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トランスパーソナル心理学コミュの科学と宗教の統合

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科学と宗教の統合というテーマは、昔から避けては通れない重要な問題です。
試みの場トピックから、分離して扱うべきだと言う思いから、新たなトピックを作り、吟味したいと思います。

このテーマは、ダライ・ラマから要請された、経済、科学、教育、産業の研究機関をポタラ・カレッジ(チベット亡命政府の日本の仏教研究機関)とは別に作って欲しいという要請を断った事が、気掛かりでずっと気になっていたテーマなんです。

ケン・ウィルバーの著書にも『科学と宗教の統合』で深い吟味をされていますので、叩き台としては、無視出来ない一冊です。


コメント(58)



>>[11] >>[12] カルマ・ランジュンさん


>「霊」「波動(vibration)」「意識」などの科学的解明は、何を基準の認識にするかで、文脈の意図するものが違うと思うので、指し示す中身が違う

>まずは「分化」が必要で、定義づけによってはかなりのところまで、科学的解明は可能

>どの文脈(文化や用途)で使われるもなのなのか?という条件付けが必要

>つまりスペクトルを観る角度や焦点を定義してあげないと、織物は編めない混沌とした状態になり、論点違いのカテゴリーエラーを誘う質代になってしまう


なるほど、そうですね。


「霊」「波動(vibration)」などについても、『意識のスペクトル』(邦訳 1985年)を書いた頃のケン・ウィルバーのような交通整理の天才が現れるといいですね。

『意識のスペクトル』〈1〉
http://mixi.jp/view_item.pl?id=244479
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360117/
『意識のスペクトル』〈2〉
http://mixi.jp/view_item.pl?id=249034
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393360125/


今のところ、波動医学・統合医療研究のリチャード・ガーバーが神智学の複層身体論から交通整理を試みているのが注目されます。


『バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像』リチャード・ガーバー(日本教文社 2000年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=140257
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4531081277/
>>[19] 成る程そうなのですね、僕も注目していこうと思います。

リンク先( http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1555114&id=78380425 )の議論が大変専門的になってきたので、私のような文系畑の者はなるべく邪魔にならないようにしているつもりですが(笑)、体験も必要な世界ですし、理数系の人たちが科学至上主義・フラットランド固執に陥りやすいのはある程度仕方のない面もあるのかもしれません。

対話・連携が困難な原因は、精神世界・スピリチュアル系の人たちの側にもあるように感じます。

「気」「波動(vibration)」「霊」「オーラ」「チャクラ」「意識」「肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体」くらいまでは、伝統的な用語ですし、説明する時に便利なので仕方ないと思いますが。


多くの科学者は、「オッカムの剃刀」http://u222u.info/mJQF(「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針。実は科学者の思い込みと違い、それは真偽の判定則とならないのですが…)で判断しますから、

「サムシング・グレート」「エーテル体に隠された144本のDNA」「フリーエネルギー(※熱力学の「自由エネルギー」とは異なる)」「ムー、アトランティス、レムリア、シャンバラ」「グレート・ホワイト・ブラザーフッド(大白色聖同胞団)」「フリーメイスンリー、イルミナティ」「スターシード、スターピープル」「インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレン」「爬虫類[宇宙]人(レプティリアン、ドラコニアン)」「シリウス、プレアデス、ゼータレチクル、アルクトゥルス星人」「フォトンベルト」「アセンション、次元上昇」・・・といった精神世界の定義も定かでない特殊用語(ジャーゴン)で次々と説明されることに違和感や拒絶反応を持っても仕方がないと思います。

一見まったく新しい衣裳のように見えても、大半はけっこう古い概念の焼き直しが多いです。

例えば、「インディゴ、クリスタル、レインボーチルドレン」は19世紀近代神智学の「根源人種」から、「アセンション、次元上昇」はキリスト教の「空中携挙」から大枠が来ているものと思われます。

