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<吉本隆明・戦後最大の思想家>コミュの吉本さんを悼む:収集と整理のお願い

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吉本隆明さんを悼む

・思考の自立貫いた生涯:橋爪大三郎 日経3月17日
・個の幸福追求「徹底的」肯定:鹿島茂 読売3月17日夕刊
・「誤り」「遅れ」から戦後思想築く:加藤典洋 毎日3月19日夕刊
・思想の「後ろ姿」見せてくれた 高橋源一郎朝日3月19日 (逝く24で紹介済)
・跳躍を埋める忍耐強い思考 中沢新一東京3月19日夕刊
・「対幻想」終わらない:三浦雅士 読売3月20日
・「大衆」さけない思想:内田樹 読売3月20日
補遺
・科学と詩人の魂が結合:橋爪大三郎 産経3月18日(逝く9で紹介済)
・貫いた大衆としての生涯:笠原芳光 京都3月19日
・冬の圧力の真むこうへ:北川 透 毎日3月21日
・日常営む大衆の一人:芹沢俊介 東京3月22日夕刊

なお、
「戦後の呼んだ奇蹟・吉本隆明は、これからの時代を拓く不可欠な存在として、現代の親鸞になった」芹沢俊介
が図書新聞3月31日:3056号に掲載されている。

(発売予定)
・週刊読書人年4月6日号
 ・吉本隆明追悼:大塚英志・宮台真司対談
・図書新聞4月14日:3058号
*吉本隆明氏追悼特集:22名による、一挙40000字
 追悼文執筆予定者
   橋爪大三郎、笠井潔、粟津則雄、最首悟、山城むつみ、宇野邦一、
   金森修、足立正生、野村喜和夫、栗原幸夫、月村敏行、川村邦光、
   三上治、合田正人、丹生谷貴志、松本昌次、神山睦美、高橋順一、
   見田宗介、赤坂憲雄、長崎浩、木幡壽信

4月7日頃にはにはたしか「新潮」「群像」「文學界」などが発売され、「現代詩手帖」なども特集の準備をしている頃だと思います。

 著作権の関係かネットで見られないものも多く、(あるいはネットの扱いが不慣れか)、整理を一緒にしていただければありがたいと思います。
 欠落しているもの、新しく発表されたものがありましたら、お知らせください。

コメント(229)

○「現代詩手帖 2013年5月号」
   A5判/…頁  予価1400円(税込)
 “特集・吉本隆明――没後1年”







 *主な内容
  ・講演 瀬尾育生「吉本隆明の初期とは何か」(27頁)
  ・エッセイ 月村敏行「この日まで」(6頁)
  ・論考 石関善治郎「コム デ ギャルソン論争」の背景」(6頁)






竹田青嗣「正しさから見放される体験」『群像2012年5月号』講談社2012.5.1









「正しさ」の絶対喪失に直面する場面で、どこかに「正しい」思想があるはずだという強迫観念から、日本の知識人はまだ脱却できていないのだ。吉本は、そういう場面で、この喪失体験自体を思想化する以外には、決して普遍的な思想を作り出すことができないことを示した稀有の思想家だった。(略)しかし、その本質的な継承は、まだどこにも現れていないかも知れない。





(メモ)
竹田は加藤のいう、吉本の方法の特質は、思想は必ず「誤りうる」(可謬性)と言う場所から出発して普遍的なものへ届きうる可能性の条件を見いだした。ということについて、これが西洋近代哲学が普遍的認識の問題について長く格闘してきたプロセスのエッセンスなのだ、哲学からみてもこれは極めて妥当という。








見田宗助VS加藤典洋「吉本隆明を未来へつなぐ」2012.4.26対談『中央公論特別編集吉本隆明の世界』中央公論新社2012.6.25






見田:僕にとって吉本さんの魅力の核は、あの人の文体なのです。吉本さんの文章はとてもゴツゴツと節くれだっていて、深みや澱みを作りながら決して流暢に流れていかない。その文章が、僕には何より信頼できるものなんです。そうなるのは吉本さんの内部に矛盾があるためだと思います。「矛盾」というのは僕にとって褒め言葉で、シェイクスピアでも、ゲーテでもマックス・ウェーバーでも巨大な思想家の仕事には必ず矛盾がはらまれています。


メモ:自分の中にある処理に窮する大きな情念を、明哲で強靭な論理で押さえつけるような文体がどこから来るのか。この問題を解かなければ自分は生きていられないのだというような、切実な問題に真正面から取り組んでいる葛藤や拮抗から、それは立ち現れている。内容以上に、その文体が僕には信頼の理由だった。と見田はいう。




吉本論1(作成中)

近刊
瀬尾育生『吉本隆明からはじまる』思潮社
加藤典洋vs高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』岩波書店2013.5.10

2010年代
田中和生ほか『吉本隆明論集―初期・中期・後期を論じて』アーツアンドクラフツ 2013.3.
宇田亮一『『共同幻想論』の読み方』菊谷文庫2013.3.16
黒古 一夫『文学者の「核・フクシマ論」: 吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』彩流社2013.3.11
菅野覚明『吉本隆明――詩人の叡智 (再発見 日本の哲学)』 講談社2013・2・28
吉田 純『Ysimoto Takaaki 吉本隆明』河出書房新社2013.2.27
土井淑平「知の虚人・吉本隆明 ― 戦後思想の総決算」編集工房朔2013.1
呉 智英『吉本隆明という「共同幻想論」』筑摩書房2012.12.10
小浜 逸郎『日本の七大思想家 丸山眞男/吉本隆明/時枝誠記/大森荘蔵/小林秀雄/和辻哲郎/福澤諭吉』幻冬舎新書2012.11.30
富岡 幸一郎『最後の思想――三島由紀夫と吉本隆明』アーツアンドクラフツ2012.11
瀬尾育生『「吉本隆明の言葉と『望みなきとき』のわたしたち」』言視舎2012.9.30
土井淑平「原発と御用学者 ― 湯川秀樹から吉本隆明まで」三一書房 2012.9.6
石関善治郎『吉本隆明の帰郷』思潮社 2012.8.25
和田司『吉本隆明『共同幻想論』を解体する−穴倉の中の欲望』明石書店2012.7.20
芹沢俊介「宿業の思想を超えて―吉本隆明の親鸞」批評社 2012.7
村瀬 学『次の時代のための吉本隆明の読み方増補』言視舎2012.5.29
大澤真幸『近代日本の肖像』〜「〈ポストモダニスト〉吉本隆明」講談社学術文庫2012.3.12
渡辺和靖『吉本隆明の1950年代』ぺりかん社2012.3.2
宮本孝二『吉本隆明の社会理論』晃洋書房2011.11.30
宇田亮一『吉本隆明「心的現象論」の読み方』文芸社2011.9.15
高橋順一『吉本隆明と共同幻想論』社会評論社2011.9
合田正人『吉本隆明と柄谷行人』PHP研究所2011.5.18
高橋順一『吉本隆明と親鸞』社会評論社2011.5
勢古浩邇『最後の吉本隆明』新潮選書2011.4.15
友常 勉『脱構成的叛乱』〜「吉本隆明の表出=抵抗論」以分社2010.10.15
安藤礼二『たそがれの国』〜「詩語の発生−吉本隆明から折口信夫へ」筑摩書房2010.9.25
添田 馨『吉本隆明 論争のクロニクル』響文社2010.7
渡辺和靖『吉本隆明の1940年代』ぺりかん社2010.4.22

