ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

[語学]枝雀マラソン[音読貯金箱]コミュの【記憶の真髄】覚えるは忘れることと覚えたり

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
後で詳しく書きます。
自動車普通免許3時間
医師国家試験3週間足らず
センター試験世界史満点とりましたので
実社会で役に立つ実力とは別に
大量の事項を短期間で一揆に覚えることにかけていくつか修羅場くぐってきた身として語学にそういうスキルをどう活かせるかということについて

詳細はまた後で

コメント(84)

>43
>これは、龍さんが、医師国家試験の過去問題集、入試の過去問題集などを多読・音読(マグロ読み?)されたことに通じます。初めから、使用頻度の高いものを集めた教材をターゲットとし、何回も音読することで体に取り込んでいく




ちょっと誤解があります。
その時にしたのは黙読。時間が極端に制限されてる中で最大の情報量を得るのは
音読ではなく黙読による速読多読です。
それも、その状況で敢えて「覚えよう」としなかったことが味噌です。
潜在意識に残ることを期待して試験直前まで何度も何度も「忘れ」ました。
即ち「インプット」したわけです。
「忘れる」っていうのは何も知らない。インプットしないのとは全く違います。
脳の積極的な働きであるのではないかと思っています。
忘れるためには一旦インプットして情報を脳に通貨させなくてはならない。
限られた時間の中でこの頻度を最大限にあげようとしたということです。
もしこれを音読でやろうとしたらその頻度自体が何分の一、何十分の一に減ることになります。

もっともこれを普段からやるのは難しいです。
崖っぷちに追いやられて交感神経が極度に緊張し
アドレナリンがびゅんびゅん出てる状態だからできたことではあります。
>43

>龍さんのおっしゃるように、多読を最大限に活用する理由は

>・使用頻度の高いものと低いものを嗅ぎ分ける力をつける
>・使用頻度の高いものといろんな文脈で出会うことで自然に吸収し、アウトプットにつなげる
>・暗記すべき量をミニマムにする

>ということになるでしょうか。


言語習得ということに関しては確かにそうなんですが
言語習得は最終的に何が目標になるのかというと、それは個人により様々ではありますけれども
大目標としては
「情報の抽出」
なのではないかと思うわけです。言語を覚えるという果物は、その大目標達成のための手段であり
またそれに伴なう副次的産物であるのではないかと考えるわけです。  すいませんわかりにくくて。
ちょっとこの話しし出すとマニアックになりすぎてと参加者が減るかもしれません。


今司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読みかけで停まってるんですけれども
日露戦争のころの日本の話です。
当時新生弱小国と世界から見られていた日本を列強の仲間入りさせたこの戦争の勝利であったわけですが
その立役者である秋山兄弟の弟秋山真之が日本海軍の戦略戦術を指揮したのですが。
当時もともな国際戦争の指導者もいない日本において一回の若者であるかれがそのような人間になりえたかというと
司馬遼太郎によるとそれこそ中国の春秋・戦国時代の孫氏の兵法から当時最新のものまで
古今東西の戦術書・戦争の記録を細部に拘らず片っぱしから読み倒し
そこから共通するパターンというかエッセンスを抽出するということをやったわけです。
当に現在で言う「速読」ですね。
司馬遼太郎がそれを書いた頃というのはまだ「速読」という言葉自体が認知されていなかったと思われますが
誰に教わることもなく秋山真之という人はそれを実践していたわけです。
言語は英語仏語日本語中国語を問わずと言うから当時の日本において外国語の達人でもあったわけです。
彼のやった多読・速読によって現代日本があるとも言えるわけです。

これは医者の世界でも似たようなことをしなくてはならない場合があって
次の日の朝のプレゼンテーションで英語日本語問わず何百ページものリーディングをこなして
それを5分ほどのプレゼンにまとめなくてはならないという要請があったりするのですが
そういうことをしていれば言葉の習得っていうのはいやでも付いてくるということがあります。
英検合格やTOEIC高得点とかいうのとは全く質の異なる話になりますけれども。
>すると、残るのはやはり文法ではないかと思います。
>助動詞であり、時制であり、関係代名詞など (英語の場合)。

>これらは言語の骨格の部分なので、国弘流音読で数百回音読して固定化しても、弊害は少ないばかりか、むしろ有益だと思います。国弘さんが中学校の教科書を音読されたことに通じ>ますね。もちろん、不自然な英文の暗記は好ましくないので、教材は慎重に選ばなくてはなりませんが。


