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原始仏典コミュの中部経典 第20経 尋止息経[ヴィタッカサンターナ・スッタ]

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リクエストがありましたので訳しました。



(『南伝大蔵経9 中部経典1』大蔵出版 P216−222  に相当)




   中部経典 第20経 尋止息経[ヴィタッカサンターナ・スッタ] 全訳

「   第十 尋止息経

216.このように私は聞いた。
 あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。
 ときに先生は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「先生」と先生に応えた。先生はこう言った。
 比丘たちよ、心を御する比丘は五つの相を時に応じて作意すべきである。何が五か。
 比丘たちよ、ここに比丘がある相に向かい、ある相を作意すると貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその相とは別の善を伴う相を作意すべきである。彼がその相とは別の善を伴う相を作意すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中[サマーディ]する。
 比丘たちよ、たとえば熟練の大工や大工の内弟子が繊細なくさびによって粗野なくさびを取って出して除く。
 比丘たちよ、このように比丘がある相に向かい、ある相を作意すると貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその相とは別の善を伴う相を作意すべきである。彼がその相とは別の善を伴う相を作意すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
217.比丘たちよ、もしその比丘がその相とは別の善を伴う相を作意していても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋の過患を観察すべきである。
 「これによってもこの尋は不善である。これによってもこの尋は有罪である。これによってもこの尋は苦を結果する」と。
 彼がその尋の過患を観察すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 比丘たちよ、たとえば若く青春でお洒落を好む男女は蛇の死骸や犬の死骸や人の死体を首にかけることを愧じ、慚じ、嫌悪する。
 比丘たちよ、このようにもしその比丘がその相とは別の善を伴う相を作意していても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋の過患を観察すべきである。
 「これによってもこの尋は不善である。これによってもこの尋は有罪である。これによってもこの尋は苦を結果する」と。
 彼がその尋の過患を観察すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
218.比丘たちよ、もしその比丘がそのように尋の過患を観察しても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋の念じず作意しないようにするべきである。彼がその尋を念じず作意しないようにすると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 比丘たちよ、たとえば眼ある人が視野の中にある色を見ないように欲するとき、彼は眼を閉じたり他のものに眼をそらしたりする。
 比丘たちよ、このようにもしその比丘がそのように尋の過患を観察しても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋を念じず作意しないようにするべきである。彼がその尋を念じず作意しないようにすると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
219.比丘たちよ、もしその比丘がそのように尋を念じず作意しないようにしても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋における尋行の止息を作意すべきである。彼がその尋における尋行の止息を作意すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 比丘たちよ、たとえば人が走っているとする。
 彼はこう思う。「どうして私は走るのか。私は歩いてはどうだろうか」と。彼は歩く。
 彼はこう思う。「どうして私は歩くのか。私は立ち止まってはどうだろうか」と。彼は立ち止まる。
 彼はこう思う。「どうして私は立っているのか。私は座ってはどうだろうか」と。彼は座る。
 彼はこう思う。「どうして私は座っているのか。私は横になってはどうだろうか」と。彼は横になる。
 比丘たちよ、このようにその人は次第に粗い威儀路(行儀作法)を避けて、次第に繊細な威儀路に整える。
 比丘たちよ、このようにもしその比丘がそのように尋を念じず作意しないようにしても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘はその尋における尋行の止息を作意すべきである。彼がその尋における尋行の止息を作意すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
220.比丘たちよ、もしその比丘がそのように尋の尋行の止息を作意しても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘は歯で歯を噛んで、舌で上あごを押して、心で心を押さえつけ、圧迫し、熱悩させるべきである。彼が歯で歯を噛んで、舌で上あごを押して、心で心を抑えつけ、圧迫し、熱悩させると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 比丘たちよ、たとえば力ある人が力のない人の頭や首や肩を捉えて押さえつけ、圧迫し、熱悩させる。
 比丘たちよ、このようにもしその比丘がそのように尋の尋行の止息を作意しても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるならば、比丘たちよ、その比丘は歯で歯を噛んで、舌で上あごを押して、心で心を押さえつけ、圧迫し、熱悩させるべきである。彼が歯で歯を噛んで、舌で上あごを押して、心で心を抑えつけ、圧迫し、熱悩させると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
221.比丘たちよ、比丘がある相に向かい、ある相を作意して貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋が生じるとき、その相とは別の善を伴う相を作意すると、その貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。
 それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 尋の過患を観察することによっても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。
 それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 尋を念じず作意しないようにしても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。
 それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 尋における尋行の止息を作意しても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。
 それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 歯で歯を噛んで、舌で上あごを押して、心で心を押さえつけ、圧迫し、熱悩させても、貪も伴い瞋も伴い癡も伴う悪不善の尋は断たれ滅することに行く。
 それらを断つと内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。
 比丘たちよ、(この比丘は)こう言われる。
 「比丘は尋の方法の路において自在である。
 望む尋、その尋を彼は尋し、望まない尋、その尋を彼は尋しない。
 渇愛は切断され、結は還滅され、慢を止滅し、正しく苦の終わりを為した」と。
 
