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PAPA流フリーハンドイラスト塾コミュの「描き方」の常識を疑ってみる

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コミュ内全体

●人が全力で走る時、キャプテン翼みたいな前傾で走るものでしょうか?

・カール・ルイスはどうだった?

・中田ヒデはどうだ?

・昔運動会の駆けっこで自分はどうした?
もっとモモを上体で引き上げなかったか?

・前の走者を上目遣いで追いかけたか?
むしろ下目遣いじゃなかったか?

●人が笑う時、目は下弦の弓、口は上限の弓、という、
「笑ったシルシ」の描き方通りだろうか?

・笑ってる顔って、後からでも分る様に、
目、鼻、口、という笑ったシルシの福笑いが、顔に張り付いたのではなく、
ようはホッペ、線で描かれることのないホッペの筋肉で笑ってるんじゃないか?

・片方づつのほっぺの、それぞれの緊張具合、弛緩具合に、
どういう思いの笑顔かが表現されてるんじゃないか?

●マッチョな胸板って、何時もあの形だろうか?

・楽な姿勢の時はどう?

・片腕差し上げた時もそうか?

・片腕で重たい荷物を持ったときはどう?

●下から見た顔なのに、首に下向きのあごが張り付いてるのは何故?

・目鼻口だけ上に移動して、上向きの顔になるだろうか?

●だるま崩しみたく、頭、首、胴、腰という大きさの違う円柱が重なってるのが人体、と言う「型」に縛られてないか?

・首は、だるま崩しの円柱ではなくて、
横からみるとゴボウやネギの斜め切りみたいな円柱の重なりになってないか?

・だから例えば子供の首は、顎の向こうに隠れていないか?

・子供にも首はあるからと言って、いつも顎と胴の間には首、と、
りちぎに描き込む習慣でかきこんでると、
結局首で狂ったバランスを取り戻すために、どうも腕も足も長さ、太さを誤ってしまってたりしないか?
そう言う風にして、子供を描けて居ない漫画が大多数になってる気がするが、どうだ?

列挙したら切りがないけれど、
こう言う時はこう描けばいいのかと、
小さい時から手に入れてきた色んなお手本のテンプレートに、
比較的影響を受けてないつもりでも「無くて七癖」。
相当私達絵描きの回路は毒されています。

観て受け取る、それを描き顕そうとする。
その、感知、反射、というシンプルな神経活動みたいな回路の中間に、
「型」や「テンプレート」を於いて、
受け取るときにも「奥まで」とどかないうちに「分った」といい、
描きだす時にも「奥から」でなくテンプレートから描きだしてなかったろうか?

テンプレートは「固い」ものだから、対応の効かないケースにもこれまで何度も出くわして来たはずだけど、
その時に更に、「応用テンプレートの数を殖やす」事で対応して来なかっただろうか?

ある程度ベテランになって、大体の事には対応出来る様になったなと安心した頃の自分は、
自由な絵描きになったのではなく、
「誰にも負けない数のテンプレートコレクターになった」という満足の中に居たりしないだろうか?
「テンプレートが誰より充実してきたな」という満足を、
「俺も描けるようになった」と言い換えては居なかったろうか?

今観た、あの子のあの表情、あの気持を描きたい!
というモチベーションの行き場は、その時どうなる?

素晴らしく達者な漫画家なのに、どういう動揺のシーンも落ち着き払って上手で、というのがある。

彼の昔の漫画の単行本は、一巻の最初と終わりでは別人のような絵になっていたものだが、今はもうそう言うことはない。

ここに、二人の漫画家の絵がある。
カリスマとも言うべきR・Iの漫画。
食の漫画ブームの切っ掛けにもなった「OSB」。
その時点その時点を比べたら、上手下手は誰の目にも明らか。
でも、成長のスピードはどうだろう?

結局描き手から発せられる「魅力」の要素として、
流星のように、早く走っているものは発光して居て目に付く、
と言う事はないだろうか?

