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青山繁晴『深淡生』コミュの日本という国家が自立するには【天皇と戦争責任 編】

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さて、るるーさんからの依頼があり、もしかしたら最も厄介かも知れないトピを立てることになりました。
日本という国家が自立するには【天皇と戦争責任 編】です。

基本的にトピ主は知識不足ですので、このコミュの基本精神であり青山さんが提唱している『ともに考えましょう』を掲げて、皆さんと共に考えていけたらと思っています。

以下はぬりさんの文章からの引用です。
****************************

■天皇について
・戦争責任
天皇に関する戦後のねじれは、宣戦の詔勅に捺印し発布した責任と、その名のもとに死んだ自国の兵士たちに対する責任が、(GHQの策略と日本側の望みとして)戦争裁判で免責され、戦犯が代わりに絞首刑にされたこと、また併せてその後天皇も自身の責任を明らかにしなかったこと、さらに天皇に向けられるべき責任の問いかけが社会的に抑圧されてきたことからくるものである。死者の声を代弁すべき日本遺族会が、天皇を責めるのではなく慰霊を懇願するという、これまた離れ業的な主張の反転をさせてしまい、死者たちの遺言執行人がどこにもいなくなってしまった。その抑圧が、1966年、三島由紀夫に「英霊の声」を書かせた^1。日本の保守派は、天皇に道義的責任はないという戦後的な詭弁を捏造することで、致命的な弱点を抱えることになってしまった。大岡昇平は天皇の生涯に触れ、心からの敬愛に立ち、死者への責任を追及した信奉者を、一人として持たずに逝った「裕仁氏はやはり運が悪いおいたわしい天皇だと言わざるをえない」と言った(「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」大岡昇平)。私達はせめて、「責めはしないが正しくはないこと」と断言し、この過去のねじれを直視する必要があるのではないだろうか。

****************************

2006年。あの戦争が終わってから61年がたつ。
しかし、日本はいまだ戦後を引きずっている。
高度経済成長時の経済白書は「もはや戦後ではない」といったが、表面的にはどうあれ、日本は戦後の影を取り払えてはいない。

そして、戦後右翼、左翼入り乱れてイデオロギーと史観を戦わせてきたのが、戦前の総括、太平洋戦争の位置づけ、東京裁判の評価と天皇に対する戦争責任論であったろう。

戦前、太平洋戦争の総括は他にトピが立つようなので、ここでは深くは触れない。

太平洋戦争後、GHQが日本の占領統治のために天皇を政治利用した事は間違いない。そのために東京裁判には天皇ではなく、戦争遂行人として東条英機以下のいわゆるA級戦犯が起訴され、裁判が行なわれた。

そもそも、戦争責任とはなんだろうか?
この単純な疑問に突き当たる。
まず、この疑問が解消しなければ先には進めないのだが、ここはあえて強引に進む。

明治憲法下においての天皇の位置づけをどう考えるか?

昭和前期、あるいは太平洋戦争において天皇にはどんな責任があるのか。またはないのか?

天皇に責任があるとするならば、誰に対してどんな責任があるのか?

天皇に責任がないとするならば、誰がどんな責任があるのか?

東京裁判をどう評価するのか?

戦犯をどう考えるか?

そして、これらのことから派生している「ねじれ」とは?

そうしたことについて考えていきたい思います。
この他にも論点はあると思いますので、是非書き込んでください。
疑問だらけののトピになりましたが、ご容赦を。
というのも、管理人にも確たる定見がないためにこうなりました。
皆さんの意見や疑問を見ながら共に考えて生きたいと思います。
よろしくお願いします。

コメント(52)

聞くばっかりでは失礼なので、指導者の戦争責任なるものについて簡単にまとめます。すなわち、

政治家は国政に関して法的には結果責任を負いません。結果責任を問われるのは政治責任/道義責任でしょうが、もともと「確実に国民を幸福にする/間違っても敗戦に伴なう塗炭の苦しみを国民に味あわせない」などを履行する義務も責務も指導者にはありません。

なぜならば、歴史の激動が人智を超えるものである以上、不可能事を誰も約束もできないし不可能の不履行を責められる筋合いもないからです。ならば、政治指導者の責任を追及する心性は、国は国民を幸せにする責務があるという、国への甘えではないでしょうか。

次に、日本は自身の手で戦時指導者を裁いてこなかったという主張に言及します。日本国民には彼等を裁くチャンスはいくらでもあったでしょう。

しかし実際には、ほぼ国会の全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を日本人は行った。ならば、これこそ日本人が彼等に下した明確な<裁き>ではないでしょうか。

それとも、戦時指導者への裁きとは彼等を批判・糾弾するものに限定されるのですか? そんな限定の根拠はどこにもない。ならば、戦時指導者を批判的に裁くべしという主張は<私怨>もしくは<妄想>に過ぎないと私は考えます。
おそらく若い人の中には、日本が侵略戦争を行ったと思い込んでいる人も居るかもしれませんので、おおまかにでも、歴史的事実関係を知っておく必要が有ると思います。

先の日中戦争は、中国側から仕掛けられたものですし、宣戦布告は、昭和七(1932)年に毛沢東が日本に対して先に行っています。

その後、中国側による在中日本人を狙ったテロが頻発し、さらには、アメリカの中立義務に違反した中国(蒋介石)への軍事援助もありました。フライング・タイガースなどは、現在アメリカでは正規軍だったと認めているそうです。なお、中国の共産主義勢力も、ソ連から軍事援助を受けていました。

これらは、日本の真珠湾攻撃以前から行われていた敵対行為ですから、日本側からすれば、これらに対する攻撃は、正当な自衛行為だと言えます。
>KABUさん。

う〜ん。いちようトピ主ですので、疑問と言うか、釈然としない所を書いてみます。
多分、間違ってるんだろうけれども・・・。

>なぜならば、歴史の激動が人智を超えるものである以上、不可能事を誰も約束もできないし不可能の不履行を責められる筋合いもないからです。ならば、政治指導者の責任を追及する心性は、国は国民を幸せにする責務があるという、国への甘えではないでしょうか。

では僕たちは何のために政治家を選挙によって選んでいるかがよくわからなくなってくるのですが・・・。
僕は基本的に、国は国民に安全、人権、後なんだろ・・・他にもあると思うけれど、そうしたものを保障する代わりに、国民は納税などの義務を負っている。
そこには、国と国民の間で暗黙のうちに契約が生じていると思っています。

そして、そうした国の代表者を選挙で選ぶということは、国民の側から見れば国は国民を幸せにする責務があると思うのですが・・・。国民の代表者が政治を行なう以上、国民の幸せにする責務がある。
国民を幸せにする責務がなければ政治家は何を根拠に政治を行なっているのかがよくわからないのです。
間違ってるのかな。
論拠はないです。僕がそう思っているというだけです。

