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メンタリング・コミュニティコミュの募集!「私のメンター」体験

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私の「メンター体験」ではなく、「私のメンター!」体験です。

だれでも、過去を振り返ると、「あのときのあの人がいてくれたから今の自分がある」、「あの人の一言で、大きな決断をすることができた」と思えるような人がいるものです。
つまり、それがあなたの「私のメンター」ですよね。

たまには、「私のメンター」体験を話してみることで、当時の自分の心境を振り返ってみませんか?

そこで、例によって、まずは、管理人の私から。

大人になってからのメンターもとても貴重な存在ですが、実はよくよく思い出してみると、子供の時にも意外とメンターはいるものです。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』のような。

小学校3年くらいのときのことです。
夏休み、近所の悪餓鬼連中と一緒に、市営プールに毎日のように通っていました。
当時の私の身長、恐らく120?くらいでしょうか。つまり、プールの真中の深いあたりにくると、足がつかないのです。
あるとき、水遊びに夢中になった私は、自分の身長を忘れて、泳げもしないのに、プールのど真ん中にいってしまったのです。
その瞬間の恐ろしさ、今でもはっきりと憶えています。
ふっと気付いたら足がつかなくて、慌てて水も少し飲みました。
「もうだめだ!」と思ったとき、近くにいた1年年長の子が浮き袋をすっと差し出してくれたのです。
助かりました。寸でのところで。

この時起こったことの意味。幼い私には、当時は分かりませんでした。
でも、後々になって分かったてきたのは、幼い小さな私が泳いでいる姿を、その人が「大丈夫だろうか」という気持ちで、見守ってくれてくれていた、ということです。
その先輩の子とて、高々小学校の4年生くらい。本当にありがたいことだと思います。

その「先輩」には、その後も小学校にいる間、ずっといろいろな遊びの面倒を見てもらいました。
まさに、「私のメンター」の一人です。そして、命の恩人でもあります。

コメント(10)

nozomipapaさん

コミュにお誘い頂いてから、書き込みまで時間がかかってしまいました。申し訳ありません。

「私のメンター」の一人は、学生時代に訪れたフィンランドで出会った小学校の校長先生です。彼の家には3日間ほどのショートステイをしました。

フィンランドを訪れた理由は、高い教育レベルやクリーンな行政、ノキアに見られる技術力、美しい環境を守る仕組みに興味があったからでした。

そこで彼に最も重視している教育方針とは何か?と質問しました。
彼の返答は
「フィンランドのように人口が少ない国が発展するためには海外でも通用する語学力、技術力を教える必要がある。しかし、真の国際人として通用するためには、もっと重要なことがある。それはフィンランド人のルーツ、歴史、文化を知りフィンランド人としてのアイデンティティを確立することだ。それを一番重視している」
というものでした。

アタマの芯まで貫かれたようなショックを受けました。
それまで「日本史得意〜!」などとテストでいい点とったくらいで日本のことを知ったつもりになっていました。

しかし自分は日本のことをどれだけ知ってるのか?
日本人としてのアイデンティティを確立しているのか?

と深く自省しました。

帰国してからは日本の美術、歴史、文化、自分の先祖などに深く興味を持つようになりました。自分のルーツを自覚しアイデンティティを確立すべく勉強を続けています。

それが確立できれば、自分の生きる上で一つの軸ができ、より高い次元での生き方ができると思います。

こんな影響を与えてくれた言葉でした。

こういうのも「メンター」ですよね?
きたばさん

首を長くして、お待ちしていましたよ!

でも、素晴らしい「私のメンター」体験をアップしてくださり、ありがとうございます。

フィンランド人の小学校の校長先生ですか。
本当に、得がたい貴重な出会いですね。うらやましいです。

そして、校長先生は、次のように言う。
「……、真の国際人として通用するためには、もっと重要なことがある。それはフィンランド人のルーツ、歴史、文化を知りフィンランド人としてのアイデンティティを確立することだ。それを一番重視している」

まさに、戦後の日本人に一番欠けていることを、ズバッと言ってくださっています。
それに対するきたばさんの反応(「アタマの芯まで貫かれたようなショックを受けました。」)も、さすがだと思いますよ。現代のぬるけきった社会風潮に没入した日本人では、こういう受け止め方は、なかなかできないのではないでしょうか?

それと帰国してからのこと。
>帰国してからは日本の美術、歴史、文化、自分の先祖などに深く興味を持つようになりました。自分のルーツを自覚しアイデンティティを確立すべく勉強を続けています。

↑これも素晴らしいですね。
メンターの存在によって、人がいかに真剣に学習するかがよく分かります。

ところで、その後のメンターとの交流なども、また機会があれば、教えて下さい。
返答が遅くなりました。申し訳ありません。

>まさに、戦後の日本人に一番欠けていることを、ズバッと言ってくださっています。
それに対するきたばさんの反応(「アタマの芯まで貫かれたようなショックを受けました。」)も、さすがだと思いますよ。現代のぬるけきった社会風潮に没入した日本人では、こういう受け止め方は、なかなかできないのではないでしょうか?

