ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

レヴィナス論考(無限の中心)コミュの自己確定病(有限の中心)でしかない仏教言説 その1

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
仏教言説とは、「自己確定病」でしかない。

どういう意味かというと、

「自分は、ついにある境地に至った」
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  
「この境地には〇〇は不要だ」
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
「だから〇〇を自分の人生から排除しよう」

これを仏教的な言説に当て嵌めていくと、

「自分は言葉が無意味だとわかった」
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  
「この境地には言葉は不要だ」
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
「だから言葉を自分の人生から排除しよう」

以上のような意識(思考)の流れを「自己確定病」と呼ぶ、ということである。

この病気の怖ろしいところは、自分が言葉を無意味だと悟ったから周りの者もそう悟るべきだと勝手に思い込み、ますます社会的に孤立してしまうというところにある。

重要なことは、自分が何を悟ったかではなくて、周りの者たちが何を悟っていないかを知り、そのための言葉を選ぶことのはずなのである。
仏教言説には、驚くべきことにそういう処方箋が存在していない。
むしろ、そうすることを俗化などと言って蔑むのである。
それは仏教者との対話によって私自身が実感したことだった。
禅宗の印可を受けたという人間ですらそうだったのである……。

仏教言説の「自己確定病」は、古代インドのような人間が簡単に社会から離脱できる環境においては一定の意味を有した。
広大な自然とガンジス川の恵みとが個人を生かしてくれたであろうから。
しかし、現代の日本で、この考え方が存在すること自体、非常に危険であると言わざるを得ないのである。
理由は言うまでもないだろう。
この狭い日本で、誰もホームレス(乞食)になることなど望んでいないし、どこを探してもガンジス川など無いからだ!!

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

レヴィナス論考(無限の中心) 更新情報

人気コミュニティランキング