思いますが、元はお城だったかも。JR線の所にはお城があったみたいですから、ひょっとして位置がズレて伝わってたりするかもしれないですねw
 鎌倉公方の軍事拠点として用いられた東京都府中市の曹洞宗龍門山高安寺です。堀や土塁を巡らしており、水濠跡はJR南武線の線路になっています。

 高安寺については以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936011799&owner_id=250900
 黒田官兵衛の父職隆の居城だった播磨国妻鹿(メガ)城跡に建つ荒(コウ)神社です。奥津彦命(オキツヒコノミコト)と奥津姫命(オキツヒメノミコト)を祭ります。福岡藩主家第14代の黒田長禮(ナガミチ)侯爵(1889〜1978)の寄進碑もありました。
 妻鹿城に関しては以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936506363&owner_id=250900
奈良県五條市の大沢寺は後村上天皇が拠ったこともある(賀名生から住吉へ移る途中か?)山岳寺院ですが、1513年には畠山義英軍がここを城塞化し、尚順側の大和国宇智郡、紀伊国伊都郡の在地武士と戦ったそうです。特に堀切遺構などは見られませんでしたが、城塞寺院としてもいいのでしょうか?
武雄市の武雄神社です。石垣や階段を見てると完全に城郭と。武雄神社には武内宿祢の両親が祀られています。また古文書214通が重文指定になってる歴史のある神社です。
 高知県四万十市の臨済宗妙心寺派神護山太平寺です。
 寺伝によると、文和年間(1352〜55)に海峰性公(カイホウショウコウ)なる尼僧が開基となり、四国巡礼僧泉巌覚雲(?〜1370)の助力を得て創建、伊予国照源寺の大仙を招いて開山としたとされています。
 天文年間.(1532〜55)に従三位右近衛中将一条房基が中村御所南方の防衛拠点とするため土塀に矢狭間を設けました。
 石垣も城郭風です。
 明治元(1868)年の廃仏棄釈によって廃寺になりましたが、明治12(1879)年に貫仲玄徹が復興しました。
 土佐国中村御所跡に建つ一條神社〔県社〕です。 
 祭神は若藤男命(ワカフジオノミコト)・若藤女命(ワカフジメノミコト)・一条教房と土佐一条氏歴代当主及び連枝ですが、若藤男命・若藤女命とは土佐国司家を創始した従一位関白左大臣一条教房の両親である従一位関白太政大臣一条兼良(カネラ)と小林寺殿(従二位権中納言中御門宣俊の娘)の事です。
 境内には神社創建の契機となった「咲かずの藤」があります。
 詳しくは以下を御参照下さい。
◎城下町土佐中村
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=77698325
・中村御所跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=77920901
安土城の総見寺は完全に砦です!ヽ(*´▽)ノ♪
既出ですが、愛知県安城市の本證寺です。
戦国時代は三河一向一揆の拠点となり、家康と戦ったそうです。
現在の伽藍は江戸時代に再建されたものですが、櫓のような鼓楼や周囲をめぐる水濠は城そのものでした。
 土佐国佐川10000石領主深尾氏菩提寺の臨済宗妙心寺派龍淵山青源寺です。一国一城令で廃城となった佐川城下にあります。立派な石垣が連なり、佐川土居を居館・政庁とした深尾氏にとって詰城的役割を果たしていたと推定されます。
 佐川城・佐川土居については以下を御参照下さい。
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958268829&owner_id=250900
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958036612&owner_id=250900
初めましてこちらには初投稿をします。

岐阜県にある無道寺は戦国時代に齋藤道三と織田信秀が激突した際に、斎藤軍が無道寺を改修して陣城を築城しました。しかし短期決戦に終わったためにすぐに撤兵となり、寺院は今に残っています。なお、ここには信長が寄進した梵鐘などがあります。
三重県、小田江神崎神社。

戦国時代、この地で発生した伊勢長島一向一揆は信長に宣戦布告し激戦を繰り広げました。一揆側は本拠である願証寺を中心に織田軍の長島城を攻略してその周囲に14もの砦を築いて抵抗します。現在、この砦跡の多くは河川の変動などで水没となっていますが、現在も残る小田江神崎神社は戦国期の創建で一揆の際には小田御崎砦が築城されました。由緒書きにその名を見る事が出来ます。写真は逆光になっていましましたが・・。
岐阜県、行基寺

奈良時代に東大寺大仏建立のために全国を奔走していた僧侶、行基がこの地の平穏を願って建立した寺院。一説ではこの地で入滅したとも伝わっている。

江戸時代になって高須藩が設けられましたが、海抜の低さと木曽三川を抱える低地であったため度重なる洪水に統治は安定しませんでした。新たに藩主となった松平氏が山の上に築かれていた行基寺を菩提寺として大改修し、石垣や御殿と同様の本堂を設けるなどして詰め城の機能を備えました。そのため「隠れ城」の別名を持ち、山号から臥龍山城とも呼ばれています。石垣や狼煙台がいかに城を意識して作られたかを物語っています。
>>[326]
こんにちは。一連の投稿に『善哉(よきかな)』とワンクリックする無礼をお許しください。
ずいぶん精力的に訪問された様子。
晴天に映え、とてもきれいです。
>>[327]
こんにちは。恥ずかしながら三つは最近、それぞれ別の日に訪れたものですが、いずれも寺社仏閣と深い繋がりがあったのでこちらに投降しました。行基寺は内部の建物や庭園も見どころのようで寺院の方も詳しく見ておけばよかったな、と思っています。山門には徳川葵の紋が掘られていました。

行基寺の写真を。
愛知県、龍泉寺

最澄や空海、熱田神宮とゆかりが深く、龍王が一夜で建立したという伝説がある寺院。

しかし庄内川の高台にあり、三方を川、崖、湿地に囲まれていたためしばしば軍事拠点として扱われました。最初は織田氏が桶狭間合戦前後に城塞化させ、一旦寺院に戻った後、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉が向かい合う小幡城の徳川家康に対抗するためにまたしても城塞化し、一夜堀を築いたとされています。

その後は砦として扱われる事はありませんでしたが、明治期に放火にあい焼跡から発見された埋蔵金で伽藍を復興させたと言います。

現在は本堂脇に模擬櫓があり、宝物館となっていますが日曜日しか開館していません。

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