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三神・三上・見上・御上・御神コミュの三上のルーツ?

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全国の三上さん
お元気でしょうか?

三上のルーツを調べてみたのですが……

近江・備後・越前・紀伊などに 三上の地名があるそうです。

中でも もっとも古いものは、近江の野洲市三上に鎮座する御上神社の社家 三上氏だそうです。


三上氏は天津日子根命(アマツヒコネノミコト)―― 大河内命(オオコウチノミコト)――御上の末と伝えられているそうです。

もう一つは

清和源氏 源 頼義――賀茂二郎義綱――三上新大夫盛実 及び その弟 三上八郎実員に始まるそうです。


全国の三上さん

もしかしたら 由緒正しい家柄かも知れませんね。

実際 私の先祖を調べたのですが…

天保(1800)年代までしか わかりませんでした。

コメント(9)

みかばすさん お久しぶりです。

“人に歴史あり”ご先祖様一人一人にも人生(歴史)がある。

ご先祖様がいたから自分がある。

私も子孫を残したかったけど……

書き込み ありがとう ございました。
こちらもルーツを調べています。

こちらは、江戸前期に出羽国新庄藩戸沢家に家臣として召し抱えられた三上家で、後に寺川姓に長男筋のみ、改姓しています。※その後も次男以下は代々三上姓で分家を作っています。

青森の三上とは別系統・・・というか、出元は同じですが、東北に行った時期が違うようです。
家紋が青森は「釘抜き」らしいのですが、こちらは、「平四つ目結」です。
平四つ目結・・・ようは、宇多源氏佐々木氏流です。
http://www.geocities.jp/mika_yukio/chosa1.html
青森三上家については、ここに書いていますが、もしかしたら、佐々木彦左衛門兼綱をはじめ、
佐々木姓は平四つ目結で、その一族60数名の中の三上姓は釘抜きだったのかもしれません。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02139.htm
これが、抜けてる部分も沢山ありますが三上祝の系図のようです。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02123.htm
もっと前の、天津彦根命時代については、こちら。


http://www.geocities.jp/yamajirooumi/2520708.html
ここに書いてますが、「佐々木満冬が三上家の養子に入り三上清道と名乗って以来、三上あるいは佐々木を名乗るようになった。」とのことです。
ただ、三上清道ではなく、正しくは、三上清通のようです。
あと、養子というか婿養子のようです。

先ほどの三上祝の系図の下の方に二重線が入ってますが、そこで佐々木満冬が宇多源氏佐々木氏流から入ってきています。
※満冬についての説明は、国立国会図書館関西館にある書籍で見つけたのですが、佐々木宗氏の3男、満高の4男、満冬とのことです。

その子孫の系統のみが平四つ目結で、それ以外は、釘抜き紋のようです。

また、トピ主の記事を引用しますが、清和源氏義綱流の三上家があるとのことですが、先ほどの系図を見てもらえば分かりますが、それは、天津彦根命の三上祝から、三上盛実という人が、清和源氏義綱流に養子に入り、清和源氏義綱流の家督を継がずに、三上の分家としているようです。もちろん、表向きは、清和源氏義綱流かもしれませんが・・・。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01012.htm
これが、その養子に入った部分を表す系図です。

他にも、既に調べてある情報はありますが、とりあえずは資料をまとめて掲載しないといけないので、またの機会にしたいと思います。

P.S.
それにしても、いつも思うんですが、この系図のサイト、いろんな家系の系図が載ってるのですが、よく調べたなって関心します・・・。どうやって調べんねんやろ・・・。古文書とか?古文書は、頭の中混乱して読めなさそう・・・。
ちょっと書き忘れたことがありました。

こちらは、寺川姓になった筋ですが、これは母方の姓であり、僕自身は寺川姓ではありません。
ちなみに、寺川での言い伝えは、「京極にいた」というのがあり、元が三上だったことについては、
山形県新庄図書館発行の郷土資料叢書 第15輯に掲載されていて、見つけました。
父方はよくわからない(父親にそういった興味が無い)ので、放置で。


寺川からの分家の三上家は、昨今、寺川系統の親戚関係で、誰も知らないようです。

清和源氏義綱流に入った三上盛実が婿養子では無く、養子だと思う要因は、その子孫が賀茂氏を名乗った形跡が見当たらないことに挙げられます。もしあれば、婿養子だと思います。
新たに調べたところ、清和源氏義綱流のあたりの系図が、2種類あるのが分かりました。どちらかが真実で、どちらかが偽物なんだと思うのですが、真実が分かりません。
上記で述べた系図以外に、盛実が義綱の養子に入り、その息子に、家平・珍慶・実員・盛重・家実・実保がいた系図。

なお、現時点で調べられてる範囲では、寺川は広島藩から新庄藩に入ったとする説が有力です。
加賀藩前田家から満姫が徳川家光の養女となり、広島藩浅野光晟に嫁ぎ、その娘、市姫が広島藩から新庄藩戸沢家に嫁いでいます。
加賀藩→江戸は三上吉明(旗本の三上季正の息子)かその息子が行き、江戸→広島藩は恐らく三上季直(三上蔵人季次の3男であり、旗本の家督を継いだ)の兄弟(長男か次男)の息子か孫が行き、広島藩に召し抱えられたと思われます。※広島藩の家臣団一覧を現在調査中
その後、満姫と一緒に広島入りした人の息子のうち1人が市姫と一緒に新庄藩に行き、残りの息子は広島にとどまったと考えています。

