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なかね一族コミュの中根姓について

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コミュ内全体

家の家計図を元にインタ−ネットや図書館で「中根」姓について調べております。
まだまだ、ほんの一部だけですが、まとめてみました。
今、愛知県の中根文書と東京の中根文書目録と鶴岡市の中根氏系譜を取り寄せ中です。
中根正照さん中根正秋さん中根忠貞さん中根忠実さんの関係(中根正照さん中根正秋さんは同一人物?)等や中根一族の繋がりをまだまだ調べていくつもりです。
中根についてご存知の方、下記に間違いがあることを指摘出来る方、よろしくお願いお願いします。
中根以外のなかねさん(仲根さん等)のことは分かりません。ごめんなさい。


1、中根姓の由来(発祥)

平忠正 ┬ 平維盛 − 平衝盛 − 戸沢兼盛 ┬ 戸沢親盛 −
    │                  │       
    │                  │
    ├ 平忠綱              └ 中館盛芳
    │
    ├ 平正綱
    │
    ├ 平長盛 − 服部長光 − 服部義高 − 服部義邦 −

└ 中根正持 − 中根正行 ┬ 中根正信
     (平忠雄)        │
                 └ 中根正照        平氏系図より

平忠正の六男、平忠雄が三河国(愛知県)中根(地名)に移住した際、中根姓にしたのが始まり。
松平家(三河国、岡崎藩)に中根が仕える。
徳川家康(松平家)に中根正照 等が随行。
中根正照は、二俣城(静岡県浜松市)の城主となるが、武田信玄率いる武田軍より水の手を絶たれ一月余り持ちこたえたが12月19日に開城。徳川家康の浜松城に退去。
三日後の三方原の合戦(みかたばらのがっせん)で中根正照は、二俣城開城の屈辱を雪がんとし戦死。


2、中根家分家の軌跡

徳川家康 四天王  酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直正

酒井忠次(さかいただつぐ)1527年〜1596年  通称 小平次、小五郎。
左衛門尉、左衛門督。号は一智。家康の家臣。孫の忠勝は庄内藩初代城主。

酒井家の軌跡
岡崎藩 → 上野高崎藩 → 高田藩 → 信濃松代藩 → 庄内藩 → 左沢藩(分家)
→ 庄内松山藩(分家)
中根正照、中根清衛兵(信濃生、庄内中根家初代)等が随行


本多忠勝(ほんだただかつ)1548年〜1610年  幼名 鍋之介。 通称 平八郎。
中務大夫、従五位下。家康の家臣。
徳川家康が関東へ移封した際、上総国大多喜城主として10万石の所領を与えられた。

本多忠勝 ┬ 忠正 − 忠刻
     └ 忠朝    │
徳川家康 − 秀忠 − 千姫
     
三河岡崎藩(愛知県)、掛川藩(静岡県)、遠州(大阪市)、上総国(千葉県)等で活躍。
中根忠実、中根忠晴(忠実の家督)、中根忠古(忠実の子)等が随行
中根忠実     〜1610年
(織田信照が三河国の中根家に養子に入)中根正照か中根正秋か中根忠貞かの養子。
本多忠勝の妹が妻。大多喜城主本多忠勝の家臣。
忠晴は、父の遺領のうち、徳川家康から得ていた千石を返上し純粋に本多家家臣となり家老となる。


榊原康政(さかきばらやすまさ)1548年〜1606年  童名 亀。 通称 子平太。
 式部大輔、従五位下。家康の家臣。
 天正10年(1582年)本能寺の変の際には上京しており、本多忠勝らと共に家康の伊賀超えに随行。
 三河岡崎藩(愛知県)、上野国館林(群馬県館林市)等で活躍。
 中根吉右衛兵(榊原康政の家老)等が随行


井伊直政(いいなおまさ)1561年〜1602年  幼名 虎松、万千代。
 兵部少輔・待従・従四位下。家康の家臣。
 中根家の随行は無かったと思われます。


岡崎藩(愛知県岡崎)中根姓発祥の地
上野高崎藩(群馬県高崎市)、越後高田藩(新潟県)、信濃松代藩(長野県)、庄内藩(山形県鶴岡市)江戸(東京)、掛川藩(静岡県)、遠州(大阪市)、上総国(千葉県)、上野国館林(群馬県館林市)

