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アドルノコミュのはじめまして

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はじめまして。はるとです。
アドルノのコミュがあるとは思っていなかったので、少しおどろきです。

アドルノは現代の原点であり、アドルノを規準に現代思想は評価されるべきだと常々思っています。
まだ勉強不足の面もあるので、いろいろ教えていただきたいと思います。

コメント(11)

はるとさん、
はじめまして。
アドルノのどのあたりに興味をお持ちなのでしょうか。アドルノを基準に現代思想を評価するということはどういう事を意味しますでしょうか。

アドルノが心血を注いだのは、フッサール、ハイデガーを含めた現象学と存在論批判とヘーゲル研究、音楽論(ベートーヴェンからシェーンベルク、ストラヴィンスキー)、そして、ハリウッド映画や文化産業、そして、アウシュヴィッツ、さらに、美学の理論の構築等々です。
それら全てがアドルノ自身もよく知って明示的に書いていたように歴史の刻印を押されたものです。

いわゆる現代思想は、戦後、それも68年以後に生まれた思想を指すことが多いのですが、最近はソ連や東欧の崩壊に触発を受けた思想もあります。

そのあたりはどのようにお考えでしょうか。私の感覚では、アドルノはやはり、前の世代に属する部分もあるように思えるのです。
がっちゃん、さっそくコメントいただいてありがとうございます。

私が考える現代思想の原点としてのアドルノのキーワードは二つあります。「理性への不信」と「非同一性」です。

理性による人間の進歩への疑惑は現代思想の大きな原点の一つであり、それは近代と文明への不信・疑惑としてポスト・モダン思想の源流をなすものです。アドルノが「啓蒙の弁証法」で明らかにしようとしたものは、近代的理性がその始源から持っていた暴力性であり、近代的啓蒙はその本質に野蛮を内包しているという恐るべき事実でした。

近代的理性の到達点がアウシュビッツであったという絶望から現代思想が出発したという意味で、アドルノは現代の原点であり、現代思想の評価軸としての位置を持っていると私は思います。

「非同一性」の思想は、言い換えれば、「絶対的真理」への不信と「主観の優位への疑惑=客観の優位」です。古典的マルクス主義を含め、他者を主体に同一化しようとする近代思想への不信(主体による客体の同一化への不信)も、現代思想の主要な原点であり、その意味でもアドルノは一つの大きな評価軸だと私は考えています。

フーコーをはじめとするポスト構造主義は、ニーチェ(絶対的真理への不信という点でニーチェはアドルノ以上に現代思想の大きな原点ですが、ここではふれません)に加えてフランクフルト学派、とりわけアドルノから大きな影響を受けています。

フランクフルト学派は、理性批判を出発としながら、根底にはハーバーマスに代表されるように理性への回帰と他者との対話(ハーバーマスにおいてはコミュニケーション的理性の創造)によって、人間の危機を超克しようとする傾向を強く持っており、その意味では古典的だと思います。
しかし、アドルノは理性への信頼を取り戻そうとはしていますが、より絶望的です。「真=真理」と「善=正義」に絶望したアドルノに残された人間存在の希望(人間が存在する意味、生きることの意味)は「美=芸術」のみでした。その意味でも、アドルノはニーチェと並びポストモダンの先駆けとなっていると思います。

返事としては少し長くなってしまったので、これぐらいにしておきます。
また、いろいろご意見ください。
はるとさん
お返事ありがとうございます。
だいたいお話は解りましたが、いくつか確認させてください。
まずは、20世紀の哲学者はアウシュヴィッツから無縁でいられないという事を強力に主張したアドルノはデリダが言うように今なお古くはないのです。けれど、ここでは、「あえて」、アドルノと現代の間にある「微妙」な差異にこだわってみたいと思うのです。

>フーコーをはじめとするポスト構造主義は、ニーチェ(絶対的真理への不信という点でニーチェはアドルノ以上に現代思想の大きな原点ですが、ここではふれません)に加えてフランクフルト学派、とりわけアドルノから大きな影響を受けています。

フーコーをはじめとする「ポスト構造主義」とありますが、ここで言われるポスト構造主義は具体的には誰のことを指しますでしょうか。フランスの現代思想家のことを念頭に置いていると思いますが、具体的にテキストなどをあげていただければ幸いです。

