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DRAGON GATEドラゴンゲート速報コミュのMID BREATH PRESENTS 吉野正人トークLIVE 2011/04/15

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2011/4/15開催の
吉野正人トークショーの模様をレポートします。
まぁ個別選手のイベントなので興味があればごらんあれ


ちなみに過去に行ったトークショーです
2009/09/18鷹木信悟&YAMATOトークショー
http://mixi.jp/view_bbs.pl?guid=ON&id=46408019&comm_id=4420538

コメント(8)

〜先ずは菊池リングアナが入場!
普段、スーツやジャケットで正装している菊池アナだが
この日は赤のミッドブレスのロゴ入りパーカーにカーキ色のチノパンという出で立ち。


菊池『皆さん、こんばんは。
今日はですね吉野正人選手のトークLIVEということでね
まぁ本来なら3月25日に行われる予定だったんですが、今日に延期ということになっちゃったんですが

まぁホントは祝勝会といきたかったんですが
皆さんご存知かと思いますが…
昨日の結果でね
吉野選手を励ます会になっちゃいましたね
(場内笑)

励ます会ではありますが
さっそく吉野選手をお呼びしたいと思います。』


“主役”を呼び込むと
“SPEED STAR”に乗って吉野が登場する。
青のミッドブレスTシャツにジーンズという出で立ち。


菊池『(サラリと)まぁ、本来なら今日は祝勝会になる予定だったんですが
まさかね、吉野正人を励ます会になるとは(苦笑)
どうですか、気持ち的には?
落ち込んでたりしますか?』


吉野『いや、たしかに残念ではありますが
いつまでも凹んでもいられないんでね。
取られたモノは取り返せばいいだけの話なんでね
もう切り替えてますね、元気ですよ』


菊池『それなら良かったです。
まぁ、昨日惜しくも望月成晃選手に取られてしまったんですが
振り返りますと去年の7月に神戸ワールドで戴冠してから
半年以上…まぁ1年にはなりませんでしたが、これまで4度防衛しておりました。
これまでの4選手と比べて望月選手は、どうですか?スタイル的にかなり異質なタイプだと言われてましたが』


吉野『まぁ、あんまり絡むこともなかったですから。
シングルも2度目でしたし
たぶん会社も噛み合わないと思って組まなかったんじゃないですかね?
向こう(望月)はメキシコ行ってもないですし』


菊池『まぁね、そんな望月選手とのドリームゲートだったんですが。
昨日はね、体見ても…
(昨日の写真を提示する)
スゴい体してましたが最高の状態だったんじゃないですか?』


吉野『そうですね、両国でやる予定だったのが1ヶ月延びて
時間があったので逆にコンディションを整える余裕が出来たのかも分からないですね』


菊池『どうですか、もし両国で3月20日にやっていたとしたら?
望月選手は地元ということで背負うモノもあったでしょうが』


吉野『(即答で)勝ってたでしょうね
会場も大きいですけど自分プレッシャーとか感じない方なので』


菊池『両国は後楽園の五倍ぐらいありますからね』


吉野『お客さんも多ければ多い方が燃えるんで
精神的にも余裕ありましたね』


菊池『望月選手は地元なので気負いもあったでしょうしね』

吉野『まぁ勝ってたでしょうね
ただ、昨日も(望月は)鼻息荒かったですが(笑)』


菊池『両国の直前は九州の方で一緒でしたが、コンディション維持の為に試合後に食事に誘われても断ってましたしね


まぁそれで昨日の後楽園を迎えた訳ですが
望月選手はね、打撃中心のスタイルです
DRAGON GATEにもあまりいないですよね。』


吉野『まぁハルク…は組んでますし琴香もそうですから』


菊池『やはり打撃には気をつけようと?』


吉野『まぁハイキックだけは喰らったらヤバいなって
ミドルやローはある程度喰らっても自信あったので
取りあえずハイキックは喰わんとこと。』


菊池『結局それを喰ってしまって、その上で三角蹴りまで入っちゃって
僕、正面から見てましたけど
モロに顔面に入っちゃってましたね』


吉野『まだアゴ痛いですよ
よく人の顔平気で蹴れますよね(苦笑)』


菊池『ベルトはね、取られちゃいましたが悔いはありますか?』


吉野『まぁまだ持ってたらやりたいこともやれてるでしょうけどね。』


菊池『吉野選手は軽量でそれまではブレイブの王者ってイメージありましたけど
ドリームゲートのイメージなかったですが』


吉野『そうですね…

まぁベルト取られてしまいましたが
ベルトあったらやりたかったことはありますが
無かったらないで動けることもありますからね』


菊池『そうですか。
どうなんですかね、吉野選手両方のベルト巻きましたがドリームゲートの方が上だって気持ちはありますか?』


吉野『いや、それはないっすね…
ブレイブは今PACが価値上げて輝かせてくれてますからね
次は土井ですか?面白そうですよね』
菊池『今PAC選手の話でましたが
昨日はドリーム戦以外にも“残念なこと”がおきちゃいましたが…