後者として例に挙げた彼は、「こうじゃない」「これを表現したいのにマダマダだ」と言いながらあの漫画を描いていたに違いない。
「理想に届かない」というジレンマの中で戦ってきたに違いない。

これは、「志」と言うものの絵描きにとっての大切さに触れる例ではあるけれど(この塾の終わり頃に触れることになると思いますが)

絵描きには(自分と言う絵描きになるには)
皆がそうしているという、多数決的に定着した「シルシ」を疑って、
何時も始めて絵を描く子供の様な、始めて光に接する感光板が必要じゃないでしょうか?

何度も言うけれど、テンプレートを総て放下してしまった後に残った、
自分というクセ、カラーは、
小さい様だけれど、思った以上に頼もしい、使えるヤツです。

自分から生まれてきたテンプレートならまだ善い。
それはテンプレートというより、自分でした「法則の発見」「秩序の発見」だからです。
それは磨かれたり完成度をましたりするに違いない。
だって、人は「法則、真理」には敬虔でいられるからです。

※これは次のレッスンにではありませんけど、
所感として書き置いて置きたかった事です。

コメント(28)

しみじみと深いです。
絵を描く時によく見ているようで、実はろくに見ていない。
よく見なくても、知っているような気になっているからですね。
でも、ホントは知らない。
見る側の常識にしたがって描けば、見る人は納得させられるけど。
実は、描いてる本人は納得してないのでしょうね。

自分の経験や工夫から発見した、ノウハウというかテンプレートは重要だと思います。
ギリギリのところで、力を発してくれる応用力の幅が広いものが、自分の発見を発展させたものだからです。どんなによく出来たノウハウでも、借りてきたものは、結局使いこなせない。ってことなんですよね。

次のレッスン。お待ちしておりまする。
絵には、「におい」があって、
上手くても、描き終えた後で「鼻に突いて」しまう絵もあるのです。

>だって、人は「法則、真理」には敬虔でいられるからです。

というのは、「無反省な絵」に対して「真摯、敬虔」を大切と言おうとしたものです。

完全な表現体であるためには「完全な受容体」であることが第一に必要な気がします。
漫画家を目指してらっしゃる方の中には、
髪の毛の輪郭を描く時に、筆先型のとんがりを組み合わせて描かれる方が多いのじゃないでしょうか。

これも一つの「描き方」で憶えてしまった絵ですね。

当たり前の事なんですが、髪の毛は生えている根元側が
束がすぼまっていて、毛先側が拡がっている物なんです。
これ、皆子供の時から知ってる事ですよね。

だったらそれをどう描いて見よう、と思い発つのが自分の漫画のスタイルの始まりです。

(雨で濡れてしまった時の表現のために、とんがり毛先はとっときましょう)

絵に限らず、世の中の仕事で価値があるものは、
必ず「新価値」です。
「発見」と「発明」と「志のよさ」だけが価値なのです。

発見のある話を聴くのは皆好きですよね。
「ああ、あるある」です。

カリスマだのウンチクだの裏技だの達人だの近年の色んな興味対象が有りましたが、
皆それを見たがってます。

発見のある絵を描きましょう。

目は本当に大きいほうが美形でしょうか?
鼻は高くとんがってる方が本当に美しいでしょうか?
おちょぼ口、X字型に立たせた足が本当に可愛いでしょうか?

自分で発見して描いて見ましょう。
仕事では記号としての漫画絵を求められることが多いので、
まだまだテンプレートコレクターです。。。
>スミックさん
>えっちゃん
>マッチャン
お三方のコメントに中々お返事出来ずに居たのは、
私って結構偉そうな事やキツイ事ばっかり書いてるかもな、と思えたからでした。

