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真・精神世界コミュの開放への道のり 身体不快ダイブ

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         『 からだが悟り 』
伝承や妄想から成る様々な設定ミスを修正してゆくトピックです

コメント(16)

  霊性とは何か

霊性という言葉
クレクレ信仰、スピリチュアルなど
そのような分野に興味を持ち、脳内で物語的価値観を作り上げてみたり
その手の知識概念が先行化した状態など「霊性」というカテゴリーで呼んでますね

が、それは霊的思考などではなく単純に首上という肉体的妄想の産物でありまして
トータル身体神経空間の位相から眺めると首上にバランスの悪い圧が発生している
状態であり全体の電子流動性に対しても欠けや停滞が生じやすくなります

「身体をトータルに流れる電子性がそのまま霊性」であり
身体神経空間は手先足先から頭頂まで均一な電子流動性が求められ
トータルな電子配分が為されるほどに精神や存在の安定につながります

ある一定レベルまで均一化されると開放とも言える大きめの化学変化が現れることも
あり(それもまた無限のプロセスの一部)、そこで様々な気づきが現れると同時に
巷の宗教スピのインチキ性にスポットを当てざるを得なくなるのであります

脳圧優先となってしまった位相、それが真実であり進むべき道と設定した場合に
心身にとって不健全な状態を維持発展させる事になり
開放というベクトルに向かうなら最も避けるべき位相となります

そういう意味で「そっち方面に興味のない普通の人のほうが霊性が高い」
これが正解だったりします
なぜなら外側に幻を求め脳圧に頼る必要が無いほどのトータルな電子流動性
(つまり霊性)を獲得してる状態であるからと言えます

奇妙な概念を利用して「自分は特別だ」などと質の悪い脳内麻薬を終始出すような
霊性の壊れた状態は避けてゆきましょう
普通のおっさん、おばさんで十分なのであります
   想いの発生源

様々な想いが出てきて止まらない、特にネガティブな想いが...
と、誰もが経験している事と思います

では想いは一体どこから生まれるのか?
想いが生まれる原因が果たしてあるのか?

まず「身体不快」ですね
「身体の不快に対する無意識の抵抗」
これが想いを無理やり発生させているんですね

血流の停滞、神経空間の劣化的損傷などの歪みは様々な部位に点在しており
それが自律神経の働きにより「警告すべき身体不快」として脳に電気信号を送ります
電気信号として送信され続けるんですね、まあ言えば不快因子の無間地獄です

その過酷な信号受信をぶった切る為にはどうすれば良いか
体内の下から突き上げる不快信号を阻止するために脳圧上げて、つまり想いを使って
不快信号を麻痺させるんですね、首から下に蓋をする状態とも言えます
そのような精神作業を延々と繰り返しているわけです

で、見性の部分に入ってゆくには、首下トータルの信号をぶった切ってはならないのです
想いを使って首上で信号麻痺させたところで不快の原資は消えてませんからね
渾身の勇気をふるって身体不快の中にダイブしてゆきましょう
個人的には、百利あって一害無し。。そんな位相だと理解してます

想念変換で幸せになれると思っていたら完全な設定ミスでありまして
潜在的位相、肉体でありトータルな神経空間に手が入ってこそ有効なものとなります
勘違いしやすいのは脳内麻薬と言われる部位が文字通り脳にあり
想いを発生させる部位とも重複するために、想いや知識を使うことで質の悪い脳内麻薬の
垂れ流しにならないよう注意したいものです

宗教やスピを使った威光借り中二病などはその脳内麻薬の質の悪さもさることながら
破滅の因子となる強毒性を持っており霊性の低さを象徴するものとなります
   トータル化とは

体内全ての神経空間に於いて電子圧が均一化された状態
この状態をトータル化と呼んでいます

手先足先から頭頂、圧が全て均一化された位相
そのような状態になりますと一気に化学変化が起きますね

化学変化はその都度異なるものでありますが
大気との一体感、体内がプラネタリウム状態、自分という他人に電磁エナジーを
注入する様子が現れる、などなど様々な位相が現出してきます  がしかし、

