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西郷どん 2018年NHK大河ドラマコミュの歴史トピ(ネタバレ有り 西郷どんコミュトピック)

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コミュ内全体

歴史トピです。
史実関連の投稿をお願いします。

※先入観なしでドラマを観たい方はネタバレ情報にご注意ください。

例↓↓ 真田丸 歴史トピ Part-2
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▽▼関連コミュ▼▽
↓路線図が好き
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↓記憶を巡る冒険
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↓真田丸
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コメント(115)

>>[67]

西大后は、近代化や外国との折衝とか重要な役割をはたしてますよ。

本物の漢のいない国で、唯一の漢といわれた人だったから。

本当の西大后はイギリスのサッチャーのようなひとですよ。
>>[076]
意志の強い人は嫌われるみたいな感じですかね?
>>[77]

女性+異民族の長だったからでしょう
15話で、
吉之助か斉彬に京都進軍を提案しましたが、これは何%くらいの確率で史実と思われますか?
変な聞き方になってましたね。
何%とか分析不可能ですよね。

何割くらいの書物で、吉之助が斉彬に京都進軍を進言したようになってるか、なんとなく感覚がある方はいらっしゃいますか?
>>[79]

僕は全然ないと思ってる。

西郷は軍部の人間じゃないし。そこまでの地位にない。

京都まで兵動かすとなると、金がいる。金欠薩摩にはきつい
>>[81]
これに関する文献を何千と読んだ経験ないですが、どちらの路線もあまり書かれていないと思います。 
夢のある発想だと、
坂本龍馬や西郷隆盛は多くの人に大人物と言われているので、 記録に残らない大事業をたくさん成し遂げている筈。
夢のない発想だと、
勝てば官軍で、勝ち残った人にはいい話がこじつけられるため、色々な話が出ても眉唾モノの可能性がある。
という感じと思いますw
どんどん仲が悪くなる井伊直弼と徳川斉昭。
仲違いのおおもとは、斉昭の大好物だった、彦根の隠れた名産の「近江牛の味噌漬」を、彦根藩主の直弼が仏教思想に反すること(肉食)を理由に生産・販売を止めてしまったことと言われています。

安政の大獄を経て、最大の悲劇に至るのですが、今回の大河をきっかけに、水戸で滋賀県産の近江牛味噌漬を販売してほしいですねほっとした顔
長州、薩摩、土佐全て自藩の中で苦労してきたんですね泣き顔
若者のエネルギーに感心します┏○ペコッ
皆さん、本日5月4日は西郷どんの三弟 西郷従道さんのお誕生日です。 (1843年)(^-^)/
橋本左内も安政の大獄で処刑されるんですよね涙 吉田松陰とともに惜しい人をなくしましたよね
>>[87]
井伊直弼大老による反対派への弾圧はとても激しかったわけですね。
西郷どんにとっては【お由羅騒動】という経験があったかと思いますが、悪夢再びというところでしょうか。(ーー;)
西郷どんスペシャルを観ています。今回、鈴木亮平さんの渡辺謙さんと対談の時のこの涙でウルウルした表情にやられました!素も西郷?この顔は反則ですよね(//∇//)
>>[89]
『西郷どん』のお仕事はおふたりにとって、そして鈴木亮平さんにとって、とても大きなモノだったようですね。

チェストー!(^-^)/
歴史家 磯田道史氏の著作「素顔の西郷隆盛」をAmazonで購入、レビューに書いたものです。
以下。

著者は以下のように述べる。

斉彬の急死による厳しい尊攘派への追及の中、
失意の西郷は鹿児島の錦江湾で心中未遂を起こす。

相手は尊皇僧・月照。年は西郷より15歳上。
月照は西郷に対してこう話したともいわれる。

「あなたは仏の教えには浅いけれども。よく仏の理に従って行動している。
何を知らなくとも自然に仏の教えを行うことができるというのは、
生まれつき仏の心を持っているのでしょう。」

もともと西郷は、目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまうところがある。
たとえば犬と一緒にいて、犬がウナギを食べたいそぶりを見せると、自分も大好物なのに上げてしまう。

西南戦争での私学校や桐野利秋らの蹶起に対しても、
最初はやる気がないのに、じっと考えているうちに、
このままでは桐野たちが死んでしまうと思い、自分も憑依してしまう。