けれどまあ、改めて考えたら絵も人生の事も同じで、
どんな事もマニュアルや、あらかじめの戦法でなく、
無構えの構えで、自分の地がねですべてキチンと受け止めて、
自分の地金の精一杯で返す。
自分の誠の限りで返す。
成るまで返す。
それだけなんですが、
そこに最初はどこまで?果てしないのでは?と言う尻込みがある。
でも先ず一歩踏み出す。
避けずにそうし続ける内に、
何時か時間を超越する経験がやって来る。
一歩も誤魔化さなかった人にだけ、
その永遠のようだったものが、
日常の「瞬時」「瞬時」に発揮されるようになる経験をする。
人間が打ち込む事の先にはそんな、
スケールや計算づくを超えた「何か」が自分の一部になる経験が伴います。
それは「自分が拾ったテンプレート」の逆で、
経験ある飛行家が「気流に乗る」様な
経験ある漁師が「潮の流れに乗る」様な、
大きな「秩序」、「法則」と言う
「テンプレートを超えたテンプレート」が何時しか身近になる事です。

大仰なようだけれど大仰な事でなく、
昔からの職人や、自然に関わる生業の人が普通に経験し伝えてきてる事に通じます。

それは現代のあらゆるマニュアルからしたら手ぶらの心もとない感じかも知れませんが、
心に誰より巨大な大船が控えてる安心を伴います。

武道の達人も亦その様ではないかと想像されます。
思えばもともと「絵描き」と言うのは不思議に支えられた行為です。
紙と、紙に一点だけ接するペンを手で持って、
一枚の絵がそこに生れて行くなんて、それだけで奇跡的な行為です。
そこにこの程度の不思議は、
酒造りの不思議や染め物の不思議、焼き物の不思議と何等変わるものじゃない気がします。

とりとめなく無秩序に書いてしまいましたが、
私が何時か伝えたい事、シェア出来る事は、
そう沢山の事ではなく、その経験の共有にあります。
それを伝え終えた時は、黙って笑ってうなづきあうばかりだと思うし、
その事を亦君も後進に伝えるんだよ、と、
目で言うばかりじゃないかと思います。

無敵のテンプレートを利用してやろう、ではなく
宇宙に充ちている秩序に使われてもらおうと言うスタンスかも知れません。
しかし、
手持ちの自由をさし出したものが自由を得、
自由を集中にしようと務めたものが不自由なテンプレートに縛られるのは皮肉な事です。

交通ルールと言う秩序の中で自由な旅があり、
寸分たがわぬ星辰の法則の中で宇宙の自由な運行がある。

秩序と言うのは、不自由な事ではなく
「美」の別名かも知れません。
無秩序のような自然の中に、
無作為のような自然の中に
美を発見する事は秩序を発見する事なのかも知れません。

そして、それに何時でも身を任せられる絵描きの心とからだを得る事が
実は本当に求めていたテンプレート、
掴もうとすると手から滑り落ちていたテンプレート、
なのじゃないでしょうかね。

抽象的でごめんなさい。
何時かそれを裏付ける実例もピックアップされると信じています。
テンプレートコレクター。
非常に耳の痛い言葉です。

まさにその能力で
戦場を渡り歩いているから。

捨てて残るものを追い続けることはやめない。
そこへの希望は感じつつ、
ときどき、読み返して、自戒したいなと
思いました。
TETSUさん
どうか、耳をいたがらないでください。
これは良い悪いの話ではないからです。

思うに私が塾生の皆様にシェアしようと願っている事は、
今この日本社会で稼働中のイラスト、コンテ、漫画という
業態、カテゴリーの専科なのではなく、
人に備わる「画道」の話だからです。

スピードスケートにショート・トラックやスプリントがあり、
競走に100m、中長距離、クロスカントリーがあり、
その中でボブ・ヘイズもいればM・ジョンソン、アベベ・ビキラ、君原健治という色んな個性がある様に、
現代日本社会の大衆画事情に幾つかの限られた公認カテゴリーしかないにせよ、
少なくとも皆さんは先ず、絵が好きな子供に生まれついた。

私が伝えんとしているある「経験」は、
ある一カテゴリーの傾向と対策の話ではなく、
人が走る様に、人が絵を描く力や本能が備わっている、
その事に分け入った旅の単独の見聞録だからです。
何時か私以外の誰かの見聞録も、NETの時代だから出て来るはずだと思います。