2000年代
鹿島 茂『吉本隆明1968』平凡社新書2009.5.15
和田博文編『戦後史のポエティクス1935-1959』〜疋田雅昭「吉本隆明―思索と詩作の間で」世界思想社2009.4.20
絓 秀実『吉本隆明の時代』作品社2008.11.29
山本哲士『吉本隆明の思想』三交社2008.7
高澤秀次『吉本隆明1945-2007』インスクリプト2007.9
齋藤愼爾編『吉本隆明に関する12章』洋泉新書2007.5
石関善治郎『吉本隆明の東京』思潮社 2005.12.20
梶原 宣俊『吉本隆明論―戦争体験の思想』新風舎2004.12.
田川健三『思想の危険について(新装版)』インパクト出版会2004.10 
斉藤清一編『米沢時代の吉本隆明』梟社2004.6.20
高橋・瀬尾・三浦『吉本隆明代表詩選』思潮社2004.4.25
村瀬 学『次の時代のための吉本隆明の読み方』洋泉社2003.4.17
橋爪大三郎『永遠の吉本隆明』洋泉新書2003.11.21
宮内広利『吉本隆明における疎外から言葉へ』新風舎2003.7.10
西山道子『私が読んだ吉本隆明』日本図書刊行会2002.12.20
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉-戦後日本のナショナリズムと公共性-』〜「第三部第14章「公」の解体―吉本隆明」新曜社2002.10.31
岡井 隆『吉本隆明をよむ日』思潮社2002.2.1
三浦雅士『批評という鬱』〜「批評という鬱−吉本隆明ノート」岩波書店2001.9
井口時男『批評の誕生/批評の死』〜「吉本隆明-失語者の思想」 講談社2001.5.
吉本論(2)作成中

1990年代
小浜逸郎『吉本隆明・戦後思想の挑戦』筑摩書房1999.3.23
芹沢俊介『主題としての吉本隆明』春秋社1998.2.10
ローレンス・オルソン『アンビヴァレント・モダーンズ』新宿書房1997.9.20
斉藤愼爾編『埴谷雄高・吉本隆明の世界』朝日出版社1996.2.5
吉田和明『続吉本隆明論』パロル舎1991.2.5
『磯田光一著作集第2巻』「戦後批評家論、吉本隆明全論考」小沢書店1990.9.20
鷲田小彌太『吉本隆明論増補版』三一書房1990.6.15
松岡祥男『アジアの終焉‐吉本隆明と吉本ばななのあいだ』大和書房1990.1.30

1980年代
添田 馨『吉本隆明―現代の思想の光貌』林道舎1989.1.31
笠井潔『外部の思考・思考の外部』〜「エロスそして超越−吉本隆明」作品社1988.6.20
吉田裕『幻想生成論−吉本隆明三部作解読の試み』大和書房1988.6.15
神山睦『吉本隆明論考「昭和」のクリティック』思潮社1988.8.1
竹田青嗣『世界という背理』河出書房新社1988.1.20
谷口孝男『吉本隆明の方へ』青弓社1987.4.28
土井 淑平『反核・反原発・エコロジー』批評社1986.12.15
川端要壽『修羅の宴』砂小屋書房1986.12.10
吉田和明『吉本隆明論』パロル舎1986.10.30
粟津則雄ほか『吉本隆明ヴァリアント』北宋社1985.11.25
『FOR BEGINNERS 吉本隆明』現代書館1985.6.25
宮内豊「駄論吉本隆明」論創社1984
神津陽『ブンカの傾向と対策』ボケットライブラリー1984
月村敏行ほか『吉本隆明論集』燈書房1983.5.20
北川透ほか編『鑑賞日本現代文学30巻埴谷雄高・吉本隆明1982.9.30
鮎川信夫『吉本隆明論』吉本隆明『鮎川信夫論』思潮社1982.1.20
吉田裕『吉本隆明とブランショ』弓立社1981.8.26
川端要壽(小説)『堕ちよ!さらば―吉本隆明と私』檸檬社1981.6
菅谷規矩雄『迷路のモノローグ』白馬書房1981.3.10
高橋徹・山名哲史編『吉本隆明を〈読む〉』現代企画1980.11.25
神津陽『吉本隆明試論〈戦後〉思想の超克』流動出版1980.9
日本文学研究資料刊行会『吉本隆明・江藤淳』有精堂出版1980

1970年代
久保隆『吉本隆明ノート』JCA出版1979.7.15
上村武男『吉本隆明手稿』弓立社1968.3
松岡 俊吉『吉本隆明論―「共同幻想論」ノート 』弓立社1977.5
宮城 賢『吉本隆明―冬の詩人とその詩』国文社1973.11.15
菅 孝行『吉本隆明論』第三文明社1973.9
中村文昭『吉本隆明』イザラ書房1973.4
河野信子『吉本隆明論』母岩社1973.3
遠丸 立『吉本隆明論』(増補)思潮社1972.7.1
磯田光一『吉本隆明論』審美社1971.10.16
白川正芳『吉本隆明論』永井出版企画1971.1.30
時枝誠記ほか『吉本隆明をどうとらえるか』芳賀書店1970.11.20

1960年代
小林一喜『吉本隆明論』田畑書店1968.11
遠丸 立『吉本隆明論』仮面社1968.3

確認中
好村富士彦『真昼の決闘―花田清輝・吉本隆明論争』晶文社1986.5
北川透『熱ある方位』思潮社1976
岡井隆『尉籍論』思潮社1975

未確認
松崎健一郎『吉本隆明異和 』真昼のうみかぜ社 2012.1
金山 誠『吉本隆明の批評における〈孤立〉と〈独立〉三章文庫1996
三谷博俊『埴谷雄高と吉本隆明』(トレビ文庫)日本図書刊行会1988
久保隆『吉本隆明ノート』原生林1987(新装版?増補版?)
河野信子『吉本隆明論』沖積社1982(新装版?増補版?)
加藤龍之『解体サクセッション』1980
宍戸 修『拒絶の論理』現代思想研究会1970.4

不明
?水溜真由美
?宮林功治
?上林俊樹
?大堀
吉本論(3)追加

○多羽田敏夫「〈普遍倫理〉を求めて―吉本隆明「人間の『存在の倫理』」論註」
「群像 2013年6月号」講談社“第56回群像新人文学賞評論部門 優秀作 
○中村三春「吉本隆明の初期文芸論における『自然』−『高村光太郎』を起点として」
『iichiko吉本隆明の文学論SPRING 2013 NO.118』文化科学高等研究院出版局 2013.4.30
○三上治「吉本隆明と中上健次」図書新聞・連載中

野崎六助『異端論争の彼方へ―埴谷雄高・花田清輝・吉本隆明とその時代』 インパクト出版会2013.9
宇野邦一「吉本隆明煉獄の方法」みすず書房2013.8.9
松崎之貞「吉本隆明はどうつくられたか」(徳間ポケット)徳間書店2013.7.31
とよだもとゆき『吉本隆明と『二つの敗戦』』脈発行所2013.6.10
加藤典洋vs高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』岩波書店2013.5.10
菅野覚明『吉本隆明〜詩人の叡智』講談社






詩「固有時[との対話]」において、内部風景を主体的に構築し直すための自前の論理は、古典物理学に対する量子物理学になぞらえられている。…感性的、情緒的な風景の表現が、同時に抽象的な論理体系としても読みとれるようにするというこの離れわざを、吉本は、物と抽象観念とがぎりぎりのところで接する「物理現象」(物象)の記述(物理学)のイメージを最大限に利用することによって成功させている。










「『マチウ書試論』はある意味で、自分が固有に抱え込んでいる問題によって悩みながらも学問にも信仰にもその処理の方向を見出せないでいる人たちに、
大きな勇気を与える文章である。」

(小浜逸郎)
佐々木幹郎「詩魂の安住する場所吉本隆明追悼」『現代詩手帳追悼総頁特集吉本隆明』








わたしは四十年後の吉本さんの直筆原稿を読んで、吉本隆明という人は少しも変わっていない、と思ったのだった。「疑問と自恃とを反復する」場所とは、「詩魂」のある場所だからだ。どこにそれはあるか、具体性はないが、その抽象性と普遍性こそが、吉本さんからわたしたちに贈与されたもの、と考える。あとはそれぞれが自らの可能性を試す以外ない。







吉本隆明氏の逝去に合掌
西谷修−Global Studies Laboratory
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/2012/03/post_142.html





「西谷 修ブログ2012.3.16」から抜粋

いまではわたしは吉本さんの行き方に同意していない。それは基本的には、「近代」の世界化状況のなかでの思想的交錯やその展開について、そしてそのなかに自分をどう位置づけるかについて、わたしが吉本さんとは違う考えをもつようになったからである。

 それについては、1984年にわたしがモーリス・ブランショの思想的遺書とも言ってよい『明かしえぬ共同体』を訳したことが契機となって、翌年雑誌『ユリイカ』で「共同性」をめぐる議論を行ったことからしだいに明瞭になった。このとき幸運にもわたしは6時間近くにわたって吉本さんとかなり密な議論をする機会をもった。

