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哲学が好きコミュの倫理学

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哲学に於ける倫理学と何でしょうか。どのような種類の倫理学があるのでしょうか。倫理学を学ぶとはどのようなことでしょうか。そして我々は何のために倫理学を学ぶのでしょうか。

このトピでは倫理学について議論します。

西洋倫理学の3つの伝統
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/130108monkeyEthics.html

ベンサムの功利主義
http://g-justice.com/utilitarianism-bentham/
https://www.philosophyguides.org/decoding-of-bentham-principles-of-morals-and-legislation/

アリストテレス 二コマコス倫理学
http://philos.fc2web.com/aristote/ethica.html
http://ittokutomano.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html?m=1
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/akishino(11-1-29)
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Aristotle%20Nikomachos%20Ethics.pdf

カントの義務論
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline1/lec5_Kant.html
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/義務論
http://www.e-takahashi.net/reading/reading17.html
http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/3466/1/kenjin42234227.pdf

YouTube高校倫理82 西洋の思想 ベーコン デカルト カント ヘーゲル
https://m.youtube.com/watch?v=8mITOt9TUl0

YouTube高校倫理6 アリストテレス
https://m.youtube.com/watch?v=D7L1TptHsg0

倫理学概論
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline1/lec1_intro.html
【一部引用】
 倫理学というのは、規範の根拠について考える学問です。
 規範とは「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文で表現されることがらであり、規則、ルール、戒め、金言、法律、倫理、道徳などの内容をなしています。また、それは「権利」や「義務」などの言葉を用いて表現されることもあります。
 規範の根拠について考えるとは、どうして「〜はわるい」のか、なぜ「〜はよい」のか、どうして「〜してはいけない」のか、なんで「〜してもよい」のか、なぜ「〜すべき」なのか、なんで「〜すべきではない」のか、というようなことを考えることです。
 学問であるとは、その問いと答えが、単なる個人的な好みなどのように自分だけにわかり他の人には共有できないようなものなのではなく、他の人も納得できる理由がある、ということです。学問とは、ある問いについて、さまざまな人が集まって議論する営みです。ですから、学問であるためには、自分だけが理解できる言葉ではなくて、他の人にもわかる言葉で説明し、それについて他の人と話し合うことが必要です。
 他の人も納得できる理由の筋道のことを「論理」といいます。論理的であるとは、納得できる理由に基づいている、ということです。ですから、学問には、言葉と論理がとても重要です。
 要するに「倫理学する」とは、さまざまな規範の根拠、すなわち、どうして「〜はわるい」のか、「〜はよい」のか、「〜してはいけない」のか、「〜してもよい」のか、「〜すべき」なのか、「〜すべきではない」のか、という理由を、他の人にも納得できるように、筋道を立てて示そうすることなのです。

コメント(79)

>>[50]

コメント嬉しいんだけど、内容が難しくて理解出来ない。理解するには私の知識が足りなさ過ぎるのです。初心者でこのトピを立てたのをいま後悔しているのであります。

今勉強中なんでもちょっと待ってください。
二コマコス倫理学によると…


【善】=「あらゆる働きや選択においての目的であるところのもの」(29)
【幸福(エウダイモニア)】=「われわれの達成しうるあらゆる善のうち最上のもの」(20) ・最も低俗な善=快楽。享楽的生活。⇔政治的生活。観照的生活。 ・政治の目的は「名誉」であるようにみえるが、しかし名誉は善よりも皮相的である。善は、 「本人に固有な、取り去ることのむずかしいものでなくてはならない」(23)。→政治的生活 の目的は、卓越性=徳(アレテー)にある。
【最高善】=「究極の目的」=「つねにそれ自身として望ましく、決して他のもののゆえ に望ましくあるところのないもの」=「幸福(エウダイモニア)」(30)。では「幸福とは何 であるか」→すぐれた人間の機能を満たすこと。すなわち、魂(プシュケー)の「ことわり を有する部分」、しかも、卓越性(アレテー)にかかわる部分を満たすこと。(33)「幸福な 人とは、よく生きているひと、よくやっているひとを意味する」(36)
【最高善=卓越性の快楽】:「総じて卓越性に基づく働きは卓越性を愛する人々にとって 快適である」(37)。「実際、さらにいえば、うるわしい行為によろこびを感じないひとは善 きひとではない。」(38)