ありがとうございます!
日常レベルで外国など異文化・異人種と触れる機会が多少ともあると、きっと違うのでしょうが、日本の地政学的状況からそれは難しいですね。島国だったからこそ、発展したというのもあるでしょうが。
今、僕が参加している若手ビジネスマンの異業種交流会では歴史・文化勉強会を立ち上げようとしています。意識レベルの高い人たちに現時点では限られるのかもしれませんが、自然とこういったニーズが若手に出てきたことは、今後の日本にとっていい流れですね。

この「アイデンティティの確立」は人生の軸の確立にもつながりますが、この考え方は、人だけではなくて企業や組織にも同じことが言えると思うようになりました。
今週の日経ビジネスにも特集されてましたが、経営トップから末端まで同じアイデンティティを持って同じゴールを目指して、突き進める組織がやはり強い。個の集合体ではなくて、それは一つの生き物と化すことが出来るからだと思います。

同じアイデンティティを皆が共有していれば、末端での即時の判断も可能となり、経営スピードも上がる。
理想論的なことかもしれません。しかし、営業で訪問する強い企業には必ず強い価値観が共有されていると実感しています。

会社の上司と今後の会社の方向性について議論したときに、上司の意見に対して「それってうちの会社の社是に反してません?」って言ったときに、(あ、うちの会社ってアイデンティティの共有化ってされてないから組織に一体感がないんだ)と思ったことが、上のようなことを考えたきっかけでした。

ちなみにメンターとの交流は実は現在は途絶えてしまってます・・・。
互いの筆不精性格も原因でしょうが、やはりショートステイ過ぎたのが最も大きいですね。二十歳の僕にはまだ、短い時間で深い人間関係を築くスキルがなかったです。

その反省を活かして(?)去年我が家にショートステイしたマレーシア人とは互いに「brother」と呼び合う仲になれ、交流は続いています。
>同じアイデンティティを皆が共有していれば、末端での即時の判断も可能となり、経営スピードも上がる。理想論的なことかもしれません。しかし、営業で訪問する強い企業には必ず強い価値観が共有されていると実感しています。

↑これは決して「理想」ではなく、組織の存続と成長にとって、必要不可欠だと思います。
ちなみに、この「アイデンティティの共有」ですが、「組織バリュー」と言っています。
組織構成員が、何か困難に直面したとき、いつもそこに立ち返って考えるような行動・思考の規範ともいえます。

ところで、下記のケースについてですが、
>会社の上司と今後の会社の方向性について議論したときに、上司の意見に対して「それってうちの会社の社是に反してません?」

たしかにこのようなことを言いたくなる場面、組織に所属しているととても多く直面します。
ただ、あくまで私の見解ですが、組織バリューは、いかに組織に“内面化”されているかが重要なので、このようなケースに出会った時点で、それはすでにその組織、またはその人の体質の弱さを表しており、それを「組織バリュー」(※この場合は「社是」)を持ち出して批判しても、虚しいとも言えますね。

フィンランドのメンターとの交流は残念でしたが、その教訓をその後のマレーシアの友人に生かすあたり、「きたば流」ですね。
僕のメンター体験ですが・・・

高校生の頃、全てを理屈づけて、読んだ本の感想を言い合う友人がいました。
彼は教育関係の団体の指導員をしていて、その団体の方針である「感じる事」、読書する事・公の意識の大切さを学びました。
その後、弊害であまりにも理屈屋・まじめに走ってしまった頃に、とある仕事先で、とことん人生を楽しむ、いわゆる「あつい」友人たちと出会いました。
そのおかげで、全てを受け入れればいいという見方を否定する目、人生を楽しむ独創性、なにかをやる時の勢いを学びました。
そして、その後の仕事の同僚のパキスタン人。
彼には、イスラム人という概念を壊された。やんちゃで、いたずら好きで、奥さんの名前をタトゥーで彫っている人で、人生に一番大事なのは、愛だと教えられた気がする。
そして、女性(メンターではないかもしれませんが・・・)
女性との出会いは、現実的な男としての自分の価値を見せ付けられるし、浅はかさもつきつけられる。

今後も、数多くの人と出会うと思うと、未熟さからくる不安と、成長できる期待が入り混じって、複雑な思いになります。


これからも、勉強していきたいと思います。よろしくお願いします。
東京犬☆さん

早速の「メンター体験」、書き込みありがとうございます。
独特のメンター観ですが、よく読むと、若い感性がにじみ出ているように感じます。

ところで、東京犬☆さんは、“メンタリング”をどのようにして知ることになったのですか?
変なメンター論で、すいません^^;

「メンター」という言葉は、10代の頃に、スピリチュアル系のビジネス本で出会いました。


「メンタリング」は、このコミュで、 あと、nozomipapaさんの作られたWEBページで知りました。

前職(旅行代理店)で、上司によって部下や部署のモチベーション・仕事方法が大きく変わることや、新人に教える難しさ・自分の未熟さに気づいたので、少しでも勉強になればと思い、参加させていただきました。
若輩者ですが、よろしくお願いします。
どらこさん

貴重なメンター体験のご紹介、ありがとうございます。

特に、お二人目の方は、若干のほろ苦さが伴うご経験ですが、それだけに真に迫り、深いリアリティを感じます。

>私は未だに彼以上に心の底から身を委ねられる人に出会えていません。

この「…彼以上に心の底から身を委ねられる人」という表現、すごいと思いました。

思い返せば、私も似たような体験があるように思います。
自分にとって大切な人であることがいやというほど分かっているのに、何らかの事情でどうしても妥協できなくなってしまう状況……。おそらく多くの方が共有できるのではないかとも思われます。

>…会社が私への配置転換を命じた瞬間、それに対し何一つ見解・行動を示さない彼に…

恐らく彼にとっては、「メンターとして」、そのように振舞うことが、どらこさんにどう受け取られようとも「どうしても必要」だったのではないでしょうか?
彼の行為に、そのようなある種の倫理観すら感じてしまいました。

止むに止まれぬ「別れ」だからこそ、つらくもあり、なおかつ私達は受け入れる力を持たなければならないのでしょうね。

このような貴重な体験をお持ちのどらこさんには、是非「WEBメンタリング」(※メンターでも、メンティーでも歓迎です)へもご参加いただきたいと思います。

よろしくお願いします。

管理人

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