それとも明治憲法を考えるとそういう結論になるんでしょうか?
明治憲法の第九条には
天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス
とありますが・・・。

>戦時指導者を自ら裁いてこなかった。しかし実際には、ほぼ国会の全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を日本人は行った。ならば、これこそ日本人が彼等に下した明確な<裁き>ではないでしょうか。

昭和28年の決議かな。僕も詳しくないので今ネットで検索かけて見つけました。

「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書と答弁書
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yasukunisitumonntotoubenn.htm

ネットで見つけたものなので、どこまで信用していいのかわかりませんが。
ここには時の総理大臣小泉さんが「A級戦犯」を「戦争犯罪人であるという認識をしている」と発言しているとあります。
国会決議で名誉を回復されたとされるのに、総理には「戦争犯罪人であるという認識をしている」となる。
これがねじれでしょうか。

>ならば、これこそ日本人が彼等に下した明確な<裁き>ではないでしょうか。

逆にその見解が国としてあいまいなるがゆえに、日本は自身の手で戦時指導者を裁いてこなかったということになるのかもしれません。

>戦時指導者への裁きとは彼等を批判・糾弾するものに限定されるのですか? そんな限定の根拠はどこにもない。ならば、戦時指導者を批判的に裁くべしという主張は<私怨>もしくは<妄想>に過ぎないと私は考えます。

戦時指導者への裁きを批判・糾弾する明確な根拠などどこにもありません。あるのは心情的というあいまいな根拠になると思います。心情的という明確な根拠がない以上、<私怨>もしくは<妄想>に過ぎないかもしれません。
しかし、明確な根拠、例えば法では解決できない釈然としないものが残ると言うことでしょうか。
心情的とは、万人がそう思っていると言うことではありませんので、人それぞれどう思うかによって違いが出てくると思います。
>佐々木さん

ありがとうございます。
多分、これからあの戦争を総括するトピが立つと思います。
本当はこちらが立ってから、このトピを立てればよかったのですが,この問題を考える時間がちょうど日曜日にあったので、ついつい先に立ててしまいました。

これから立つであろうトピです。
日本という国家が自立するには【大戦の意味から考える国家の自立 編】
開戦が意図したもの・当時の国際情勢・日本の当時の立場、など。
もしかしたらこちらの方が、佐々木さんの「歴史的事実関係を知っておく必要が有ると思います。」という思いに答えることが出来ると僕は思います。
属する国家が、その国民の生命の安全と財産の保証をしてくれなかったら、それこそ独立した国家としての態をなさないと私は思うのですが、いかがでしょう。

私たちの、世界的に見てもとても強い信用と入国権を持つ日本国のパスポートには、『日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の所管に要請する。』と国家が他国に対して要請してくれている。要は国家の庇護の下に、私たちは出国を国家によって補償されるわけです。

私などがいうまでもなく、国家とは私たちの代表である政治化や官僚だけのものではなく、私たち13000万人の主権の総体です。私たちが同胞を守る決意として、北朝鮮による拉致被害奪還を掲げるように、世論の声として自らをたすく事もまた国家の容であろうかと思います。

「国家が何をしてくれるだろうかと主張するだけでなく、国家に対して自分は何が出来るだろうと考えることも肝要」という意味の言葉を米国の大統領が演説していたと思うのですが、このバランスの良い相互扶助の関係構築が大切であろうかと思います。
「多分、間違ってるんだろうけれども・・・。 」

そんなことはないです。

完全に間違いです。


教育基本法改正も終ったことですし、ある意味、
よい機会なので、久しぶりにフルスロットでレス
させていただきましょう。では、今後ともよろしく。
>久しぶりにフルスロットでレス

お〜、KABUさんの全力を見れるとは、なんだかわくわくしますね。
出来れば私むけに、すこし易しく書いてくださいな。(汗

(それは無理です・・・とモニタの向うで呟いているかもですね^^;)
怖い。怖い。
自分でトピ主やってて、よくわからないのに。

僕向けにも、やさしく書いてください。
僕は頭悪いですから(笑)
うにゅー、「フルスロット」とは、嫌がらせのように愚直に、ジャーゴンを使わず書くということです。禅の「ただひたすら座る」のと同じ。

135キロの直球とカーブだけのノーヒットノーラン?

そうなればいいな(笑)
フォアボールはないとして、
意識的に放たれる警告のデッドボールには気をつけなければw

ポテンヒットくらいは打ちたいものだゾ、トwww
>ポテンヒットくらいは打ちたいものだゾ、トwww

無理だと思います。
>無理だと思います。

ぉ、早速飛んできたデッドボールっ。
(つい、掛け合い反応してしまう悪い癖がw。脱兎ー)
たしかこのトピは「天皇と(の?)戦争責任」でしたよね?

KABU教授対るるー編集長の掛け合いはさておいて…。

では、戦争指導者に対する戦争(敗戦)責任は…?


>実際には、ほぼ国会の全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を日本人は行った。ならば、これこそ日本人が彼等に下した明確な<裁き>ではないでしょうか。

1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

私もこれが日本国民の<裁き>だと思います。

これ以上、何を求めるのでしょうか…?

日露戦争は辛うじて勝ちましたが、乃木将軍は兵の損失に責任を感じ続け、最後は天皇陛下への殉死の形で自害しました。

勝ち戦の将が責任を取る、負け戦の将の責任を追う。
これでは、国土・国民を守るつもりで戦う戦争指導者は居なくなってしまうのではないでしょうか。

結局、戦わずに降参しよう(敵の思う壺)…という事になりませんか?

頭が悪いので、すぐに結論に持って行きたがり、論の為にする論を嫌う傾向がある事をお詫びします。
>こーちゃんさん

トピ主が不勉強で、これからも突拍子のない発言を行い、結果的に荒れてしまうかもしれないトピであることをご容赦ください。

それでもトピ主として、この場の議論をまとめることは無理でも、問題提起ぐらいはしていかなければと思っています。
問題提起そのものが素人ですので、ちゃんとした問題定期が出来ているのかは、自分自身も疑問に思います(笑)

>1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
私もこれが日本国民の<裁き>だと思います。

僕も、おそらくこれが日本人の裁きとしていいんだろう。と思います。国会決議ですからね。

しかし、15で小泉さんの認識について挙げましたが、時の総理が「A級戦犯」を「戦争犯罪人であるという認識をしている」と発言しているとあります。
国会決議で名誉を回復されたとされるのに、総理には「戦争犯罪人であるという認識をしている」となる。

この辺が「ねじれ」なのかなと思います。
日本人の裁きの結果が名誉回復であるならば、総理の認識は明らかにおかしい。それは小泉さんの個人的な見解だと言われるのなら、なぜ未だに、この認識についてぶれてしまうのか。
という疑問が素人の僕からすればあります。

>勝ち戦の将が責任を取る、負け戦の将の責任を追う。
これでは、国土・国民を守るつもりで戦う戦争指導者は居なくなってしまうのではないでしょうか。
結局、戦わずに降参しよう(敵の思う壺)…という事になりませんか?