 『悲劇の読解』でバタイユにふれ、『最後の親鸞』では「非知」をキータームとしていた吉本さんに、「大衆の原像」という独自の概念と「非知」との関係、それも西洋現代の思想に登場する「非‐知」との関係について、両方の読者としてわたしは延々と語り、吉本さんが日本でこの地の知的状況にあくまでとどまりながら展開している議論の世界的共時性について、その相互照応について、自分の理解をとことん語った。けれども吉本さんはそれを受け入れなかった。わたしは誠心誠意、全力を傾注して説得したが、吉本さんは自分の議論はそんなものではないと否定して、ついにその孤塁を出ようとはしなかった。

 そのときにわたしは、吉本さんとは道が違ってしまったと思わざるをえなかった。だから、親しく突っ込んだ話しをしたのはそれが最初で最後になった。





鷲田小彌太『増補吉本隆明論〜戦後思想史の検証』三一書房 1990年







吉本を正面から読みはじめたのは、社会主義の理念を垣間見たポーランドの連帯運動評価と文学者の反核運動に敵対した「反核」異論を手に取ってからであった。いわば、かつての吉本「主義者」や「共感者」が最終的に吉本を「見限った」時から、私の吉本「接近」は始まったのである。…スピノザとマルクスをつなぐ線上に吉本がぴたりとはまるというのが私の思想史家としての吉本評価の第一である。この線上には、アルチュセールがおり、フーコーがいる。ソシュール、ニーチェ、フロイトがいる。柳田国男もこの線上に置いてみたい。よりわたくし的に言えば、大西巨人もである。












>>[204]

>……文学者の反核運動に敵対した「反核」異論を手に取ってからであった。いわば、かつての吉本「主義者」や「共感者」が最終的に吉本を「見限った」時から、私の吉本「接近」は始まったのである。


やっぱりその時を境にそういう毀誉褒貶があったのですね。


吉本さんは「凄みのある負け方をしたい」、とおっしゃったお方です。


離反者の続出は、もとよりお覚悟の上だったでしょう。


吉本理解は、これからようやっと、けれど着実に進んで行くのではないでしょうか。


晶文社の『吉本隆明全集』、全40 巻予定(本巻36 巻、別巻2 巻、書簡集2 巻)の刊行、その意味から、まことに意義あるものと思われます。


猫







糸井重里、吉本隆明への追悼の思いを語る


今年3月16日、思想家・詩人の吉本隆明が肺炎で亡くなった。
生前親交が深く『ほぼ日刊イトイ新聞』でも対談を重ねてきた糸井重里が、『ダ・ヴィンチ』7月号で追悼の思いを語った。






「どう考えたらいいかわからなくなった時に問いかけることができる人でしたね。神様って声を出してはくれないけど、吉本さんは隣のおじさんみたいな場所にいてくれたから」

 98年に『ほぼ日』を開設してからは吉本さんとの対談は人気コンテンツのひとつになった。講演の肉声を収録したDVD付きの本『吉本隆明が語る親鸞』の巻頭にも昨年7月29日に行われた対談が掲載されている。

「僕が初めて本当の意味で読んだ吉本さんの本は『最後の親鸞』なんですよ。記憶の中では18〜19歳の夏休みなんだけど、実際にあの本が出たのはもっと後らしい。夏で田舎に帰ってたんだから、とにかくいろんなことがうまくいってなかった時期ですよ。人って、生き方がわからなくなると故郷に帰ったりするじゃないですか。そういう夏のある日に所在なく本屋に行って、ふと手にとったその本を立ち読みしたら、もう飛び上がるくらいに面白かった。

『吉本隆明が語る親鸞』も、これから吉本隆明と出会う人にとってそういう本になるかもしれないって思ってるんです。あの時の僕みたいに途方に暮れてる人に、今悩んでることの答えは全部ここにあるよって言いたい。そうして吉本さんの肉声に触れてみてほしい。

肉声って凄いもんですよ。あの声聞くと、ほっとするんだよね。あのしゃべり方を聞けば、吉本隆明って人が本当は不器用で口ベタな人だってことがすぐにわかるんじゃないか」

 対談する時は角に座って斜めにしゃべるのが常だった。
「僕も吉本さんも向き合うのが苦手だったから(苦笑)。質問すると、直接の答えじゃなくて、必ず少し遠回りの答えが返ってきた。それは“なぜその質問をしたのか”に対する本質的な答えだったからで、そういう答えって、そのパターンのあらゆる物事に対する答えになってる。吉本さんの考えって、だから自分の問題に代入できる、道具みたいに使えるんですよ。
 
戦争の時は軍国少年だった吉本さんは、戦後あれは何だったんだって思いをして、そこから先はそれを考えることに一生を費やした人だった。生き方が、もう時代を投影しているんです。だから吉本隆明が生きてるってことがひとつの支えだったって人がいっぱいいるんですよ」

取材・文=瀧 晴巳
(『ダ・ヴィンチ』7月号「2012上半期 BOOK OF THE YEAR」より)
http://ddnavi.com/news/64319/





>>[206]

>いわば、かつての吉本「主義者」や「共感者」が最終的に吉本を「見限った」時から、私の吉本「接近」は始まったのである。


こういうふうにまったく逆の形で吉本さんに向き合うようになる、という方たちがいらっしゃるというのも、とても面白い所ですね。


>いわば、かつての吉本「主義者」や「共感者」が最終的に吉本を「見限った」時から、私の吉本「接近」は始まったのである。





接近も離反も、機縁あってのことでありませう…。










【自著を語る】『開店休業』 吉本隆明 ハルノ宵子さん(漫画家)
東京新聞2013年7月9日








◆永遠の勝ち逃げした父

ひきょうな本だと思う。

「後ろから木刀」「寝ている顔にぬれ手拭い」みたいな本だ。何せ異議を唱えたくとも、ご当人(父、母)たちはもういないのだ。

 それ故いわゆる“暴露本”的にならないようにだけは、注意を払ったつもりだ。キッチンのテーブルで、「オレこんなコトやったかな?」「やったじゃん! 忘れたの?」と、笑いながら話せるか否かを基準として、書きながら何度もその光景を思い浮かべては確認した。

 家族だから当然ドロドロの愛憎や確執もあるし、尋常ならざる“エネルギー値”を持った正反対のベクトルの父母だ。私はこれまでの人生の大半をこの二人に振り廻(まわ)されたと言っても過言ではない。それでも“恨み節”にならずに書けたのは、切り口が『食』であることと、“元ネタ”が父の自筆のエッセイであったことが大きい。インタビュー原稿では、こうはいかなかっただろう。

 父のエッセイ文は、どんなに“尖(とが)った”事を書いてもどこか抒情(じょじょう)的で、独自のテンポがある。やはり詩人の文章だと思う。あまりの突っ込み易(やす)さに、一章に付き二百字程度の軽い“補足”を加えるつもりがやり過ぎた。主客転倒の“珍本”となってしまった。しかし『食』を巡るエピソードの絡み合いが、計らずも『家族』の全体像を浮かび上がらせる結果となったようだ。

『父の肖像』のようなテーマで本を書きませんか?という打診をいただくことがあるが、私ごときの力量で描けるような、甘っちょろい人だと思ってたのか?と、返したくなる。そのような漠然とした括(くく)りで、父や家族について書くことは生涯無いだろう。

 夏目漱石の没後、彼の奥さんが『漱石は頭がおかしかったので、こっそり安定剤を飲ませていた』と暴露した。という逸話が残されているが、生前父は「ありゃ悪妻だ。もしもオレが死んだ後、そのテの事を家族に書かれたら、その時はオレの“負け”だ」と言っていたが、そういう意味で父は永遠の“勝ち逃げ”をしたのだ。(プレジデント社・一五七五円)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/jicho/list/CK2013070902000259.html






ブログ日記「点景」ー車椅子での日々ー 
http://blog.livedoor.jp/tsunesawa/







勢古浩爾『最後の吉本隆明』を一応読了。一応というのは、ページを追って読むのはこれで一段落とするという意味である。本を閉じてしばし余韻に浸る。気持ちがいい。この著者は臆することなく吉本さんに真向かって立つ。多少はにかみながらも決して目をそらさない。

