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クリスチャンへの疑問質問!コミュの信仰

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信仰辞めたいのですが、辞めるにはどうしたらいいですか?以前、しばらく礼拝を休んでいたら、牧師から電話がありました。教会電話げっそり

コメント(279)

言葉の誓いを破り、自重の姿勢をすぐに捨て、
唯一出来るワザであるコピペだけを繰り返す。

蛆やさばえやシデムシの、
住処となる骸ですら、
彼よりは尊い。
彼には地上や神の国より、
魔界冥界地獄魔道、
死せる亡者の腐れ外道の方が似合う。

どんな地獄も彼よりは清い。
脊髄反射はコミュニケーションや対話とは言わない。
>>[240] 永遠に生きるというのは、どういう意味なんでしょうか?
少なくとも肉体を持って生きるという意味ではないですよね?
>>[253] それって、輪廻転生的な意味でしょうか?
>>[258]

解釈がちと違う。

カルヴァン主義だと、イエスの肉体は天にあるが、
イエスの神性たるロゴスは現世に遍在する、としてる。
この場合、あなたの指摘は正しい。
天は形而上学的領域と同義だ。

だが、僕はルター派だし、ルターの解釈を言う。

受肉したロゴスたるイエスは肉体を持ちながら神なので、
肉体をも現世に遍在する。

従って、天において父なる神の右に座しながら、現世にも存在する。

これはルターの解釈であり、
カルヴァンから、
「イエスを天から引き摺り下ろした」と批判されたが、
全知全能の神という前提から考えれば否定は出来ない。

カトリック?
紛いものだから考慮に値しない。
デタラメだから一考の価値もない。
天は実在的な空間ではなく、形而上学的領域だ。
だから、現世に遍在することと、
天にいることは、使徒信条からしても矛盾しない。
イエスは神なので形而上学的領域にも存在する。

カルヴァンの解釈は、確かにおかしい。
専門用語で「カルヴァン主義的外」と言うが、
遍在するロゴスはイエス・キリストと同一ではないのか、とか突っ込まれたら、
僕がカルヴァンなら「ぐぬぬ」と呻く他ない。

カトリックはデタラメなので話す値打ちもない。

従って、ルターの解釈においてのみ、矛盾はしない。
何故なら神は全知全能だから。
キリスト教正統主義では、単意論は異端だ。

従って、ロゴスは人格を持つ。
イエス・キリストも人格を持つ。
カルヴァン主義的外だと両者は二つの頭を持つ蛇同然。

ルターは、古代の伝統に従い、属性の交流を主張する。
ロゴスとイエスは混ざらず分離せず、かつ、交流する。

まあ、どーでも良いと言うならどーでも良いが。
ノンクリが考えつくような事は昔から議論されてる。
えっ?

ロゴスがイエスの正体では、って?
古代にそんな議論がされたが、
それだとナザレのイエスという肉体は、ただの皮、
つまり独自の「霊」を持たない人間未満だという批判がされて否定されてる。

従って、イエスを産んだマリアは、
神の母であって、キリストの母(イエスの人性のみの母)ではない。

ま、この辺は多分理解出来ないだろう。
信仰の真似事をしても、
コピペに精を出す生活なら、
あなたの為に死んだキリストが気の毒ですな。

イエスの肉体が現世に遍在するなら、今、2000歳以上。
そんな解釈を本気で信じている人がいるの?
私にとって一番自然なのは、霊的な復活であって、肉体を持って再生したかのように可視化させたということ。
実際、死んだ人が、生きていた時の姿で目の前に現れた経験を持つ人はたくさんいるだろうし、自分もその一人。
>>[266]

自然な解釈なら、別に信じる必要はない。
受容するかしないかだけ。

不自然だから、信じる必要があるわけね。
ちなみに、イエスも、神も観たことはない。
>>[267] そうですか。不自然な解釈を敢えて信じようとする意味がわからないですね。より自然な解釈を求めるべきでは?あまり意味がなさそうなので、終わりにします。御回答ありがとうございました。
>>[269]

求めても益がないから仕方ないですな。
これねえ、あまりこういう言い方はしたくないが。

例えば、日本人を筆頭に、大抵の人間には、公正世界信念、
つーのがある。
世界は公正であるはずだ、つー幻想。

心理学的な実験で明らかだが、
人間はこの信念を破壊されるような事態に直面すると、
不自然な解釈をする。

実験では、被験者の前に、二人の電気ショックに苦しむ(演技をしてる)実験者を見せた。
Aは何の理由もなく電気ショックを受けていると説明され、
Bは金の為に電気ショックを受けていると説明された。

被験者らは、どちらに悪感情を抱いたか?
Aなんですな。
人間は理由もなく災厄に見舞われ、公正世界信念が脅かされるのを嫌う。
だから、そういう目に合う人は、そういう目に合うだけの悪い人間であり、
悪い事をしてきたと思って、信念を守ろうとしたわけ。
事実とは違っていてもね。

信仰は、こういう思い込みから人間を自由にする。
例で言えば、僕ら人間は問答無用で死んでも仕方ないくらいの罪の状態で生まれて来ると考える。
世界は最初から公正ではない、つー考えを持つわけね。

これは人間一般の心理から言えば不自然だが、
役に立つわけ。
思い込みに不用意に同調しないことによって、変な偏見を持たないで済むわけね。

もちろん、名ばかりクリスチャンが、自然な感情に身を委ねた例もある。

ある牧師の本に載っていたエピソードだが、
キリスト教国のある女性が、教会に行っている間に空き巣に入られたり、
部屋に侵入してきた男性に暴行を受けたり、
酷く不幸な目にあった。

すると、彼女は、「そんな不幸な目に合うくらいなんだから、それだけ悪い事をしてきたに違いない」と思われて、
勤め先を解雇されたそうな。

側から見れば理不尽極まりない。
だが、人間は世界が公正でもなんでもなく、善い事をしても不幸になる時はなる、なんて状況に、自然な感情として耐えられるようには出来てない。

僕らはこういう「自然さ」からは自由でいられる。
だから、自然さを求める理由とメリットがない。
もちろん、理想では、つー話。

クリスチャンでも、聖書に書いてないのに、
善い事をしたら神が現世で報いてくれるはずだと考える人間は多い。

聖書は信徒に幸福を保証してない。
誰にも幸福を追求する権利はあるが、
必ず幸福になるとは限らない。

僕らはそう信じてるわけね。
不自然にも。

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