そうかもしれません。だれでも、責任から逃れようとして逃げようとしてもおかしくない。でもどこにも負けたらこうしなさいという法律がない以上、誰も法的に責任を取れとはいわないでしょう。戦勝国が一方的に、強引に裁くことを除いて。

ただ、政治の延長線上に軍事があり、戦争は始める政治決断がなされた以上は勝利、あるいは有利な条件で講和する事を目指すのは当然のことですよね。軍人は戦争を始めれば勝つことを求められる存在です。負けたら法によっては責任を取ることはないにしても。

そこで、ただ漠然とした心情なんていうものが出てくる。
例えば、心情的になんていうものは「語りえぬもの」として、この問題から外に追いやってしまってもいいのかもしれません。
そうすればすっきりしますよね。
責任などない。名誉は完全に回復されている。「ねじれ」などない。元々ないものについて論じてもしようがないとなってもおかしくない。

でも、ぬりさんの問題提起も、トピを立てた僕も、おそらく多数の人がこの問題に何らかの「ねじれ」があるのではないかと思っているのはどういうことなのかということを明らかにしていくことがおそらくこのトピの目的なんだと思います。

以下は、このコミュに参加されている皆さんにこのトピを立てたトピ主として一言という事で偉そうですが書きます。

僕みたいな素人は怖いもの知らずで、何も知らないですから皆さんにいろいろ書き込んでもらって、議論が深まればいい名と思っています。
僕はこう思うという主観でいいと考えています。
人間が語る以上誰も主観からは逃げられないと僕は思っています。

だから、天皇には法的に責任があるという(根拠はどうなるのかはわかりませんが)そうした論が出てきてもいいと思っていますし、元々、トピ主は100人いたら、100通りの考え方がおそらくある。絶対にこれが正しいということはおそらくないという考え方を持っていますのでどんな論が出てきても驚きません。

是非ご意見などをお寄せいただければ幸いです。
>マグさん

わざわざ恐れ入ります。

ドイツは「ナチスはドイツとは別」みたいな事を言い。
米国は「原爆投下は両国の犠牲者を減らした」みたいな事を言ってます。

東京を始め日本の各都市の一般住民を対象にした、焼夷弾による無差別殺戮爆撃を立案指揮した、米のルメイ将軍を日本政府は叙勲しています…国家のねじれ?。

事後法による軍・民の日本の戦争指導者への裁判と処刑。

敗戦から61年経過し、日本が戦後処理を済ませ、サンフランシスコ講和条約が発効してから54年経ちました。

日本の戦争責任というのなら、当時の相手国や同盟国の状況をも照らし合わせねばならないのではないでしょうか。

日本の戦争指導だけが「絶対悪」でない限りは…。

小泉発言について…「ねじれ」かもしれませんし…単に不勉強なのかもしれませんし…安倍総理の岸(祖父)否定発言のような「目先の方便」発言なのか…よく理解できません。

ついでに申せばマグさんの立場は理解しており、これも一つの意見(私の考え)として…。
>こーちゃんさん

そうですね。
>当時の相手国や同盟国の状況をも照らし合わせねばならないのではないでしょうか。

こーちゃんさんが言われたようなことは、実はこの後に立つと思っている、
日本という国家が自立するには【大戦の意味から考える国家の自立 編】
というトピに譲った方がいいのかなとずっと思っていたので、心の中ではこのトピ早く立たないかなと思っています。
そのため佐々木さんの書き込みにもあのような反応を示すほかはありませんでした。なぜなら、細かくトピを分割した以上は大戦の総括トピの範囲まで踏み込むのはそのトピを立ち上げるであろうトピ主さんにある意味の方向性を与えてしまったり、また礼儀として深くは踏み込まない方がいいのかなと。

結局のところ、とっとと先にこのトピを立ち上げてしまった僕のほうが悪いんですが(笑)

僕はこう思っているということを書いてみます。
多分、また完全に間違っていると言われてしまうような素人考えですが(笑)

東京裁判からいきましょうか。
基本的に事後法で裁いていることに関して、この裁判の成り立ちはおかしい。
太平洋戦争、あるいは大東亜戦争と呼ばれる戦争に関して、僕は東京裁判におけるパール判事の見方は卓見だったと思います。
また戦後マッカーサーも「あの戦争は日本にとって自衛のための戦争だった」と発言している通り、必ずしも日本が「絶対悪」(この概念自体に疑問もありますが)のような立場にはなかったことが見て取れます。

ハルノートについてウィキペディアですがリンクしておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88

当時の帝国主義といわれる社会のなかで、このハルノートが当時の日本に、どのように捉えられたでしょうか。
また、アメリカが、国内の日本資産凍結、石油等の対日禁輸といった制裁に踏み切っていたということも大きな決断に対する要因だったでしょう。
最後には日本としての誇りのようなところが開戦を決意させたと思います。

例えば、開戦しないでハルノートを受け入れたらどうだったのか?ということに関しては難しいところです。
追い詰められて開戦したという論に立ってみれば、悪いのはアメリカ及びABCD包囲網を形成していた国ということになるのかもしれません。

戦争そのものが起こることに関しては、どちらが悪いということはないと思っています。そんな単純なものではない。

そして、はっきりいってしまえば、アメリカの原爆投下や都市への空襲などに関しては戦争犯罪だと思っています。

>小泉発言について…「ねじれ」かもしれませんし…単に不勉強なのかもしれませんし…安倍総理の岸(祖父)否定発言のような「目先の方便」発言なのか…よく理解できません。

例えば法的に天皇、戦時責任者に罪は問えない。しかしサンフランシスコ平和条約で東京裁判を受諾している。
ここでは裁判を受諾したのか、判決を受諾したかについて色んな考え方があるようです。
そして、戦犯の名誉回復が国会でなされる。

しかし、小泉発言にしろ安倍総理の発言にしろ何かしらのねじれがその後の日本から感じる。
そこにはあるアジアの国々がこの問題に対して外交上の圧力をかけていることが問題なのかもしれないとも思っています。

26でも書きましたが
>例えば、心情的になんていうものは「語りえぬもの」として、この問題から外に追いやってしまってもいいのかもしれません。
そうすればすっきりしますよね。
責任などない。名誉は完全に回復されている。「ねじれ」などない。元々ないものについて論じてもしようがないとなってもおかしくない。

心情的という問題をいちよう除いてみれば、法的責任はない。名誉も回復されている。戦後賠償も行なわれた。
そうなると、元々ねじれはないのではないか。
しかし、そうしたことを問題化して外交上の武器に使ってくる国がある。そうした国へ配慮から、この問題に関して国内的にねじれてしまうのかなという思があります。