とあるけど、善の意味、幸福の意味がそもそも一般認識と違うんだね。

素人なりに解釈すると。

善は「目的のある行動、行為」であり、レベルがある。快楽的生活は低レベルで政治的生活は高レベル。で、低レベルだろうと高レベルだろうと善を行ってる人は「善く生きている」となる。ただ、その人のできる善のうち1番上のレベルの善をしてる人は幸福だと。

これは快楽に溺れた生活と政治的生活をこうごにしてる人は、政治的生活をしてる時が幸福ってこと、だよね。政治的生活をしてないなら幸福ではないということか。

現代の善や幸福のもつ意味と全然違うけど、これは私の解釈に問題があるような気もしないではない。
>>[52]

今も仲いいよ。
だってこんなに長くケンカできるんだもん(笑
おれ?
違うかな。

ま、そう思ってんのが私だけだとしても「らしさ」を出しての結果ならそれでいいです。
>>[56]

うーんと。
ケンカしてるから今は証明できない。。。

いや!違う!
仲が良いと思ってるのは私の希望的観測に過ぎないじゃないか!
これは仲良くないと認めざるをえないのか。。。
>>[57]

確かに結果が全てですな。
これは一本、参りました。
見事な論破です。
倫理を学として学び研究しようとするのは、いい加減なものではない倫理を自らの中に育もうとする意志によるか、
あるいは倫理の必要性そのものに疑念を持ち、その根本からして明らかにしたいと思っているか、どちらかかもしれない。

倫理は私たちが生きる上で、そして人々とともに社会を形成している上でとても必要なものだと思う。
そしてその倫理を自らの中にいかなるものとして育むべきなのかを考察することは、個人の生き方において決定的に重要なことの一つだと思います。
>>[64]

>倫理を学として学び研究しようとするのは、いい加減なものではない倫理を自らの中に育もうとする意志によるか、
>あるいは倫理の必要性そのものに疑念を持ち、その根本からして明らかにしたいと思っているか、どちらかかもしれない。

前者だと思うが後者も面白い考えですな。

>倫理は私たちが生きる上で、そして人々とともに社会を形成している上でとても必要なものだと思う。
そしてその倫理を自らの中にいかなるものとして育むべきなのかを考察することは、個人の生き方において決定的に重要なことの一つだと思います。

倫理を学ぶこと、育むことが人には必要です。
逆に云えばそれを学ばない、育てない者は人ではない。人外の者と云えます。

倫理は道であり道は守破離が本質です。
基本は守、つまり「学」です。
快楽は楽しいことを突き詰めた先にあるのではない!的な?
>>[67]

その場その場で、自己中心的な欲求・欲望に従うままに行動したり、怒ったり、自己正当化したり、だましたり、ののしったりするだけでは、確かにその時はスッキリいい気持ちになれるかもしれないが、
その短期的快楽と引き換えに自分をも他者をも深く傷付け、汚し、損なっている。

これを解決、治療するものこそ、根気強くモラルを心内に育成していくことに他なりませんね。
>>[68] そういう事でなく、快楽は快と不快の中間にあって快をつきつめた一方通行ではないという事。中庸の徳が大事だというアリストテレスの話です。
アリストテレスネタか。

快楽<政治

っていう彼の主張は今や完全に崩壊したね。
>>[69]