忘れてならないことは、「従来の定説を大きく覆す新しい説を唱える場合、その立証責任や新しい術語の定義責任は唱える側に生じる」ということですが、その努力を放棄しているとしか思えない人たちが多いように感じます。

タコツボ化していくのは、日本の場合、文化性によるところもあるのかもしれませんが…。

安易に近代西欧科学や西洋医学を全否定することがまた流行っていますが、それらと連携・統合して前に進むべきではないでしょうか。



>>[19]
僕はウィルバーのスパイラル・ダイナミックスも色彩と特性に対して納得出来ない部分が多く、根拠が不満足な状態です。
なので『万物の理論』は読み辛いのです。
『意識のスペクトル1.2』はとても完成度が高いものと認識しています。


>>[23] カルマ・ランジュンさん

>僕はウィルバーのスパイラル・ダイナミックスも色彩と特性に対して納得出来ない部分が多く、根拠が不満足な状態です。


言われてみますと、確かにそうですねあせあせ(飛び散る汗)


ここでも、「ホロンなどどうでもいい」という理数系の方の声があり、連携の難しさを感じました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1437761&id=12136885


>>[24]
ホロン構造はウィルバーの仕事の最大の貢献だと思っていますが、それが読み取れないと、ウィルバー理論の醍醐味を表面しか判らないと思います。

その上で『万物の理論』は、まだ人に勧めるだけの確信に至ってないのです。
啓蒙主義の時代にその死を宣告された神とはあくまでも神話的段階の神であり宗教だったのだが、
科学の華々しい登場が単に神話的段階だけでなくスピリチュアリティのすべての段階、すなわちラインそのものを私たちは葬り去ってしまった、抑圧してしまったとケン・ウイルバーは指摘していますね。
本当はスピリチュアリティのラインそのものを葬るのではなく、そのライン上で宗教をより豊かなものに発達させるべきだったと。
>>[26]

死を宣告されたのは、神話的段階の神であったという78910さんのスピリチュアリティ全ての否定に繋がったという指摘はその通りだと思うとですが、自己(自我)の矮小化の問題もあったのでは無いかと思うんです。

私という概念は、日本語では良く省略される様に、意識していながら無視される事と類似性を感じるのです。
日本人には「甘えの文化」がありますが、それが認識される前は、単に分化されてい無い未熟な精神を持っていると海外でも日本人自体も認識出来なかった事もあります。 そういった事がスピリチュアリティの矮小化になっていると思うのは、考え過ぎでしょうか?
>>[027]

ちょっと文意がよくつかめないのですが、
「日本人の場合に限って言うなら、日本人は自我が未熟、未発達だから、そのせいでスピリチュアリティもうまく成長しなかったという面もあるのではないか」
という意味でしょうか。
>>[28]
意味が明確では無い文章ですいません。

確かに日本人は、自我を抑圧する文化を有しています。 自我は抑圧され、更に仮面、影、投影というメカニズムが働きますが、抑圧から自我がある事を忘れてしまうので、精神性の発達や存在の大切さを置き去りにしてしまったのでは無いだろうか? という問い掛けです。
>>[029]

ぼくは幕末の志士たちの生きざまに触発されることがたびたびありますが、
果たして明治になってからしばしば言われるようになったほど、日本人は自我が未発達だったのか、精神性が低かったのか、とても疑問を覚えます。
もちろん時代的制約の中でさまざまな封建的固定観念を持っていたことは確かでしょう。
しかし、彼らの中のすぐれた人格の発達や勇気、思いきり、交渉力、壮大な夢などを見ると、
現代のわれわれでさえまだまだ彼らから学ぶ所があると思ってしまいます。
>>[31]
僕も幕末の志士たちの生き様に刺激は沢山受けました。
彼らが精神の未発達や自我が未発達であるとは考えませんが、抑圧は相当であったと想定できます。 抑圧が強ければ、その分シャドウや投影は多くなります。 それは、自我を成長させるという事を知らなかったからだと思います。
抑圧が強くなるのは、武士の美学や当時の文化に起因してると思いますが、歴史研究家ではないので、詳細には、立ち入れませんが。
事を成し遂げる者は
愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。