この辺りは全く同意ですね。文法が疎かな語学力は砂上の楼閣です。
この辺は私は既に書いたように
中学レベル+αの文法は中学校時代の塾の先生に
その後大学時代は自分で
ストップウォッチ計測による速さを追求する音読方法によって身に着けたと思いますし
音読を重点的にするとすれば基礎的文法に力をいれれば
後々有効であることは間違いないでしょう。
今やっている中国語の文法に関しては中級レベルの700pのテキストを約3日で速読して
その後枝雀と多読に力入れていますが
それがどう出るか。今後やはり音読により基礎文法を内在化する必要性が生じるのなら
するかもしれません。

受験の神様といわれる伊藤和夫氏のコミュで
「語学って言うのは理解半分・慣れ半分」とか言う言葉がありましたが
実用英語の立場からすると理解が1で音読等による反復練習99ですよ。
それは理解(文法等)を軽視するのではなくて
寧ろちゃんと理解は必須としてそれを使えるようにするには
その理解に費やした努力の100倍の努力を音読等による反復練習に費やさないと使い物になりませんよ
という意味です。

というわけで文法絶対重視というのは当然として
但し読書等のインプットによる語感を磨かないまま、文法事項について
無意味に細部にこだわると↓のようなことになったりします。(見られるのは私のマイミク限定です。すいません)
英語習得のための道具である文法が目的化したというか
本来解かり易いものを解かりにくくして学習者を惑わすことでご飯食べてる人が多くいるみたいですから。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=258596233&owner_id=4214822
あの、すみません、一つだけ確認させてください。
松本さんの本は以前読んだのですが「多読せよ」しか覚えていなくて(ごめんなさいごめんなさい)、松本さんは多読は辞書を引かずにするのがよいと書いていらっしゃいましたっけ??T.D.ミントンの「日本人の英文法」内では、辞書ナシの多読を勧めていたとは記憶しているのですが、松本さんもですか??

私、多読は電子辞書引かないと意味ないと思うし、単語の意味を調べてもどうしても理解できない文章は文法を知らないからと気づき、文法書を自分で調べたりしたので、文法力も付きました。(大学受験ナシで入ったので本当にバカだったんです。)つまり、意味がわからないところを絶対にそのままにしないように心がけながら、多読しました。どうしてもわからないところはプロの翻訳家(で教壇に立っている方)に聞いたり、ネイティブに聞いたりして必ず解決させました。私にはこれも重要でした。使った教材は、Japan Times 飽きて News Week 飽きて Time すぐ飽きて Economistです。今は、政治経済モノとは全く違うものを読んでいます。

Kozoさんが挙げていらっしゃったSSS式というのは、伊藤サムさんが提唱している「絵本爆読しろ」と同じですか?

しかし、「英語道」の精神はこのコミュが継いでますよね。すごいなあ・・・。
チビむむぷうたん。さんは
既にTOEIC900点台後半で英検1級取ってるから
その辺り微妙ですよね。

置かれている状況でどのような英語を要求されているかにもよりますね。
学者やビジネスマンが道具として英語を使うなら
もはや英語そのものを学習するのは卒業して
ばんばん多読すればいいようにも見えますが。

厳密で正しい英語を話す必要のある職場のようにも聞いているので
英語そのものを洗練化する必要性があるのかもしれませんね。
ちなみに私も1回目の大学はエスカレーター式で行ったので
受験勉強の洗礼は受けていませんでした。
KozoさんのそのMDプレーヤー
私も持っています。日記でも書いたことがあるのでまた探しておきます。
あれスピードコントロールだけでなく
重点的に聞きたい箇所を自由に切り取って
そこだけリピートできるのでその機能も
フルに使ってました。

スローにする、細かく区切るというのは
DAC(divide and conquerとまた勝手に造語してしまってます)という考え方で
またそれはそれでトピ立てして書こうとおもっています。
>55
Kozoさん

