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スピリチュアリティーの学際研究コミュの魂の健康とは

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魂の健康(スピリチュアル・ヘルス)前編

1. 問題

患者の気持ちを無視して延命治療に専念することの無意味さは周知の事実となり、在宅医療が見直され、患者の権利意識も高まり改善されるようになってきた。疾病治療のみを見つめる機械的医療行為の残酷さに関しては、認知度が高まっていると判断してよいであろう。QOL向上には医療倫理的アプローチとともに、心身医学の考え方や態度・理念が多大な貢献をしてきた。
全人的医療への見なおしから補間代替医療が注目されてくるなかで、スピリチュアリティーや魂の事柄に関し、様々な分野で討議されるようになってきた。このような時代の要請に応え、心身を超越した魂の健康概念について整理しておくことが重要である。
医療の目的は健康回復・増進であることはいうまでもないが、健康を心身に限定して魂のあり方を無視した場合、様々なひずみがあらわれて来る。その表れが、いわゆる原因不明な症状群や現代に特有な社会病理として観察される。
一方では、スピリチュアルペインやスピリチュアルケアーという概念が提唱されてきたが、現状ではまだ末期患者の死の準備に限定して捉えられる傾向がある。スピリチュアリティーや霊的な問題は、宗教や倫理観といった価値観がかかわってくる可能性もある微妙な領域であるため、討議するのに慎重な姿勢もうかがえる。しかしながら、非定型的うつ状態など近代に特異的な病態は、MINDではなくSPIRITの問題を検討することによって整理されると考える。本稿では、スピリチュアル・ヘルスをメンタルヘルスと対比させることによりその特徴を記述していくこととする。

2.健全な苦しみ

スピリチュアルな成長を遂げた人物を歴史的に概観すると、魂の癒しや健康概念が明らかになる。たとえばキリストや仏陀は、気高い信念に向かって模索し苦しみ、家族や命まで投げ打って普遍的な愛の実践に貢献したが、WHOにおける現行の健康定義によれば、精神的、社会的、肉体的に必ずしも健康とは言えない。しかし、彼らの魂の健康度は最高水準であったことが推察される。
歴史的にも、魂の健康な人たちの実存的苦しみが「魂の闇夜」として知られている。フランクルは、生きる目的や本来の意味を求めて苦しむ実存的うつ状態を記述している(1)。精神科医ペックは、「人生は困難な道である」というベストセラーのなかで、愛の欠如は怠惰であり成長を回避することである、苦しみを除去してはならないと訴えている(2)。
実は、楽観的な対象者のほうが、客観的現実認識的に優れたものより精神衛生は良好で生産性も高い(3)。楽観性やポジティブ思考が免疫機能を高め、疾病の回復に貢献しているとする報告も多数存在する(4ほか)。しかし、楽観主義者は概して現実認識が妥当ではなく、客観的ではないのである(5)。
盲目的信念が病気回復に効果があるとして肯定されると、副作用が生じる。成長の過程として一時的にそのような防衛が必要となる時期があるかもしれない。しかしそれを持ち続けることは不健康であり、本人の成長に伴いそのような非科学的な信念は崩されていく運命にある。本人が癒されることはまず問題がないだろうが、他者にまで、善意で非合理的信念を強要するような態度が生じることも推察される。医療の目的を心身の症状改善に限定すると、このように、本来のあり方からのゆがみが肯定されてしまう場合がある。このような場合には、本質的な魂の癒しは起こってないと考えられる。

3.魂の渇望

魂が癒されていないために治らない病態がある。成長に不可欠な気づきを促すための心身の症状を取り去るわけにはいかないことに、うすうす気がついている患者もいる。魂レベルにおいて症状の必然性があるときには、どのように優れた治療を施しても治癒は生じない。
「どうしたらいいかはわかってます。やめることもできます。でも、なぜかそうしたくないんです。」と難治性の摂食障害患者らは証言する。必要なのは体の回復ではなく、認知のゆがみや感情のコントロールでもなく、もっと深いところにある魂の渇望を癒すことなのである。
気持ちを楽にするために処方される抗欝剤は、精神の病には効果的であるが、魂の癒しにはつながらず、かえって悪化させてしまうこともある。解熱消炎剤が症状を軽減するが、免疫機能はむしろ落として自然治癒過程を妨げるのと同じ理由である。
心の問題が重要視されるようになって来た今日では、実は新たな問題が浮上してきている。それは魂が無視された心の癒し行為である。魂を無視して心の健康に専念すると、楽しければよい、元気であればよいという、魂の観点から考察すると不健康な様相が観察される。
メンタルヘルスから区別したスピリチュアルヘルスの概念を明らかにすることにより、このような問題が整理される。