ただ、佐々木京極満冬が三上に入り、三上清通を名乗って、その人の多分孫、三上蔵人季次までの間、他の息子や孫の情報が見つかっていないので、よく分かりませんが、全国三上会にも連絡しつつ、調査継続しています。

※全国三上会については、一応、御上神社が代表受付となってるようなので、御上神社に連絡すれば案内してもらえるかと思います。
前回のコメントからだいぶ時間が空きましたが、このトピを誰か見てるのか見てないのかも分からないものの、こちらで調べた最新情報を書きたいと思います。とは言っても、ついさっき、近江源氏コミュに投稿したので、マルチポストを避けるため、掲載元URLを記載したいと思います。
なお、今回は前回と違い、こちらの家系筋に焦点を合わせており、あっち行って、こっち行ってというような乱雑な内容を避けています。※曖昧な部分は極力省いています。
この情報から、みなさんのルーツ調べのお役に立てたら幸いです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1767644&id=21999499&comment_count=4
「近江源氏 佐々木氏」コミュの「ルーツ 〜やぁやぁ我こそは…」トピ
コメント5番です。

あと、参考になるか分かりませんが、こんなのが国立国会図書館でインターネット公開されています。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816099
御上神社沿革考 : 近江国野洲郡三上村鎮座 / 著者:大谷治作 編

インターネット公開(裁定)
著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開
裁定年月日: 2015/11/10
【三上の種類】
これまで調べてきて、様々な情報を入手していますが、三上(氏、氏族、家系など)の種類について、全体の一部かもしれませんが、掲載したいと思います。

1.天照大神の3男、天津彦根命の嫡流、三上氏族 【種別】:神別(天孫)
元々(三上姓を名乗る前)の一族は分かってる範囲では、おおよそ弥生時代に始まります。本姓(代表姓)は三上ですが、平安時代以降、複数の苗字に別れていきます。明治期以降の女系血族を含め、沢山の苗字になります。
清和源氏義綱流(家紋は釘抜き紋)や宇多源氏佐々木氏流(家紋は平四つ目結紋)は、この氏族に含まれます。
本貫地は、近江国野洲郡三上郷(現・滋賀県野洲市三上)で、元来は御上神社神職家系(御上祝=三上祝)
三上姓を名乗りだす以前にも、沢山の庶流氏族が別れており、山代国造・山背国造・凡河内国造・茨木国造(茨城国造)・筑波国造・三枝部国造・穴門国造(長門国造)・菅田首・桑名首・高市県主・犬上県主・額田部湯坐連・蒲生稲寸、他多数があります。
天津彦根命は近江国蒲生郡日子山に天孫降臨。
天津彦根命の息子、天之御影命は三上山に天孫降臨。

2.清和源氏 新田氏流 山名氏族 三上氏 【種別】:皇別(武家)
一般的に因幡三上氏と言われる戦国時代にできたと思われる氏。近江入道三上氏。
因幡国で勢力を拡大していた山名氏の庶流として、
戦国時代に六角氏(宇多源氏佐々木氏流)討伐のため、近江国野洲郡三上郷に三上館なる陣屋(居城)を作り三上郷に住んだことと、六角氏の家臣(宇多源氏佐々木氏流三上氏、上記1番の三上氏)の親戚(清和源氏義綱流三上氏)に偽装するため、三上姓と釘抜き紋を使用したと思われる氏。
この場合、苗字と家紋では区別できないため、清和源氏は清和源氏でも、義綱流か新田氏流(山名氏族)かで区別します。

3.地下家(下級の公家)の三上家 【種別】:諸蕃(公家)陰陽師
渡来人、秦氏族の庶流で、公家となった三上家。
秦氏族の庶流ということで、島津氏と同族。
清和源氏に仮冒していたと伝えられる。
秦氏は元来、伏見稲荷大社・松尾大社などの神職家系。

4.現・京都府宮津市で庄屋をしていた三上家
因幡三上氏との交流があったとの情報もありますが、同族かどうかは分かりません。
http://www.amanohashidate.jp/mikamike/
重要文化財 旧三上家住宅


武士業家系(身分ではなく職業)は比較的簡単に見つけられますが、庄屋家系の場合はなかなか難しいところかと思われます。江戸期に平民や下級武士の場合は、ほぼ無関係。但し、一部例外もあります。
コメント3〜5番の時とは状況が変わってきてるので、一例です。
宇多源氏佐々木氏流の家系は、三上清通が婿養子に入る以前、清和源氏義綱流だったようです。
当初、この家系(三上実保)について、源義綱(賀茂義綱)の猶子(別居の養子?)になっていないものと考えていましたが、よくよく系図を確認したところ三上実員の孫に実保がいるため、系図上、実員の兄弟の位置に持ってきて、三上氏の宗家としたように思われます。
実員の時点や、その後も誰を宗家にするか、決まっていなかったため、相談の末、宗家が決まったのではないかと推測されます。

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