強いてどれかといえば2の例文集です。
ただし手作りの。
受験の世界では文例700選とかありますが
TIME, Newsweekやペーパバックを読んでいて
内容的にも表現的にも「これはいい」「使える」と自分で閃いたものを
先に行った大学ノートの左ページに、その対訳も自分で訳したものを右に書きました。
ペーパーバックの1,2パラグラフをそのまま書き写したものもあります。
後は文法重視だった旧英検対策もかねて文法書からの
文例もピックアップして書き写しました。
大学2,3年の当時は読解問題は多読によって割りと自信があるのに
文法事項が甘かったものですから1次の筆記で何回か落ちてましたので。
英検1級に合格した時は解答で採点していた時自分でもこれはできたという手応えがありましたが
唯一つ間違った箇所があり、これは自分の覚えたものと違うと思い
文法書と自分の書き写したノートの文例を比べてみると
私のミスで書き間違いしていたところをそのままストップウォッチによる方法で覚えていたためとわかりました。
それくらい体に染み込むくらい完璧に覚えこんだということです。
発音記号やアクセントも書き込み完璧を期し、ストップウォッチによって
考えなくても口から正しくて英語らしい表現が出てくるまで訓練したことで
その後英語を話すことで飯を食うことの飯の種ができたと思っています。
口下手だった高校時代や大学1,2年の頃の自分しか知らない旧友は
そういう自分があるというのを信じないでしょうね。

当時のこの手作り文例集ノートが紛失してしまい残っていなくてどういう文例があったのかを
示せないのが残念です。

このように既存の教材を使わず全て手作りでやったのは
その後の英語人生を考えても財産になっており非常に良かったとは思いますが
今考えると労力対効果の点でどうなのかなと思いますね。
膨大な手間暇をかけているわけですから。
今は中国語では中国語ジャーナル等の既成の題材を使っています。
英語で言えばEnglish Express等を使っているというかんじでしょうか。
英文のスクリプトのすぐ傍に日本語対訳もあり
当時出ていた教材よりずいぶん使いやすくなっていますから。

しかし書いていて当時の記憶がよみがえってきた。
中国語で手作り文例集をつくるっていうのもいいかもしれない。暇があればだけれど。
>既にTOEIC900点台後半で
ひー、わたし、900点台まだ前半です(滝汗)リスニングがボロボロなのです。つまり、書かれた英文を読む以外が大の苦手なのが課題です。
職場はノンネイティブが主流なので、厳密でまでなくてもいいのですが、やっぱり英語力はあげておかないと、いざって時に私の英語力不足で、周りが不安を覚えたり、頼ってもらえなかったりします。でも、なんとかなってしまっているので、努力しようというモチベーションがあがってこないのが現状です。中途半端って一番問題ですね。しかし、どうせ勉強始めたからにはもっと頑張って上のレベルにしたいものです。でも、今、モチベーションを見つけて喜んでいるので(趣味の、イギリスとインドで盛んな学問のようなもの)、またボチボチ頑張ります。

SSSのこと、解説ありがとうございました!
私、伊藤サムさんの説を知った時、たくさんは買えないからと、図書館で絵本を探し回ったんですが見つかりませんでした。あちらの子供の英語の学習過程を再現したいと思ったんです。簡単な絵本→小学校の教科書やこの年代の子用の読み物→中学校の教科書・・・のように順を追って、覚えこんでいくのが役に立つんじゃないかって思ったのですが、教材が揃えられないと断念していました。でも、SSSにありますね!

高校生の時だったと思うのですが、「考古学者のシュリーマンは発掘に行く先々の国の言葉をマスターする際、その国の言葉を何もしらないのにいきなりその国の言葉で書かれた本を数冊丸暗記してから現地に行った」と誰かに聞いたのがとても印象に残っていて、いきなり多読を始めたのも、たぶんこれを聞いたのが基盤になっているんだと思います。でも、その後行き詰って、國弘さんの「学び方」を読み、本屋さんで只管朗読の教材を見つけた時は衝撃でした。ああ、私、これを同時にしなかったから、片手落ちというか、バランスが取れていないんだなーって。

さらに、龍さんのこのコミュを見つけてさらにビックリ。
私は、http://www.kh-system.com/power_of_listening.htmlの考え方を利用して、同じ音教材を真似しながら何度も何度もシャドーイングしてみていたけど、ワンテンポ遅れたままで仕上げとするのはまだ中途半端だったんだなあ。完全に重なるように憑依するまで身体に叩き込むんだ、そこまでしないと、血肉とはならないんだなあって。これは真理だろうと思いました。

たくさん情報頂いて、イロイロ教えて頂いて本当にありがたいです。私なりにイロイロやってみます〜。
>57
てんまさん
>という体験、分かります。私も当時はそうでしたね。TIMEで
>なけりゃみたいな意識があって、今になって考えたら全然
>読めてなかったとおもうんですけどね、TIME。