そして、肝心なのはここなのだが、最初から最後まで、吉本隆明大好きという姿勢を崩さない。本物の男として惚れぬいている。吉本さんの周りには若い時からずっと、吉本主義者と呼ばれる一団が常に存在したが、彼らとは全然違う。

彼らは、大好きと公言する面々からマスコミが勝手に主義者と名付けただけの面々までじつに幅広い。だが、彼らの多くは、吉本さんの論理をていねいに追うことなく、結局は、自分の主張を少し「権威」づけ、寄りかかる大樹を求めるだけなのだ。

勢古の人間理解は鋭い。『暗いがゆえに明るく、静かなゆえに目立ち、弱いがゆえに強く、小さいがゆえに巨大で、存在は矛盾のかたまりのように見えた。吉本隆明が自分の性格に与えた言葉は「戦闘的受動性」だったが、その日常的な姿勢は<開放的非社交性の>ように見える』と。

非社交的であるのに開放的である。受動的だけど戦闘的である。つまり、話しかけられれば応じるけれども、自分からしゃしゃり出て積極的に関わりを求めることはしない。きっと照れくさいのだ。恥ずかしいのだ。瀬古は吉本さんを含羞の人と表現している。論戦という喧嘩を挑まれれば例外なく買ったけれども、自分のほうから仕掛けるということはついぞなかった。瀬古はそこを強調する。いい寄り添い方だ。(2012.10.21)






芦田宏直:追悼・吉本隆明 2012年03月17日









 特に彼の文章(文体)が大好きでした。引用の文(=他者の思考)と地の文(=自分の思考)との処理の仕方が絶妙で、幼い私は彼に思考の内容にというよりは、その引用の文体に、あるいは読書の仕方に惚れ込んでいました。

 彼の引用は、被引用者の全体の思想(その核)をつかんだかのような引用でした。彼の引用する文章の全ては、部分というよりは、その部分が被引用者の思考の臍であるような体裁をいつも醸し出していました ― その臍となる部分のことを彼は後の著作で〈作品〉の「入射角」「出射角」と呼ぶようになっていました。

彼の引用批評は、いわば人格批評と紙一重の緊迫感がありました。人と思想とは“同じ”なんだと。「関係の絶対性」はぐるっと一周してそういう思想だったのだと私は思います。だからこそ、時として排外的、時として寛容という振幅を持っていたのです。

 現在の検索主義の引用とは正反対の思考がそこにあった。こんなふうに本が読めたら、どんなふうに自由になれるんだろう、と私はいつも思っていました。

 そうやって、彼の読むものはすべて読みたい、と思った私の同世代の読者は多かったはずです。片っ端からヘーゲルやマルクス、フロイトやソシュール、花田清輝や丸山真男たちを読んでいったわけです。

 なにかが起こる度に、吉本さんならなんて言うんだろう、どう考えるんだろうと思い続けながら自分の思考を織り込んでいったのが、私の高校・大学時代でした。同世代の人たち(特にマルクスボーイたち)はほとんどそうだったと思います。私の世代は70年安保にさえ遅れた「学費闘争」世代ですから、遅れてきた吉本ファンに過ぎなかったわけですが(苦笑)。

 彼の思想の核は、もちろん『言語にとって美とはなにか』の〈像〉概念にあります(もちろん〈像〉は概念ではないのですが)。この〈像〉は、〈自己表出〉と〈指示表出〉との交点に浮かぶものです。そして〈自己表出〉にも〈指示表出〉にも還元できないものが〈像〉なのです。ソシュールと違って、唯物論的な〈像〉と言ってもよいかもしれない。

 言語とは、あるいは表現とは、定義でも、機能でも、手段でもないという言語観が、そこにはありました。2年前のNHKの講演会で彼が言った「ファンクショナリズム」との戦いがすでにそこにはあったのです。彼の思想的な頑固さと柔軟性との双方の起源がこの〈像〉概念なわけです。彼の引用の作法そのものが、この〈像〉概念に基づいていました。もう一つの主著『共同幻想論』も国家の〈像〉概念を扱ったものに過ぎない。
 
 私はこの吉本さんの〈像〉概念に決定的な影響を受けました。

 大学に入って、ハイデガーを本格的に読むようになって、少しずつ吉本さんの本を読まなくなりましたが、昨日朝日新聞関連のサイトで「…親鸞は『人間には往(い)きと還(かえ)りがある』と言っています。『往き』の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかしそれを終えて帰ってくる『還り』には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと」(2011年03月20日の発言)を見つけました。

 親鸞の往相・還相論の吉本隆明の解説ですが、なんども読み続けてきたこの吉本の親鸞論も繰り返し、繰り返し変奏されると、これはハイデガーの転向(ケーレ)論の最も良質なものではないかとさえ思えてくる。存在者からの存在への『往き』(前期ハイデガー)と存在からの『(存在者への)還り』(後期ハイデガー)はベクトルが違うだけではなく、質が違うのです。

 結局、20代以降、約20年にわたって相対的には自立できたかな、と思っていた私のハイデガー(=フッサール)傾斜は、吉本さんの手のひらの中での出来事だったのかな、と悲しくもあり、切なくもあり、しかもホッとする一瞬でした。

 思考するということは、成熟することではなくて、若い“とき”を反復することの威力を与えるものなのではないでしょうか。

 私が生まれたときとほぼ同じ時期(彼の20代後半時代)に彼が無名のままに書き連ねていた(今となっては)有名な詩編をここに取り上げて彼への追悼に代えたいと思います。

http://www.ashida.info/blog/2012/03/post_414.html#more






「吉本隆明さんを悼む 北川透]『毎日新聞』2012年3月21日(水)付







冬の圧力の真むこうへ

 吉本隆明さんの訃報を受けて、長い瞑目の時を持った。そして、あらためて吉本さんの生涯は詩人だった、と思う。

《世界は異常な掟てがあり 私刑(リンチ)があり/仲間外れにされたものは風にふきさらされた》

 これは吉本さんの詩「少年期」の二行だ。少年期における仲間外れ。それを経験しないまでも、怖れたことのない人はいないだろう。詩人はこれを追憶として書いているのではない。家族、友人仲間から教団、党派、国家にいたるまで、人は様々なレベルの掟や法を内在させた、共同の関係から逃れられない。それを視野に置いた関係の違和、不服従、追放の惨劇をたどる少年期の原型を、ここに見定めようとしている。

 これと同時代の『転位のための十篇』や『固有時との対話』などの詩集も含めて、吉本さんが、まだ二十代の半ばから、三十代の初めに書いた詩篇が、いまに甦るのを感じるのは、東日本大震災後のウソのないことばを求める状況があるからだろうか。それだけと思えないのは、吉本さんが、以後、展開する思想的・理論的なモチーフの強度が、ここに孕まれてるからだ。

 その逆の見方も、また可能だ。吉本さんほど、詩や文学が成立する土壌としての、基盤としての、自前の思想や構築に生涯を費やした詩人はいない。わたしは一九五七年、大学の四年生になった頃、初めて吉本隆明の著作『文学者の戦争責任』を読んだ。その昂奮がなければ、(旧)書肆ユリイカ版の『吉本隆明詩集』を求めることもなかった。それは凄い本だった。私の詩や文学への甘っちょろい夢を吹き飛ばした。

 ヨーロッパの最先端の意匠で装うモダニズムの詩も、マルクス主義や、近代的な自我の詩も、戦争下においてすべて無惨に崩壊したという、戦慄すべき事態。そこでは、いかに新しそうでも、いかに恰好よく見えても、輸入された付焼刃の知識や感覚の遊戯、孤高を誇る自意識では、役に立たないことが語られていた。新しい知識や感覚自体が駄目なのではない。それを身につけようとする時、遅れた底辺の社会に浸透する法や制度、意識やモラルと格闘しながら、自前の思想、感覚、方法を身につけるたたかいをして来なかった。そこに日本の詩の脆さがある。それをしなければ、戦争詩や翼賛文学は繰り返される、という強い自覚、開眼。

 ここから始まる一九六〇年以降の思想のたたかい。確かに吉本さんは、詩「ちいさな群への挨拶」でうたったように、たった一人、手ぶらで《冬の圧力の真むこうへ》と出ていった。吉本思想のキー・ワード〈自立〉は六〇年安保闘争における旧左翼との訣別・。擬制の終焉から出てくるが、すでに五〇年代の詩のモチーフや、詩人の戦争責任を問う論理に内包されていた。そして、何ものからも独立する表現の場の確保のために、『試行』の創刊。