残念ながら無所属になっちゃいました』



吉野『(苦笑)
そうですね…
まぁでも、明日からシリーズ始まりますけど
コスチュームどうしましょうかね。
WORLD-1も3年やりましたからWORLD-1て書いてないコスチュームは中々持ってないんですよね』


菊池『そうかそうか、WORLD-1のロゴ入っちゃうとね…
万一の為に無所属用のを発注しとくことも出来ないですからね(笑)』


吉野『菊池さん、何を縁起でもないこと言うんすかっあせあせ!』


菊池『そうですね
<注1.)そんな最初から負けること考えてたら猪木さんにビンタされちゃいますからね(笑)>』



菊池『そんな中ですね、終了後にモッチーから新たな展開を誘われてましたが…』


吉野『そうですね、中々面白い話だとは思いますね。
ただまだベルト失ってWORLD-1なくなって…っていう段階なんでね。』


菊池『試合後には握手してましたけれども』


吉野『あれは試合終わって相手としてリスペクトしての握手ですから』


菊池『昨日の今日ですから頭の整理が付かないですよね』


吉野『そうですね、まだ正式には返事してないですから』


菊池『まぁただWORLD-1も解散してしまいましたから
一緒に組んじゃうと名前変わっただけだろ
って思われますからね
ひょっとしたらWORLD-1のメンバーからBlood WARRIORSに移籍したりKAMIKAZEに移籍したりする選手もいるかもしれないですね』



菊池『昨日は残念ながら敗れてしまいましたが
これまで4回防衛して
昨年晴れて神戸ワールドのメインにも立って最高の年になったんじゃないですか?』


吉野『そうですねぇ
10周年も迎えてベルトも巻いて
個人的ですが地元の東大阪で興行も出来ましたしね』



菊池『そんな地元でも凱旋出来た吉野選手なんですが
今日はね、普段あんまり触れることが出来ない生い立ちのお話なんかを聞いてみたいとおもいます。
さっそくですが吉野選手は関西のイメージ強いですが、ご両親は九州出身なんですね』


吉野『そうですね、父が大分で母が鹿児島ですね』


菊池『それがどうして大阪の方に?』


吉野『両親がともに仕事の都合でたまたま大阪で逢って
たまたま結婚したんです』


菊池『たまたま?
まぁでもそれがなかったら吉野選手はここに居ませんからね。
以前、DVDでご両親登場されましたが
お母さんは典型的な大阪のおばちゃんて感じですね』


吉野『鹿児島なんですけどねぇ。どこでどう変わったんでしょうか、最初からなんですかね

僕はそんなにベラベラ喋る方ではないんで
父親も無口な方なんで父親に似たんですかね?』


★★★★★★★★★★★★★★★★
注1.)1990年頃、まだゴールデンタイムで新日本プロレスの中継があった頃
テレビ朝日のアナウンサーが試合前のアントニオ猪木にインタビュー!
アナ『もし負けたら世代交代が…』

    “パチン”
次の瞬間、アナウンサーの頬には猪木の大きな手がっ!

猪木『やる前から負けること考える奴がどこにいるっ(怒)』
★★★★★★★★★★★★★★★★★
菊池『そんなご両親に育てられた吉野選手、小さい頃はどんなお子さんだったんですか?』