という勝海舟の言葉も幕府と新政府を纏めてくれた、優れた知性の言葉だと感じさせてくれるものだと思います。
>[2]  しかし、ニヤーナ学派の成立に龍樹が絡んでいることや、医学の天啓聖典であるアーユルヴェーダの展開である『スシュルタ・サンヒター』と『チャカラ・サンヒター』との関連は面白いです。(これは空思想 中観思想の『方便心論』のトピックの書込れです。)



ここで名前をあげている「スシュルタ」「チャカラ」の2人はそれぞれ「スシュルタ本集」「チャカラ本集」は最もアーユルヴェーダの知識を完全な形で著したと言われています。
 この2人はナーガールジュナと『方便心論』で互いに刺激になったとされる両名です。
面白いのは、この2人はアーユルヴェーダと言うインド伝承医学として脈々と受け継がれています。
それに対し、最強の論法と言われる帰謬論証法を編み出した龍樹。 論理に準づる唯識に飲み込まれてしまった、聖教にじゅん唯識。

 トドメは、高度に発達したインド仏教は、専門性を追求し過ぎ、衆生から離れていまい、民衆からかけ離れた単なるヲタク集団となってしまい、イスラム教に侵略を受けた時、他の宗教も同じ様に侵略や破壊受けたのですが、復興しなかったのは仏教だけだったのです。

 現代の日本でも迷妄のスピリチュアリズム の危機と仏教教義の判りづらさは関係しているんじゃないかと思えるのです。

仏教は今までも、新たな発見や研究で其れまでの常識がひっくり返ることは、沢山ありました。
 でもそれは、大した問題ではないのです。
 よく宗教では「真理」を求める という事を叫びますが、宗教の役割は「生き方」の提案であり、知恵の提供です。
「真実の探求」は経験科学の領域です。「宗教」の仕事じゃないんです。

 中国天台宗のチギが彼が生きていた時点では、膨大な仏教経典があって、皆一様に同じスタイルで始まるので、全部ブッダの言葉なんだ と皆思い、教えの全てを仕分けして時期と場所と教えの種類分けをしました。 これを五時八教という教判として日本にもそのまんま、入ってきて、法華経が教えの真髄であって、価値観を形成したのです。   そのよの教判の中で最も劣った教えとされた『阿含経』が唯一、歴史的には実際にブッダがお説きになった教えであることが判ったのです。  昭和の始め頃、それを発表した東京大学の教授は、殺されたのです。  法華経至上主義者には認めたくないことですから。
科学的な思考と実践によって明らかにできるものと、そのような思考と実践では明らかにできないものとがある、という言い方は科学と宗教の関係を考える際、よく言われることですが、
科学というものの思考と実践をあらためて洗い出し、宗教はただ非科学的だとか反科学的だとかいうわけではなく、科学に通じるアプローチ(思考と実践)が本物の宗教においてはしっかりと探究されているという視点をとても印象的に論じたものにケン・ウイルバーの『眼には眼を』がありますね。
引き寄せの法則の一つ。

「楽観的なものの見方。」

これは大脳進化の中ではとても重要なことなのです。
物事を悲観的に見る傾向が強い猿は、猿のままたまけど、楽観的に捉えることが出来る猿は人間に進化した。という例えはあながち迷信的な事だと言い切れないと思うのです。 遺伝子的な進化論の研究ではありません。
このことを「波動・波長」と表現する人もいます。
どんな波長に合わせようとしているのか?ということですが、何に意識の焦点が合っているのかの話です。