こうやってこのコミュで発信しているように
できるだけ合理的効率的な方法を追求しているようでいて
結局は精神論に行き着くのかなという感もあります。
あの時にリーダーズダイジェストやNHK英会話に手をつけるというのと
無理矢理急激に視力を落とすまでしてTIMEを読んでいた(というより食らいついていた?或いは目を動かしていた?)のと
どれほそその後の英語力の伸長に差が出来ていただろうとか考えると
あの無茶がなんだかんだいってその後何年もの英語を支えているわけですから。
あとFENをノイズだらけの短波放送で受信して聞いたりとかね。
あれは無駄が多かったような気がするなあ。当時はそれしかなかったにせよ。
今なら字幕つきDVDとか良いものがたくさんありますからね。

>あと、反復練習や多読・多聴などによる実践で文法などの
>理解が強化される面がありますよね。

>量をこなすことによってようやく単語のコアイメージが
>段々とハッキリ見えてくるというのもあるけれど、文法項目の
>イメージも量をこなしてやっと掴めるという様な気がします。


同意です。
単語・イディオムもそうですけど英文法のヤマである仮定法・仮定法過去・時制等も
テキストや辞書に出てくる文例だけでなしに
いくつもの文例に触れて始めて適切な場面で適切に使えるようになるということですね。
だからインプット=多読をしない語学力は砂上の楼閣だということじゃないかと。
(ただし文法の仮定法とかのあたりはストップウォッチによるスピードを上げて徹底暗記うることにより覚えたのがコアになりましたが)
>手作りだったからこそ、そこまで身についたのかもとも思いました。
>愛着も湧きそうだし、大切にしたい気持ちがでると思います。
>これもまた、検討の余地がありそうなテーマですね。


自分で書いてて、そうなのかもしれないと思いました。
それを引き出してくれたのはKozoさんのツッコミですけれど。
あの手作りオリジナル文例集は
自分が「惚れた」英文・表現100%集めたものですから
あの時点での自分にとって世界最高の文例集だったことは間違いないですからね。

 ただ現時点で中国語が発展途上なわけですが
同じことをやるべきなのか、
20年前とは違い、目覚しく進歩した教材(中国語ジャーナルや映画・ドラマ等のDVD等)を使用するかは
労力対効果を考えた場合、非常に悩ましいですね。
なんといっても当時は学生でしたから。
チビむむぷうたん。

>ワンテンポ遅れたままで仕上げとするのはまだ中途半端だったんだなあ。完全に重なるように憑依するまで身体に叩き込むんだ、そこまでしないと、血肉とはならないんだなあって。

シンクロニゼーションはそんなに量をこなせるものではないので
厳選した「少量」のものは徹底的にやってコアになるものをつくり
後はてんまさんが書いておられるように
「8割」できたら次に進むっていうのも大事だと思います。
でもリンク先のシャドーイングは100%できるくらいまでやらないとっていのはいえてますね。
100%とは言わないまでもそれくらい繰り返さないと。

最近流行のシャドーイングって単に音だけ闇雲に追っかけていって
しかも1日15分ってのが一般的認識なんじゃないですかね。
それでどれほどの効果が期待できるのかなと思います。音読にしてもそう。
そりゃやらないよりはいいけど(眠いのでまた)
職場から携帯ですがこのコミュの参加者が現時点で100人越えました。
皆様の活発な議論とご協力のおかげです。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
私のPCにはPDICではなくDDwinが入っているのですが、DDwinでもこういうポップアップ検索ってできるのでしょうか?

もしかして今までろくに使わず、放置してたのってもったいなかったかな〜(何のために入れたんだよあせあせ(飛び散る汗)
あ〜っ、今、みつけました。
DDpopっていうのを使って、Ctrl+右クリックでポップアップ検索できましたっexclamation

どうもありがとうわーい(嬉しい顔)>Kozoさん

英辞郎は今のところ専らオンラインの辞書使ってますが、
ほしいっすね〜、最新版。
みなさん英語について、熱く論じていらっしゃるので、
思わず昔のトピなのに書き込みしたくなりました。

表音文字と表意文字という違いがあるので、
脳内認識も英語とでは比較にならないかも知れませんが、

あえて言えば、中国語では国弘式が先、松本式は後だと思っています。
漢字に頼って、中国語の言語としての本質が見えづらくなる?
のを防ぐためにも、音読で耳・口の基礎+基本文法を鍛えると早い(かも)。