 そこにすべての党派的な文学観を否定した、『言語にとって美とはなにか』の連載。一方、戦争下において、ほとんどの詩や文学が、回帰していった庶民意識や国家の問題は、『共同幻想論』として原理的に探求される。さらにそれは意識と無意識、狂気と正気、悪はなぜ根拠を持つのかなど、心的現象のすべてを解明する終わりのない試みに引き継がれる。『心的現象論』、『最後の親鸞』等々。

 わたしが吉本さんと『現代詩手帖』誌上で対談したのは、ソ連、東欧の社会主義の崩壊した後の世界認識を先取りして書かれた、『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』の中間、一九八四年十二月だった。吉本さんが変質する高度資本主義のなかで、多元的な文化の在り方について、大胆な仮説を展開していた時だ。吉本さんについてのわたしの印象は、大きな耳を持った人。

 むろん、自説は、訥々とした口調ながらも、断乎として主張されるが、わたしなどのつまらぬおしゃべりにも、じっと耳を傾けられた。その感銘を思い起こしながら、「ちいさな群への挨拶」の二行を噛みしめたい。

 《ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる/もたれあうことをきらった反抗がたおれる》

 (きたがわ・とおる=詩人)

http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20120322/p2





とよだともゆき『吉本隆明と「二つの敗戦」』脈発行所 2013.6.10


0 はじめに 原発と晩年の慨嘆

本年(二〇一二年)三月、吉本隆明さんが亡くなった。
 かつてフランスの哲学者ミシェル・フーコーの死を、吉本さんは「現存する世界最大の思想家の死であった」と記した。その表現に倣えば、「現存する日本最大の思想家の死であった」といえる。彼がフーコーを「世界最大の」と評したのに対し、吉本さんを「日本最大の」とするのは、彼そして日本を、世界の格下にみているからではない。むしろ逆で日本列島こそ、これからの思想的可能性を秘めている。晩年の彼が「日本列島の住民」は、「本当のグローバルとは何かを確定する好位置にある」と書いたように。事実、彼のこれまでの営為は、西欧の一線級の知に拮抗する希有な思想として輝き、戦後の思想界にとても大きな影響を与えてきた。

 ただ晩年、彼の知は明らかに引き裂かれていた。自ら感じていた節がある。それは、現在を「第二の敗戦期」ととらえたうえで、二〇〇八年頃に漏らしたある慨嘆に示されている。また、敗戦直後の小林秀雄が「僕は無智だから反省なぞしない」と考えを変えなかった姿勢を晩年になってとくに評価し、自分もそれに倣いあえて依怙地を演じている風でもあった。第二の敗戦期は吉本さんを激しく揺さぶった。それゆえに、姿勢を変えなかった小林の敗戦後の言に強く惹かれたのだろう。


             (中略)
 亡くなる一五年前、毎年海水浴に出かける伊豆・土肥海岸で溺れ一時意識不明となって以降、持病の糖尿病に加えさまざまな病状を併発、悪化し、足腰が弱り、字を読むのもままならなくなっていた。わたしも今世紀に入ってからお宅にお邪魔し取材をさせていただいたこともあったから、そのあたりの事情はわかっていた。また、高齢になれば思考する力に、波や停滞が増すのは当然のことだ。
 だから、三・一一後にこれまでと変わらずに原発を容認する発言を新聞などで目にしたときは驚き、とても残念にも思ったものの、失礼ながら年寄りの冷や水くらいに受け流しておけばよいとも考え、自分のホームページで若干の批判的コメントを載せるくらいだった。次女ばななさんも、「もうあまりちゃんと話ができないので、まとめる人の意訳があるかと」とツイッターでつぶやいていたようだ。
 しかし、それでも三・一一以降かなり取材を受け続け、しかもその内容は一貫したもので、そこにはしっかり情況と対峙する姿があった。さらに「週刊新潮」でのインタビュータイトル「反原発で猿になる」の発言(編集者がジャーナリスティックにまとめあげた節もあるが)を、たとえば石原慎太郎東京都知事が引用して反原発を「センチメント」と批判していた。また吉本さんのよき理解者のはずの評者のなかにも、彼の言説を反芻して、反原発の声をファシズムとするなど、看過できない事態が生まれていた。

      (中略)

  主な問いを列記してみる。
◎なぜ「科学の進歩」を止めてはならないとして「反原発」を苛烈に批判し、それを「原発稼働」と直結させたのか。背景になにがあったのか。
◎思想営為の基本に据えた「大衆の原像」というOS(オペレーティングシステム)に、なぜ最後までこだわったのか。それはもはや時代にそぐわなくなくなり、切り替えが必要だったのではないか。
◎以前から小林秀雄の限界を指摘し、『本居宣長』にいたっては「誤謬・迷信・袋小路」と評し、「小林秀雄ってダメだね」と厳しく断じていた。にもかかわらず、現在を「第二の敗戦期」ととらえた晩年になると、敗戦後の小林秀雄の言、「僕は無智だから反省なぞしない」を強く評価するようになった。それはいったいなぜなのか。
◎ヘーゲル・マルクスの史観を批判して「史観の拡張」をめざしたが、彼らの史観をほんとうに超えたといえるのだろうか。
◎農業問題に触発された贈与価値論、さらに晩年提示した「存在の倫理」は、「現代の超克」の方向を指し示しているのだろうか。
◎二〇〇八年頃、それまでの自らの営為とぶつかるような、意外な慨嘆を漏らした。それはなにゆえなのか。

◆吉本さんからは計りしれないほどの力をいただいたものの、しかし「吉本主義者」ではないわたしにとって、ここに挙げた課題と真摯に向きあうことが、故人の営為と労に多少でも報いる道であると考える。(2012.12.28)

連載:「吉本隆明と「現代の超克」」
http://homepage3.nifty.com/toyodasha/sub10/sub10back.htm


◆本書は:連載「吉本隆明と「現代の超克」」に加筆し、また未発表の原稿を大幅に加えてまとめた。

『iichiko spring2012』文化科学高等研究院出版局(ehescbook.com)2012.4.30






吉本隆明さんを悼む 山本哲士

 吉本隆明さんが3月16日に逝かれた。本誌の制作途上で、その訃報が届いた。

私が世界でもっとも尊敬する思想家である。本誌でも、何度か特集を組ませていただいた(「吉本隆明の文化学」39号、「吉本隆明の文化学II」65号、「吉本隆明の『心的現象論』了解論」94号)。本号の前田氏と高橋氏との対談でも、多々吉本さんに触れている。特に高橋氏との対談は、真正面から吉本思想の世界的な普遍力を論じあったものだ。

高橋氏とはよく二人で吉本さんの家にお邪魔し、何度か鼎談もした。吉本さんにお礼したいという気持ちで、私たちは自分の仕事をしてきた。

 吉本思想は、世界的な普遍力を鋭利にもっている。言語表出論、共同幻想論、そして心的現象論は、20世紀において世界最高峰の思想的遺産である。これ以上の深みにあるものは、世界にはない。論理的な緻密度ではない、思考が届く深みである。

文学批評や古典論など、また現在情況を本質からとらえた考察、その固有さは日本で類をみない。私は、吉本さんの思想力に対応しうる理論作業を自らに課して、その概念や論理が浮足立たない仕方をとってきた。西欧の真似ごとでは対抗しえない、自分へ領有し、自分の論理・理論として構築していかないと交通しえない。それを自分なりにやりきっていたゆえ、氏から容認されえたとおもっている。

 思想家として、日本最後の方であった。お人柄に直接ふれた人たちは、その厚さに皆、敬服している。何十回も吉本宅へうかがったが、いつも玄関先まで丁寧に送って下さる。それが、近年できなくなっていた。私なりに心的な準備はしてきたが、やはりもうお会いできないかとおもうと、悲しい。とても聞き上手なお方だった。こちらがまくしたてることを、頭をたれてじっと聞き入り、咀嚼されて、本質から突き返してこられる。それが刺激となってこちらもまた突っ込んでいく。この知的な刺激は、なんどお会いしても毎回ある。真の交通がなりたつのだ。何時間も、時間を忘れて討議し合った。