上記等の地域等に中根一族が随行しているので、中根家の分家があったと考えられます。

尾張(愛知県名古屋市)  中根城  中根忠実が築城したと思われます。
上総国(千葉県松戸市中根)中根城  地名から中根城と命名されたと思われます。

コメント(42)

2番と3番のコメントは削除しました。
岡崎市の中根文書の内容凄く濃いです。興味の有る方は、かなり分厚い本2冊ですが、図書館からでも借りて読んでみてください。
ちなみに地元の図書館に無くても他県の図書館から無償で借りて貸してくれます。
中根姓発祥から本多家に仕えた中根家のことがかなり細かく載ってます。

ちなみに
織田信照は、中根正照(正秋)の兄 中根忠貞の養子。ということが分かりました。
正照=正秋(同一人物)ということも書いてありました。

これからは、酒井家に仕えた中根家(家の先祖)、榊原家に仕えた中根家、徳川家に仕えた中根家(たぶんいると思います)について調べていきたいと思います。
中根とは関係は無いのですが。
昨日、祖母の49日で山形市中野(地名)に有るお寺に行ったところ「中野」姓、発祥の地という石碑が有りました。
昔は地名から苗字をつけたり変更したりしてたんですねぇ。何回も行っているお寺なんですが、近くにそんなところがあったなんて気にもとめませんでした。
家の中を探していたら昭和52年に限定100部のみ発刊された『中根一族』という書籍を発見しました。
内容が凄くて頭の中が混乱中です
皆さんあまり興味が無いでしょうかね?
いえ、僕は興味ありますよ。
このトピを楽しく読ませてもらってます・・・が、僕が参考になる情報を持っていないのでコメントできませんでした、、、。。

そういえば、岡崎市のどこだったかに上にある平忠雄が中根性にしたことを記述した立て板がありました。
今度、デジカメで撮ったらこのトピに載せますね。
なかね,さん
ありがとうございます。なんか自分一人だけ書いててうざいかな?と思いましてf^_^;
是非、見てみたいです。時間がありましたらよろしくお願いしますm(__)m
少し調べました。。。。すでにご存知であったらすいません。

(平忠雄の父の)平忠正は平清盛の叔父(清盛の父;忠盛の弟)。保元の乱で忠盛、清盛(さらには頼朝・義経の父の義朝)らと戦い敗北。結果、清盛に四子(長盛・忠綱・正綱・通正)と共に斬首された。
 事情はよく分からないですが、平忠雄(=中根正持)は事前に三河国にいたため難を逃れようですね。
 
 また、忠雄は三河国道根郷に居たとの話ですが、道根郷と直接関係あるかどうかは分かりませんが、岡崎市に「道根往還」という古道があるそうです。
http://www.ramlife.net/one/003.html


なかね,さん
ありがとうございます。参考にさせて頂きます。また、何かありましたらお願いします。

岡崎市の中根文書、中根一族(書籍)、庄内人名辞典等に「中根」さんの名前が沢山あるので整理が大変ですが、内容が分かってくると楽しいですね。
なかね,さん
道根六郷といわれた地域の領主であった。(岡崎市中根文書より)

また、
中根家は、保元の乱の時に平清盛に殺害された平忠正な子忠雄が三河国中根村に居住し中根氏を称したことに始まる。中根氏は、その後箱柳村に移住、戦国期までその地を領有した。しかし忠良の時代に今川氏・松平清康に侵略され、わすかに欠・小路・箱柳・洞・板田等の根節九郷を領有するのみとなり自立が不可能となる。
そこで中根忠良は初め今川氏、後に織田氏に属したが、その子忠貞の時織田氏を退出して徳川家康に仕えるようになったと書いてありました。
箱柳村中根肥後守居城図がありました。
けん5510さん>
おお!起きたらこんなにもw
すごいですね!僕も一度中根文書、中根一族を読んでみたいですねぇ!

 欠町、小呂町辺りはちょうど岡崎市中央総合公園辺りですね。僕が上で言った「道根往還」のある辺りにも一致します。
 その近くに「中根」という地名がありました。ここでしょうか。昔の中根村は。
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=34.934884,137.231362&spn=0.007635,0.011544&z=16

 というよりも、清康の時代に岡崎城のあんな近くに領地を持ってたなんて・・・・。
なかね,さん
ありがとうございます。地図を見比べるとかなり分かりやすいですね。
箱柳村中根肥後守居城跡地も中根という地名の近くになるんですよね?