神経空間の構造は人それぞれですので
聞きかじりの位相が現れることは一切ありません
またそのような体験を目的に身体不快ダイブをしているわけではなく
悟ったらこんな感じになるだろうという想定も一切効かない世界です
悟り自体存在しないですし「想定外の位相が現れる事が見性」です
またそれが多くの気づきにつながります

秒間位相で現れる自我は、主にコンマ2秒前の状態観察とそのデータ蓄積に使います
頭に気が集中(想念観念の世界に入る)すると元の木阿弥となります

宗教、ワンネス理論、花畑思考で解決できるものは一つもないわけですが
そのような首上世界はトータル化を妨げるものとして成立してます
首上概念で昇華できるものは全く無いのが現実であり
有効な見性からも遠ざかってゆきます

トータルと言うくらいですから、身体の末端(手先足先)がかなり重要です
身体軸から手先足先まで意識が行き渡ることで全体の流動性が増し
電導神経空間という自己の存在の核心に近づくことにもなります
また、より自由度の高い状態にもなります
脳から最も遠い部分へ意識透過の癖をつける事で、そのようなトータル化を促します
  存在そのものになる

己の存在そのもの
これは「身体神経空間」の事なんですね

構造、色合い。。それは人の数だけ存在し
その神経空間が美しかろうがガラクタだろうが、
体感認識ができるほどまでに体と意識が精妙化してゆけば
達成できるものかもしれません

流れを支えてゆくのは、自律神経が与える身体不快信号
伝達される不快情報は神経空間の欠けや劣化的歪みを現すものであり
生存を維持するために最小限必要な動きや空間修復性を促す信号です

受信信号が昇華され整うほどに開放の扉が開いてゆくわけでありますが
となりますと、何らかの霊的知識や概念は必要か? と言いますと
それただの騒音でありまして全く不要なものとなります

今までどれほどの設定ミスを犯してきたか
という事に気付くことも重要かもしれませんね
   身体のどこに強い不快を感じるか

自律神経は霊そのものである電気信号を整える働きがあり
その通路をスムーズに持ってゆくために脳に不快信号を提示してゆきます
部位を特定する為の信号をいつでもどこでも送っています

一般的に
「明るく楽しく生きてゆきたいので身体不快没入なんて絶対無理!」
「心と体は別なので体の事などどうでも良い!」
という事になるでしょうが、それは停滞不足感から生じる発想でありまして、
身体不快に対する無意識の抵抗が無駄な想いや願望を発生させている状態です

身体不快にも無限の位相が存在し、大きめの身体不快や微弱な身体不快など
点、線、面、空間で感じとることが可能であり、それは忌むべきものではなく
自律神経が発する神経空間を整える為の電気信号であります
それを深く認識できるほどに霊的性質(電導効率)がスムーズなものとなり
存在の根源に触れてゆくものとなります
「あるがまま不快」という言葉を発明した人がおられましたが
霊的高みにあってこその感覚となります

じつはその感覚を極めるほどに「明るく楽しく生きられる」という奇妙な結果を生み
首から下トータル空間が整うことで「想い」も自然に整うことになります
個人的には身体不快ダイブ、それしかやることなかったりします

宗教や既存のスピで救われることがあるのか? と問われたら
「無いです」と言うしかないですね
それらは願望や不足感を増幅させ、神経空間のトータル性から言えば
脳圧型の苦しみを抱えることになります

自律神経の働きは霊そのものの働きでもありまして
修復すべき神経空間の欠けや劣化を不快信号として送るものであり
それを捉えること、ある意味では究極の他力行であり開放行となり得ます
体を感じる能力が上がるほどに霊性も鍛えられてゆきます
2500年前のあの方の肉体行なども「有効な身体不快ダイブを極めた形」
と推察します

一般的クレクレなんてのは他力行でもなんでもなく脳圧的自力の世界ですね
不足感や分離性を増幅させるだけのものです
むしろそれは「設定ミスから成る肉体性」と呼んで良いでしょう
   心と体は別物と言うより

全く同態でありまして、思考発想はトータル身体神経空間を源泉としており
体内神経線維の複雑で宇宙的な絡みの中で「念」として成立してゆきます

人の想いは人の神経空間そのものでして
体が先か、心が先かと申しますと、全くの「体が先」となります

不快因子だらけのボディには関わりたくない、そして
ボディはコントロールの効かないものだと結論付けてしまいますと
その感覚を無視し続ける事で分離的脳圧世界として鬱的体質を招きやすくなります
また停滞というものを長らく持続させてしまう事でしょう

