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【東北限定】あなたの町の郷土史コミュの【東北】の歴史 中世【岩手】溝口氏、結城氏、工藤氏、川村氏、閉伊氏、阿曾沼氏、和賀氏

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皆さん、こんにちは。
管理人のけいちゃんです。
このトピックのテーマは【東北】の歴史 中世【岩手】溝口氏、結城氏、工藤氏、川村氏、閉伊氏、阿曾沼氏、和賀氏 」です。
あなたが知っているあるいは調べた「【【東北】の歴史 中世【岩手】溝口氏、結城氏、工藤氏、川村氏、閉伊氏、阿曾沼氏、和賀氏 」に関わる歴史上の人物、事件、政、宗教、伝統、芸能、美術、生活などについて、写真や図案を交えながら、自由に記述してください。

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 源義経が打たれ奥州藤原氏の滅亡後、頼朝は、阿曽沼祖 阿曽沼広綱が遠野十二郷を文治5年から慶長5年(1189〜1600)の約4百年余収めていました。
 遠野阿曽沼の初代は、親綱 又次郎です。家臣の宇夫方氏は、横田城を築いて遠野郷を開拓していきましたのが阿曾沼一族の遠野支配の始まりです。また、大槌城を拠点にしていた大槌孫三郎は、阿曾沼氏の弟でした。
 遠野は、鎌倉時代に入りと、妙泉寺=現早池峰神社などの天台宗や真言宗の密教系のお寺が、浄土真宗や臨済宗、曹洞宗、日蓮宗のお寺に転化していきました。阿曾沼氏も、東禅寺を建立して、200名もの僧侶が修行し、みちのくの臨済宗の拠点とでした。
 しかし、鎌倉の世は、安定して時代ではありませんでした。北条に対する不満から後醍醐天皇と光明天皇という朝廷が分裂してしまい、阿曾沼氏や葛西氏、八戸南部氏は、南朝(光明天皇)を支持し、合戦が続きます。この時、大槌城で南部守行氏が戦死しております。
 また、戦国時代も後半になると十三代 広郷 孫次郎は、鍋倉城を建立します。織田信長死後、豊臣秀吉が天下統一を進める中で、秀吉は、小田原を拠点とする北条打ちにあたり、全国の武将に参戦を呼びかけます。
 ところが、阿曾沼氏や葛西氏、大崎氏などは、派兵しませんでした。この決断が、のとに阿曾沼氏の滅亡を視野してしまいました。
 また、この時代、釜石には、阿曾沼氏の支配の中で、狐崎館、柏館、野館のお城がありました。
 そして、慶長8年(1600年)の関が原の乱の際、阿曾沼氏と南部氏は、山形に出陣します。この際、帰国を許されなかった阿曾沼氏は、家臣の南部氏と結託した鱒沢氏が氾濫を起こして、鍋倉城を乗っ取ります。そして、大槌孫三郎氏は、戦死しております。
 その後、伊達政宗の援助により三度の遠野奪回戦を行うも退却を余儀なくされ、以後伊達氏に寄食するのでした。
 ここに鎌倉以来の阿曽沼氏遠野統治は約四百有余年にて終わりを告げたのです。
阿曾沼時代の釜石・狐崎城

ボランティアガイドの副会長さんの助言で、いつも遠野郷の歴史を勉強させていただいております。
今日は、阿曾沼時代の釜石・狐崎城についてお話します。
阿曾沼時代のお話は、資料がすくなく、伝えれているお話が主のようです。
釜石市誌に掲載されている記事も少なく、遠野市誌や大槌町誌などもページを覗かせてもらいました。
釜石は、鎌倉時代からには、遠野郷の阿曾沼氏によって、江戸時代、遠野南部氏によって統治さらえてきました。
鎌倉時代も終わりになり、南北朝時代、遠野の阿曾沼氏らは、南朝を支持していました。
その後、応仁の乱が起こり、戦国時代が始まりました。
東北も争いが劇化し、遠野郷の阿曾沼氏も隣の気仙の葛西氏と戦闘を繰り返していました。
永享9年(1437年)遠野郷の阿曾沼氏は、三戸南部の救援を求めながら、葛西氏、大槌氏と苦戦をします。
この際、南部守行氏が大槌城激戦で戦死します。
戦国時代も終盤、阿曾沼氏は、城を横田城から鍋倉山に移し、あわせて菩提寺を移します。
この間、本能寺で信長が戦死し、天下は秀吉に移します。
秀吉は、小田原を拠点にしている北条氏攻めを全国に呼びかけるのですが、東北の阿曾沼氏、葛西氏、大崎氏は参戦をしませんでした。
それが命取りとなり、阿曾沼氏は領主権、領土を没収されます。
慶兆9年(1600年)の関が原の闘いで阿曾沼氏は、南部氏といっしょに、山形に出陣します。
ところが、南部領で旧和賀氏らが反乱を起こし、帰国を許されませんでした。
この際、南部氏が阿曾沼氏の家来の鱒沢氏に通じ、横田城を乗っ取ります。
阿曾沼氏は、伊達氏の支援の元、奪回のための戦を挑みます。
釜石では、狐崎城での戦があり、鱒沢氏を支持していました。
狐崎城は、阿曾沼の家来荒屋肥後氏がおり、葛西氏の援助の元、伊達氏の攻撃に備えていました。
慶長6年7月、狐崎城は、伊達氏の包囲され、一日で落ち城兵161人は打つ取られます。
阿曾沼氏は、ふたたび遠野へ兵を赤羽根峠に進めますが破れ、3度目の五輪峠と樺坂峠でもあえなく鱒沢氏にやぶれ、遠野郷の阿曾沼氏の支配は終わります。
その後、遠野郷は、南部氏の領有となり、狐崎城は、狐崎玄蕃と菊池勅宣が代々城主をしてきました。

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