15で書いたように
>逆にその見解が国としてあいまいなるがゆえに、日本は自身の手で戦時指導者を裁いてこなかったということになるのかもしれません。

というところはきついい方かもしれないですね。自分でそう思います。そうした「ねじれ」というか「ぶれ」をなくすために、もう一度国会で何らかの決議が必要なのではないかという思いがあります。
そして、その主張を外交的にも堂々と主張していくことがこの問題のねじれを解消していく一つの手段なのではないかと。
そうすれば自立というところにたどり着けるかもしれないと思っています。

まあ、心情的というところをはずしてしまえばこう思っています。

心情的ということを入れれば、天皇には何らかの形があった方がという思いと、戦時指導者に対する思いがあります。

ちゃんとした論になっているか不安ですが、こんな感じに思っています。
僕みたいな素人には難しいのかも知れないですね(笑)
どうも。ぬりです。


マグさん、盛り上がってますね。難問トピ主ご苦労様です。

最近忙しくてなかなか顔出し出来ませんでしたが、一応私の思いも書いておきますね。すべての問題提起に答えることは出来ませんが、いくつか気になる点について。


冒頭で引用していただいた私の駄文を見ていただければわかるかもしれませんが、私自身は天皇や戦争指導者の法的責任があるとかないとかが問題だとはあまり思っていません。色んな方が主張しておられる通り、天皇も戦犯も法的責任は無いとの考え方の妥当性は高いかなと考えています。

KABUさんには「沈黙しなければならない」と一蹴されてしまいそうですが、天皇自身の問題ではなくて、一般国民の心情、捉え方の問題かなというのが私の思いです。


どんなに「法的責任はない」と叫んでも、中国や韓国に責められたとき、なんとなくうしろめたく感じる人がまだ多いこと。靖国参拝になんとなく(明確な根拠なく)反対する日本人が結構いること。これはその方々がサヨクだとか、サヨクの陽動の結果だとかではなくて、強い政治信条などを持たない一般の日本人にそうした心情的な(言葉にならない)煮え切らなさがある。私がとらえている解決したい「問題」が、表面に顕実化した一つの例だと思っています。


誰のせいで戦争→敗戦となったのかについてどう考えてよいのかいまいちはっきりよくわからない。思考停止している。それが戦勝者が悪玉ではなく「善玉」として統治し、それを無理矢理受け入れた「ねじれ」じゃないかなと思っています。


ついでですが、
小泉さんが戦争犯罪人を認めるような発言をしたのは、後の批判に対する対応を考慮してのことではないかなと思っています。ああでも言ってなければ、もっとすごい批判を受けていたのではないでしょうか。詭弁とまでは思いませんが、小泉さんは、質問されたから答えただけで、彼にとって戦犯に対する認識は参拝理由の重要項目ではない気がします。


また補足すべきところがあったら書きます。よいトピックにしたいですね。
>ぬりさん

多分、分割トピを受け持ったトピ主たちの中で最も知識がないのにいろいろ書き込んでしまうトピ主です(笑)
盛り上がってるというか、方向性これでいいのかなとか、荒れそうだなと思ったりもします。
元々、るるーさんにも僕がトピ主やるととっぴょうしもないこと言ったりして荒れますよと伝えてありますので、先に言っておいてよかったなというのが実感です(笑)

いかん。いかん。トピ主自らが雑談してしまった。

>冒頭で引用していただいた私の駄文を見ていただければわかるかもしれませんが、私自身は天皇や戦争指導者の法的責任があるとかないとかが問題だとはあまり思っていません。色んな方が主張しておられる通り、天皇も戦犯も法的責任は無いとの考え方の妥当性は高いかなと考えています。

今のところ書き込んでくれた皆さんの中で、この点は一致していると見ていいのかもしれません。
今のところです。これから反対意見も出てくるかもしれませんし。

>どんなに「法的責任はない」と叫んでも、中国や韓国に責められたとき、なんとなくうしろめたく感じる人がまだ多いこと。靖国参拝になんとなく(明確な根拠なく)反対する日本人が結構いること。これはその方々がサヨクだとか、サヨクの陽動の結果だとかではなくて、強い政治信条などを持たない一般の日本人にそうした心情的な(言葉にならない)煮え切らなさがある。私がとらえている解決したい「問題」が、表面に顕実化した一つの例だと思っています。
誰のせいで戦争→敗戦となったのかについてどう考えてよいのかいまいちはっきりよくわからない。思考停止している。それが戦勝者が悪玉ではなく「善玉」として統治し、それを無理矢理受け入れた「ねじれ」じゃないかなと思っています。


僕は心情的な側面はいちよう対外的というか、中国や韓国に責められたときということは、あまり考慮しないで論を進めてきました。理由は1で書いた
>そして、アジア各国に軍を送って行なったとされる数々の行為に対しての責任までははっきりいってわからない。
天皇の名の下に数々の蛮行を行なったではないかということも言えるが・・・。
そうしたことに対する責任はどうなのだろう。
他国を植民地にしたこと事態、当時の帝国主義国家からしてみれば普通のことである。
そして例えばイギリスなどは植民地に対して散々なことをやっえいるが処罰されたことはない。
最も、こうしたことには虚実入り混じり、なかったことがあったということや、あったことがなかったと、いろいろ事実が錯綜し、本当のことがよくわからない。
その点では、未だあいまいにしておいた方がいいのかもしれない。

うしろめたさの理由が他国を植民地化したことなら、当時の国家からしたら悪いことではないという考えがあること。
そして、日本軍が植民地統治やアジア各国で行なったとされる蛮行について、虚実入り混じってよくわからないということが僕の中にあります。

それよりも僕の中で、あの戦争を振り返った時の天皇、戦時指導者に対する思いが強かったと言うのもあります。この点は左翼的なのか、戦後教育をしっかり受けたからなのか、自虐史観と呼ばれるものなのか自分でもよくわかりません。
ちなみに、総理の靖国参拝には賛成です。だって、国家として死者と約束しているのだから。

>誰のせいで戦争→敗戦となったのかについてどう考えてよいのかいまいちはっきりよくわからない。思考停止している。それが戦勝者が悪玉ではなく「善玉」として統治し、それを無理矢理受け入れた「ねじれ」じゃないかなと思っています。

この文の前半部分を明らかにするには大戦総括トピに譲りたいんですよ。本当はね。僕が東京裁判を1で発言したように
>東京裁判について勝者が敗者を裁き、日本統治のためにあの戦争における悪の立場を日本の指導部に取らせる事により、占領軍に対する敵意を、自分たちの国の国家指導部に向けさせて、その後の占領計画の円滑化を図った政治的な目的のために行なったものだと思われる。

と捉えているのも、ぬりさんと同じような考え方からです。

>小泉さんが戦争犯罪人を認めるような発言をしたのは、後の批判に対する対応を考慮してのことではないかなと思っています。ああでも言ってなければ、もっとすごい批判を受けていたのではないでしょうか。詭弁とまでは思いませんが、小泉さんは、質問されたから答えただけで、彼にとって戦犯に対する認識は参拝理由の重要項目ではない気がします。