これから、下記の方々を詳しく調べたいと思います。

中根正持(平忠雄)
  平忠正の6男(中根村に居住して中根姓にする)
中根正行(忠良)
  正持の長男。箱柳城主。
中根正信(忠貞)
  正行(忠良)の長男
中根正照(正秋)
  正行(忠良)の次男。二股城主。三方原の合戦にて戦死。
中根忠実(初代) 1545年〜1610年(天文14年〜慶長15年)
  織田信秀の10男。中根正信(忠貞)の養子でしたが正照(正秋)の養子となる。
  本多忠勝の妹を妻にし、徳川信康の家臣を経て家康の直臣、後、本多忠勝の家臣となる。
中根忠容(ただかた)1752年〜1829年(宝暦2年〜文政12年)
  忠実(初代)の8代目。岡崎藩城代家老。虎之助→喜蔵 通称は隼人。
  忠有(7代目)の子。
中根忠素(ただもと)1782年〜1835年(天明2年〜天保6年)
  忠容(8代目)の嫡子。通称は平右衛門。
中根吉右衛門
  徳川家康四天王の一人、榊原康政の家老。
中根正信
  徳川家家臣。 永禄12年(1569年)
中根正康
  松平岡崎城譜代
中根文龍(ぶんりゅう)    〜1854年(    〜嘉永7年)
  庄内藩士中根雄右衛門の子。画人。
中根小右衛門(こえもん)    〜1647年(    〜正保4年)
  庄内藩家老高力但馬の女婿。酒井忠勝に仕えていた。
中根長正(清兵衛)1611年〜1683年(慶長16年〜天和3年)73歳 病死
  酒井忠勝に随行し庄内藩へ  庄内中根家初代 (庄内藩→左沢藩→庄内松山藩)
中根正方(猪助→清兵衛)                       35歳 病死
  庄内中根家2代目(庄内松山藩)
中根政清(伊三郎→清兵衛)                      34歳 病死
  庄内中根家3代目(庄内松山藩)
中根長旧(ながもと)(又太郎→九右衛門→清兵衛)            41歳 病死
  庄内中根家4代目(庄内松山藩)
中根長経(清太郎→清語)1734年〜1797年(享保19年〜寛政9年)64歳 大督寺
  庄内中根家5代目(庄内松山藩→鶴岡宗藩)
  寛政4年4月免職。知行取り上げ、屋敷取り上げ、蟄居の処分を受けたが譜代家中というこ
とで格別に子の治郎右衛門に家督相続が認められ長経(清語)、長養(治郎右衛門)共、鶴岡
の宗藩に仕える。 

中根長養(治郎右衛門)              (   〜文政11年)72歳 大督寺
  庄内中根家6代目(鶴岡宗藩→庄内藩)
中根長守(順治→治郎右衛門→精兵衛)        (   〜文久2年)64歳 大督寺
  庄内中根家7代目(庄内藩)
中根長将(伊三郎→治郎右衛門長将)        (   〜明治11年)51歳 大督寺
  庄内中根家8代目(庄内藩) 長守の養子(藩士久畄多門の三男)
中根長経(長義→純次郎→清語→長経)通称 精太郎。 (   〜大正13年)75歳 大督寺
  庄内中根家9代目
中根卓や(健三郎→卓や)                            大督寺
  庄内中根家10代目(中根家系図作成)
中根次郎                     (明治32年〜   )
  庄内中根家11代目
中根長久                     (昭和12年〜   )
  庄内中根家12代目
中根可厚
  求馬
中根正安
  次郎左衛門
中根正一
  定之助 式部
中根正英
  内膳 主水
中根正岟
  長十郎 能登守
中根正旗
  宇右衛門 主税
中根正義
  宇右衛門 主税
中根正次
  但馬守
中根正章
  宇右衛門
中根正章
  七郎左衛門
中根正勝
  日向守 大隅守
中根正成
  傳七郎 大隅守