ただし、「漢字を見ればなんとなく分かるから」という理由で、
中国語の場合、ほとんどの人が国弘式の段階で学習が終わっています。
現在の「聴いて会話できることが大事」という趨勢も、それを後押ししているかな。
多くの人が初級の段階で「中国語は漢字で見れば簡単なのに…(話せない)」
という消えがたいトラウマを負うせいか、それをレベルの高い段階になってもひきずり、
あまり「読む」ということを重視しなくなっているように思います。

一方で、中国人と対等に話すには、「読む」「書く」が不可欠かと思われます。
けして日本ほど識字率が高くない(と思われる)中国においては、
「書ける」ということへの根強いこだわりがあるように思います。
大体の中国人は外国人が中国語を話すとびっくりしますが、
さらに言えば、外国人で中国語を「書ける」というのは、
彼らにとっては自分の想像を超えたレベルです。
おそらくは、漢字(文章)が、正規の教育を受けた人間と受けていない人間を
分ける触媒?の役目を果たしているからだと思われます…。

もう一つは、中国語最大の難関である「故事成語」「四文字熟語」
を効果的に習得するためには、いつあるか分からない自然な会話を待ったり、
おそらく意味も分からず聞き逃してしまうであろうリスニングの時間を多く割くよりも、
読むことで接触の機会を確保しておいたほうが、色んな意味で効率的なように思います。

中国語を話せる日本人が少ないという理由で、
英語のそれより低いレベルのなんちゃって通訳・翻訳が巷にいますが
(=自分への自戒も込めてです)、やはり「中国人と対等に話す」ためには、
最後の決め手は「読む」量ではないかと…現在の段階では思っています。
いつかレベルが上がれば、また考え方は変わるかもしれませんが^^;

そうでないと、日本に来る優秀な中国人に負けっぱなしになっちゃいますよね。
現状自分も、「月とすっぽん」レベルで負けています…。
中国語は音から入らないといけないという意見は小生も賛成です。
その点、英語と全く同じやり方だと駄目かもしれません。
あと、英語と違い、中国語は話しことばと書きことばの差異が凄まじいです。
中国語の聖書持ってるんですけど、文体が話し言葉と全然違います。
英語に関して自分のたどった道を厳密に振り返ると
やはり音読(どちらかといえば國弘式)から入って、松本式多速読は後になってからだったのですけどね。
しかも最初はシンクロニゼーションで
手間ヒマかけて音を徹底してマネた。
自分の中国語でも同じ。
言語の違いによらず
もしかしたらそれが王道なのかもしれません。
どの言語でも共通するとしたら、速読(というか、読書)って、
PCでいうとCPU?にあたるものではないでしょうか。
一番根幹となる、言語の処理能力速度を鍛えてくれる気がします。

特に、ちょっとこむずかしめの、長い話を聞かないといけない場合、
リスニングや音読の時間よりも、読書の時間を多くとったほうが、
結果的に話が聞きやすかった…なんてことはありませんか???

音読はCPUの一部にもなり得ますが、その一方で、ある程度の段階を過ぎると、
エクセル・ワードのような「実際の技能(効能)」の面が強くなるかなあ…とも思います。

PC初心者の場合、PCそのものの中枢について細かく考える(読書)よりも、
まず、比較的簡とっつきやすいソフト(音読)から使えるようにしますよね?
そうすることでPC自体の構造もなんとなく分かってくる…

うーん、上手く説明できなくて申し訳ありません。
ミイさん
リーディング=CPUを増やす
の喩え、なるほどと思いました。

私はリーディングはスポーツでいうランニングにあたるのではないかと考えてました。
ボクシングでも4回戦レベルだと走り込みのみで勝てるという人がいるくらいで。
野球でも投手は走り込みしないと良い球が投げられないとかいいます。
多少の会話の稚拙さ、というか流暢さの欠如は
走り込み=圧倒的な量の読書でカバーでき、同時通訳までは無理としても
特に内容的に充実した話し・ができると思います。
音読は技術の根幹であるフォーム造りで
テニスや野球でいう「素振り」かと考えています。
yasuさん
コメントありがとうございます。
実は以前yasuさんの日記を訪ねた時に紹介していただいていた
The Surgeons
をアマゾンで購入したところです。
あの本の英語は活き活きとしていて
音読材料としても最高だと思いました。


音のピッチもそうですが言葉には女言葉・男言葉があって
初期段階でそっくりマネてしまうと男なのに女言葉を話してしまうという現象が起きてしまいますね。

ログインすると、残り63件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

[語学]枝雀マラソン[音読貯金箱] 更新情報

[語学]枝雀マラソン[音読貯金箱]のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。