結局、外交上の配慮からいいたいことがいえない状況にあるということも「ねじれ」かもしれないと思っています。
例えば、小泉さん個人が戦犯に対する認識は参拝理由の重要項目ではないにしても、一国の総理の言が批判をかわすために、他国の批判をかわすために歪んでしまうような事は国家の自立を考えるといささかどうかなと思うわけです。
それを政治的判断で、あいまい戦術がいいんだといわれてしまえばそれまでですが。

こんな感じで僕は思っています。
ぬりさん補足ありがとうございました。
トピ主、この問題についてよくわかっていないため力をかしてください。

トピ主は上記のようにいろいろ書きますが、間違っていることも多いいでしょうし、それは違うと反論されることもあると思います。でも、僕は僕の考えしか書けません(笑)
ここに一人で考えることの限界がありますね(苦笑)
いじめられた子供たちは何故闘わないのでしょう。

一人じゃ闘えないのじゃ無く、一人でやるのが闘いなのでは…闘っていれば仲間が出来ます。

それとも、抵抗しないで自死を選ぶように(婉曲に)教わっているのでしょうか。

「闘わない事が最高の価値観」??

それが「ねじれ」を生んでいるのではないでしょうか。
>こーちゃんさん

すみません。31の文章に関して、もう少し詳しい解説をしていただけないでしょうか?

こーちゃんさんが31の文章と、このトピとの関連性といいますか、そのあたりのことを是非お願いします。
思わぬところからの論でしたので、こうした側面から何かこのトピに関連して「ねじれ」を認識することができるのなら、このトピにとって幸いだと思っています。
よろしくお願いいたします。
酔って自分の中で整理されていないコメントを書くべきではありませんね…(笑)。

今月の『Will』誌の最後のほうで評論家の西尾幹二氏が「無抵抗主義で国家も国民も自滅する」との論文を寄稿されています。

先ほどつらつら読んでみましたら、丁度良い説明になりますので少しトピ違いの感もありますが、違いついでにご紹介します。

======================

−−−一般に戦後のある時期まで、社会の中にある野生の暴力が役立っていた。必ずしも非合法組織の事ではない。村には青年団があり、上級生は生意気な下級生に鉄拳制裁を加えた。
教師の体罰も有効な抑止力だった。
街角で「いじめ」を見て、普通の市民が介入し、叱責した。

いつの頃からか「刺されるから止めておこう」に変わった。
教師も見て見ぬ振りで、事なかれ主義になった。
その頃から「いじめ」は学校の中で密室化し、陰惨になり、何が起こっているのか見えにくくなった。

昔は「いじめ」はいくら激しくても、それで自殺する者はいなかった。「いじめ」は子供が大人になる通過儀礼のようなものであった−−−

暴力を制するには暴力しかない。
教師の体罰を許さないような今の学校社会が「いじめ」による自殺を増加させている。
「いじめ」の密室化を防ぐには社会の中の野生の暴力をもう一度蘇らせるしかなく、「生命を大切にしてみんな仲良く」といったきれいごとの教訓では、見て見ぬ振りの無責任と同じである−−−

−−−北朝鮮がどんな悪事を働いてもて手出しできない今の日本、相手が核開発に踏み切ったのにアメリカに仕切られて核武装の議論さえままならないこの国の無抵抗主義は、周知の通り病膏盲に入っていて、国を挙げて自殺願望に向かっているかのごとくである。

「いじめ」で自殺する子供が多数いるのは、無条件な平和主義にしがみつく国家の反映である。

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つまり「いじめ」と「ねじれ」は表皮一体とも云える関係にあり、その起因は戦争否定、つまり戦う事を否定した憲法と、それを後生大事に最高の価値観と信じきっている社会の歪みに発するのではないかと愚考する訳です。

それは戦後61年経っても戦争を悪としての側面からしか見る事の出来ない縮図を、学校という小さな権力の構図として表しているのではないのかと、考えるのです。

多少、強引な引用かもしれませんが、酔った頭で思いつくままにコメントした事に対する、言い訳と受け止めて戴いても結構です。失礼しました。
>こーちゃんさん

解説いただきありがとうございます。

僕は戦後の民主主義教育を受けてきました。
平和とは念仏のように唱えていれば維持できるもの。あるいは戦争、そして人と争うこともそれは悪いことだと教わりました。

自分の体験から言えば中学1年のときにいじめに遭いました。担任教師の何とかしようとしていたのでしょうが、いじめられる僕にも原因があるかのような態度で言葉にはしませんでしたが子供心にそれが感じられました。ある意味傷ついたりもしました。もちろん僕にも何らかの原因があったでしょう。
今はそう思います。

小学生の時には、人の尻馬に乗って誰かをいじめる側にも立ったことがあるので、自分がいじめられる側に回った時にはとても後悔しました。自分がいかに最低なやつだったかということが身にしみて。

結局、いじめを解決したきっかけはいじめグループの1人と殴り合いのけんかをしたことです。
最終的にはいじめグループのボスともいい関係を気付けました。

僕がいじめを受けた得た感想です。基本的に「生命を大切にしてみんな仲良く」のような、きれいごとでは何にも解決しません。
だから僕は、いじめられて死を考えるのなら逃げろといいます。
僕の正直な感想です。誰もが殴り合いをして自分で解決できるわけではないと思うからです。
こーちゃんさんには怒られてしまうかもしれませんが(笑)

先生の介入などよほどの先生でない限り、そんなに効果はありませんからね。

>つまり「いじめ」と「ねじれ」は表皮一体とも云える関係にあり、その起因は戦争否定、つまり戦う事を否定した憲法と、それを後生大事に最高の価値観と信じきっている社会の歪みに発するのではないかと愚考する訳です。

さて、こーちゃんさんのいわれるように戦後の日本の価値観、あるいは戦後教育といわれるものの出発点がGHQ占領下の日本から始まっていると僕は思います。
そうしたことが社会の歪みと、こーちゃんさんが思われる事はあの大戦の総括、天皇、戦時指導者の戦争責任問題と戦後教育にあるのではないでしょうか。

>それは戦後61年経っても戦争を悪としての側面からしか見る事の出来ない縮図を、学校という小さな権力の構図として表しているのではないのかと、考えるのです。

ここで新たな論点なのかもしれないですね。戦争というものをどう捉えるかというところですね。戦争の種類というものが多分あると思うのですが、問題は自衛だろうが侵略だろうが戦争という大きな枠組みで考えて一緒くたに完全否定ということだと思うんです。
そこに都合よく憲法9条を持ってくる。

僕は多分、学校教育で自衛のための戦争はいい。とか防衛についてとか、他国が攻めてきたら戦うんだということを教わったことがありません。
自衛隊についてもあいまいだったような気がします。
日米安保については、いざとなったらアメリカが守ってくれると聞いたような気がします。