中根正盛
  壹岐守
中根正聖
  恵三郎 一之丞
中根正則
  大隅守
中根正知
  主税
中根正至
  平十郎 正朝
中根正長
  勘解由
中根正朝→正致
  
中根正直
  内膳 宮内 大隅守
中根正冬
  平十郎 壹岐守
中根正寧
  内膳
中根正美
  平十郎
中根正武
  左兵衛
中根正包
  宇右衛門 攝津守
中根正摸
  惣次郎 平十郎 壹岐守 佐渡守
中根正頼
  次郎左衛門
中根正隆
  喜八郎
中根成常
  半十郎
中根市十郎
中根勝之助
中根喜四郎
中根九郎兵衛
中根權六郎
中根惣次郎
中根傅左衛門
中根仁左衛門
中根兵右衛門
中根平十郎
中根元之丞
  讃岐守 若狭守 藩磨守
中根芳太郎
  芳三郎
中根錬次郎
  錬三郎
中根一族がこれだけ並ぶと壮大ですねー!
頑張って調べて下さいね☆


箱柳町も岡崎市内に有るようです。欠町の近くです。
あと、自分の分かる範囲で矛盾を…
正持は平安末期(12世紀後半)の人ですよね?そこから2代で戦国時代(16世紀後半)までとぶのは無理があります。
どこかで同名の方がいて混乱したのでしょうか?

あと、一つだけ気になることがありまして、
正持(=平忠雄)は源平の戦いの時は何をしてたんでしょうかね?
清盛に見つかったら間違いなく殺されてたでしょうから、中根村でじっとしてたんでしょうか?それとも源氏方について戦ってたとか…??
なかね,さん
ありがとうございます。

自分は、年代や繋がりをこれから調べるのでまだ分からないです。自分も悩んでいる箇所がいくつかあるので一つ一つ解明して本を作りたいと思います。
くずし文字辞書を使ってやっと名前が分かりました。
でも市左衛門さんの父親の名前がまだ分かりません。
愛知県の大橋氏流中根家、松原氏流中根家、平姓中根一族、藤姓中根一族は、同族と判明しました。

その他にも、武蔵国(東京)で分家した中根家の他に、武蔵国(東京)の『畠山重晴』が『中根小次郎』弟の『畠山重勝』が『中根小太郎』と名のり始めた中根一族もあります(東京のどちらの中根一族の物か分かりませんが中根文書が羽村市郷土博物館に有ります)

常陸国(茨城県)中根村にて常州豪族の佐竹義任が中根と称した中根一族もありました。

常陸国(茨城県)水戸の徳川京泰が中根と称した中根一族もありました。
中根は佐竹家に仕え羽後(秋田県)に随行する際、美人だけを秋田県に連れていき『秋田美人に茨城の不美人』という諺が出来たそうです。

その他にも沢山の中根一族がありましたが三河国からの分家と判明しました。
岡崎市箱柳町のあるお寺の前にある看板です。

この町は中根氏にとってゆかりのある町のようですね
そして、その近くにある箱柳城跡(14番の図面の城でしょうか?)です。偶然見つけたので探検してみました。

普通に民家の裏山だったので、少しびくびくしました。
竹藪の中に、割とはっきり城の石垣の跡が残ってました。

1枚目:道案内。実際ここからゆうに100m以上ある。

2枚目:遠影。

3枚目:看板だけ。
なかね,さん
ありがとうございます。本の絵でしか見たことが無かったので写真で見れて凄く嬉しいです。

現在、庄内に入部してからの中根家(先祖)について調べていて、かなり沢山のことが分かってきました。
ちなみに、先祖が住んでいた家の間取り、外観の絵、住宅地図等も入手でき、調査を進めている状態です。
三方原の合戦(徳川方に参加)した中根