吉本さんとの最初の対談集『教育・学校・思想』(注1)、そして『吉本隆明が語る戦後55年』の全12巻、(注2)さらに『心的現象論 本論』(注3)の刊行、この大きく三つの仕事をきちんと残せたことは、私にとってあまりに大きい。30年にわたる、吉本さんとの交流である。『吉本隆明の思想』(注4)をすでに記したが、「文学思想」論もいずれ書き上げたい。

私がそれなりに世界とたちうちできたのは、吉本思想があったからだ。日本で世界にたちうちできるのは、西田哲学と吉本思想でしかない。あとは日本特殊があるにすぎず、その特殊もこの二つの思想・哲学をもってしか対象化できない。そこに新たな地平がようやく開かれる。

「西欧的なものの限界 日本的なものの可能性」、それは吉本思想を規準にして推し量っていくことができる。「国津神」と「つつましやかな資本」について議論できる機会が訪れなくなったことが、何よりも悔やまれる。ただひたすらの感謝である。偉大さは、身近にこそ在る。合掌。

編集・研究ディレクター 山本哲士

注)けんちゃんがかってにつくりました。段落わけもけんちゃんの独断です。あしからず・・・。

(1)吉本隆明VS山本哲士『教育・学校・思想』日本エディタースクール出版部1983.7.25
(2)『吉本隆明が語る戦後55年』全12巻三交社、
内訳
巻1 60年安保闘争と『試行』創刊前後
巻2 戦後文学と言語表現論
巻3 共同幻想・民俗・前古代
巻4 フーコーの考え方
巻5 開戦・戦中・敗戦直後
巻6 政治と文学/心的現象・歴史・民族
巻7 初期歌謡から源氏物語まで/親鸞とその思想
巻8 マス・イメージと大衆文化/ハイ・イメージと超資本主義
巻9 天皇制と日本人
巻10 我が少年時代と「少年期」
巻11 詩的創造の世界
巻12 批評とは何か/丸山真男について

(3)吉本隆明『心的現象論 本論』文化科学高等研究院出版局2008.7.10
(4) 山本哲士『吉本隆明の思想』三交社2008.8.1


◆ 『iichiko spring 2012(No1114)』内容

「西欧的なもの」の限界の根源
 【対談】前田英樹×山本哲士 part1

「日本的なもの」の可能条件へ:〈もの〉の根源へ

吉本隆明の普遍基準
  【対談】高橋順一×山本哲士

「もの」の哲学文化へ 山本哲士

【自著を語る】
  『吉本隆明と共同幻想』 高橋順一

ほか

◆吉本隆明 unimall
http://ehescbook.com/shoseki_shousai/bunka_114.html



鷲田小彌太『増補 吉本隆明論〜戦後思想史の検証』三一書房








吉本〔の著作〕と付き合うと、気持ちが晴れ晴れとする。何よりもその思考が、大理石の割れ目に添って軽く石をたたいてゆく名工の手付きに似た「おのずからなる」ものだからである。真似たいとは思うがそうはゆかない類のものである。できうれば、そんな吉本の思考を直接著作をひも解いて味わって欲しいものである。










吉本隆明(追悼)「正しさから見放される体験」竹田青嗣  (『群像』2012年 5月号より) 全文







わたしが批評や思想の世界に入ることになったきっかけは、二十歳代にぶつかった在日問題だった。「民族として生きるか、日本社会に同化するか」。これがそのシンプルな二律背反の問いだが、当時の在日青年にとって決して迂回できない絶対的な問いとして現われていた。

二十歳代のほとんどを、わたしはこの答えのない問いに答えを与えようとしてあがいていた。いくつかの小説、批評、哲学が暗闇の中の光明となったが、とくに決定的だったのが吉本隆明とフッサールである。わたしの中では、この二人の思考家の態度はみごとに重なっている。彼らの思想の手引きなしには、わたしはあの暗闇の時期を乗り越えられず、思想の仕事を続けることもなかったと思う。それについて書いてみたい。

吉本の思想の出発点となったのは「転向論」だが、その核をなすのは以下のような"戦後"体験だったと思う。ある人間が全霊をあげて真実と思い入れた「世界信念」が、あるいは絶対的なものとして現われていた「価値」(革命、恋愛、真理など)が、とつぜんまったくの「誤り」として露呈する。つまり「正しさ」から徹底的に見放されるということが起こる。このとき人はどう考えることができるか。またこの"世界喪失"の体験のもつ意味は何なのか。

吉本は、転向論で、戦中戦後の知識人がとった思想的態度を三つの類型で示した。第一。自分の世界信念があくまで正しく、現実社会のほうが間違っていると考える(非転向マルクス主義者)。第二。自分の世界信念を現実に適応させる(佐野・鍋山)。第三。より権威のある新しい世界信念に飛び移る(戦後民主主義者)。

吉本によれば、日本の戦後思想はこのいずれかを出発点として進んだが、どれも、あの絶対的価値喪失の体験の本質的な意味を受け取らなかった。その代わりに、「正しさ」の新しい権威をどこかに探し出して、その喪失を埋めようとした。

しかし、吉本にとっては、この体験が教えたのは、およそ「世界信念」と「正しさ」というものの根拠それ自体を、思想的にことこん考え直す必要だった。じっさい彼は、西欧の知的権威を棄て、思想が国家や権力を批判しうるその根本の根拠を、まったく独力で、一から再構築しようとした。対幻想対共同幻想という構図がその根本のプランだった。そういう戦後思想家がほかに皆無だったことも特筆すべきである。とはいえ、彼がこの思想方法の核をいかにつかんだかをいいあてるのは、簡単ではない。

数ある吉本論の中で、わたしが納得できる数少ないものの一つに、『戦後的思考』における加藤典洋のものがある。彼は吉本の方法の特質をつぎのようなユニークな言い方で表現している。戦後多くの知識人が、自分たちがつかんでいた「正しさ」の失墜に直面し、大急ぎでこれを訂正したり、新しい「正しさ」を探したりする中、吉本は一人独自の道を歩いた。すなわち、むしろ彼は、思想は必ず「誤りうる」(可誤性)という場所から出発し、この「誤り」の場所から普遍的なものへ届きうる可能性の条件を見出す、という方法をとった、と。

この言い方は、わたしにあることを"思い当たらせる"。というのは、わたしの哲学的立場からみて、ここには、西洋近代哲学が普遍的認識の問題について長く格闘してきたプロセスのエッセンスが、端的にいいあてられているからだ。

近世の終わりに、ヨーロッパ人もまた、旧教と新教の深刻な対立から、絶対的なものと信じていた「世界信念」が完全に崩壊するという深刻な体験に直面した。ここでは、どちらに(どこに)「正しさ」があるかという問いは完全に無効になった。この問題に本質的な答えを与えたのは、近代哲学者たちによる新しい認識論の方法だった。彼らは、どこに「正しさ」があるのかという問いをはっきり棄却し、およそ普遍的な「正しさ」に達しうる認識の条件はあるのか、という新しい問いをおいた。この近代認識論の格闘は、カントからはじまり、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールにまで継がれた。最終アンカーであるフッサールが示した答えを、ひとことでいえば以下になる。

超越的認識(正しい認識=真理)はそもそも存在しない。どんな認識も「主観的確信」にすぎず、したがって本質的に「可誤的」であるほかないからだ。しかし、にもかかわらず、「主観的認識」の多様から共通認識を取り出そうとする相互的な意志が存在するときには、「普遍的認識」(間主観的認識)が成立する条件が現われる……。


【271】からつづいている






吉本の「大衆の原像」の概念は、知識人と大衆という古い構図の遺物にすぎない、などという意見がある。しかし、わたしはこれを、一般の人間が生活の中で育てる"主観的な正しさ(=誤り)"の多様から出発するのでなければ、そもそも「思想の普遍性」などということが無意味である、という意味に解している。

マルクス主義に代わる新しい世界思想として現われたポストモダン思想は、これとは逆の見解をとった。われわれの感性や認識は、すでに時代や社会の支配構造のうちで"構築"(構造化)されている。だからそれを信じてはならず、つねに生活世界の外部に立つべし。この定言命法によって、それは、絶対的な批判の場所というつねに「誤らない」立場に立とうとする。これは、日本の戦後知識人が新しい「正しさ」を遇した態度と、正確に符合している。吉本が、一貫してマルクス主義とポストモダン思想の対抗者だったことには簡明な理由があった。