「想いで全ては解決できる」これは何も解決されてない状態での発想であり
分離の形でありまして、ボディを無視したとしても思念に偏りが生じるだけの話
でありまして宗教や既存のスピリチュアルの知識を得て悟ったつもりになったり
それによる選民思想、中二病という想念的宇宙犯罪を犯したり、ネクラほどネアカ
を気取ったりと、共振すべきではない無駄骨の輩と化す可能性は高くなります

ボディに意識が浸透することで、調和的体質、明るさに拘らない明るさなど
様々な良的変容を遂げてゆくわけでありますが
その初動状態で身体不快という洗礼を受けることになるんですね
身体不快ダイブと言いますとあたかも肉体に負けたような響きになりますが
実際には意識が肉体を制覇してゆくプロセスになります

また私含め、誰もがやっている「無意識に身体不快を避ける精神作業」
これは脳圧、つまり想念世界に戻るためのもので一向に埒の開かない位相となります
  1秒間にいくつ?の世界を旅する?

1秒の間にいくつの事を考えるか
自己観察を進める上で、自分の中では「4〜5つ」くらい。。
そんな感覚を持ってまして
たった1秒の中に思ったこともすぐ忘れてしまうくらい
無意識の想念など含め常に多様な想いを出しているわけです

想念が展開されている間は約0.2秒ごとに想いの位相が変遷し
その苦悩的流れから脱却する最大の方法として
「体を感じる」こと..
五感の中でも「触覚」の中に入る
これが想念モードから離れる有効な方法です
それつまり自我を希釈する方法となります

1秒の中に体感コンマ2秒をぶちこんでゆく
体を感じる度に自我は一旦リセットされてゆきます、つまり一旦分解されます
一瞬の体感を繰り返すことで、自我は分解と蘇生を繰り返します

そして体感時間を連続延長させてゆく
自我の対局は空ではなく身体神経空間ですので、そこに向かう癖をつけてゆく
連続延長と言いましても自我は分解リセットを嫌いますから
ある意味、勇気の要る作業となるんですね

体を感じている時間帯は自我の効力から離れた位相となります
ただ、体と言いましても想いの発信元である頭(脳)はNGです
飽くまでも首から下のトータル神経空間です

体を感じることから始まり
今まで逃げ続けていた体の不快因子まで感じるようになると
自己の潜在的位相に触れ、尚且つ自動的に潜在位相の調整にまで辿り着きます
体を感じる能力が上がるほど霊的性質が優位となってゆきます
そして存在することがラクになってゆきます

神経空間は個の持ち物というより、、
そのまま「自然現象であり普遍的宇宙」となり得ます

消滅を恐れる自我が発する緊張感、それと共にある静寂
想定したことの無い位相、というか想定できなかった位相が出現します
それが見性のプロセスであると理解してます

見性を得たらこういう感じあんな感じになるのかな? 
という想定は全く通用せず、想定は知識の集積による自我で出来上がっており
自我の分解時に現れる位相は当然ながら全く想定外のものとなります

プロセスを経て明鏡止水のような心境に入ったりもしますが
それ、何の価値もなかったりします
心境にこだわりすぎると引き戻しで、まずグチャります
到達点というものは存在しないので常に身体不快ダイブでよろしいのであります

気がつけば数年前と比べ物にならない安定の高みにあったりするわけです
    気持ちよくなったら、それで終了なのか

身体不快ダイブのプロセスに於いて、一つの難儀なハードルを超えた際に
恐ろしく安定した気持ちよさが現れたとしましょう

じつはそこに何の価値もないのですね、脳内麻薬を食い尽くしてるだけ
と言いますか、そこから生み出すものは何も無いのです

不快ダイブのプロセス途上に真の価値があります
このプロセスに「全ての価値と気づき」が凝縮されております

少なくてもハードル超えが終わった後ではないのです
途上に最大の価値があります

また一つのテーマが終了すれば、更に新しいテーマは準備されてます
今まで以上に気付きにくい空間テーマが待ち受けてます
私はすぐに取り掛かるタイプですけど、それにいつ取り組むか?
という事もあります 
気持ち良さや解放感を維持させようとするとそれが脳圧化し停滞につながります
    ささやかな孤独感は貴重