吉野『そうですねぇ…家の中でゲームとかするタイプじゃなく
外に出て遊ぶ方でしたね。』


菊池『どういった遊びをされてました?』


吉野『う〜ん…ベッタンですね
一般的に言うメンコです
あとはビー玉とかで遊んでましたね』


菊池『何かスポーツとかはやってました?』


吉野『幼稚園の頃はスイミングスクールに通ってました。』

菊池『へぇ、では泳ぎに関してはかなり自信がおありになる?』


吉野『んまぁ、一通りは出来ますね。クロール、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎって』


菊池『じゃあもう水泳は完璧ですね。
水泳以外にも何かやられてたんですか?』


吉野『スポーツではないんですけど
オルガンを。』

菊池『オルガン?』

吉野『そうです、ピアノでもエレクトーンでもなくオルガン(笑)』

菊池『中々聞かない響きですね(笑)
オルガンは長いこと続けてたんですか?』


吉野『いや、途中で先生が来なくなってそれっきり…』


菊池『大人の事情でね(笑)』

吉野『まぁその後、小学校入って習字をやってましたね』


菊池『吉野選手、非常に字がお綺麗ですからね』


吉野『そんなことないっすよ、ただ同じ“かく”ってことでも絵の才能は全くないんです。

一回、九州の番組で絵を描く企画がありまして
テーマがドラゴン・キッドだったんですけど…
んまぁヒドい出来でしたね、蛙にしか見えませんでした(苦笑)』


菊池『(笑)
でも、まだオルガンは自信あるんですか?』


吉野『まぁ嫌いではないですね。得意ではないですが、やれって言われれば出来ます』


菊池『小学校のときはそんな感じですが、中学校からは野球をやられてたんですよね?』


吉野『その前に小学校低学年のときにソフトボールやってましたね。
それで中学校から準硬式野球を奈良でやってましたね』


菊池『もう小学校低学年からそのまま中学校まで一気にやった感じですか!?
中学校まではプロレスには興味なかったんですか?』


吉野『全く興味なかったですね。野球一筋でしたね』


菊池『それではどういった経緯でプロレスに興味持ったんですか?』


吉野『え〜とですね…
たしか96年の1月にある試合をテレビで見まして
父親がテレビでプロレス観るぐらいなら好きだったんで、その試合自体も僕はご飯食べてたんですが
偶然見てたら面白いなって思って
そこから雑誌ですとかテレビとかで見るようになりましたね。
気付いたらプロレスラーなりたいなって』


菊池『その頃はまだ闘龍門はなかった頃ですよね。
プロレスラーになる前にトレーニングとかはやられてたんですか??』


吉野『う〜ん…僕んとこは田舎なんでミッドブレスさんみたいなジムもなかったですし
テレビで見たことある腕立て伏せとか腹筋とかを自己流でやってましたね。
とにかく筋肉は付けようと』