そうしたものによってその国の全体像がステレオ的に見えてくる日が来ると期待もしています。

ただ、現状の日本社会にある絵描き商売の公認カテゴリーも
それが全てではありません。
同じコンテひとつにしてもスター・ウォーズのメイキング本にみられる
コンセプトドローウィングやスケッチワークと、
日本の映画やアニメの世界で言う絵コンテ、CM制作で業界用語に言う絵コンテも
名前だけ一緒で、全然別ものです。
日本のファンシー業界に言うキャラクターとアメリカ商業美術史にあるキャラクターもまた全然別の世界です。
現時点ですらそれらが一様でない様に、今私達が参加しているカテゴリー像がずっと一定であり続ける保証も無いと思います。

その社会の変遷に関わらず「体道」や「芸道」の奥にかいま見る何かを共有する事には
受験の傾向と対策に応える教育メソド、教育情報とは違った広義の学問的意味があり得ると私は信じて、
このコミュをはじめています。

私も亦、その諸々のカテゴリーの傾向と対策メソドの習熟によるものでなく、
キャラクターにせよ、絵コンテにせよ、書道、水墨...
それら個々については寧ろシロウト、部外者でありながら
その「広義の学問」=「画道」の心得と言うたった一つの持ち物の応用や機転で対応してると言うのが正しく、
自分と言うたった1個の心もとないサンプルを示しつつこのコミュを書き進めるばかりの存在なのです。

この道は実務的な意味で有益に働くものか、
あるいは人生の習い事の常として、人生道そのものに益するものかは
何時か皆さん個々人の中に種蒔かれたものが花開く日にならねば分かりませんが、
一つ言える事は、
この道に本気で進むなら若い時ほど良いということです。

既存や、現代常識のメソドや情報に習熟を重ねるほど、年を重ねるほどに
それらを放下するのに決死の勇気を伴いがちな話だからです。
テンプレートに気付いて手放す、
と言う一言ですら、それが強いる大変さは、経験からしても察するに余りあります。

だから皆様に決して無理に勧める話ではありません。
年を重ねてから、或いは何も分からない幼少からはじめる習い事のようで構いません。

私もそうした広汎なカルチャー的意味を持ち得るように
この道を研究して行く努力をせねばと思っております。
こんな話をききました。
むかし、5歳ぐらいだったか、とある自閉症の少女がいました。
彼女は絵を描くのが好きでした。
その絵は、例えば馬の走りの瞬間を正確にとらえ、
躍動感があり、いきいきとして、
しかも隠し絵のような遊びもあり、ユニークでした。
子供の絵とは思えません。

自閉症の治療がはじまりました。
何年かして、彼女は社会生活をよりよくおくれるようになりました。
しかし、その絵は、小さな子供が描いた絵、
あるいは絵のヘタクソな大人の描いた絵のようになっていました。

以前は、右脳がよく働いていて、あるがままを見、多くの情報を一瞬でとらえることができていたのでしょう。
一方、左脳は思考をします。モノをシンボルとしてとらえることが得意です。
花はこんな形のはず。人はこんな形のはず。
記号として描いていけます。
それは習熟され洗練されていきますよね。

どちらか一方だけがいいわけではありません。
右脳だけではなく、左脳だけではなく、両方が素晴らしく働いたとき、
他者にも共感と伝播力をもつものができるかなと思ったりします。

さらに、個性(クセ、カラー)というものについていうと、
数人に同じ鉛筆を渡して、それぞれが縦横ナナメだけの無機質的な線で
目の前のビンをなんの感情もなくとにかく正確に写し取るように描いたとします。
それでも、それぞれまったく違うものができてきます。
それが個性の原点となるのかなと思います。

剣の達人の、左脳的に訓練された型と、さらに研ぎ澄まされた右脳的な感覚でエイヤといくその姿の美しさ。
PAPAさんはそんな美しさを求める武士のようであるなと勝手に思ったりします。
自分が若くないからかもしれませんが、
テンプレートをコレクションしまくったあとにやっと見えてくるのかもしれないとも思います。
武道の型のように、薄っぺらいテンプレートでなければ
繰り返していく中でより深くなっていくものもあるかも
なぁとは思いますね。