一般的な認識では、面白い事があったから人は笑うんだ。 と思っています。 ありがたい事があったから感謝の感情が生まれたと思う人が多いのですが、そして、感謝すべきことが、起きて無いんだから「感謝」の気持ちが大事と言われてもそれは無理。 面白い事が無いんだから笑えない! 当然そうなりますよね。

しかし心理学、特に認知心理や実験心理学ー自然科学の一領域の研究によって明らかになって来ている事があります。
「感情」より「表情」が先行して、笑う・微笑む・和か・幸せそうにしてると、「感情」がそれを追っかけて幸せ・楽しい・嬉しいと実感するという実験結果があります。
この逆説的見解は、受け入れ難いのですが、分かっている人は、無理に人にそれを信じてもらう必要は感じない。
自分が喜ばしいので、ただひたすら人生を楽しむ様にします。 分かちあった方が喜びは広がり大きくなりますので、自然に分かち合いの心が生まれます。
が、「何が正しい」のか?という検証は、多くの人に客観的な事実として、検証に堪えうるのかという科学的な眺めは「正しい」から文句は無いでしょう!という立場となります。
社会人としては全然問題無いのです。 気付いている人もいるのですが、「何が正しいのか」という視点は、否定的なモノの見方であり、自分もそうなので実感ありますがそもそも否定的なのです。 残念な事に、否定的であるという事は、間違わない様にしようと常に考えていますので、窮屈なのです。 ポジティブに考えようと思っても、裏側にいつも引っ付いている「ネガティヴ」な思考を自分自身から切り捨てようとします。 物事は自分にとってプラスの部分とマイナスなの部分が表裏となって一つです。
自分自身の素敵な部分とクソッタレな部分は、両方共、同じ愛おしい自分自身です。 「引き寄せの法則」が経験認識上嫌いという人は、偏った見方をして自分の欲求を否定したり、思考の限界や制限を自分自身が持っているだけなのに、「正しい・正しく無い」という視点で見ているだけじゃ無いでしょうか?


>>[36]

引き寄せの法則とおっしゃっているものについて僕は名前しか見たり聞いたりしたことがないので、それについては何ともコメントできませんが、
もっと私たちが考えてみるのに大切なこととして挙げられた「真理はどうかという探究よりも、心の気分が楽しいか沈んでいるかのほうが絶対的に生き物の将来を決定する」(こう要約してかまわないでしょうか)という問題は、確かに私たちがよくよく考察するに値するものかもしれませんね。
気分が沈んでいることは何より本人にとって苦しいことだから、私たちは気分を晴らしたい、さっぱりしたいと望みます。
しかし何度も何日何年もそれを望みながらかなわないと、そのままでいることが人は習慣化し、逆に心地よささえ感じるようになり、気分を明るく変えるための挑戦や試みがそれ自体、苦になったりすることさえありますね。
>>[37]

真理の探究や考察よりも、楽しい事を考えましょうと言っているのでは無いんです。

考察する時も、「何が正しいのか」という視点で考えるのは当然なのですが、「何が正しいのか」という視点は、どうしても否定的検証が必要です。 一様、肯定・否定に拘らず全ての視点からの検証することが、客観的な事実を探究する上では大切だと思います。
ここで重要なのは、その科学の視点は「何が正しいのか」と「正しさ」を求めて検証していることが暗黙のルールになって、それに従わなくてはならない気になってしまい「自分がどの様に生きたいのか」よりも「この様に生きるべきだと」自分が思い込んでしまう事に警鐘を鳴らしている積りなんですが、善悪や正邪の判断は、無自覚な心理的傾向を作ります。

否定的検証は、自己イメージと結び付き易すいんです。

自己愛が強く豊かな人は、物事を無意識に肯定的に捉え思考します。 自分に取って良く無い現象も、それがあったお陰で、今は喜んで生きて居るんだと、前向きに考えます。

しかし自己否定が強くなってしまった人は、想像を絶する苦悩を背負い込みます。

78910さんの様に、比較的健全な生活をしている人(勝手な推測ですが)には、実感し辛いかも知れませんが、自分自身を信じられなくなっている人には、希望を求めているのに、自分の手で希望を破り捨ててしまう衝動に駆られたりするんです。