自他の区別がない、他人と境目がないばかりか、
犬と自分の区別さえもないところがあった。
だから、一緒にいるとやがて餅みたいに共感で膨れ上がり、一体化してしまう。

自分と他者を峻別するのが西洋人とするなら、
それとは違う日本的な心性を突き詰めたのが西郷であり、
だからこそ時代を超えた人気があるのだと思う。

西郷が命知らずになったのは、月照との入水事件が原因である。
本来ならこの入水で死んでいたはずで、
国事に奔走して命は捨てるべきである、
月照に嘘をついてしまった、
そういう思いがあったからであろう。

生涯をいわば、
自殺モラトリアムと言っていい心理状態で生き続けた西郷は、
これで説明できるように思う。

いわば、西南戦争まで非常に緩やかに進んでいく「緩慢な自殺」である。

入水事件の後、幕府から捕方がやってくる。
薩摩藩側は西郷は溺死した、月照の遺体を見せてもいい、と説明するが、
「死没の上は見分に及ばず」と言って捕方は引き上げていく。
ただ、死んだはずの西郷を鹿児島に置いておくとばれるので、
隠すために砂糖船に乗せて、菊池源吾という変名を使って、奄美大島に流すことにした。

(続く)
(〔91〕の続き)


著者は、西郷の維新革命思想を育んだ大きな要因は、この島暮らしにあると見ている。

もともと西郷は、ある種の人間の平等主義を思想の核として持っている人である。
その背景には、もともと薩摩の郷中教育なり『日新公いろは歌』を通して、
人間の良い悪いは身分ではなく心の良し悪しで決まるのだということを繰り返し教え込まれている。
それに加えて、彼自身がそういう平等思想に敏感に反応する資質があった。

本土から島に行くと、風俗習慣が全く違う。
例えば普通の民は真鍮や鉄の笄(こうがい)を挿していて、村長だけが銀の笄を挿している。
女子には入れ墨の習慣が残っているなど、縄文時代のような風習があった。
そして何より驚いたのが、ヒザという制度だった。

ヒザとは要するに当時の奴隷のことで、金持ちの家にはあまたの奴婢がいた。
ヒザとは膝元で育てた下にいる者という蔑称で、一生涯主家の下で使われ、
雇用契約の自由がない。
つまり家の財産であり、ヒザが生んだ子供は家の持ち物になるなど、
完全に従属しているわけである。

西郷はヒザの解放を進めていき、ついには普通の雇い人にしたという。
西郷がやった最初の社会改革は島の奴隷を解放したことで、
島の人々は長くそのことを語り合い、西郷の徳を慕っていたそうである。

西郷の「征韓論」を、著者は、「遣韓論」とする。

当時の朝鮮の一般民衆の暮らしは、日本と比べても非常に悲惨なものであった。

遣韓論者の西郷の主張は、
「韓国は現在日本との国交を拒否して、西洋化した日本などと付き合う気はないと言っている。
自分が韓国にお使いをして、韓国で実力を持っている大院君と合って話をつけてくる」
ということだった。
日韓の国交を開いて南下するロシアの脅威に共同で対処してもらわないと困る、
それを言いに行こうということだった。

西郷にとって朝鮮問題とは実際にはロシア問題であり、
実際ロシアは南下どころか朝鮮の宮廷に手を伸ばして大変なことになっている。

朝鮮征伐を望んでいなかったことは確かであるが、もし征韓という事態になっても仕方がないだろう、
という未必の故意はあったのかもしれない。
つまり、従来の見方を全否定して、西郷は征韓論者ではなかったと言い切るのではなくて、
できればそうならないほうがいいが、
自分が殺された上でそうなるなら致し方ない、という考えだったと見たほうがよいだろう。

・・・以上、著書の気になったところから概略を抜粋。

イザヤベンダサン氏がかつて「日本人と中国人」で述べたように、
西郷にとっての征韓論は、
朝鮮への、革命の輸出だった、
と解釈すると私には理解しやすい。

西郷は諜報戦もうまく、戦争上手で、
しかも全日本人の心を未だにつかむほど純粋で大きな人望を持つ型破りな男。

彼がいなければ、維新は、少なくとも史実のようには運ばなかったように思えるし、
一方、
彼のような男がいつまでも日本のトップにいて思うように政策を進めていたとしたら、
やはり日本はどうなったかわからない、という危うさも感じる。