アリストテレス自体は僕は不勉強ですが、快楽に溺れ過ぎず、不快苦痛をもちろん避けるということでしょうか。
大事なことだと思います。
さまざまなことについて真実の知を持とうとする理性の働かせ方とは多少、異なる理性の使い方として、生きてゆく自分がいかにして生きてゆくのがいいだろうか、という形で考察するのが倫理学ではないでしょうか。
人間が自分の一挙手一投足や、さらには心の内で考えるありようにまで反省の眼を向ける時に立ち現れるものこそ倫理学ではないでしょうか。
果たして自らのこの行いは善いと言えるだろうか。
果たして自分のこの言葉は善いと言えるだろうか。
果たして自分が心の中でこんなふうに思っていることは、善いと言えるのだろうか。
ethicsにしても、moralにしても、moralityにしても、もともとはアリストテレスの著書『エーティカ』のこの書名から来ているという。
そして「エーティカ」とは「エートスに関するもの」という意味であり、「エートス」とは人間固有のすぐれた能力(アレテー)である二つ、すなわち思考の働きにおける優れた能力と、人間のあり方(人格、エートス)における優れた能力のうち、後者に関わるものですね。
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』によれば、エートス(高められた人間性、徳)によって生まれる生活は幸福な生活であるという。
正しい行為や勇気ある行為などをお互いの間で行い、お互いの関わり合い(シュナラグマータ)の中で必要に際して、各種万般の行為また感情のうちで各人がふさわしい分を守ること。
こうしたことは明らかに人間固有のものだとアリストテレスは言う。

ウィトゲンシュタインについての優れた解説書で有名な鬼界彰夫さんは『生き方と哲学』においてアリストテレスの論述を解説する。
エートス(徳、高められた人間性)とは人と人が関わり合う場において、そうした関わり合いをうまく成し遂げる能力なのだと。
お互いが是認するような仕方で、かつ、できればお互いが尊ばれるような仕方で、そして自分がそれを快く感じるような仕方で成し遂げること。

とても教えられました。精進しなければいけないと思いました。
『ニコマコス倫理学』の第1巻、第13章でアリストテレスは言う。
人々の幸福とは、究極的な人間の卓越性に即して魂が行う活動なのだと。
では人間の卓越性とはいかなるものかと言えば、これについて最も勉強しているのは真の意味の政治家だとアリストテレスは言う。
なぜなら、そういう政治家は市民一人一人を善い人間、法律に耳を傾ける人間にすることをこそ欲しているのだからとアリストテレスは言う。
倫理学思想の歴史 1

 これからしばらくの間は倫理思想史を取り上げていきたいと思います。
 言うまでもなく、倫理学は美学と並んで哲学の一分野であります。

 倫理学とは、道徳哲学とも言い、規範の根拠について考える学問です。
 規範とは「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文で表現されることがらであり、規則、ルール、戒め、金言、法律、倫理、道徳などの内容をなしています。また、それは「権利」「義務」「責任」などの言葉によって表現されることもあります。
 規範の根拠について考えるとは、どうして「〜はわるい」のか、なぜ「〜はよい」のか、どうして「〜してはいけない」のか、なんで「〜してもよい」のか、なぜ「〜すべき」なのか、なんで「〜すべきではない」のか、というようなことを考えることです。

 どんな主張でも、その根拠(理由)が示されなければ説得力はありません。根拠(理由)を示さずに「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」と主張したとしても、それはただそう言い張っているだけで、ほんとうに「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」のかどうかはわかりません。根拠(理由)が正当と思えるならその規範は説得力をもつし、正当とは思えないなら説得力をもたないことになります。