人と関わる
リアルな友人が居ないとか、やれ既読無視に儚さを感じるとか色々ありますね
そこで感じているのは孤独感だと思いますが、その「孤独感」の話になります

孤独を感じたらすぐに想念転換したり神に祈って孤独を紛らわせる
別の事を考えて解消したつもりになる、そのような首上型の癖がついてしまう
それがスピ宗教の世界観でもありまして、じつは堂々巡りを誘発させるだけ
と言いますか、そのような癖に気付くことは重要かもしれません

孤独という感情は脳内で発生している状態でありますが
私自身が不思議に思うのはその孤独感にこちらから能動的に浸かろうとすると
かなりのスピードで意識の重心が落ちてゆくんですね
つまり孤独感はトータル化を促す貴重な起点になるということです

孤独を感じたらその感情に飛び込んでゆく、それに抵抗しない試み
座ってる時、歩いてる時いつでも試してみて良いと感じます

私はそれで素敵な瞑想状態になることが多いですね
ちなみに私はそれなりに友人はおります

身体不快でも感情の不快でも、それは忌むべきものではなく
一見ネガティブに感じるものほど自ら飛び込んでみる
それら開放へのベクトルとなり得ると理解してます
  ありがとう

天や神に向かって「ありがとう」と
なんだか未来的取引を狙った想念行為、それが流行った時期もありましたね

そのような脳圧的位相は何の効果もなく、むしろ停滞を発生させる
脳圧を美化する自我の働きによるものです

現実世界の人に向かっていつでも「ありがとう」と言える
それが取引を離れた最も価値のある「ありがとう」なんですね

自分は人より優れているから人にそんな事は言わない
あるいは言えない、なんて人
宗教やスピの知識をつけた人に限ってそのような脳圧的中二病やってたり…
神にへこへこ、人に対して上から目線、普通に壊れた姿です

コンビニの店員さんに「ありがとう」と言えるくらいにはなりましょう
んま私が完璧にやってるわけではないですけどね
   薬指の秘密

両腕の先端である指、その中でも「薬指」

ある日、指先1本ずつ意識をかけていると
「薬指」の先に意識が透過した際、自我に軽い恐れが発生したことがありまして
自我(頭・感情)にとっての恐れが発生するという事はその部位が現時点に於ける
開放のキーになることは知ってますので
それ以降、明けても暮れても指先しかも薬指を主体とした意識透過を続けています

神経空間の構造は人の指紋のようにそれぞれ異なったもので
このやり方が正しいということはないのですが、少なくても私には薬指を主体にした
意識拡大、それが有効なものとなっております

薬指への意識透過により耳のあたりから首の付け根、そして肩から腕先まで一気に
気の流動性が起こり、まあなにもかも身体不快ダイブの世界ではありますが
余計な思念も減ってゆく感じです

薬指って5本の指の中で最も気が弱く、強化が必要ということでもありましょう
意識透過を続けて半年経ちましたが4ヵ月めくらいから大気との一体感など含め
様々な化学変化が起きてます

ただ原則は薬指に限らず全ての部位
神経空間全体のダイブでトータル化を狙うものとなります
    想いの世界から脱却する

想いの対局となるものは空(く〜)であるとイメージされがちですが
想いの対局となるものは身体神経空間です
想念(自我)の状態からそれ以外の状態を望むなら自己の神経空間の認識となります

空という言葉は脳圧的言語であり、首上完結型のやらしい使い方がされてます
「いまここ、ただ在る、真我、ワンネス」などなど
まあ停滞的求道者がヘタなマウントを取る為に使用するパターンがほとんどでして
それにより発信者もギャラリーも多くの設定ミスを誘発することでしょう

神経空間は自然の造形物でありまして、外部から完全独立したものではなく
外の電子情報を取り入れながら揺らぎ変化してゆくものであり
その認識は大自然への普遍性へと連なるものでもあります