るるーさんに日本という国家が自立するには【戦後教育編】を提案しようかな。

それにしても、こうした見方があるということを教えていただきありがとうございます。
色んなところが見えてきますね。
>るるーさんに日本という国家が自立するには【戦後教育編】を提案しようかな。

是非やりましょう。
教育基本法の改定は、感じている以上に実は劇的なマインドの変化な筈ですし。
>るるーさんそしてみなさん。

あけましておめでとうございます。
昨年はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

ここで、挨拶したらまずいかな(笑)

日本という国家が自立するには【戦後教育編】の提案を受けていただきありがとうございます。
トピ主探しは大変かもしれませんがよろしくお願いします。
そろそろ、トピ主として何らかの書き込みが必要でしょうか(笑)

去年の8月15日、何かで国民の7割、20代では9割が東京裁判を知らないということが報道されていたように思います。
これを思うと、国内的にはすでにこの問題については関心が薄いといってもいいのかもしれません。
また、若者の間では東京裁判自体を知らないという現実があります。
確かにどこでこの調査サンプルとなる人々に聞き込みを行なったかによってで、この割合は変わってくるとは思いますが。

昭和天皇にしろ、戦争指導者にしろ、すでに亡くなってしまっている以上、私たちは何を追及していけばいいのでしょうか?

戦後の「1億総懺悔」ですりかえられた責任の分散によって、ここまできました。
戦後60年以上がたち、国内的にはすでに天皇、あるいは戦争指導者の何らかの責任追及をしても、仕方がないというところまで来ているようにも思えます。少なくとも法的責任はありません。そして問題を提起する前に、東京裁判のこと自体を知らないのであれば、問題は初めからないのと一緒です。

残っているのは対外的にどうするかということです。

そうした中、朝鮮半島を植民地としていたこと、満州に国を作ったこと、日中が戦争をしていたこと、アメリカなどと太平洋地域で戦ったこと・・・。
そうしたことが日本人の中で忘れ去られつつある、または知らない人が増えているということ。
そうした知識すらも有していない日本人が多くなっているという現実をどうするのか?

ぬりさんが言うように、
>日本は中国や韓国に責められたとき、なんとなくうしろめたく感じる人がまだ多いということ

少なくとも僕はそんなに後ろめたさは感じていませんが、例えばやられた側はそのことを忘れないし、戦後教育を受けてきた世代、また戦前の教育を受けた人でもそう思う人もいるでしょう。
では、私たちはそれをどう考えていけばいいのか?

歴史認識についてはどうでしょうか?
僕は立場が違い、違う主観を持つ国民同士が自分たちの歴史観を互いに押し付けあっても無駄なことだと思っています。その考えは理解はできるが、正しいとは絶対思わないでしょう。
基本的に歴史認識とはあくまでも相対的であり、また主観的なものという思いがあります。
そして、歴史を国家としてのプロパガンダに利用する国があるのならなおさらです。

しかし、自立を目指すなら、日本として明確な主張と立場をとることが必要になります。
対外的な批判をかわすために認識が簡単にぶれるのであれば、そこに自立というものが見えるのでしょうか?
僕にはそこには自立とした毅然としたものではなく、卑屈なものが見えます。

確かに外交上、その方がいいのかもしれません。
それが政治、外交だという方もいらっしゃるでしょう。
それならばこの問題は自立とは関係ないということになるのかもしれません。
今までのまま、あいまいでいいということです。

自分で書いてきて、よくわからなくなってきましたね(笑)
取りあえず、これでアップしておきます。
ご勘弁を。
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集(平成20年・2008年)
http://www.apa.co.jp/book_report/index.html





最優秀藤誠志賞 田母神 俊雄(航空幕僚長)

「 日 本 は 侵 略 国 家 で あ っ た の か 」   全文




アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。

(続く)
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようちょうし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。

戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。

また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金錫源キムソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。

(続く)
李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。

陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。

また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。

イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。

人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。

また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。

しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。

(続く)
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。

アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。

ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。

避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

(続く)
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。

現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。

自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。

アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。

私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。

今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

(終わり)
田母神 航空幕僚長 ありがとうございます。

敵は ねつ造 洗脳で来ます。
正攻法では無理です。

名誉の更迭を無駄にはしません。

田母神航空幕僚長へ敬礼


小林よしのりさんの漫画「戦争論1・2・3」「靖国論」「パール真論」 がお勧め

天皇陛下に関しては

明治憲法の思想 日本の国柄とは何か:PHP がお勧め
田母神氏関連のニュース。
民主党・鳩山氏が田母神氏とアパグループの「ワインの会」で会っていたことが判明。

そして、来週11日(火)には田母神氏が国会に招致されます。
興味のある方はご覧ください。

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http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081106/stt0811060123000-n1.htm
民主・鳩山氏が前空幕長と私的会合 参考人招致に影響か
2008.11.6 01:22

このニュースのトピックス:自民党
 政府見解に反する懸賞論文をめぐり航空幕僚長を更迭された田母神俊雄氏について民主党が参院での参考人招致を求めている問題で、与党は、鳩山由紀夫民主党幹事長が平成16年9月15日に私的会合で田母神氏と同席、安保論議をしていたとして追及する姿勢をみせている。この問題で鳩山氏は田母神氏を強く批判、民主党は参考人招致で浜田靖一防衛相の任命責任に結びつける構えだが、参考人招致にも影響を与えそうだ。

 会合は田母神氏の論文に最優秀賞を贈ったアパグループ(東京都港区)の元谷外志雄代表が自宅で開いた「ワインの会」。田母神氏や幹事長夫妻らが招かれた。会合では、田母神氏が中国の脅威や自衛隊の防衛力の現状などについて説明。出席者らと自由な議論を交わしたという。

 鳩山氏は「政治談議の場ではないとのことで夫婦で出席したが、全体のムードもお話も特異なことが多かったため、ほとんどお話もせず失礼にならないように中座した」としている。

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http://www.swissinfo.ch/jpn/news/international/detail.html?siteSect=143&sid=9937966&cKey=1225959376000&ty=ti&positionT=3
2008/11/06 - 9:16
前空幕長11日招致で全会一致

 自民、民主両党の参院国対委員長は6日午後、国会内で会談し、侵略戦争を正当化する論文を公表し更迭された田母神俊雄前航空幕僚長を11日の参院外交防衛委員会に参考人として招致することで合意した。これを受け、同委員会は田母神氏の招致を全会一致で可決した。民主党など野党は11日の同委員会への麻生太郎首相の出席も求めたが、与党は同意せず、持ち帰り検討することになった。

共同通信社
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http://www.miki-otaka.sakura.ne.jp/wordpress/
2008年11月9日 日曜日国民の声と乖離している日本のメディアと永田町
Filed under: 日記 — miki @ 12時02分