菊池『当時はね体重○kg以上、身長○cm以上って規定がありましたからね』


吉野『身長はどうしようもないですからね、体重だけでもって思って』


菊池『当時はね、週刊ゴングの後ろに「私は××cm身長が伸びました」ていう広告ありましたけどね(笑)』

吉野『ありましたね(笑)懐かしいですね』


菊池『青春時代はそういった感じということですが
初恋はいつ頃なんですか?』


吉野『いきなりですね(笑)
えっと…小学校低学年ですかね。名前も覚えてます
なほチャン』


菊池『初めてお付き合いされたのは?』

吉野『えらい話飛びましたね…
ちょっと水飲んでいいっすか(笑)』


菊池『まぁそんなに深くは突っ込みませんから』


吉野『高校の頃ですかねぇ
それまでずっと野球でしたから
朝練行って授業行って部活行ってて恋愛する時間もなかったですから』


菊池『それで高校卒業されて
すぐにプロレスっていう訳ではなく一旦は大学行って1年満たずにプロレスに入ったと?』


吉野『3ヶ月っすね
ちょうど闘龍門が募集かけてて。』


菊池『もう、すぐにプロレス行こうと
もう思い立ったら聞かないんですか?』


吉野『はい。今は年も重ねて大分丸くなったんですけど当時はもう1直線でした』


菊池『まぁ大学を辞めてまでプロレスの道に進むぐらいですからね』
菊池『ご両親はどんなリアクションでした?』


吉野『非常にお父上が…お怒りになっていて
身長は154cmしかないんですが
やっぱり家族の中では大きな存在ですからね』


菊池『どうやって許しを請うたんですか?』


吉野『父親はやっぱりプライドもあるんでしょうね、心の中で許してても中々ね、素直になれませんから
そういう時はやっぱり母親ですねぇ(しみじみ)』


菊池『まぁね、特にメキシコですからね』


吉野『日常で馴染みのないですからね。
どんな国なのか分からないし、下手したら場所も分からない
聞くところによると治安も悪いて言われてましたからね』


菊池『吉野選手はメキシコがそういった国だってご存知の上で行かれたってことですが
不安はなかったですか?』


吉野『自分はプロレスやるんなら何処へでも行くつもりでした
大学辞めてまで入ってますから』

菊池『吉野選手は闘龍門の…8期生でしたっけ?』

吉野『自分は7期ですね。』


菊池『失礼しました、同期はどういった方々がいらっしゃいます?』


吉野『いま本部長の八木ちゃん、しゃちほこマシーン、あとはシーサーBOY(場内笑い)
(半笑いで)皆さん何で笑うんすか?
まぁその4人ですね』


菊池『いま残ってるのは4人
(現・全日本プロレスの)近藤(修司)選手は?』


吉野『1期下なんで8期ですね
まぁ入ったときは沢山いたんですけど最終的には6人がメキシコ行きましたね。』


菊池『闘龍門はね、プロレスラー養成学校なんで授業料が発生するんですよね
いざメキシコ行って辛くなかったですか?』


吉野『大学辞めてますから戻る場所がないですから必死でしたね。』


菊池『色々聞くところによると
ヒドい国らしいですからね』


吉野『ヒドいっすね。
トイレの便座がなかったり個室もないし、ドアもないってこともありましたから』


菊池『フジイさんに聞いた話なんですが
生活してたら風で屋根が吹っ飛ぶなんてこともざらにあるらしいですし
キッド選手の話によると
朝起きて壁が黒いからペンキでも塗ったのかなって思ったらゴキブリだった
とも聞きました』


吉野『道場は綺麗だったんですけど、いくら綺麗にしても街が汚かったですからね。
建物も痛が剥き出しだったり鉄骨が剥き出しだったり』


菊池『やはりそういった環境ですと、体重も痩せてしまうものですか?』


吉野『一応、ちゃんこを作ってたんですよ。
ちゃんこ…正確にはちゃんこ風の料理ですね。
日本風に調味料を入れたりして

(メキシコ名物の)タコスは使ってる油とかが太りやすいんでダメだったんで
浅井さん(=ウルティモドラゴン)も絶対ダメ言ってたんで』


菊池『あとタコスは食あたりにかかるんですって?』


吉野『そうっすね、浅井さんが日本に帰国してるときに我慢出来なくて1度だけ屋台のタコス食べたんですけど
5分に1回はトイレ行くってことは普通でしたね。

浅井さんが言うには屋台のタコスは菌とかがあるんでダメだけど
店のタコスは大丈夫って言ってましたから。』


菊池『でもその2年間は貴重でしたって言ってましたね。
辛かったのは?』


吉野『そうですね、今までもそうないんですが
向こう行って3ヶ月で怪我したことですかね
メキシコシティでの試合だったんですけど、怪我した後にトラックに6人ぐらい乗って5時間ぐらい移動してたことですかね』


菊池『そういった経験を経て
日本に帰国してターザンやったりしたんですが
その辺の話もね、聞いていきましょう

闘龍門2000プロジェクト…略してT2Pとして吉野選手も参加するんですが
このT2Pは…
メキシコ流の関節技というか普通の日本で披露されている関節技よりも難解な、ジャベと称されるモノをやってたんですけど』


吉野『スッゴく地味でしたよね。伝わりにくいっすよね』


菊池『まぁスタイルは地味でしたけど、選手のキャラクターは派手でしたね
モデルがいたりターザンがいたり漁師がいたり
吉野選手、何故にターザンだったんですか?』


吉野『あのぉウルティモ校長の娘さんがディズニーが好きで
1度お宅にお邪魔したときにビデオ見ててですね
校長が「お前ターザンに似てるな、髪伸ばせよ」


その頃の立場的にそんなこと言われたら拒否出来ないですからね。
自分は絶対似合わないって思ってたんですが』

菊池『私も闘龍門当時にウルティモ校長と接する時間はけっこうありましたが
ヒラメキがある方ですよね。』


吉野『けっこう思い付きでやることが多かったですね』


菊池『土井成樹選手なんかはね、いっときカメラのドイになりかけましたしね
カメラのドイかセカンド土井かでセカンド土井になったんですよね。』


吉野『誰でもセカンド土井選びますよ(笑)』


菊池『まぁね、そういう時代を経て吉野選手も後々にゴリラを連れて入場したり』


吉野『今ごろ何処にいるんですかね…』


菊池『それで後に闘龍門JAPANとの対抗戦で大将のミラノ選手がCIMA選手に敗れて
残念ながら吸収される形になっちゃいまして

それからはイタリア人として』


吉野『イタリア人もやってましたね(笑)
八木ちゃんはパン屋でしたもんね。』


菊池『パン屋の前に漁師ですね
当時はキャラクターと技の名前がねマッチしてたんですけど
八木ちゃんですと漁師なのでタコツボ固めとか(笑)
吉野選手だけは“ソルナシエンテ”とかカッコいい名前付けられてましたが…』