 このように先生は言った。意を得たその比丘たちは先生が説いたことを喜んだ。


               第十 尋止息経

             第二 獅子吼品

   その頌
    小さな獅子吼と身の毛がよだつ、大小の苦蘊と自省、
    栽と基準と密丸と双尋、また五相の品。」

   『南伝大蔵経9 中部経典1』大蔵出版 P216−222  に相当











 註 尋 ヴィタッカ vitakka じん。考え。
   止息 サンターナ saṇṭhāna 休息所、止息。
   心を御する アディチッタ・アヌユッタ adhicitta anuyutta 
          増上心結合・増上心専修
   相 ニミッタ nimitta そう。
   時に応じて kālena kālaṃ 時々に
   貪も伴う chandūpasaṃhitāpi 意欲のチャンダですが貪ラーガと取ります。
   瞋も伴う dosūpasaṃhitāpi
   癡も伴う mohūpasaṃhitāpi
   善を伴う kusalūpasaṃhitaṃ
   別の相 aññaṃ nimittaṃ
   過患 アーディーナヴァ ādīnava 欠点。
   尋行の止息 vitakka saṅkhāra saṇṭhāna 尋の行の止息
          尋の原因の止息
   熱悩させる abisantāpeti タパス(苦行)の関連語

・それらを断つと、内に心は住し、落ち着き、一境となり、集中する。   
 Tesaṃ pahānā ajjhattameva cittaṃ santiṭṭhati sannisīdati ekodi hoti samādhiyati.
・心で心を抑えつけ、圧迫し、熱悩させるべきである。
 cetasā cittaṃ abhiniggaṇhitabbaṃ abhinippīḷetabbaṃ abhisantāpetabbaṃ .
・ 比丘たちよ、(この比丘は)こう言われる。
 「比丘は尋の方法の路において自在である。
 望む尋、その尋を彼は尋し、望まない尋、その尋を彼は尋しない。
 渇愛は切断され、結は還滅され、慢を止滅し、正しく苦の終わりを為した」と。 
 Ayaṃ vuccati, bhikkhave, bhikkhu vasī vitakkapariyāyapathesu.
 Yaṃ vitakkaṃ ākaṅkhissati taṃ vitakkaṃ vitakkessati,
 yaṃ vitakkaṃ nākaṅkhissati na taṃ vitakkaṃ vitakkessati.
 Acchecchi taṇhaṃ, vivattayi [vāvattayi (sī. pī.)] saṃyojanaṃ,
 sammā mānābhisamayā antamakāsi dukkhassā’’ti.







[五相]

 1.善相      粗いくさびを繊細なくさびで取り除くように
 2.過患相     死骸を首にかけるのを恥じるように
 3.無念無作意相  見たくないものを眼を閉じ眼をそらすように
 4.尋行止息相   どうして自分は今こうしているのかと自問するように
 5.圧迫相     強者が弱者を組み伏せるように



   → 貪瞋癡の尋が滅し、サマーディを得る。
    マスターすると思考自在に達して阿羅漢となる。

コメント(5)

さすがです。何度も少しずつ読み学びます。
目が見えず時間がかかりすみません。
またリクエストがあればおっしゃってください。眼が良くなるといいですね。
止息相のところがよくわかりました。
過患相の作意はその尋の結果への考察ですが、尋行止息相の作意はその尋の原因への考察というふうに対になっていると思います。一方で無念無作為相の作意は放置ですが、圧迫相は放置の真逆の過干渉であり、これもまた対となっていると思います。

五相作意の最初に来る善相作意は他の四相作意も含め、さらにそれ以外の別相としての善相をも含むがゆえに最初に来るのだと思います。受・想・尋のそれぞれの生起・持続・滅を自覚する心の自覚の修行は、この五相作意に資するところが多いと思います。
う〜ん。大変納得しました。

疑問が解けうれしいです。

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