コメント(3)

まなみん:
 素晴らしい切り口ですね。今後の展開が楽しみです。
 二点、思ったこと。
 魂の健康度の最高水準の仏陀やキリストを例に持ってこられました。これはこれで重要かと思いますが、一方で、歴史には名を残さなかった無数の最高水準?もいた、ということも視野にいれることが大切だと思います。(歴史に残ってますが、鈴木大拙が『日本的霊性』の中で言及した妙好人たちなど)それが翻って、日常生活の中での聖性とかスピリチュアリティの重要性につながっていきますね。皿洗いのスピリチュアリティ、夫婦喧嘩のスピリチュアリティと難病のスピリチュアリティを切り離さないことが大切かと思います。
 理論的には、ウィルバー的な階層構造には(それをどれほど複雑にしようが)、天台の十界互具の思想が欠けているということです。
 二つ目は、盲目的信念の副作用の指摘です。「本人が癒されることはまず問題がないだろうが、他者にまで、善意で非合理的信念を強要するような態度が生じることも推察される。」これは、合理性と非合理性の狭間で格闘しているまなみんだからこそ、の指摘だなと思いました。スピリチュアルヘルスの検討には、こういう突っ込んだ議論こそが必要なのだ、と思います。

合掌
 
ハルさん
コメントをありがとうございます。
お読みする前にまたなおしたので、またアップします。
これからハルさんのご指摘を考えてさらに練り直します。

魂の健康(スピリチュアル・ヘルス)前編

1. 問題

患者の気持ちを無視して延命治療に専念することの無意味さは周知の事実となり、在宅医療が見直され、患者の権利意識も高まり改善されるようになってきた。疾病治療のみを見つめる機械的医療行為の残酷さに関しては、認知度が高まっていると判断してよいであろう。QOL向上には医療倫理的アプローチとともに、心身医学の考え方や態度・理念が多大な貢献をしてきた。
全人的医療への見なおしから補間代替医療が注目されてくるなかで、スピリチュアリティーや魂の事柄に関し、様々な分野で討議されるようになってきた。このような時代の要請に応え、心身を超越した魂の健康概念について整理しておくことが重要である。
医療の目的は健康回復・増進であることはいうまでもないが、健康を心身に限定して魂のあり方を無視した場合、様々なひずみがあらわれて来る。その表れが、いわゆる原因不明な症状群や現代に特有な社会病理として観察される。
一方では、スピリチュアルペインやスピリチュアルケアーという概念が提唱されてきたが、現状ではまだ末期患者の死の準備に限定して捉えられる傾向がある。スピリチュアリティーや霊的な問題は、宗教や倫理観といった価値観がかかわってくる可能性もある微妙な領域であるため、討議するのに慎重な姿勢もうかがえる。しかしながら、非定型的うつ状態など近代に特異的な病態は、MINDではなくSPIRITの問題を検討することによって整理されると考える。本稿では、スピリチュアル・ヘルスをメンタルヘルスと対比させることによりその特徴を記述していくこととする。

2.健全な苦しみ

スピリチュアルな成長を遂げた人物を歴史的に概観すると、魂の癒しや健康概念が明らかになる。たとえばキリストや仏陀は、気高い信念に向かって模索し苦しみ、家族や命まで投げ打って普遍的な愛の実践に貢献したが、WHOにおける現行の健康定義によれば、精神的、社会的、肉体的に必ずしも健康とは言えない。しかし、彼らの魂の健康度は最高水準であったことが推察される。
歴史的にも、魂の健康な人たちの実存的苦しみが「魂の闇夜」として知られている。Erankleは、生きる目的や本来の意味を求めて苦しむ実存的うつ状態を記述している(1)。精神科医Peckは、「人生は困難な道である」というベストセラーのなかで、愛の欠如は怠惰であり成長を回避することである、苦しみを除去してはならないと訴えている(2)。
楽観的な対象者のほうが、客観的現実認識的に優れたものより精神衛生は良好で生産性も高いのは事実である(3)。楽観性やポジティブ思考が免疫機能を高め、疾病の回復に貢献しているとする報告も多数存在する(4ほか)。しかし、楽観主義者は概して現実認識が妥当ではなく、客観的ではないのである(5)。
盲目的信念が病気回復に効果があるとして肯定されると、副作用が生じる。成長の過程として一時的にそのような防衛が必要となる時期があるかもしれない。しかしそれを持ち続けることは不健康であり、本人の成長に伴いそのような非科学的な信念は崩されていく運命にある。他者にまで、善意で非合理的信念を強要するような態度が生じると、それは大きな問題となる。
医療の目的を心身の症状改善に限定すると、このようなゆがみが生じる。魂の健康が問われなければならないのである。