吉野『当時、メキシコにいたので若かったですしカッコつけたかったんですね。』

菊池『ひとつだけ“コウモリ”ていう日本語の技がありますが…』

吉野『まぁ(メキシコで使われる)スペイン語の名前つけても
結局は伝わらないんで分かりやすい名前にしたんですよ』


菊池『そうですか。
そういうイタリアンコネクションを経てBlood generationに入って
自慢のロン毛をバッサリ切ってしまう訳ですが
周りにロン毛の選手は居なかったですもんね』


吉野『そうですね、珍しかったかもしれないですね』


菊池『当時、神戸の道場近くのスーパー銭湯で
僕、初めて見ましたよ
男の人でこうやって(シャンプーのCMのような動作)
洗ってる人

肌も黒くしてましたが、当時は近所の日焼けサロンも1店舗だったんでホントに知り合いしかいないって状況でしたね』



吉野『当時、モデルの仕事もやっていたのでどうしても日焼けサロンは欠かせなかったですね。
髪の毛も今もクセで美容院で切りにいきますね
床屋にはいけないっすね』


菊池『他に当時の名残りはありますか?』


吉野『あぁ未だに毎日トリートメントしてしまいますね。』


菊池『また伸ばす気はありますか?』

吉野『全くないですね。似合わないっすね
自分でもキショイなって思いますから』


菊池『吉野選手はロン毛時代の頃は非常に痩せてましたけど
筋肉の付け方とかは気を付けてました?』


吉野『一応、自己流で肩とかを鍛えてたんですけど中々上手くいかなかったですね』


菊池『バリエーションもあまりなかった?』


吉野『そうですね、どうしても限界があったんで
それでイタコネの時にミッドブレスさんを紹介していただいて』


菊池『じゃあ、そこからは今の吉野選手の体に徐々になっていった訳ですね
それではですね
ここからはミッドブレスさんの水戸川支配人をお呼びしてお話伺いましょうかね
支配人、お願いします』


〜支配人、登場!
マイクなしで喋り出す(笑)〜

菊池『支配人、吉野選手と出会って
まずどんなアドバイスをされたんですか?』


水戸『やはりですね、ご本人の真面目さでしょうね。
最初に出会った頃はイタリアンコネクションで非常にお暴れになってまして
ヒールのイメージがあったものですから
でも実際にお会いして、非常に几帳面で丁寧で敬語を多分に使われますしね
もう、一瞬で印象変わりましたね。』


吉野『2004年ですからそれから…7年ですか。』


菊池『その吉野選手はミッドブレスさんに通う前から
みんなが試合終わってご飯食べにいっても1人だけメニュー違って徹底的に節制してましたからね』

水戸『いやぁ
皆さん見ても分かりますが、吉野選手は非常に細いですからダイエットは必要ないと思うんですね。
ウエストなんか女性のように細いですからね』


菊池『昨日のドリームゲートの直前の期間は食事にも気を付けてたと思うんですが
ホントの直前は何食べてもいいみたいで
私、食事に誘ったら
何でもいいよ
って言ったのでラーメン誘ったら
「すいませんラーメンは…」
て。』


吉野『何でも良くなかったですね(笑)』


水戸『あの炭水化物を採るのでもご飯やパスタは推奨出来ます。』

吉野『パンはダメなんですよね?』


水戸『そうですね、パンは
その中でもラーメンは特に
ラーメンの成分にですね、脂肪として吸収しやすい物があるんですね

ダイエットするのでも一旦は炭水化物を抜いて体重を落としてですね、目標とする期日の直前になって再び炭水化物を摂取するっていう
カーボローディング
と言われる手法があるんですけどね。
ただ、吉野さんに関しては朝とお昼は召し上がって夜にそういうのわやっていただきたいんですね。
本来、トークショーやる予定だった3月25日に
私のラジオに出演していただいてその日に何を召し上がったか伺ったところ
冷凍庫に入ったチョコレートを
食べたと言ってましたね。
あと、吉野選手がふとミスタードーナツを召し上がりたいとおっしゃて
私はいいですよ。と申し上げたんですよ』