知識があると、皆はそれで出来るけど自分には出来ない、機能的な疾患があるのではないだろうか?と悩むんです。 それを一つ一つ丁寧に、ほぐしたり取り除いていくセラピーが心理的であったり、宗教的であったりしますが、時として、セラピーのアプローチが専門家や自身による癒しの力で上手く行ったな、と思っても次から次へと、言い訳なり理由を持ってきて出来ない理由を100個も並び立てるのですが、なぜ理由を沢山用意するのかというと、自分は「正しい」と思いたいからなんです。

78910さんが仰る様に、変化を望みながら思考や行動パターンから抜け出すことが大変で、このままでしょうがないという思考でなれ親しみ、変化の方が大変だ!

と纏まることが多いと思います。
それ故に「ザ・シークレット」と語られているのです。
探し出そうという熱意が無ければ、常識とか当たり前という思考によって隠されてしまった取り組みだからなのです。
>>[38]

どういうふうに生きたらいいかなあ、どういう選択をしたら自分は今より幸せになってゆくかなあと、右に行くのがいいか左に行くのがいいか悩むことは多くの人がやっていることでしょう。
そして自分で考えたり人に教えられたりして出した答え、すなわちここではこういう選択をし、その道を行くべきだということについて、自分で決断したにもかかわらず、その道が果たせなかった。ちゃんと歩んでゆけなかった。いつの間にか迷路に迷い込んでしまった・・・・という人たちも多いと思います。

正しい道だ、この道を行かなくちゃと思いながら人間はさまざまな弱さを抱え持つものだから、自分のビジョンを達成できずに苦しく、悔しい思いをする人たちはカルマ・ランジュンさんがおっしゃるようにたくさんいますね。
その苦しさ、その悔しさに何年も何年もとらわれていることは本当に苦しく、しかも当人にとっては出口など見つけられないんじゃないかと思われるほどの自分だけの心の苦しみになるものですね。

そのような苦しみの淵にとどまり続けている意外と多くの人たちに心と人生の出口を教えてあげること、光の道にみちびいてあげることは、とても大切なことだと思います。
>>[39]
そうですね、昔から78910さんが心掛けている素敵な動機ですよね。
>>[40]

いやいや、人の手を実際にみちびくとか、人のお尻を押してあげるとかは修行と学びの浅い僕にはなかなかに難しいことです。自分が安全地帯に立って聞いたふうなことを言うのは容易いとしても、
人と深く関わろうとすることは共に傷ついたり、共に苦しんだりすることも時に鋭く求められるから。
保身の無意識的な外枠や概念が常に壊されることになる。
これをかけがえのない修行だと思っても、エゴが切り裂かれたり殺されたりする時は、未熟な僕はしばしば苦渋を味わわざるをえません。

しかし、自己に苦渋の修行を経験させてくれる人こそ、滅多に見つからない師なのかもしれませんね。
さまざまな伝統宗教がその宗教としての外貌においては儀式や聖典や物語や用語や概念や習慣などの諸点でお互いに大きな違いを見せているけれども、同じく人間を霊的に大きく成長させるという点については、明らかに心理学的基礎あるいは科学的基礎を同じくするのではないかという所にトランスパーソナル心理学の発想がある。
仏教や最近のスピリチュアリズムについて他のトピックで再考されているように、キリスト教についてもその内容を単にキリスト教徒だけのものにとどめない開放的解釈が可能だと思いますし、すでにその試みは前世紀の前半から着手されてもいますね。
>>[43]
キリスト教のアプローチは、「感謝」を日常的な認識のベースにしている特徴があります。
感謝が思考・イメージで捉えるだけに留まらず、喜びの実感として受け止めているなら、「美」という「真」「善」とは異る価値と知覚の広がりに貢献してくれます。
ただ、キリスト教が構築した歴史や押し付けの文化から、もし脱却出来たなら、多くの気付きを得れる素晴らしい体系を既に内在させていますので、近年のスピリチュアリズムの気付きの重視の中には、キリスト教の復興の背景が見え隠れする様に僕は感じます。
科学と宗教