ただ、何にせよ、完成形というものはありえないので、
今手元にあるものはすべて懐疑的なものだとは
思いつづけています。
一方で、ああ、なかなかよくできた!と
自分のモチベーションも高めてますけどね(笑)

世の中、常に表裏一体でできていますよね。
>ともえさん
人は、何かを得た、と思った時、
何かを代わりに手放していますよね。
人が自分の身に付けて持ち歩けるものは、
せいぜいばば抜きの手持ちのカードか、
ジャケットとズボンのボケット程度で、
得たもの得たものが溜まってってる訳ではなく、
もう片方の端から落として行ってるものなんです。
だから例えば、会社を辞める時なんかにも、
得たもの、捨ててしまっていたもの全て
テーブルの上に出して並べて、
いるもの、要らない物吟味してから、そこからの歩き方を考えるのが好いのです。

>えっちゃん
そう、これは山を登るのと一緒で、
どの登山口から登っても、
その高さにとどまって、同期や隣近所との横並びや競り勝ちに終始するのでなく、
自分の山を登ることに幸福を見出す「志」ひとつあれば、
経路は違えど、必ず同じところに行き着くものと思います。

>森のくじらさん
そう、素振りのようなものの繰り返しが何時か意味を持つ事があります。
頭でなく呼吸で知るものは多いのです。

それから、「懐疑的」であったり、「そうでないもの」を探したりでは、
それも別の種類のテンプレートに到る事もあります。
人間関係の中で「困った人」があって、
「彼は避けたい」「彼みたいにはならないぞ」と思って気になり続ける事も、
結局彼と言う天体の周囲を回る衛星になっていて、
彼の引力圏に捕えられている点において、
彼を憎む前と憎んだ後の自分に差はないのですよね。
アンチは同調の一種なのですね。

>何にせよ、完成形というものはありえない
そう、それは、一生懸けた交響楽は何処を取ってもどこまでも素晴らしく、
「完了」は見えないけれど「完全」は常にあるのです。
若い未熟な時の演奏が不完全なのでもありません。
その時だから出せた計らいでない揺らぎも、青さも甘酸っぱさも、
私の年配になってからもっと上手に演奏したからとてもう二度とは出せない、
代えの利かない完全な演奏だった訳です。

良い時もわるい時も(そう見える時も)
いつも必ず順調なのだと、
「順調順調、なかなかいいよ」
と、自分に声を掛けながら行くのは
きっと素晴らしい人生の旅の秘訣になると思います。
よくいわれる「コップの水をすててから新しい水を入れる」というのはわかるのですが、
ええっと、
右脳左脳の話はなにかを手放して何かを手に入れるという
という一元的な話ではなく、左脳的なテンプレート(パターン)とそれを超えたとろの統合の話のつもりでした。
PAPAさんの話をとらえて書いたつもりでしたが、誤解させてすみません。
これ、わかりにくい話でしたね。
ともえさん
多分伝わってると思いますよ。
ただ私がここに書いた話は
ともえさんのコメントから連想した別の例話を書かせて頂いたような訳で
それのピントがズレてたかも知れませんね。

コップの話ですと、厳密には何かを捨てて何かを入れても同じな訳で、
コップを「握りしめていた手」そのものを開いてしまった時、
色んなテンプレートも、もっと大きな法則も、
どこにも逃げず手に乗って居て
必要に応じて自在に引き出されてオートマチックの無段階変速機として機能する訳ですよね。
そこに自由があるわけです。
>PAPAさんへ
主題とはずれる気もしますが、「今」だからできることは
ありますよね。というか「今」しかできないこと、かな。
やはり、それはそれで、常に120%のチカラを
出してやっていければとは思っています。

その上で、さっきつくった「今の作品」いや、正確には
「今の自分」を超えれよう日々精進していきたいもんです。
昨夜たまたまTVで老彫金職人のインタヴューをやってて、
年を取るとね、
老眼も入ってくるし手も震えたりする。
中々「ゆきとどく」と言う事が出来なくなる。
けれどね、
そのゆきとどかなさが程々出て来る事が、
計らいでは出来ない味になってくるのね....
と言う話が出てた。