ただ頭に圧かかったら終了ですからね
眉間のチャクラとか言ってる人、かなり危ないです
首から下のトータル神経空間が整えば頭は自然に整ってゆくものです
  己の存在は自然現象の一部

以前に述べた「薬指の秘密」
明けても暮れても手の平の「薬指に意識を透過」し続ける
それにより耳から首、肩、ヒジ、手首、薬指の血流含めた気の流れ
つまり電子流動性が一気に増し身体と外空間の垣根が次第に取り払われてゆく

そのような流れの中で何度も感じるのは

自分という存在は自然現象のひとつ
雲や星々のように、草木のように揺らぐ自然現象
そんな位相に触れている感じです
   スピリチュアルに於けるニセモノの簡単な見分け方

偽物といいますか、適当なこと言って信者とか金を集めるのが目的といいますか
それとも単に特別な人だと思われ自我を満足させたいのか
そのような輩のとても簡単な見分け方を紹介します

ずばり「真我」という言葉ですね
それが使用された時点でアウトです
そのような脳圧言語で人をたぶらかす

私に言わせるとそれ単に「自律神経の機能」そのものだったりしますので。。
となると、ほとんどのスピリーダーは似非なのか?
まあスピリチュアル自体がそんなものなので...

「悟り」という言葉も使い方によっては同様です、いまここ、ワンネスも然り
事実はどうあれ停滞的求道者が他者にマウントを取るのを目的とした似非物語です
脳圧言語のオンパレードで飾る発信者はそのままニセモノと言って良いでしょう
そのような観念に本気で乗っかってしまうと重心上がりきって神経空間を壊してゆく
スピヲタ自壊パターンを結構見てきてます
  悟りとは自律神経が整いきること

悟りという言葉はなるべく使いたくないのですが、便宜上使わせていただきます
「からだが悟り」なんです、もっと言えば「神経空間が悟り」です
その神経空間を司るのが「自律神経」です

霊性や霊格といったものも自律神経がどこまで整っているか?
それだけの事でありまして、信仰してるから、悟りに関する脳圧的知識を沢山
持っているから、前世や霊に興味あるから,,,
などには全く関係なく自律神経とその神経空間がどれだけ美しく
機能しているかに関わってきます

宗教や悟りの脳圧概念をバックにつけて偉そうな事ばかり言ってる人が失調症という
ケースはじつに多いのですね
むしろ霊性霊格が壊れてゆく姿と見ても良いでしょう
まあ己は求道者だと自分を定義するのなら自律神経一本で良いのです

一日中PCの前に座ってばかりいないで祈ってばかりいないで
知ったかぶりや中二病もやめて、クレクレも当然やめて
体には適度な刺激を与え、身体不快という自律神経の修復サインを見逃すことなく
日々現実的に過ごすことで何かが変わってゆくでしょう

自律神経と言われると夢のない話に聞こえますが、じつはそれしかなかったりします
思いも行動も神経空間という身体宇宙の中から生まれてきます
私が人より優れた自律神経機能を持っているわけではなく、そのメンテ上に於いて
様々な気づきを得ているというところです
では何故、信仰や既存のスピリチュアルを卒業したほうが良いのか
それらはトータル神経空間から眺めると、脳圧を上げる為の自我であり願望であり
脳圧過多によるアンバランスな神経空間を次第に作り上げてゆくからです
脳圧過多は失調症への序曲となってゆきます
特にプラス思考系のものほど重心が脳に上がります、むしろ有毒です
また外に真実を求めることで己に対する不足感から逃れることはできない価値感を
所有することにもなるでしょう

手先足先まで含めた神経空間はバランスのとれた圧配分が理想でありまして
圧配分がトータル均一化された状態
それは自律神経が高レベルで機能している状態であり体内で様々な良的化学変化
を起こすきっかけにもなります
身体不快を追うことで霊性そのものである自律神経が整い始めます
ただただメンテを繰り返す、明けても暮れても自己メンテすれば良いです
自分の外側には自分の期待するものなど存在しないと理解することです

悟りや天国を求めながら絶対悟れない方法、非天国への道を取り入れている既存の
世界観、勘違いした誰かが常にそのようなものを発信しているのも事実ですね
悟りや天国とは「自分のからだ」の事なのであります

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