「アドルノから大きな影響」と言うことですが、私の知る限り明示的な形でアドルノの影響を語った現代思想家は多くないように思えます。
リオタールに『悪魔としてのアドルノ』というエッセイがあったり、晩年のフーコーがアドルノとの自身の思想の親近性に結果として気がついたという事はあったのかも知れません。また、アドルノ賞を受賞したデリダにも『フィッシュ』という講演がありますが、その影響関係は複雑です。あるいは、ドゥルーズが『哲学とは何か』でフランクフルト学派(おそらくアドルノ)を念頭においた引用を何度か肯定的にしていたと記憶していますが、その程度でしかないとも言えると思えるのです。
「非同一性」についても複雑な言い方が出来るのですが、まずは、「非同一性」と「差異」に対する距離についてです。前者が、「同一性」の枠組み、すなわち、思弁的弁証法の枠組みを意識させてしまう点で、ヘーゲル哲学との距離も曖昧になりかねません(アドルノは『三つのヘーゲル研究』のなかでヘーゲルを非同一性について歴史上最も深く思索した哲学者であると評価しています。)。
『否定弁証法』と『グラマトロジー』や『啓蒙の弁証法』と『監獄の誕生』などとの間には文体上、思想上の大きな差異があると思われます。

手元に書籍がなく10年以上前に読んだ記憶で申し訳ありませんが、ブーレーズの『参照点』のなかでアドルノ論が書かれているのですが、そこでは、ブーレーズやシュトックハウゼン、ジョン・ケージなどとアドルノとアルバン・ベルクなどの差異が「アンフォルメル」と「アンフォルミュレ」という微妙な概念上の差異として描かれていた事が印象的です。非同一性の「非」の側、つまり、「同一化」されない「非」にこだわりがあるアドルノとそうでではなく、もはや、同一性の場それ自体が崩壊するような場所で特定の形をとらない「もの」にこだわりがあるブーレーズと読めるのですが、それは、アドルノとデリダ、あるいは、ドゥルーズとの差異にも繋がるなにかであるように思えるのです。
実際、現代絵画や現代音楽、あるいは、映画においてはそういう進化を辿っていると言えるでしょう。
そして哲学者たちの思索の場を形成する「力の場」としての「社会」それ自体も同様の「変化」の兆しがあったと思えるのです。
えっと、がっちゃんさんも言っているのですが、一応確認
しておきます。

フーコーは70年代終わりまでフランクフルト学派のことはほぼ
知りませんでした。ただ、後に知って、自分の扱う問題と
近い部分があるとは述べています。
詳しくは、「構造主義とポスト構造主義」というインタビュー
(『ミシェル・フーコー思考集成』9)を参照してください。

ニーチェへの参照を介して繋がっているとはいえますが、
(特にフーコー、ドゥルーズに関して)
いわゆるポスト構造主義者でアドルノをよく知っていた
(と思われる)のはデリダくらいでしょうか。ただし、
デリダも、アドルノのことは論じるにはあまりに近すぎる
と言って、終生論じることはありませんでした。彼がしば
しばベンヤミンを論じたり引用しているのとは対照的です。

ただ、むろんいわゆるポスト構造主義に属する思想の中で
68年前後に問題になったような問題系を、むしろ20世紀の
前半を生きた思想家がこれだけ先取りしているのは驚くべき
ことです。アドルノは68年は知っていたわけですが、68年の
経験は彼にとって致死的であったわけですから、このあたり
もパラドキシカルな点ではあると思います。
ysさん
フォローありがとうございます!

逆にアドルノからのいわゆるフランス現代思想との関係について言えば、戦前に遡れば、クロソウスキーやバタイユとの交流もベンヤミンを介してなくはないのですが、これまた現在、ほとんど資料はないようです。また、アドルノ自身も戦後、コレージュ・ド・フランスでヘーゲルの講義をしたりしているようです。アドルノの最晩年の社会学の講義において次の講義の予告(アドルノの突然死によって実現せず)として構造主義やラカンやフーコーの名前があげられています。また、アドルノの文学上の盟友ペーター・ソンディを介したデリダとの関係(シボレートなどが参考になるのかな)やド・マンやガシェなどとの関係については、これから明るみに出てくる資料や研究などがないと追いかける事は相当、難しいでしょう。ラクー=ラバルトのアドルノを念頭においたヘルダーリン研究も参考になるのでしょうが、それとて相当、難解です。

自分としては、比喩的な感じで、シェーンベルクとブーレーズの違いとしてアドルノと現代思想の距離ををぼんやりと意識しています。『月に憑かれたピエロ』と『ルー・マルトー・サンメートル(主のない槌)』の音のテクスチャーの違いというか。自分はやっぱり、後者の方が好きなのですが・・・。
そのあたりについては、長木誠司氏が解説を書いているようなので参考になるかも知れません。

http://www.asahi-net.or.jp/~ib4s-cyuk/boulez20.pdf

いずれにせよ、ysさんも書かれているように、20世紀前半を生きたアドルノが、68年前後に主題化される問題を先取りしているように思われるのですが、それを実際上の問題として意識したり引き受けたりするのは相当に厄介で難しく、また、歴史的にもパラドキシカル(アドルノと68年の関係など)であるわけです。
アドルノにとってみれば、ひょっとすれば68年は第一次大戦前後の前衛が経験した歴史の「反復」に見えていた可能性もあり、第二次大戦をどう位置づけるかという点を問い続けていたのかも知れません。その有り様がまたパラドキシカルというか、アドルノを喜劇的にも悲劇的にもするのではないでしょうか。
M.F.さん、はじめまして。