そこは維新の元勲たち、大久保なりが、
言い方は悪いが、
西郷というまたとない逸材を「利用」し、
突貫工事の日本近代化を成し遂げるという、
「役割分担」がうまく機能した、
と思いたい。
>>[85]
徳川の御三家でも、将軍(家茂)を出した紀州藩を除いて、水戸藩も尾張藩も、藩内で大規模な抗争があって多数の藩士が命を落としています。
水戸藩は抗争に負けた側の天狗党という集団が、テロリストとして全国に指名手配状態となり、幕府の命を受けた諸藩と銃撃戦を展開しながら西へ西へと逃げ、最後は越前の敦賀で捕まって全員処刑されます。
尾張藩も、薩長同盟の後まで抗争が続き、藩主の慶勝が朝廷側で動いて朝敵とならず事なきを得ました。
水戸藩も尾張藩も、一橋慶喜を支えられる力があったのに、御三家として何も出来ず幕末を迎えてしまいました。
紀州藩も、将軍を擁立する少し前に藩内で抗争はあって、のちに海援隊士や明治の大臣を務める陸奥宗光の父親(藩の重臣でした)が抗争で負けて追放されます。
以下、イザヤベンダサン(山本七平)が著書「日本人と中国人」において、
日本で生まれた政治思想「尊王攘夷」が、「尊『中国』攘夷」の変形であることを述べたところを
メモとしてまとめ、レビューに乗せたものです。例によって長くなりますが。(山本史観に慣れておられない皆様にとってはさぞや退屈な文章になりましょうが……)

山本七平氏が「イザヤ・ベンダサン」名義で書く著作には、山本七平氏が、マスクマンとしてリングに立っているようなイメージが沸く。
すなわち、「山本七平」名義で書かれる著作には、氏の穏やかな人柄がそのまま行間からにじみ出てくる気がするのだが、
「イザヤ・ベンダサン」名義で書かれる著作は、少々荒っぽいというか、表現の正確さを少し犠牲にしてでも、より核心を突いた言葉が繰り広げられているような印象を持つ。

それにしても、山本七平氏という人は、私のような凡人からすれば、本当に不思議な人である。
世界のそうそうたる学者たちからあらゆる社会学を学んだ鬼才・小室直樹氏が、山本七平氏のすごさについて、「ほんの僅かな知識で本質をずばりと見抜く。だから日本史なんて少ししかやらないにもかかわらず、崎門の学、山崎闇斎の学こそ明治維新の原動力になったということをはっきり知っている」と述べているが、全くその通りだと思う。

日支事変について、
トラウトマン和平工作により、
満州国承認
日支防共協定の締結
排日行為の停止
その他
を中国政府が協議の末、トラウトマン大使に「日本案受諾」「同条件を基とした和平会議の開催」を申し入れてきたところ、
12月8日に日本は中国が日本の提案を受諾することを確認した。
しかし軍事行動を止めない。
それどころか12月10日、南京城総攻撃を開始した。
なぜか。

「市民感情が条約に優先した」。
「評論家」であるべきあはずの新聞が、逆に「感情」の代弁者となった。
南京陥落を報ずる新聞の狂態ぶり、「蒋さんどこへ行く」という嘲笑的見出しをかかげ、祝賀提灯行列の大きな漫画を掲載。
トラウトマン斡旋日本案を蒋介石が受諾することによって南京直前で停戦することは「市民感情が許さなかった」。

・・・このあたりの話は、いわゆる慰安婦問題について締結された日韓合意を破棄しようとする韓国を彷彿とさせ、我が国も他国のことは言えないな、と、大変興味深いのだが、
問題は、「なぜそのような感情を日本人は持つのか」。

ベンダサン氏は述べる。
 中国は隣接の一部の国々に対しては、「文化的に君臨すれども政治的に統治せず」である。
その形態をそのまま天皇にあてはめて、それによって中国に対して文化的独立を主張してきたのが、天皇制のもつ一面なのである。
すなわち「中国の位置」に天皇を置くということなのである。
中国に土下座するのは天皇に土下座するのと同じことである。
中国の文化的支配権からの独立宣言の最近の例をあげれば、明治の教育勅語である。
徳川時代は、「尊皇」とは実は「尊中」であり、それを「歴代の天皇」へと切り替えたわけである。
それは結局、「理念としての日本国内の中国」への切り替えであり、現実の「中国」と「理念の中国」との分離宣言である。
後のこれが、「理念としての中国」を、逆に現実の「中国」へ押しつけて行こうとする結果になるのである。