「正しさ」の絶対的喪失に直面したとき、日本の知識人は、どこかに「正しい」思想があるはずだという強迫観念からまだ脱却できていないのだ。吉本は、そういう場面で、この喪失体験自体を思想化する以外には、決して普遍的な思想を作り出すことができないことを示した希有の思想家だった。吉本隆明は戦後最大の思想家である、とする評価にわたしは同意するが、しかし、その本質的な継承は、まだどこにも現われていないかも知れない。

竹田現象学ブログ
http://www.phenomenology-japan.com/takeda.htm











○富岡幸一郎「吉本隆明氏を偲んで」[桜H24/3/21]
http://www.youtube.com/watch?v=cVqDzxCNegw

メモ

・『詩的乾坤』所収の状況への発言から三島由紀夫について
 『最後の親鸞』から知識について、知識人批判について
の2点を取り上げている。

・動画があったので添付しておきます。生きていれば90歳ですね。
【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】吉本隆明

政治に流されない感受性 - 産経ニュース2015.2.5

■東日本国際大教授・先崎彰容








 昭和43年のことである。一冊の書物が世間を震撼(しんかん)させた。

 吉本隆明『共同幻想論』である。国家の成りたちの起源を『古事記』と『遠野物語』を徹底的に読むことで明らかにしたこの書は、熱狂的な歓迎を受けた。たしかに難解である、でも読まざるをえない、理解できなくても読んだと言わざるをえない、そんな雰囲気が学生を中心に漂っていたのだった。

 だが忘れてはいけない、吉本隆明はそれ以前、まずは「詩人」として文壇に現れたことを。高村光太郎について、言語にとって美とは何かについて考えると同時に、共同体とは何か、私たちにとって国家とは何かが問われた。こうして『共同幻想論』は世にでたのである。

 これらの問題意識は、一点から始まっている。それは戦争の「あの瞬間」からである。戦争体験、これが吉本を詩人にし、かつまた国家を問い続けることを強いたのである。

 たとえば戦争中、少年吉本は、自分の全てを動員して今回の戦争とは何かを考えつづけていた。結論は出た、今回の戦争は正しいものであり、自分はそのために死ぬべきであると思った。

だが敗戦のあの日以来、世間はガラリと変わってしまう。戦争は誤りであり悪であり間違っていたというのだ。だとすれば、あの時自分の全てを賭けて出した結論は不正解だったことになる。どれだけ真剣に真面目に出した結論であっても、人間は間違う可能性があるのだ。

 8月15日を境に、世間の価値観は百八十度転換した。にもかかわらず、人びとは何事もなかったかのように生きているではないか。戦後に配給された価値観になんら疑いをもたず飛びつき生きている。この事実を吉本は理解できなかった。昨日まで骨の髄まで正しいと思っていたことが崩壊する。なのに、人はなぜ傷つかないのか、つまずかないのか。

 激しい人間不信が、吉本を襲ってきた。社会全体は嘘で塗り固められている。しかも自分もまた、いくら真剣に考えてもその嘘にだまされてしまう。私たちはなんとつまらない存在なのだ−だから吉本は、人間を生への根源的違和感を抱えたもの、こう定義した。もっと分かりやすく言おう、つまずいて生きている不器用な人間にとって、人生は、吐き気を感じるような面倒くさい営みなのだ。

 だから吉本は詩を書いた。言葉を紡ぐことで、どうにかして世間に流されないようにしたかった。戦後民主主義はもちろん、政治的な自由を絶叫するスターリン的マルクス主義も、私は絶対に信じない。なぜなら彼らは、繊細な個人の心を全て政治運動にささげよ、こう言ってくるからだ。

なぜ彼らはそんなに政治が好きなのか。スローガンに流されるのか。言葉が政治に敗れていることに気づかないのか。

 ある日、吹く風に顔を上げ春の到来を知り、生きようと思う。そんな感受性を棄(す)ててまで、政治活動にささげる自由を私は信じない−「元個人(げんこじん)とは私なりの言い方なんですが、個人の生き方の本質、本性という意味。社会的にどうかとか政治的な立場など一切関係ない。生まれや育ちの全部から得た自分の総合的な考え方を、自分にとって本当だとする以外にない」(『「反原発」異論』)。

 この感受性に注目すべきだ。

 小林秀雄と江藤淳さらには福田恆存(つねあり)、そう、わが国で批評家になるための必要条件は、この繊細で弾力ある感性の系譜にあった。政治的な左右は、批評家にとって重要ではない。批評家になったつもりで一家をなせば、そこにまた他者との比較、批判、排除がおきている。党派をなして、人を罵(ののし)る。これはもう立派な政治ではないか。

 感性とは不断の自己点検、自分が政治的になることへの警戒である。晩年まで主張した吉本の反原発批判も、こうした感性から読まれるべきなのである

■知るための3冊

 ▼『共同幻想論』(角川ソフィア文庫) 刊行当時、熱狂的な支持をもって迎えられたこの書は、一方で難解であることでも知られる。吉本が「詩人」として出発したことを念頭に序文を精読すれば、この書の問題意識が見えてくるはずだ。

 ▼『吉本隆明初期詩集』(講談社文芸文庫) 吉本が詩人として出発したことは、くれぐれも忘れてはならない。「エリアンの手記と詩」「固有時との対話」「転位のための十篇」など初期吉本を語るうえで欠かせない詩を全て収める。

 ▼『「反原発」異論』(論創社) 東日本大震災以前から、吉本は一貫して反核運動に批判的な立場をとり物議をかもした。本書は震災直後からのインタビュー記事などを含む、最晩年の遺著的著作。



【プロフィル】先崎彰容

 せんざき・あきなか 昭和50年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』など。
http://www.sankei.com/life/news/150205/lif1502050018-n1.html




菊谷倫彦『無名なものの詩と革命〜孫世代からみた吉本隆明』菊谷文庫 2015年3月16日刊





吉本さんの思想を客観的に見なければという思いの一方で、実際に人柄に接したことは私の吉本観を磨く大きな経験でした。どんなにすぐれた思想も、その人の人柄が信頼できないと値打ちがない、と思い知らされたのです。



『無名なものの詩(うた)と革命〜孫世代からみた吉本隆明』(菊谷文庫刊)刊行記念





ジュンク堂書店 池袋本店
開催日時:2015年03月19日(木)19:30 〜

あたらしい時代の吉本隆明の読み方とは。

高橋順一(早稲田大学教授・比較思想史)
宇田亮一(『吉本隆明『共同幻想論』の読み方』著者)
菊谷倫彦(菊谷文庫代表・『無名なものの詩(うた)と革命』著者)

映像(You Tube)
https://www.youtube.com/watch?v=V_gZlp8NFSY


3月に菊谷文庫から、『無名なものの詩(うた)と革命〜孫世代からみた吉本隆明』(菊谷倫彦著)が発売となります。また、菊谷文庫が編集した宇田亮一さんの『吉本隆明 “心”から読み解く思想』(彩流社刊)、『吉本隆明『共同幻想論』の読み方』(菊谷文庫刊)も発売されています。あたらしい時代の吉本隆明論が生まれつつあるこの機会に、吉本隆明の可能性やその思想をどう引き継ぐかについて、じっくりとお話ししたいと思います。

【講師紹介】
高橋順一(たかはし・じゅんいち) 
1950年宮城県生まれ。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は比較思想史。ドイツを中心としたヨーロッパ思想、日本思想にも精通している。著書に『吉本隆明と共同幻想』(社会評論社)、『吉本隆明と親鸞』(社会評論社)、『市民社会の弁証法』(弘文堂)、『ヴァルター・ベンヤミン読解―希望なき時代の希望の根源』(社会評論社)など多数。

宇田亮一(うだ・りょういち) 
1952年兵庫県生まれ。立教大学心理教育相談所研究員・心理臨床ネットワーク アモルフ代表。会社員を経て臨床心理士になった経歴をもつ。著書に『吉本隆明『心的現象論』の読み方』(文芸社)、『吉本隆明『共同幻想論』の読み方』(菊谷文庫)、『吉本隆明 “心”から読み解く思想』(彩流社)。