3.魂の渇望

魂が癒されていないために治らない病態がある。成長に不可欠な気づきを促すための心身の症状を取り去るわけにはいかないことに、うすうす気がついている患者もいる。魂レベルにおいて症状の必然性があるときには、どのように優れた治療を施しても治癒は生じない。
「どうしたらいいかはわかってます。やめることもできます。でも、なぜかそうしたくないんです。」と難治性の摂食障害患者らは証言する。必要なのは身体の回復ではなく、認知のゆがみや感情のコントロールでもなく、もっと深いところにある魂の渇望を満たすことなのである。
気持ちを楽にするために処方される抗欝剤は、精神の病には効果的であるが、魂の癒しにはつながらず、かえって悪化させてしまうこともある。解熱消炎剤が症状を軽減するが、免疫機能はむしろ落として自然治癒過程を妨げるのと同様のメカニズムである。
心の問題が重要視されるようになって来た今日では、実は新たな問題が浮上してきている。それは、魂が無視された心の癒し行為である。魂を無視して心の健康に専念すると、楽しければよい、元気であればよいという、魂の観点から考察すると不健康な様相が観察される。
メンタルヘルスから区別したスピリチュアルヘルスの概念を明らかにすることにより、このような問題が整理される。


文献

1.
2.
3.
4.
5.





























魂の健康(スピリチュアル・ヘルス)後編

1. スピリチュアル・ヘルスの位置づけ

WHOの健康憲章改正案にスピリチュアルな健康という軸が提唱されながらも、まだ採用にいたっていない。スピリチュリティーを精神と訳したり、測定観察できる面を強調して操作的に「成熟した心理的な態度」と定義することもあるため、スピリチュアリティーを心理的過程そのものや一部であると還元してしまう誤解が、現在でも医学や健康科学の中で観察される。
スピリチュアル・ヘルスとは、魂の健全さを意味するが、魂あるいはスピリット・スピリチュアリティーという概念がもともと主体を超えた概念であるために、スピリチュアル・ヘルスも本来的には超越的な概念である。しかしそれがたち現れてくる個人の態度を、観察可能な現象として医科学的に捉えることによって、はじめて臨床的に有意味なものになると考える。
心身医学モデルにも、自然環境とのつながりや実存的な意味を健康問題の重要概念として提唱していくというスピリチュアルな概念が一部含まれていた。しかしながら、大いなるものとのつながりという超越的なスピリチュアリティー概念は、池見がSと表現してはいるものの(1)、一神教的な宗教性を連想されるためか、あまり論議されることはなかった。
筆者は肉体的・精神的・社会的側面に加えてスピリチュアルな健康側面を健康概念に入れ、環境・倫理的側面も包括したモデルを提出した(2)。このモデル全体を包括しているのが広義のスピリチュアリティーであり、狭義のスピリチュアリティーは上方向の超越的なつながりとして表されている(図)。このような2段階のスピリチュアリティー定義に対応して、スピリチュアル・ヘルスも2段階で広義・狭義で定義される。