日支事変の謎はこれが一種の「革命の輸出」だという点にある。
「尊皇」と「尊中」が同根であることは、日本がその歴史時代の始まりから、中国の圧倒的影響下にあったという状態が生み出した一つの歴史的所産である。
歴史的所産を、人は、消すことはできない。
これを思想史に組み入れ、伝統として客体化し、その上でこれに対処して新しい道を探す以外に方法がない。
それをしないで、過去を「なかったこと」にしておくと、それが民衆的表現、すなわち感情的表白として残り、逆に、「姿を変えた過去」に無批判に追従せざるを得なくなるのである。

(続く)
 
(続き)

一体全体「征韓論」が起こった原因は何か。
実質的には皆無といわねばならない。
征韓論者によると、原因は韓国が日本に非礼であったということだが、非礼が開戦の理由になるとは、何としても不思議な話である。
もし、このとき[征韓」が実施されていたら、おそらくそれは、南京城総攻撃以上に、世界史上最もわけのわからない戦争になったであろう。
大久保の主張の趣旨を要約解説すれば
「韓国が非礼だという。しかしそういうなら一体全体、日本に不平等条約を押しつけ、日本に駐兵さえしている列強はどうなのか。
韓国は何も日本に不平等条約を押しつけたわけでもなければ、日本に駐兵して治外法権を主張しているわけでもない。
主権を侵害しているものがあればそれは列強であっても韓国ではあるまい。
非礼が原因なら、まず「征列強」を強行してこれらを一掃しなければなるまい。
それをしないで「征韓」を主張するとは全く論理が通らない。従ってまず国力を増強して、列強の「非礼」を排除すべきだ」と。

では一体、なぜ西郷は、反論できないほど漸弱な主張を強行しようとしたのか。
またなぜ、この議論に敗れたことが、政府との訣別、隠退にまでなるのか。
いろいろな見方が成り立つと思うが、少なくとも西郷の主観的な見方での征韓とは、
いまの言葉でいえば、友邦への「革命の輸出」いわば主観的「解放戦争」なのである。
その革命は彼が生涯推進してきたものなのだが、それを欧米列強という「外国」に輸出する気は、もちろん彼にはない。
従って彼から見れば、大久保の議論はひどい詭弁になるだけでなく、
それは明治政府が、彼が推進してきた革命政府であることをやめるという宣言でもあった。

ここで隆盛が考えていたような天皇制は終わり、天皇家幕府が出来て、その外交政策はほぼ勝海舟の路線に沿って進み出したわけである。
そして徳川時代に育まれ、明治政府へと到達させた「勤皇思想」は、西郷と共に再び「野(や)」に下っていくのである。
そしてそれが後に、天皇思想が天皇家幕府に立ち向かい、新しい征韓論へと進んで行くわけである。

この尊皇思想と征韓論が、ほぼそのままの形で最終的な姿で出て来たのが、2・26事件と日支事変であった。

(続く)
(続き)

2・26事件だが、これが右翼の青年将校のクーデターなら、殺害された人々は左翼の巨頭のはずであるが、この犠牲者を左翼と見なしうる人はいないであろう。
ではこれは単なる右翼内の権力闘争なのであろうか。
そうではない。
彼らには、自らが権力を掌握しようという意志はないのである。
さらに奇妙なことに、叛乱という意識が全くなく、天皇の権威と権力に挑戦しているなどという意識は、はじめから終わりまで、全く皆無なのである。
天皇が任命した高官をその目の前で射殺することも、無断で兵力を動かして蜂起することも、彼らにとっては挑戦でなく絶対服従なのである。彼らは本気で、心底からそう信じて疑わない。

言うまでもなくこれは、彼らが絶対視しているのは尊皇思想の象徴、
すなわち「自らの内なる天皇」であっても、
天皇家幕府でも天皇というその人でもないからである。
尊皇思想は天皇その人とも天皇家とも関係なく、主としてまず民間から起こって来た事実を思い起こし、西郷の死とともにまたそれが野(や)に帰ったことを考えれば、これはむしろ当然のことかもしれぬ。