中根正照(正秋)
中根市左衛門正直(1754年〜1759年駿府城代)
中根喜蔵利重
中根次大夫
中根善次郎
中根藤蔵
中根彦三郎
中根弥助

少なくても8人は参加しておりました。
まだ動いていましたら、、、
我家の九代松平九郎兵衛正俊が三方が原で戦死した中根喜蔵利重の長女を妻とし、後年権現樣より正俊二男(長男は早世)正次に喜蔵の名跡を継ぐようにと、以降幕末まで中根と松平のW姓でした。また我家の分家に庄内藩士もおります。
>>[25]
凄い情報ありがとうございます。
よろしければ、庄内藩士について教えて頂ければ幸いです。
>>[26] 全体的には膨大な史料になりますので、時間を見つけてボツボツ出します。庄内史料ではありませんが中世三河國松平郷の前身は外下山と呼ばれ、開発領主が中根家と考えられます。開発は鎌倉期であり南北朝期に上級荘官として松平氏が入植してから、以降幕末まで松平宗家の被官人となります。その子孫が松平郷で「天下茶屋」を経営している中根氏です。私の外戚系になります。またこの家には明治初期に岡崎本多家家老中根氏より嫁に参ります。私より五代前の話ですが、、、天下茶屋で検索して頂ければ出て来ます。個人情報も御座いますので精査しながら・・・フェイスブックのページでは個人情報に抵触しない史料を公開してります。宜しければ御参考に。

我家に在る、中根讃岐守正宣こと松平繁蔵の陣笠
>>[13] 現在の研究では箱柳以前の本貫の地は三河国田口と考えられております。
>>[26] 取り急ぎ、手当たり次第玉石混合でUPして行きます。
〃糎蕎省寝箸茲蠅諒鷙
・形原松平家の分家が庄内藩に一時出張って居た折その分家が石川姓を名乗り庄内藩に残る。その縁か不明ながら慶安年間中根又右

衛門(鉄砲方)を形原家に百五十石で召し抱えるが病死し跡目が居ないことから断絶。

・「西蝦夷高島日誌」(当館旧記0041)は、同行した砲術師中根又右衛門の手によるもので、蝦夷地警備が終わり江戸に帰るため高

島を出発し松前に至る間の日記である。1807(文化4)〜1825(文政8)年・・・・・この中根又右衛門とは時代が違い別人。


当家、下河内(下小市・しもごうち)松平家の分家が酒井家の被官人となる→松平武右衛門家(明治〜昭和の書家松平穆堂を排出

)此家の分出家に中根姓在り、但し倍々臣の為詳細は不明。
・当家、中根喜蔵正次は実父松平正俊に次いで御先手鉄砲頭。
・松平郷天下茶屋中根家当代の曾祖母は岡崎本多家家老中根忠民娘。

H¬中根家
長州征伐の折の使番  文久3年8月2日、旗本中根市之丞暗殺される27歳 詰間使 六千石
跡目は没後養子  子孫は旧領の神奈川県に在住。
横からすみません、箱柳在、永田です。
 寺のさらに6−700m東に高松庵がありまして、中根の後家が菩提を弔うのに(現在無住寺)
建てたと伝わっております。又境内には碑があります、当初は大木の松 (埋葬地)が枯れた場所に
ありましたが、河川改修により当地に移されております。
 *保元の乱では、幼少のため参戦できません、平治の乱は突発的に起こった為、参戦の依頼すら
なかったと思われます。(熱田神宮 頼朝の母の家)も参戦してません。
>>[38] 興味の在る情報ありがとうございます。箱柳には近々調査に伺おうかと。。。
初めまして、中根 眞ともうします。
mixiはあまりログインしないのですが、たまたま見つけて興味深く、このコミューに参加させていただきます。

うちにも系図が残っています。
「中根氏 系図」とあります、祖父は九州熊本の出身と聞いています、祖父は3男だったと聞いています。
この系図の元は九州熊本の本家?にあるらしく、コピーです。
自分も年齢を重ね自分のルーツに興味が出て来ました色々勉強させていただきたいと存じます。
宜しく御願い致します。
はじめまして。わたしも中根です。

愛知県にある箱柳城跡へ行って参りました。
城跡が残っている山道の入り口には碑があり
「全国に名を広めた中根一族の祖先をたたえ後世に伝えるもの」というような内容が記されておりました。

碑の文章は、訪れた方や読む方によって(=家々に語り継がれている話によって)
感じ取り方に若干の違いがあるような文章内容かと思います。
興味のある方でしたら、親族の方と一緒に行ってみると良いかもしれません。

お盆なので、私はお墓参りの帰りに立ち寄りました。
こちらのトピックにて熱心に調べておられる方々のお話に大変興味深く関心を寄せ、一度行ってみたいと思っており、この度念願叶いましたことをご報告させていただきます。

今後も一緒にお勉強させていただきたく存じます。
どうぞ宜しくお願い致します。

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