菊池『フレンチクルーラーが食べたかったですよね?』


吉野『違いますね復刻版のエンジェルショコラです。
それで明くる日は巡業だったんで探して探してね』


菊池『長野の駅前でしたね』


吉野『中々見つからなくて
「逆に出た?」とか言いながらね
ミスタードーナツ食べてあんなに嬉しかったのはないですね(笑)』

菊池『まぁ両国の少し前はちょうど九州巡業だったんですけど
お客様がね、焼き肉を食べに行きたいと言ってましてね
焼き肉はカルビですとか脂質の多い部位がありますから』


吉野『それで水戸川さんに連絡してですね
そしたら
水「カルビも大丈夫です
ただタレは付けずに一回レモン汁につけて脂を落としてから召し上がって下さい」
て。ずっとメールしてましたね(笑)』


水戸『吉野選手、そういう努力を非常にされてて
私も昨日なんとかメインに間に合って吉野選手の素晴らしい体見てドヨメキが起きてましたね

まぁ試合の方はモッチーコールに押されてまして
吉野選手はお仲間も居なくなったところでしたから』


吉野『(苦笑)
昨日が体重が67kgでしたね。
自分の体重で70切ることはなかったですからね。
全て支配人のお陰ですよ』


水戸『いやご本人の努力ですよ。
非常に細やかで丁寧な方ですから』


吉野『水戸川さんいなかったら無理でしたから』


水戸『最後はご本人がなさることですのでね』


菊池『仕上げの期間は何を食べてたんですか?』


吉野『たいがいはオニギリ1コ半とバナナですね』
水戸『実はですね。
今だから言うんですが
望月選手もカーボローディングをやってたんですよ。』


吉野『そうなんですか。』

菊池『あんまりイメージないですよね』

水戸『今回はそれだけ望月選手も気合い入ってたんでしょうね
あ、私じゃなくてウチの山本がご指導したんですよ
山本がですよ。』


水戸『それでちょうど12日の調印式の日にですね、その日が炭水化物を摂取し始めるカーボアップの初日でして
望月さんから
「すごっくお腹空いてるんですよ。早く食べたいんです」
て言われましてね』


吉野『支配人にですか?』


水戸『いや、ウチの山本にですよ、山本に

ただですね、望月選手ですね、私ども何回もパンはダメですって申し上げたんですが
「パンはどんな種類なら大丈夫ですか?」
と言われて(笑)
一応パンはダメだと言ったんですけどね』


吉野『そこでダメって言わなければ…
それが敗因だったんですね(笑)

ただ、あの人にそういうイメージないですね。
イメージで言ったら昭和の感じの調整というか
走り込んで着込んでって感じですね』


菊池『でも今は袂を別れましたけど、ベテラン軍時代にCIMA選手とかGamma選手とかから影響は受けたんじゃないですかね。

ただ、モッチー、後楽園の直前にブログで“ノー炭水”
て書いてたんですが
モッチーのイメージでは米とパンだったんですね
野菜食べてましたけど野菜も炭水化物なんですよね?』


水戸『そうですね。
野菜も炭水化物なんです。
ただそんなに多量にはないので吉野選手なんかがは逆に採っていただいた方がいいですね』


菊池『望月選手も慣れないことやって辛そうでした
吉野選手は昨日試合終わったあとは何を召し上がったんですか?』

吉野『餃子とか中華っすね』


菊池『試合終わった後に伺ったら
「焼き肉食べたいっす」
て仰ってましたけど
けっこう普通だったんですね。』

吉野『あと今日のお昼にポテトチップス食べましたね
堅揚げポテト』


菊池『そうですか、ずいぶん質素でしたね(笑)

支配人、吉野選手にメッセージありますか?』


水戸『個人的にYOSSINO好きでしたね
もう何を召し上がってもいいんでね。
分からないことありましたらどんどんアドバイスしますので宜しくお願いします』



〜水戸川支配人退場〜


★以後プレゼントコーナーに入り
・WORLD-1時代のアームバンド

・闘龍門MEXICOのロゴ入りジャージ(ハーフパンツ)

・闘龍門JAPANロゴ入りジャージ

・マッスルアウトローズ時代のパーカー

・写真12枚


が吉野とのジャンケンや偶然あったくじ…吉野くじ改によってプレゼントされた。


吉野『昨日、残念ながらベルト取られてしまいましたが
いつまでも凹んでられないんでね。
凹むことなく元気にやっていきましょう
今日はありがとうございました』
レポートありがとうございます。
九州のイメージなかったから、すごくびっくりしました。ますますファンになりました。
今度は行きたいです。

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