尊皇は歴史的にみれば尊中である。
従って以上のことが、中国関係において典型的な形で表れるのは当然であろう。
民族の行動の思想的基盤は、対内的にも対外的にも同一であることは言うまでもない。
差があると見えるのは表れ方の差か、一時的、末梢的な外交的技術の差にすぎないわけである。
日支事変がそのまま2・26事件の海外版という型で表れ、そのため日本の軍事行動が世界のだれにも理解できなくても不思議ではないのである。
いわば尊中討奸・尊中攘夷なのである。
従って2・26事件の首謀者が自分たちの軍事行動を叛乱とは考え得なかったように、
当時の日本人は、中国への軍事行動を侵略とは考え得ないのである。

その基本にあるものは尊皇思想である。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、「尊中」でそれを自己と一体化することが親中国であるから、
2・26事件の将校の対天皇と同様、
対象としても外在する「外なる中国」は、
無視されるどころか、はじめから存在しなくなるのである。
それゆえ中国対日本という関係で両者をとらえることはできない。

従って「外なる中国」が自らの意志で、「内なる中国」の前に立ちはだかったとき、
日本人は、2・26事件の将校と同じ態度にならざるを得ないわけである。
すなわち「内なる中国」を絶対視し、これを中国として「外なる中国」を排除するか、
「外なる中国」の意志を「内なる中国」と一体化し、これを絶対化してその前に土下座するか、である。

2・26事件の首謀者の「尊皇」が、現実には徹底した天皇無視となるのと同様に、日支事変の「尊中」が現実には徹底した中国無視になる。
日本人には中国と戦争をしたという意識がないという批判があったが、これは当然で、2・26事件の将校に「天皇と戦った」という意識がないのと同じである。

・・・以上、本著から片言隻句の寄せ集め。

(終わり)
京都、霊山資料館で
西郷どん関係資料展示
今日からはじまりました。
葵祭の後にみてきました。
>>[93]

全員は処刑されてないでしょ!
生き残りが慶応4年に戻ってきて、諸生党の一族の大虐殺が始まる。

毎日、毎日なで斬りにされて、焼き払われていった。
基本的に尊王とか呼ばれる人達は藩内でも少数派200-300くらい

彦根藩、土佐藩、肥後でも維新が起きるまでずっと日陰者だった。

藩政の中心に出てくるのは維新後。
桜田門外の変で井伊直弼の命を奪った薩摩藩浪士の有村兄弟ですが、その末弟の子孫が明治以後に滋賀県に移り住みます。
有村家は、井伊家の彦根に程近い近江八幡を地盤に政治家一家となり、滋賀県議会議長や内閣の大臣も輩出します。
さらに彦根市長選挙にも立候補して、対立候補から「彦根藩主の命を奪った一族が彦根市長選挙に出るとは」と言われました。
その彦根市長選挙に立候補した有村國知氏は、彦根市長にはなれなかったものの、彦根市と近江八幡市の間の愛荘町の町長選挙に立候補して当選し(もともと愛荘町で生まれ育ったそうです)、現在町長を務めています。

彦根(近江国)と有村家は、不思議な関係があるのですね。
>>[102]
拝読しておりますと、このままこの文章を番組末の「西郷どん 紀行」で読み上げてもらってもなんら違和感がないように思いました。

愛荘町役場 バス停より徒歩2分

という感じでありましょうか。(^-^)/
>>[103]

彦根市長選挙に有村國知氏が出馬したときに対立候補がコメントしてから、有村家と滋賀県の関係が気になりました。

歴史的な因縁を越えて有村家が滋賀県の湖東地方に根を張っている姿が興味深く感じられるまでです。
歴史のドキュメンタリー(『ヒストリア』など)で取り上げてもらえれば嬉しいなとは思っています。
>>[102]

彦根藩と淀藩の裏切りがナイスな裏切り。
最高のアシストだったからじゃないですかね。

絶妙のタイミングでのスルーパスみたいな感じ。
>>[105]
有村家が根を下ろした近江八幡や愛知川は、彦根藩領ではありませんでした。
近江国の湖東地方は、それなりに経済圏を持つ小都市が点在していて、確かに井伊家の城下町の彦根は大きな町ですが、彦根の経済圏ではないところも昔から多くあります。
近江国に古くからいる一族が政治家を輩出していておかしくない中で(野洲には総理大臣を出した宇野家もあります)、薩摩から来た有村家が彦根市長選挙をうかがうほどに力を持ったのは面白いと思います。
「最後の将軍 徳川慶喜」読後感