「田母神幕僚長支持アンケートアドレス」を下記のとおり御紹介申し上げます。 本日(11月9日)朝現在 支持は57% 不支持は43% で、「支持」が「不支持」を大きく上回っている。右顧左眄する政治家連や偏向報道に固執するマスコミ関係者達はこの結果を直視してはいかがだろうか?。

 田母神氏解任事件についてWILL編集長の花田氏が8日の産経新聞でわかりやすく解説しておられた。

『空幕長の解任事件、歴史観が政府見解=村山談話と違ったからとはおかしな話だ。朝日新聞は社説で”ぞっとする自衛官の暴走”とまで書いたが、ならば国立大学の教授が文科省の政策と違った意見を発表してはいけないのか。(略)中西輝政氏(京都大学大学院教授)は村山談話は真実を伝えていないと、”日本の戦後史学は自虐史観と呼ぶべき硬直した解釈に囚われてきました。ですから田母神さんのような方が正しい歴史認識を示されたのは、むしろ大変喜ぶべきことだと思います”。まさにその通りだ』

 私も同感。さっそくアンケートで「まったく問題ない」にチエックした。それに昨日、東京の杉並区で行った講演会で、会場の方たちに田母神氏へのメッセージを書いていただいたところ、驚いたことに一枚も田母神批判がなかった。これは本当の話です。私はどこかの新聞のように自分の思想信条で事象を捻じ曲げません。書かれていたことが「日本史に残る逸材な人物」「信念をまげず国のために闘ってください。感謝します。自分もあとに続きます」「防衛省は最も危険な虎を荒野に放った。村山談話、河野談話は撤廃され日本がまともな国になる」といった内容ばかり。

未だ未投票の方は、是非とも御投票下さることを、重ねて御期待申し上げます。
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizvotes.php?poll_id=2909&qp=1&typeFlag=1
【正論】小堀桂一郎 空幕長更迭事件と政府の姿勢

≪到底黙視し得ない事態≫

1日付本紙の第1面で航空幕僚長田母神俊雄氏の更迭が報じられた。理由は田母神氏がある民間の雑誌の懸賞募集に応募し、最優秀作として掲載される予定の論文が、所謂(いわゆる)「過去の歴史認識」に関して従来政府のとつてきた統一見解と相反する、といふことの由である。

この件に関しての高橋昌之記者の署名入り解説は適切であり、2日付の「主張」と合せて結論はそれでよいと思ふのだが、一民間人としても到底黙視し得ない事態なので敢へて一筆する。

田母神氏の論文を掲載した雑誌は間もなく公刊されるであらうが、筆者は既に別途入手して全文を読んでゐる。それに基づいて言ふと、本紙に載つた「空幕長論文の要旨」といふ抄録も、全文の趣旨をよく伝へてをり、大方の読者はこの「要旨」によつて論文の勘所を推知して頂(いただ)いてよいと考へる。

田母神論文を一言で評するならば、空幕長といふ激職にありながら、これだけ多くの史料を読み、それについての解釈をも練つて、四百字詰め換算で約18枚の論文にまとめ上げられた、その勉強ぶりにはほとほと感嘆するより他のない労作である。

≪栗栖事件に連なるもの≫

その内容は、平成7年の大東亜戦争停戦50周年の節目を迎へた頃から急速に高まり、密度を濃くしてきた、「日本は侵略戦争をした」との所謂東京裁判史観に対する反論・反証の諸家の研究成果をよく取り入れ、是亦短いながら日本侵略国家説に真向からの反撃を呈する見事な一篇(いっぺん)となつてゐる。

筆者は現職の自衛隊員を含む、若い世代の学生・社会人の団体に請はれて、大東亜戦争の原因・経過を主軸とする現代史の講義を行ふ機会をよく持つのだが、これからはその様な折に、この田母神論文こそ教科書として使ふのにうつてつけであると即座に思ひついたほどである。

ここには私共自由な民間の研究者達が、20世紀の世界史の実相は概ねかうだつたのだ、と多年の研究から結論し、信じてゐる通りの歴史解釈が極(ご)く冷静に、条理を尽して語られてゐる。

そして、さうであればこそ、この論文は政府の見解とは対立するものと判断され、政府の従来の外交姿勢を維持する上での障害と看做(みな)されて今回の突然の空幕長解任といふ処置になつたのであらう。

1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。

現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。

≪村山談話は破棄すべし≫

我々が「真実」だと判定する田母神論文と相容れないといふのなら、政府の公式見解は即ち「虚妄」といふことになる。

実にその通りである。政府見解の犯してきた誤謬の罪も中曽根、細川両首相があれは侵略戦争だつたと言明して以来の長い歴史を経てゐるが、決定的な罪過は平成7年の村山富市談話である。

あの年の夏、国会による過去の戦争についての謝罪決議といふ、世界史上未曾有の愚行がすんでの所で実現しかかつたのを、国民運動による506万人分といふ数の決議反対署名を以て辛うじて阻止した。

すると村山首相がまさに民意の裏をかく卑劣な手管を弄し、総理大臣談話といふ形で謝罪決議が目指した効果の一半を果すの挙に出た。

それ以来、内閣が交替する度毎に、歴代首相は政府の歴史認識は村山談話を踏襲すると宣言しては、外交上の自縄自縛状態に閉ぢ籠り続けた。

この閉塞(へいそく)状態を打開してくれる尖兵として我々が期待をかけた安倍晋三氏もそれを敢行してくれなかつたし、今度の麻生太郎氏も、田母神論文を排して村山談話に与(くみ)するといふ選択をはつきりと見せつけてしまつた。

この選択の誇示によつて、懸案の同胞拉致も領土問題も、靖国神社公式参拝問題も全て、国民の期待と希望を大きく裏切つて又しても解決が遠のく。国民の名誉と安全が脅かされてゐる事態は解消しない。然し田母神氏の更迭事件は我々に或る大きな示唆を与へてゐる。

即ち、今や村山談話の破棄・撤回こそが、国民の安全にとつての最大の政治的懸案となつたのである。

(こぼり けいいちろう、東京大学名誉教授)
■本日の田母神氏の国会招致はテレビ中継されないことになりました。

しかも、『田母神氏1人に各党が質問する通常の参考人招致ではなく、新テロ対策特別措置法改正案の審議に同氏が出席、質問者から指名された場合に限って答弁する形式』とのこと。

誰も質問しなかったら、田母神氏の国会招致そのものに意味が無くなりますね。
一体、何を恐れているのでしょうか。

  ◇

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008111000877
前空幕長、11日参考人質疑=野党、政府の責任追及へ−参院委


 日本の過去の侵略行為を正当化する論文を発表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長に対する参考人質疑が11日、参院外交防衛委員会で行われる。野党側は、政府見解と異なる歴史認識を持つ田母神氏を航空自衛隊トップに任命した政府の責任を取り上げ、シビリアンコントロール(文民統制)の原則に反すると追及する。多数の自衛官の論文応募に、空自が組織としてどこまで関与していたかも焦点となる。