※この、「ゆきとどく」については
先日私が自分で書いた日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=801757910&owner_id=127930
の続編というか、アンサーになってるんですがね。

まあ、若い内、頑張れる内、(五十くらいまでは120%の頑張りも利くでしょう)には
思いきり頑張ればいい。
それでもガチガチで行き届かない所だらけです。
それもまたいい。
それもまたいいし、120%頑張ったものでなければ見えてこないものもある。

でも、頑張った時にも、頑張り難くなった時にも、
我々が思う「こうでなければいやだ」を手離れた所に
何時も小智小才が思う以上の、その時その時、今、今の
完全はある。

ただ、
そこに(こわくても)完全信頼をして委ねて
まな板にしっかり両足乗る気持ち、
霧の中の谷底に、呼ぶ声を信頼して跳ぶ気持ち、
それは、
全ての鎧を降ろしたあとに残った、
小さなおつむでコントロールしない本来偉大な自己への無条件の信頼に成りきれるかどうかの、
勇気を問われる「関門」の時も、何時か人生にはある....
と言う事を知っておいてもらえたら
そう思います。
ここまでの流れとは全然関係ない事で、
ちょっと気になった事を一点書き留めさせて下さい。
...というか、
子供に対してすら書くのも馬鹿馬鹿しいような事なんですが...

皆さんはどうか、
肌の陰影を描くのに、グレー(墨)をブラシで吹いて付けるなんていう馬鹿な事、
人物CGの描き方なんていう名目で書かれてあるのを目にしても、
無条件で取り入れないで欲しいんですよね。

昔、ロリ絵の若い人に女性の透明感ある肌の「色」を数値でたずねて来た人が居ましたけど、
肝心なのは色味の数値なのじゃなく、光と構造の把握にある訳で、
彼もまた影と言えば条件反射的に「墨」を乗算させていました。
これはまあ、素人の事で、仕方ないと思ってましたが、
その後も誰に教わったのか、(特にフォトショップで絵を描かれる方に)結構そう言う人が多いのが気になってました。

ここに来られる人は、そんな馬鹿馬鹿しい
(影=黒(無彩色)なんていう思考停止した)テンプレートを
何の疑いもなく取り入れないで下さい。

因に影が無彩色になるのは、
光が完全に遮断される最後の段階であって、
肌の陰影、濃淡の色の変化は、
飽くまで肌の色のバリュー(光が肌に1ミリ程入ってから反射する分も含めた)であって(マーカーの写真参照)、
それは構造を知った上での「線の緩急」と同じ「面(色)の緩急」の表現だと言う事なのです。

私もこんな馬鹿馬鹿しい事を書く事になろうとは思いませんでしたが、
ベテランの絵描き達すらがありがたがる様な大御所がそんな浮かれた教示を
繰返し繰返し垂れて居るのを見かねて書いたような次第です。

それを疑いもせず有り難がってる私等年配の絵描き達自体が
地に落ちてるとしかいいようがない。
私を含め嘆かわしい話です。

因に、私はCG(私の場合Painter)で人の肌を描くのに何枚もレイヤーを重ねるような描き方は勧めません。
服だ背景だで分ける事はありますけど、肌は影が何枚も乗って足されてるのじゃなく、
繋がってる色面の緩急なんだから1枚です。

まあ、描き方は自由ですからいいっちゃいいんですけどね、
しかしそんな描き方で何十年描いても人を把握する事は無理だと思いますよ。
描き方は兎も角、せめて「把握」だけは1枚ものでいたしましょう。

キツイ事書きましたけど、私等世代の間違いは私等世代で訂正して行かなきゃ後進を毒してしまう訳で、
私等ベテランはくれぐれも真剣になって、
自分の満足感のために間違った考証、デッサン等のテンプレートのばらまきはせぬよう極力慎まなければと自戒するばかりです。
ベースにする肌の色によって濃い色も変わります。
コーヒーとココアじゃ別系統ですもんね。
肌は少しの乳白半透明の下から皮下組織や血液やメラニンの透けたものと一緒に光が帰ってくる訳で、
肌の下に墨を重ねると言う事は皮膚の下に黒い組織を覆うようなものじゃないでしょうか?
黒人の黒さと日焼けの黒さも、その透け具合の違いなんですよね。
まあ、そこまで描く事はないにしても、理解のために書きました。