先が見え過ぎる男の哀しさ

今、将軍を引き受けても、火中の栗を拾うようなもの。
慶喜は、当初、
徳川の宗家だけを引き継いだが将軍は引き受けない、
という、前例のない行動に出る。

しかし、結局は、朝幕がよってたかって慶喜を説きつけ、
彼を徳川15代将軍につける。

慶喜は汎用な将軍ではなかった。
家康の再来と噂されるほど明晰な頭脳を持ち、
不可能とされていた兵庫港開港を公卿に承諾させるほどの論客であった。

幕府の将来が見えてしまうこの男は、
大政奉還の案を、むしろ進んで飲んだ。
辞官納地の提案も飲んでしまった。

幕府の洋式軍隊の指揮官たちは、事態を大いに憤慨し、幕命を待たず上方に向かい始めている。

薩の挑発に乗らぬという原則を決めた以上、慶喜はあくまでもくるいなくそれを通してゆきたい。

京に大軍を駐屯させているかぎり、不測の事態がおこらないとも限らない。
内乱が起これば徳川家は負けるであろう。

大坂城へ下る。

が、事態は砲車の車輪のとどろきとともに進行した。
鳥羽村で開戦し、つづいて伏見街道をゆく幕軍も薩長に対して砲門を開いた。

ー江戸へ帰る。

自軍のすべてを欺いて、
開陽艦で紀淡海峡を南下し始めたとき、
板倉らを船室に呼び、
初めて自分の心境と今後の方針を明らかにした。

江戸に帰ったあとは抗戦などせぬ、ひたすらに恭順する、その一事を貫く、と。

勝を呼び、
「錦旗が出た」
とのみ、慶喜は言った。

水戸学で育った慶喜は、歴史に残る自分を常に意識して生きてきた。
足利尊氏のようにはになるわけにはいかない。

勝海舟をして江戸城を明け渡しめ、官軍が入城する朝、慶喜は上野の大慈院を出、謹慎地の水戸へ向かうべく、江戸を去った。

慶喜は、77歳まで生きた。

…この男が、違う時代に生まれていたら、
どんな人生を歩んだろうか、
と、
想像しないでもない。

が、なんという運命の皮肉であろうか、
鎌倉以来の武士の時代の最後に、
日本は、
このような人材を将軍に得たのである。
「不敗の宰相大久保利通」読後感

大久保という生き方

慎重の上にも慎重を重ねる行動や、
また、台湾紛争の折に見せた
清との粘り強い折衝などは、
家康を彷彿とさせ、

下馬評では薩摩武士の勝利とされた、
元農民で編成された軍を持って戦った
西南戦争の時に使った
圧倒的な物量作戦では、
秀吉を思い起こさせた。

一介の藩士から、
独裁政権者まで成り上がり、
組織、人事を使いこなし、
数々の綱渡りの場面を、
足を滑らすことなくこなしてきた彼の、
異常なモチベーションは、
どこからやってきたのだろうか。

攘夷矢印(右)倒幕矢印(右)開国矢印(右)富国強兵、

当時の世の中の流れという、
外的環境が彼の生き方を規定した部分は
もちろんあるにせよ、

それを、
他ではない、
自分がやらねば、
という、
「強烈な当事者意識」、
これはこの時代においては
彼だけに限ったものではないが、
それにしても本当に恐れ入る。

山県や井上、大隈らという大久保の部下たちは、
財界と癒着して巨万の富を築いていたが、

大久保の遺産を確かめると、
現金がたったの140円。
おまけに借財が八千円余りと巨額に達していた。

これらはみな公的予算が足りず、
大久保が個人で借金したものであったが、
そのほかに
家も土地もすべて抵当に入っており、
大久保の家族はその日のうちから
住む家すらなくなってしまった。

日本の宰相の遺族を野垂れ死にさせるわけにもいかないので、
政府は協議の結果、
大久保が生前に「学校費」として寄付した八千円を回収し、
さらに八千円の募金を集めて、
計一万六千円、
これで遺族を養うことにしたという。