 野党は、論文で「日本が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」などと書いた田母神氏に、歴史認識を改めてただす。政府見解に反する主張をする人物を幕僚長にまで昇進させた政府内のチェック体制の甘さを浮き彫りにする方針だ。同氏は懲戒処分の審理に応じる考えがあったとされることから、懲戒免職の手続きを取らずに定年退職とした防衛省の対応も徹底追及する。 

 懸賞論文には田母神氏のほか、空自隊員94人が応募した。このうち同氏がかつて基地司令を務めた空自小松基地(石川県)第6航空団所属の62人について、防衛省の増田好平事務次官は10日の記者会見で、同空団が論文をいったん取りまとめた上で応募していたと説明。空団による一定の組織的関与があったことを認めたが、田母神氏の指示があったかどうかなどは「現時点で確認されていない」とした。

 11日の質疑は、田母神氏1人に各党が質問する通常の参考人招致ではなく、新テロ対策特別措置法改正案の審議に同氏が出席、質問者から指名された場合に限って答弁する形式で実施される。同氏に持論を展開されることを警戒する自民党の要求を民主党が受け入れた。テレビ中継も行われない。(了)

(2008/11/10-21:00)


田母神氏の招致される参議院外交防衛委員会は、
こちらでインターネット中継されるはずです。

外交防衛委員会は、10:00から開始の予定。


 ◇


■参議院インターネット審議中継
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/today/index.php

 ※散会した会議につきましては30分〜2時間後に
  ビデオライブラリからご覧いただけます。

  インターネット審議中継では、「開会時刻」10分前になると
  自動的に「中継中」と表示されます。

  開会が遅れている場合などは、「会議名と会議室」のタイトル映像が
  配信され、開会され次第、会議の模様をご覧いただけます。


■ビデオライブラリ
 検索方式の選択
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/index.php

 会議検索
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/consider.php

 発言検索
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/opinion.php
上記ページは現在メンテナンス中のため、審議の模様は現在不明。
審議の模様、及び議事録が後でUPされるはず。
田母神氏・参考人招致の第一報です。
「主な」とありますので、内容は要約あるいは省略されている模様。
後でUPされるであろう質疑全文を確認する必要があると思われます。

  ◇

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081111-OYT1T00388.htm
田母神氏・参考人招致の主なやりとり


 11日の参院外交防衛委員会で行われた田母神俊雄・前航空幕僚長に対する参考人質疑の主なやりとりは次の通り。

 ◆アパグループとの関係

 浅尾慶一郎氏(民主) 懸賞論文は自衛隊の誰に紹介したか。

 田母神氏 航空幕僚監部の教育課長に「こういうものがある」と紹介した。私が指示をしたのではないかと言われたが、指示をすれば多分、90なんぼとか70なんぼとかいう数ではなく、1000を超える数が集まると思う。

 浅尾氏 6月2日、アパグループ代表の元谷(外志雄)氏の出版記念行事に、代休を取って、公用車で行ったか。

 田母神氏 公用車を使って行っている。休暇は取っていなかったと思う。

 浜田防衛相 代休を取り、参加した記録がある。

 浅尾氏 車代などは。

 田母神氏 いただいたことはない。

 浅尾氏 元谷氏から資金提供やその他便宜を受けたことはないか。

 田母神氏 資金提供等は一切受けていない。

 ◆隊内誌への寄稿

 浅尾氏 (隊内誌の)「鵬友」昨年5月号に、論文と同趣旨の意見を発表している。寄稿の際に内局等から注意はあったか。

 田母神氏 なかった。

 浅尾氏 世間が騒いだから注意するようになったのか。

 田母神氏 騒がれたから話題になったと思う。

 浅尾氏 チェックしなかった責任は誰が取るのか。

 防衛相 当時の上司だ。

 浅尾氏 官房長に責任があるということか。

 防衛相 そういうことになる。

 ◆憲法改正

 浅尾氏 5月の東大五月祭での講演は、アパの論文と内容が異なっている。変えた理由は。

 田母神氏 (当時の)石破茂防衛相から「十分注意して発言して下さい」と指導を受けた。アパの論文に比べて軟らかい表現にした。ただ、(政府の)村山談話と私の論文は別物で、村山談話の見解と違ったものを書いたとは思っていない。

 浅尾氏 論文で集団的自衛権や武器使用について政府解釈と異なっていることを言っているが、政府解釈を変えた方がいい、憲法を変えたほうがいいと思って書いたのか。

 田母神氏 一般に話されているようなことをまとめて書いただけだ。

 浅尾氏 書いている時と気持ちが変わったのか。

 田母神氏 今はもう改正すべきだと思っている。

 浅尾氏 憲法を改正すべきと思っているか。

 田母神氏 はい。国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思う。

(2008年11月11日13時12分 読売新聞)
11日に参院外交防衛委員会で行われた田母神俊雄・前航空幕僚長の参考人質疑の詳報は以下の通り。

                     ◇

・(1)「後世の歴史の検証に耐えうる質疑を」委員長冒頭発言
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/194593/

・(2)「村山談話の見解と私の論文は別物」田母神氏
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/194599/

・(3)浜田防衛相「憲法に関し見解を述べることは一概に禁止されてない」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194616/

・(4)「自衛官にも言論の自由。どこが悪かったか審理してもらった方が…」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194629/

・(5)「意見が言えないと…どこかの国と同じくなっちゃう」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194630/

・(6)「日本を語るワインの会に都合3回ほど出席した」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194653/

・(7)「日本の国はいい国だったと言ったら解任された」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194660/

・(8)「yahooでは58%が私を支持している」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194661/

・(9)「国家観なければ国は守れない」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194665/

・(10)「カリキュラムの中身は把握してない」浜田防衛相
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194666/

・(11・完)「日本だけが悪いと言われる筋合いはない」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/194676/
初めてこのトピに来まして、ざっとですが、過去の書き込みを読ませて戴きました。こんなトピがあるのを知りませんでしたあせあせ

ここ数回は、例の田母神氏の話題になってますが、トピの趣旨に戻してもいいですか?

昭和天皇陛下の戦争責任について端的に述べます。ありません。
それを説明する為に戦争責任について、整理させて戴きます。

まず、戦争そのものに対する責任はどのようなものが考えられるか?

開戦責任・戦争遂行責任・終戦責任・敗戦責任

次に、その戦争を指導した者(陛下に限らず)の責任は何が考えられるか?

政治的責任・法的責任・道義的責任

本来、どんな事であれ責任を追及する際には、この様に責任を細分化し、その責任を積み上げ、その結果に基づいて責任を果たしてもらうべきであり、そこに裁く者の感情の入り込む余地はない。これが大原則です。

詳細をまた書きますが、このすべてについて、昭和陛下はすべて果たされたと認識しております。


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