「自然はそれ自身、マーヤであるから、自然科学は当然マーヤの性質を取り扱うだけだ。
自然はそれ自身の領域においては永遠であり無限である。
科学者たちはその無限の相を次から次へといつまでも追いかける。だがそれは果てしない流転をたどるだけで、永久に最終の本源的なものにはたどり着けない」
(パラマハンサ・ヨガナンダ)
>>[45]
例えば「医学」も自然科学と呼ばれる範疇に入りますが、案外怪しいもので成り立っています。
実際「麻酔」がなぜ効くのか分かってない現実があります。 もしかしたら目を覚まさないかも知れないのです。

フロイトの精神分析学のキッカケとなった、メスメリズムも正にマーヤと呼ばれるものの様な呪術的な暗示によっても患者が治ってしまうこともありました。 上に挙げた様に、外科手術には深い関わりの麻酔でさえも、よく分かっていないのに、経験認識上、これが有効であるとされ普通に使われています。
医療は最終の根源的なものにはたどり着けないですが、だからと言って医療は受けないと拒絶するのはどうかと思うんです。 そんな人もあまり居ないと思いますが、つまりヨガナンダの引用をする意図が分からないのですが。
近年、スピリチュアルな世界を中心に、「異次元」という言葉が乱れ飛んでいるのを奇妙なことだと眺めていました。異次元という言葉の元になっているのが物理学なんです。

 異次元なんてある訳無いというのを崩したのが、物理の世界だったのです。

 小説やSFの話の様に感じている人も多いのですが。



「万物の理論」ケン・ウイルバーも定義づけようとした、あらゆるものに横たわっている法則を発見しようと、吟味していた纏めの書ではありますが、成功したようには現時点では見えません。  



物理学では、二大理論、一般相対性理論と素粒子の数式を統合するべく、「超弦理論」の研究に注目は向かったのです。



 その研究に一役買っ今回の話は物理学の話なので専門家では無い僕が扱うのは適切では無いかも知れませんが、WIREDさんが紹介して下さった動画が素晴らしかったので、自分の日記としてここに記そうと思ったのです。





 ホーキング博士の、ブラックホールが消滅する時に、エネルギー(熱)を発するという発見から、ブラックホールは、その基点は最小の一点で、その一点は凝縮されて全く身動き出来ない高濃度の一点だという。 

身動き出来ない所に振動もできないのだから、熱は発生させられないというホーキング博士の問い「ホーキングパラドックス」と言うのですが、10年掛けても解かれない問題だったのです。



 バッファという物理学者が膜(超弦理論)の小さな単位が「異次元」の中で動き熱を発生してブラックホールを消滅させるということが、解ったのです。 そこから導き出された数式とホーキング博士が問いを立てた何故このエネルギーが発生したのか?  という問いの数式が一致したのです。





ミクロの世界 

 原子の1兆分の1の1兆分の一という極微の世界に、カヤビヤウ多様体と言うのがあって、これが異次元の構成の一単位になっています。

 線は1次元、面は2次元、立方体は3次元、それに時間が加わると4次元と言います。

理論上では11次元まであると言いますが、想像もつきません。 (笑)

>>[46]

>医療は最終の根源的なものにはたどり着けないですが、だからと言って医療は受けないと拒絶するのはどうかと思うんです。 そんな人もあまり居ないと思いますが、つまりヨガナンダの引用をする意図が分からないのですが。