想像もできないような緊張感の途切れない日々、
彼はどのようにして「生きる」ことができたのか。

家庭だけは、彼の心の拠り所だったという。
非常に子煩悩で、
彼の子供は、
お父さんに叱られた記憶がないという。

帰宅するお父さんにまとわりついた子供たちは、
何らかの拍子に大久保が見せた笑い顔が
忘れられない想い出だという。

しかし日本人は、西郷の方が好きなのだろう。
それも分からないでもないが。
沖永良部島で吉之助を監視していた土持政照ですが、Wikipediaに項目が無く、どこの系統の武士か分からないのですが、土持姓というと、日向国の縣(現在の延岡)の土持氏の一族でしょうか?
日向縣の土持氏は、島津と大友の勢力争いの中で島津に付いて、結局滅ぼされて縣を追い出される日向国の有力国衆ですが、島津の本領の薩摩(鹿児島)へ移った一族が沖永良部島の代官に任じられたと考えられるでしょうか。

NHKのドラマ本では、ドラマに登場した土持政照は、薩摩から来た沖永良部島代官と島の娘の間に出来た男子となっていますが、先祖は日向の有力国衆なのかな?と思いました。
「素顔の西郷隆盛」読後感

著者は以下のように述べる。

斉彬の急死による厳しい尊攘派への追及の中、
失意の西郷は鹿児島の錦江湾で心中未遂を起こす。

相手は尊皇僧・月照。年は西郷より15歳上。
月照は西郷に対してこう話したともいわれる。

「あなたは仏の教えには浅いけれども。よく仏の理に従って行動している。
何を知らなくとも自然に仏の教えを行うことができるというのは、
生まれつき仏の心を持っているのでしょう。」

もともと西郷は、目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまうところがある。
たとえば犬と一緒にいて、犬がウナギを食べたいそぶりを見せると、自分も大好物なのに上げてしまう。

西南戦争での私学校や桐野利秋らの蹶起に対しても、
最初はやる気がないのに、じっと考えているうちに、
このままでは桐野たちが死んでしまうと思い、自分も憑依してしまう。

自他の区別がない、他人と境目がないばかりか、
犬と自分の区別さえもないところがあった。
だから、一緒にいるとやがて餅みたいに共感で膨れ上がり、一体化してしまう。

自分と他者を峻別するのが西洋人とするなら、
それとは違う日本的な心性を突き詰めたのが西郷であり、
だからこそ時代を超えた人気があるのだと思う。

西郷が命知らずになったのは、月照との入水事件が原因である。
本来ならこの入水で死んでいたはずで、
国事に奔走して命は捨てるべきである、
月照に嘘をついてしまった、
そういう思いがあったからであろう。

生涯をいわば、
自殺モラトリアムと言っていい心理状態で生き続けた西郷は、
これで説明できるように思う。

いわば、西南戦争まで非常に緩やかに進んでいく「緩慢な自殺」である。

入水事件の後、幕府から捕方がやってくる。
薩摩藩側は西郷は溺死した、月照の遺体を見せてもいい、と説明するが、
「死没の上は見分に及ばず」と言って捕方は引き上げていく。
ただ、死んだはずの西郷を鹿児島に置いておくとばれるので、
隠すために砂糖船に乗せて、菊池源吾という変名を使って、奄美大島に流すことにした。

著者は、西郷の維新革命思想を育んだ大きな要因は、この島暮らしにあると見ている。

もともと西郷は、ある種の人間の平等主義を思想の核として持っている人である。
その背景には、もともと薩摩の郷中教育なり『日新公いろは歌』を通して、
人間の良い悪いは身分ではなく心の良し悪しで決まるのだということを繰り返し教え込まれている。
それに加えて、彼自身がそういう平等思想に敏感に反応する資質があった。

本土から島に行くと、風俗習慣が全く違う。
例えば普通の民は真鍮や鉄の笄(こうがい)を挿していて、村長だけが銀の笄を挿している。
女子には入れ墨の習慣が残っているなど、縄文時代のような風習があった。
そして何より驚いたのが、ヒザという制度だった。

ヒザとは要するに当時の奴隷のことで、金持ちの家にはあまたの奴婢がいた。
ヒザとは膝元で育てた下にいる者という蔑称で、一生涯主家の下で使われ、
雇用契約の自由がない。
つまり家の財産であり、ヒザが生んだ子供は家の持ち物になるなど、
完全に従属しているわけである。