2. 狭義のスピリチュアル・ヘルス

肉体と精神はまず主体の内部的要因と位置づけた。このモデルで水平方向のスピリチュアリティーと呼ぶ、自然環境・社会的なつながりは環境医学・社会医学で記述できるものである。垂直方向のスピリチュアリティーも、実存的な自己とのつながりは、人生の意味、目的という哲学的テーマを抱えながらも   心理学的指標開発が試みられてきた(2,3)。しかしながら、超越的な上位へのつながりは、形而上学的概念であり科学的測定を受け付けない領域であるために、測定を考えること自体が、カテゴリーエラーとされてきた。確かに大いなるものを測定し記述することは不可能であるが、主体側の態度を記述することは可能である。心身医学モデルで倫理的という言葉で説明されようとした側面が、この大いなる秩序・宇宙などとのかかわりを表す狭義のスピリチュアリティーであると考えた。
倫理的態度を狭義のスピリチュアル・ヘルスとすると、肉体・精神・社会的な健康とは一致しない場合もありえるのは、キリストや仏陀の例で見てきたとおりである。
健康定義改定案で提出されたまま採択にいたっていないもうひとつの概念は、「ダイナミックな」という視点である。これは、永遠性まで考えるスピリチュアリティーを視野に入れた場合、特に重要となる。健康をダイナミックな視点でとらえると、たとえ今ここで問題を抱えていても、成長や発展といった積極的な方向に向かっていると判断できる場合には健康であるということになる。永遠性や宇宙的視野でとらえれば、すべての営みが発展や進化の方向を示す再生への営みであるという視座も存在する。このように時空を越えたスピリチュアルな観点から健康を捉えると、どのような状況であっても前向きな態度が期待できる。その意味で、スピリチュアル・ヘルスを提唱することの意義は大きいと思われる。
本稿においては、上記のような狭義のスピリチュアル・ヘルス概念を明らかにするために、まず、メンタルヘルスの中で扱われるスピリチュアルな問題について検討する。次節では、その過程で明らかになってきたメンタルへルスとスピリチュアル・ヘルスの差異を記述することを通し、概念を探っていくこととする。

3.メンタルヘルスとスピリチュアル・ヘルスの差異

スピリチュアリティーは確かに精神過程に大きく関係しているが、精神過程そのものでも一部に含まれるものでもない。身体的健康と精神状態は互いに影響を及ぼしあう心身相関が知られているが、スピリチュアリティーと精神的健康の関連も同様に相関があることが説明できよう。
スピリチュアル・ヘルスはスピリチュアルなレベル、メンタル・ヘルスはマインドのレベルにおける健康と考えると整理しやすい。メンタル・ヘルスは、現実適応がひとつの重要な要素であるが、スピリチュアル・ヘルスはそれを超越した視点を持っている。社会的にうまくいっているように見えながらも、人生の目的や価値が見いだされず、空しさを感じる状態は、適応を中心概念としたメンタルヘルスでは見逃されるが、スピリチュアルなレベルではその不健康さが問題となる。また、本来の自己や生きる意味を模索する成長へのプロセスの中で見られる苦悩は、メンタルヘルス的にはうつ状態と診断されるものの、原初的防衛機制や非合理的信念も観察されず、薬物療法も認知行動療法も妥当ではない。このようなケースは、スピリチュアル・ヘルス概念を用いることによって、感情傷害としての内因性のうつと分離でき適切な対処が可能となる。
これらの論考を基に、メンタル・ヘルスとスピリチュアル・ヘルスの関連と差異を図のように示した(図1)。このような分類によって、従来メンタル・ヘルスの中で扱われてきたスピリチュアル・ヘルスの問題が明確化され、したがってそれぞれに適切なアプローチも整理されると考えた。
ハルさん

ご指摘ありがとうございます。回答です。
まず第一番目に関して。
日常のスピリチュアリティーの大切さに関しては、おっしゃるとおりです。私はそのようなスピリチュアリティーを高く評価しているし、「スピリチュアリティーとは」と語るときにも非常に大切にしているつもりです。ただこの文脈の中で強調したかったことは、肉体、精神、社会的健康度が低い場合もあるという事実だったので、わかりやすいたとえを引いたということです。

次、2番目に関して。
非合理的信念に関しては、前超の虚偽問題が絡んできますね。
伊かのように書き直しています。
つまり、非合理的であっても、それなりの意味と役割があることを評価したうえでの警告といいますか。

盲目的信念が病気回復に効果があるとして肯定されると、副作用が生じる。成長の過程として一時的にそのような防衛が必要となる時期があるかもしれない。しかしそれを持ち続けることは不健康であり、本人の成長に伴いそのような非科学的な信念は崩されていく運命にある。他者にまで、善意で非合理的信念を強要するような態度が生じると、それは大きな問題となる。
医療の目的を心身の症状改善に限定すると、このようなゆがみが生じる。魂の健康が問われなければならないのである。

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