西洋倫理学の誕生
 古代ギリシャの倫理思想は、西洋倫理学の源流であります。なかでも、これを産み出したギリシャ精神は、つねに、ヨーロッパの優れた、新鮮な、力強い文化の源泉であり、推進力でした。この精神のもつ、鋭く、卓越した洞察力は今一つの勝(すぐ)れた性質なのです。倦(う)むことを知らない探求心とあいまって、ギリシャ人を駆(かる=追い立てる)って、真実なものの探求に向かわせました。
 倫理の世界においても、この精神がソクラテスを出発点に人間の本性(自然)、とくに、理性を中心に、人間の生き方を、自覚的に、理論的、学問的に問題にさせ、ついに倫理学を誕生させるに至りました。
 ソクラテスは倫理学の祖師であります。
 彼によって点ぜられた、倫理についての真理認識のための火は、都市国家=ポリス時代のギリシャから、ヘレニズム=ローマ時代に至る、古代の倫理思想を形成させるに至りました。彼を中心に、これを概観すれば、ソクラテス以前の倫理的思考、ソクラテス以後の、すなわち、ソクラテス、小ソクラテス学派、プラトン、アリストテレスの倫理思想、および、ヘレニズム・ローマ時代の倫理思想と大別することができるのです。

 次回は「ソクラテス以前の倫理的思考」。

参照・参考図書
 『ギリシア倫理学史 上巻―倫理学成立史』
   オットマール・ディットリッヒ (著) 橋本隼男 (訳) 内田老鶴圃
 『西洋倫理学史』
   アラアスデェアー ・マッキンタイヤー (著) 深谷 昭三(訳) 以文社
 『西洋哲学史〈第1〉古代 』
   ヒルシュベルガー (著) 高橋 憲一 (訳) 理想社
 『倫理学概説』 小坂国継・岡部英男 (編) ミネルヴァ書房
重複トピックだから削除とかやってるから、、?


倫理学2023とか、
最近、気づいた、善と悪とか、、
参加者が違えば違う話になる、のが面白い、のに、、?
だれがやってもおなじけつろん、、
哲学なのか?


とか思ったとぴすれ、、

倫理学思想の歴史 2

 言うまでもなく、倫理学は美学と並んで哲学の一分野であります。

ソクラテス以前の倫理的思考

 まずはWikipediaからの引用 ↓

古代ギリシアの伝統・神話に囚われない哲学的営みは、アナトリア半島(小アジア半島)西海岸のイオニア学派に始まる「自然哲学」と、イタリア半島南部(マグナ・グラエキア)のイタリア学派(ピタゴラス学派・エレア派)に始まる「数理哲学・論理哲学」という2つの潮流が主導する形で始まった。その中には、ピタゴラス学派(ピタゴラス教団)のように宗教教団的色彩を帯びたり、ヘラクレイトスのようにその世界観と共に倫理を説く者もいたが、後世で大きな潮流を成すには至らなかった。(引用ここまで)

 紀元前6世紀の初頭になると、哲学がうまれます。神話的世界観ではなく、自然の世界を人間の観察と思考によってとらえはじめたのです。
 秩序の根拠も神話ではなく、人間のロゴス(理性)によってわかると考えました。

 ソクラテスの倫理思想は、けっして突如として生まれ出たものではありません。少なくとも、彼の倫理思想が誕生するためにその背景となり、推進力となったものとして、ホメロスの詩人的倫理観、自然哲学者たちの倫理的思考、ソフィストたちの倫理についての啓蒙的思想等のあったことを忘れてはなりません。次回からはそうした人たちを取り上げてゆきます。かなり長くなりますが、おつきあいください。

参照・参考図書
 『『初期ギリシア自然哲学者断片集1』』 日下部吉信(著) 筑摩書房
 『ギリシア倫理学史 上巻―倫理学成立史』
   オットマール・ディットリッヒ (著) 橋本隼男 (訳) 内田老鶴圃
 『西洋倫理学史』
   アラアスデェアー ・マッキンタイヤー (著) 深谷 昭三(訳) 以文社
 『西洋哲学史〈第1〉古代 』
   ヒルシュベルガー (著) 高橋 憲一 (訳) 理想社
 『倫理学概説』 小坂国継・岡部英男 (編) ミネルヴァ書房

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