菊谷倫彦(きくや・ともひこ) 
1978年秋田県生まれ。菊谷文庫代表。思潮社、NTT出版で編集者として働いたのち独立し、菊谷文庫を設立。大学院時代に吉本隆明論で修士論文を書き、編集者として最晩年の吉本を担当した経験をもつ。著書に『無名なものの詩(うた)と革命〜孫世代からみた吉本隆明』(菊谷文庫刊)。
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=8235

memo
・待望のジュンク堂の映像がアップされていたので転載した。
・三木成夫と出会った吉本隆明、それ以後の吉本を身体の構造とからませて、<こころ>を論じる新しい吉本論がここにはあるかもしれませんね・・・。




●「吉本隆明の読み方」1:37:04【山本哲士公式チャンネル】 2015/06/20


https://www.youtube.com/watch?v=YfKqBqw-3Ms


「吉本思想から出立すること 」『吉本隆明〈未収録〉講演集6・月報6』筑摩書房2015.5から




吉本思想から意味されたものだけをとりだすと、おおきな過ちに陥る。吉本主義になってはならないと自戒してきた根拠である。

対象は、意味されたところにはない、分裂された主体を生産しても不毛である。吉本さんほど、根源的な問いを世界線でなげかけている思想家はない。語りを鵜呑みにして答えをいただくことではない、新たな思考を出立させる場所があるのだ。新たな言説生産が可能となる条件が多々そこにはある。

近代西欧思考とは、主客分離(人間主義と科学主義への分離)、主語・主体性、社会空間化、そして自己化である。それに比して、日本思考は、主客非分離、述語制、場所、非自己の哲学原理である。まったく相反する思考原理であり、かつ(文化)技術である。道具の成り立ちや使い方が、まったく異なる、そこに働いている原理である、芸術表現も、「神」「霊=もの」も異なる、そこに働いている原理である。

吉本の論理から、西欧思考がなしえない新たな理論生産が可能である。


お知らせ
『吉本隆明全集』の推薦人でもあり、全集をサポートしてくださっている山本哲士のコミュニティが数年来、管理人不在で機能していませんでした。このたび、わたしは3年間在籍?とかいう資格が満たされ、とりあえず管理人になることができたのでようやく動き出しているようです。現在は・・・メンバー13人・・・開店休業状態です。 2015.8.25


ブログ吉本隆明 unimall
吉本隆明思想の全貌を解く思考散策unimallの場所です。本質論を軸に、現在=前古代の位相が解き明かされます。本格的に吉本隆明を論じます。
http://ehescbook.com/yoshimoto/index.html
[山本哲士のパブリックブログ講義] web place university



吉本隆明さんの墓前に 2015.09.30 Wednesday 13:52
http://webplaceuni.jugem.jp/?day=20150930 .


7月末日、吉本宅へおじゃまし、完成させた『思想の機軸とわが軌跡』『思想を読む 世界を読む』を墓前におとどけした。
晶文社の太田社長とスタッフもいっしょに、多子さんの料理を味わいながら歓談。
吉本さんもよろこんでいると、墓前の写真をみながら、ほろ酔いの晶文社の松木さん、2書の販売ルートも開いてくださっている。
全集をだしつづける、晶文社と仲良くなって、多子さんも安心しておられるようだった。
わたしの仕事を、ずっと容認してくださっているのは、嬉しいかぎりだ。
横超忌で語ったことを太田さんが起こし、それが晶文社の吉本全集のホームページに掲載されている。

生前は、おこがましいとなるべく身をさげて、吉本思想を普遍思想・普遍理論へとひきだす回路をさぐり開示しつづけた。
今回、対談集として1冊にまとめることを多子さんから承諾いただき、1年以上かかってしまったが、まとめながら、25年間もずっとおつきあいさせていただいていたのだと再実感。
三交社がデータを提供くださったので、作業は助かったが、さすが35本もの量、いささかくたびれた。

吉本宅へお邪魔したのは、何十回にもなるが、いろいろな思いでがある。
わたしの処女作(1979年)に本気でとりくんでくださったのは、吉本さんであった、一番深く読みこんでくださった。
以来、自分の自己形成は、吉本さんとのおつきあいとずっと並走していたのかと、あらためて確認。
自分が、世界の現代思想・現代理論をぶれずに読みこんでこれたのも、吉本思想を規準にして対応してきたからだ。
その延長上で、「哲学する日本」のわたし自身の固有理論生産が可能になっている、それはわたしからの世界線をふまえての、<日本>を媒介にしての普遍理論の開示である。
吉本思想を了解できていないかぎり、わたしの理論は了解域へいたらない、わかられないはずだと自覚した作業でもあった。

わたしからみて、まだ吉本個人思想の理解水準からでていないものばかり、普遍思想にとりくんでいた総体閾を理解している人がいるように思えない、非常に了解が遅れているが、これからなのだろう。
学生時代、吉本勉強会を後輩たちと合宿で何回もレジュメにしながら徹底して読んだものだが、そのとき文学論は自己へ領有しきって身体化してしまった、そこから政治思想を外在的に読んだ。直接対話は、すべて本質論の視座からなしている。40年以上、徹底して吉本言説を読んできた自分であるが、直接に接し得てきたのは、ほんとにありがたいかぎりであった。
ひどいのは、吉本さんには直感があるだけで理論がないなどという学校化=大学化された知性からの無知な見解だ、述語論理の高度さがなにもわかられていない。
世界思想の水準で、欧米の主語言語論理からのものに比して、述語言語論理を徹したのは吉本思想である、これは世界最高峰の思考である。それを客観化しえていない日本だ(筑摩からの講演集の月報に簡単なエッセイを書いた)。
全集刊行が8年ぐらいかかるという、そこからだと思うが、その過程でこちらはすべきことはしていかねばならない。
とりあえず、「共同幻想論を読む」を書き始めている、自分でわかってしまっているため、明示していなかったことがこんなにもあるのかと自分にあきれているが、国家共同幻想は隠喩的、商品幻想や学校幻想、社会幻想などは換喩的なもので、幻想シニフィアンを設定していかないと、この書は読み得たことにならない、共同幻想は国家論ではないということをまにうけていてはだめなのだ、「国家共同幻想論」は家族幻想論と主体個人幻想論とともに明示していかねばならない。意味にはシニフィアンの痕跡は消されているのである。そして、意味作用=シニフィカシオンは多元的に開かれる。シニフィエは答えではない。吉本思想に答えなどはない、あまりに正鵠な探究指針がはっきりとある。

(つづく)
(227)から
的現象論の読解セミナーも、10月で終了する。ほぼ毎月、4年間やってきたのだが、それでも、まだまだだが、ある閾はみえた。
その理論編制ーー了解水準・了解様式・了解諸相・了解変容ーーを、「述語制の日本論」として日本語論として自分はまとめあげているのだが、心的現象論は、別様の言語理論だ、病論・異常論ではない、ラカンとつきあわせがその次に残っているが、だいたいの対応はつかみえている。論述が残っているにすぎないのだが、論述がねじれるためやっかいだ。
対象にしたものの考察と、思想そのものが意味するものとは違う。
共同幻想論は「国つ神論」としてすでに批判開示し、場所共同幻想の閾を示した。
言語美は文芸批評理論とつきあわせてまとめあげていかねばならないが、これが観念論の地盤になる。
3つの本質論は、相互変容している。

吉本思想がひらいた言説水準から、すべてがはじまるのに、だれもまだなしていない。
山のようなフーコー論、それに比して日本の吉本考察は貧困すぎる、意味されたシニフィエ閾でしか理解していないためだ。意味するもの*シニフィアンを生産するのが、固有思想の普遍化になっている、それをふまえて、新たな言説生産をなしていかねばならない。意味されたものの解釈しかしない大学人の言説は、ほんとに無効である。
普遍思想を創造した思想家は孤立する、普遍をめざせばめざすほど孤絶していくのは、見えない意味するものをつかみとって、既存の言説を超えてしまうからだ。マルクスしかり、フロイトしかり、フーコーしかり、ラカンしかり、そして吉本思想である。普遍理論は、これらの理論次元の総体化から、理論言説を創出して、痕跡から消されたシニフィアンを顕在化させていくことでなされる。わたしの普遍理論化も孤立していく、必然である。

普遍思想と普遍理論との交叉を表明したのが、今回まとめた2書である。




(228)から訂正

的現象論の読解セミナー→心的現象論の読解セミナー

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