ひょっとして、
この妙な影に関するテンプレートの遠因は、
石膏デッサンなんかにあったりして....
クロッキーもそうだけど、デッサンの陰影は
面と面の折り合いの理解のためのものだから、
(頭の中に個人の姿の立体を描ければもうそれでよくて)
「描き方」「塗り方」として影をそのまま引きずってはダメだと思うのです。
石膏デッサンもPAPA様が上記22でおっしゃるように
面のつながりを理解するため、
一枚であること、その中に面の緩急というか
無数の流れがあることを理解するために
作られているものであるはずで、
そこをちゃんとやって来ているものはむしろ
誤解していないと思います。

たとえば「マンガ表現」にしろ「デッサン」
にしろ本質的な意味でなく形だけをまねて、
何とかこの世界に来ようとしている多くの方々に
きちんと本質的な「理由」を教育する機会がない
そのことのほうに問題を感じたりしています。
日本人ってなぜか
影つけが屁っぴり腰ですよね。
線の民族だからか...
海外TVドラマの「ヒーローズ」の中に出て来るイラストを見ながらつくづく思いました。

しかし、多くの漫画、アニメの志望者が、
漫画の中の「影の形」を暗記して覚えたテンプレートを使ってるケースが多いですね。
元が違ってれば、それを利用する人も同じ間違いをして、
それが遺伝的に殖えて行く...

影は描かれた一人一人の人相の違いやシチュエーションに応じてその都度シミュレーションされるものだから臨機応変なもの(それらが要請するから描かれるもの)で、
暗記してもしようがないものなんですけどね。
第一人物に乗っかった影と言う膜が別物としてあるのでなく、全てが表情であり仕草なんですよね。
ある表情や仕草の如何を伝えたい。
表情や仕草の中に見える微妙な心理の動きやニュアンスは、
目鼻口といった福笑いのパーツのパターンで表現するものではなく、
むしろパーツの線の無い頬、オデコ、口周り等の部分の緊張や弛緩に負うところが大切なんですよね。
目鼻口がメインで影はムードの添え物ではなく、
ただ描かれたいものの表情とシチュエーションがあるだけ。
描き方を描くのでなく、
うまい絵を描くのでなく、
「それがそうである様」を全力で再現する、それだけなのですが...

ただ、この事を改めて書くのも何か自分で書いてていやらしい...
なんでしょうこの感じ。
絵を改めて説こうなんていう時、自分がすごく傲慢に見えてしまうのです。
かといって見るに見かねる事もある、と...
全部目を通しました。


で、一筆書きも試しました。 
PAPAさんよくこの一筆書きを勧めますね。

これを続けるとどういう効果が有るのですか? 

そらんじて線を模索するので、トレーニングになるんでしょうか?

或は輪郭線に意味が有るという事ですか? 



お手隙の時に、その効果をもう少し解説下さいませ。

私の場合、丸写しはほとんど問題なく描けるのですが、「そらんじて」というのが全くダメです。 
もしこれがそういうトレーニングになれば有り難いんですが。 
良いという事は、一応試します。
絵柄が壊れようが整うまいが
そんな事より先に身に付けなければいけない一等最初が「描線一本の長さ」なのです。

音楽で言うと♪三つか四つの1小節単位で曲を把握したり作ったりするのではなく
1フレーズと言うスパンで把握すべきです。
名人になると1コーラスで把握してコントロールする事でしょう。
「さいた」を覚えてトレースし、
「さいた」でまた息継ぎし、ではなく
「咲いた咲いた チュウリップの花が」と言う呼吸単位の把握と書き癖が当然になる事が
心を込めた表現をして行くための基本なのです。

済みません、
今タイムトライアル状態の仕事中なので、
詳細は更に深読願います。
何通もの添削も今仕事でタイムレースをしながらの走り書きしか出来ていません、
ご勘弁下さいませ。

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