主題から逸れるのですが、私の感想を書いておきます。
>「同一性の崩壊」

ブーレーズのテキストがないので、この点についてアドルノの側から言うとすれば、止揚なき弁証法として否定弁証法を推進していくアドルノはやはり、「弁証法」の枠組みに逆説的に捕らえられているように思えます。音楽で言えば、「古典的ソナタ形式(提示部、展開部、再現部のような弁証法にも比べられるような形式)」に対して、主題(テーマ)と無限の変奏と言うことになるのかも知れませんが、その場合であっても、逆説的な意味で調性の重力の圏内に音楽はあるというような感じでしょうか(アドルノが書いていたり、『構造』などでブーレーズが実験をしたセリー音楽の逆説については論じませんが)。

ブーレーズはもう少し、調性について自由なところにいたように思えます。同心円(美の理論)と言いながら古典的テーマに引きずられてしまって、逆に袋小路に落ち込むアドルノと第三ソナタのようにリングで閉じられた楽譜で演奏する順番が比較的自由な曲だとか、『プリ・スロン・プリ』のような曲、あるいは、最近の『シュール・アンシーズ』のような迷宮の印象を与えたりする曲では、ヴェーベルンのようなセリーとは一線を画しているように思えるのです。
>がっちゃんさん、ysさん
いろいろとご指摘とご意見ありがとうございました。
お二人ともとても的確で詳しくて勉強になります。
>フーコーをはじめとする「ポスト構造主義」とありますが、ここで言われるポスト構造主義は具体的には誰のことを指しますでしょうか。フランスの現代思想家のことを念頭に置いていると思いますが、具体的にテキストなどをあげていただければ幸いです。

私が、フランス現代思想でアドルノとの関連を考えているのはフーコー、デリダ、リオタール、ドゥルーズなどですが、直接的な影響や関連性ということでは、お二人が言っておられる通りだと思います。フーコーもデリダやリオタールも、フランクフルト学派の直接的な影響のもとに思索をしたわけではありません。(お二人があげておられる以外の深く直接的な影響を示すテキストは知りません)

しかし、彼らが思索した内容の源流はアドルノにあり、アドルノが思索し提出した問題意識は、その後の社会の変質やその後の哲学者たちによって深められてはいても(非同一性から差異や脱構築など)、その本質的な部分は変わらないのではないかと私は思っています。
私が、現代思想はアドルノを規準にして評価するべきだと思っているのは、そういう問題意識があるからです。もちろん、デリダやドゥルーズは、アドルノとは別の思索をし、少し先に行っているとは思いますが、私は先に行った程度はごくわずかなような気がします。
フーコーやドゥルーズが、主要な思索のあと、自分たちの思索が結果的にアドルノにいかに近かったかを語っているのは重要なことだと思います。

>非同一性の「非」の側、つまり、「同一化」されない「非」にこだわりがあるアドルノとそうでではなく、もはや、同一性の場それ自体が崩壊するような場所で特定の形をとらない「もの」にこだわりがあるブーレーズと読めるのですが、それは、アドルノとデリダ、あるいは、ドゥルーズとの差異にも繋がるなにかであるように思えるのです。

「同一性の場それ自体が崩壊するような場所」とはどこでしょうか?私は、それはニーチェが思索したあたりに非常に近く、ニーチェの影響を深く受けたドゥルーズとアドルノの違いにもつながっているように思うのですが、、、。

現在の世界は、アドルノが思索した「非同一性」が「同一性」に替わっていくような契機をいまだもちえておらず、「理性への不信」に替わるものももちえていません。その意味で、アドルノは、私たちが思索するときの大きな評価軸となると私は考えています。(もちろん、アドルノだけではなく、フーコーやドゥルーズ、デリダなどの思索もそうですが、ここはアドルノのコミュなので)

私は、哲学の文献的なことはあまり詳しくは知りませんが(自分なりに勉強はしていますが)、大切なことは、過去の先達の思索を知ることだけではなく、過去の先達が考えたことを今を生きる自分がどう考え、課題をどう解決していこうと実践するのかということだと思っています。

そういう意味では、がっちゃんさんやysさんの深い知識はとても参考になります。また、少しずつ勉強しながら質問させてもらいますので、よろしくお願いします。

>MFさん
ブーレーズのこともほとんど知りませんでしたので、がっちゃんさんとMFさんとのやりとりも、とてもおもしろく読ませていただきました。まだ、あまり理解できてないような気がしますが・・・。

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