西郷はヒザの解放を進めていき、ついには普通の雇い人にしたという。
西郷がやった最初の社会改革は島の奴隷を解放したことで、
島の人々は長くそのことを語り合い、西郷の徳を慕っていたそうである。

西郷の「征韓論」を、著者は、「遣韓論」とする。

当時の朝鮮の一般民衆の暮らしは、日本と比べても非常に悲惨なものであった。

遣韓論者の西郷の主張は、
「韓国は現在日本との国交を拒否して、西洋化した日本などと付き合う気はないと言っている。
自分が韓国にお使いをして、韓国で実力を持っている大院君と合って話をつけてくる」
ということだった。
日韓の国交を開いて南下するロシアの脅威に共同で対処してもらわないと困る、
それを言いに行こうということだった。

西郷にとって朝鮮問題とは実際にはロシア問題であり、
実際ロシアは南下どころか朝鮮の宮廷に手を伸ばして大変なことになっている。

朝鮮征伐を望んでいなかったことは確かであるが、もし征韓という事態になっても仕方がないだろう、
という未必の故意はあったのかもしれない。
つまり、従来の見方を全否定して、西郷は征韓論者ではなかったと言い切るのではなくて、
できればそうならないほうがいいが、
自分が殺された上でそうなるなら致し方ない、という考えだったと見たほうがよいだろう。

・・・以上、著書の気になったところから概略を抜粋。
(続く)
[110]続き

イザヤベンダサン氏がかつて「日本人と中国人」で述べたように、
西郷にとっての征韓論は、
朝鮮への、革命の輸出だった、
と解釈すると私には理解しやすい。

西郷は諜報戦もうまく、戦争上手で、
しかも全日本人の心を未だにつかむほど純粋で大きな人望を持つ型破りな男。

彼がいなければ、維新は、少なくとも史実のようには運ばなかったように思えるし、
一方、
彼のような男がいつまでも日本のトップにいて思うように政策を進めていたとしたら、
やはり日本はどうなったかわからない、という危うさも感じる。

そこは維新の元勲たち、大久保なりが、
言い方は悪いが、
西郷というまたとない逸材を「利用」し、
突貫工事の日本近代化を成し遂げるという、
「役割分担」がうまく機能した、
と思いたい。
公武合体から雄藩連合へ、この頃の流れだと穏便に無血革命によって立憲君主制に移行できるチャンスだったと思う。慶喜は結局武力頼みで薩長潰したかったんだろう。
自分に忠実な土佐、越前、會津、桑名加えて総統制度みたいなの作りたかったんだろう。

川家茂が大総統で、慶喜が軍事総裁職。會桑中心に軍隊、警察組織再編成したんだろうな。
基本的に明治維新て薩長というよりか薩摩なんすよね。薩長じゃなくて薩だね
鳥羽伏見の戦いの時も長州兵1000くらいしかいなくて、伏見方面にしか展開してなかったはず。
旧幕府対薩摩、會津対薩摩ってかんじ。
土佐は叱られたから無理矢理参加させられただけだし。「実際サボタージュしてる」

総理大臣輩出したのが、長州9人で薩摩3人で長州一人勝ちみたいに言われてるけど、総理なんてたいした権限はないです。
内務省、警察、大蔵省、陸軍省、海軍省、外務省など薩閥は、国家の中枢に幅広く分布しています。
よく警察内部では薩摩、軍部内では長州と言われたり、陸の長州、海の薩摩とか言われたりしますけど、あれも正しくない。
たしかに海軍と警察は薩摩の独壇場ですけど、陸軍省も長州に匹敵するほど勢力がある。

日露戦役の時の大山厳、黒木為もと、伊地知幸介、野津道貫

長州がねちっこくて薩摩が淡泊というのは正しくない。
寧ろ長州のほうが淡泊&ロマンチスト。前原一誠は兵部大輔という顕職投げ捨てたし、木戸もすぐ帰郷した。

本来なら長州一人勝ちになるところを薩摩がパクッた。でも気にしてない長州という図式。

しかも悪役は全部長州が引き受けてる。会津、新撰組の恨み。世良修蔵の横暴とか

私はそこまで歴史に興味がない方なんですが、
江戸無血開城の前に西郷と篤姫が会った可能性は高いのでしょうか?

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