科学と宗教について考える一つの資料としてコメントさせていただきました。
>>[47]

>近年、スピリチュアルな世界を中心に、「異次元」という言葉が乱れ飛んでいるのを奇妙なことだと眺めていました。異次元という言葉の元になっているのが物理学なんです。


次元という言葉は譬喩的にも使い易いですからね。ただ使うほうも聞くほうも、何か実体的にいくつかの次元があるかのように思い込みやすい危険はありますね。
>>[50]
ふーむ、コメントを躊躇してしまいます。
名称に対し、自性を見る錯覚を「空」化することで捉われた認識から解放されるという78910さんの視点と、超弦理論の次元というのは、言及しているステージが異なると思うんです。
一般相対性理論に対し、勝義の視点で空化したら、産業や、文化や教育まで否定する事になります。
伝わりますか?
相対性理論は理論に過ぎませんが、現実生活に多大な貢献をしています。 原爆の発明にも繋がりましたが生活を豊かにしている部分も沢山あります。
世俗諦の話なんです。
>>[51]

[50]に対するコメントを下さったのでしょうか。
あらゆるこだわりから解放されることと、
むしろその手前の世俗の真理を探究することとは二諦の区別がある、
ということはもちろんわかります。
ただ、もちろん超弦理論や一般相対性理論が78910君にわかるかなあと心配されているのだとしたら、不勉強でよくわかりません。(笑)
>>[52]

僕も超弦理論のや一般相対性理論が判っている訳じゃないんですけどね。(笑)
「最近の物理学によって古来からの宗教的真理が証明された」という言説が巷に飛び交っているけれど、
その物理学によって証明されたという宗教的真理なるものがいかなるものなのか、
また、宗教的真理なるものは物理学によって証明されたというそれですべてなのかどうか、
私たちはよくよく注意して考えなければならないと思います。
科学のみを主張し宗教を否定することも、また反対に宗教のみを主張し科学を否定することも、注意深くつつしまなければならないと思う。
かといって両者を没交渉のままにそれぞれやりたい放題にさせておけばいいという態度も、科学の反倫理化をもたらしたり、宗教のカルト的偏狭化をもたらしかねない。
もちろん科学と宗教を混ぜ合わせればいいというものでもない。

誠実な探究と考察の営みがとても大事ですね。
伝統宗教が長〜い時間をかけてその内部で、あるいはその周辺でつちかってきた思索や検討には、それらの宗教に身を置かない者にとってもとても糧になるような内容が実にたくさん含まれている。
僕たちが宗教をただドグマ的に受け入れるばかりでなく、そうした長い年月につちかわれてきたさまざまな尊い思考を大切なものとして向き合わせてもらうなら、私たちの得られるものは限りなく多い。
 途中で新参者が失礼します。

 ときどき、こうした議論を目にしますが、私から見るとひどく混乱しているように思えます。一つひとつ、順番に整理してゆけば、もっとしっかりとした共通基盤を作れるはずだと考えています。

まず、脳神経系によって心を構成することなど、まったく不可能であることは、簡単に論証できます。それを認めないのは、科学とは言えないはずです。科学は、事実にひれ伏すべき学問だからです。

また、スピリチュアルとか、仏教とか、色々な領域の概念を使用されることが多いと思います。ですが、それらの多くは、何かの必然性、その概念を使わなければならない理由、その概念を使いうる裏付けなどのない場合が、とても多いと思います。
 実態も必然性もない概念が、独り歩きをすれば、ただただ混乱するばかりではないでしょうか。

 残念ながら(そして、多分とても失礼かもしれませんが)私はここにいつでも書き込みをする余裕はありません。もし本当にこうしたことへの思索を前に進めることにご興味があるなら、Facebook で私に語り掛けてみてください。

 私は、人間の理解し得る範囲での回答を、一応得たと思っている者です。(理解し得ない領域のことは、「理解し得ないこと」を理解しております。)

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