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いつもある精神統一コミュの奇跡のコース(主にテキスト)

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コミュ内全体

(補足)

奇跡講座の読書メモを

シェアしておりますが

その読書メモは
どの学習者にたいするシェアであるのかを

補足しておきます

奇跡講座の読書メモは、
*中級学習者にたいしてのシェアとなります



まず

初期の学習者は

聖霊を概念として学んできたということです(聖霊を概念として選択的赦しをおこなう)

しかし
ワークブック終了後の中級の学習者は、
自然精神統一となります
(聖霊をうち側、つまり源・記憶側への選択的赦し)。
読書メモのシェアは中級用になります。


それから以下の学習者にはこの読書メモは不要のものです。
上級(覚醒者)への過程で

いつもある精神統一となります
(第2レベルで、奇跡:愛の記憶により分離の信念が半分以上癒されると、ハートの記憶が優勢になるため、
自然精神統一の自動化の状態になること
この状態は、ハートの記憶への壁が半分以上なくなっていることも意味している。
第4レベルにもそれが反映されることになり、私とハートへの意欲への壁がないとわかってくる)ため、
第4レベルで以前の習慣によりジャッジが起きたとしてもすぐ自動的に赦しの状態が優勢になることになります。

上級への過程がさらに、
すすむと

神と一体であるキリストが
「もし?」と想像し
、それをやめようとしていること

それは

第2レベル(決断という原因レベル)でも*おなじように働いており

その反映

第4レベル(選択のレベル)でも*おなじように働いているということです

遊びへの意欲も
目覚めへの意欲も

一者の

意欲からきているということです

ですのでその意欲があるだけであり

それをやっている
べつのわたしが

いるわけではないことが
だんだん
わかってきます

さいごに
上級(覚醒の段階:実相世界)については
わたくしはわからないので覚醒者、もしくは上級の神の教師の体験談を聴いてくださいませ。


以上になります





「私」は想像であり、
命(愛)を「破壊すること」はできない

これが真のメッセージ(真の赦し)である

私たちは一人ではない

私たちはつながっていて
、そして依然として、愛とひとつであるということ

愛から分離しているというのは、空想であること

これが現実からのインスピレーション(霊感)ですね

コメント(88)

「愛こそが世界の実相であり、あなたがその愛(の記憶)を見たいと思うなら、愛に対抗する防衛(恐れの投影)の一つひとつの根底に、※愛を求める懇請
(=恐れ)が潜んでいることを認識する以上に良い方法があるだろうか。
そして、愛の実在性(実相世界:記憶)を学ぶ方法としては、愛を求める懇請に愛を与えることをもって応える(奇跡)以上に良いやり方(いやし方)があるだろうか。
聖霊による恐れの解釈は確実に恐れを一掃する。真理(愛)の自覚は否定できるものではないからである。
このようにして、聖霊は恐れを愛に置き換え、誤り(恐れ)を真理(愛)に翻訳する。
このようにして、あなたは分離というあなたの夢を、一致(統一・融合)という事実に置き換える方法を、聖霊(ハートの記憶)に学ぶ。
なぜなら、分離は融合の否定(空想)にすぎず、正しく解釈されるならば、融合が真実(事実)だというあなたの永遠の智識を証言するもの(ビジョン)となるからである。」
(最後10段落すべて)
さいごに前半の第一段落から

再読(引用)します

「しかし真理はそれ自体で実在しており、真理(ハート)を信じるには、あなたは何もする必要がない。」
(1-3)

「(兄弟の)動機の解釈として意味をなすものは一つしかない。そしてそれは聖霊(ハート)による判断であるから、あなたの側ではまったく何の努力も必要としない。」
(3-1〜2)

「助けを求める懇請を何か別なものだと※信じるなら、あなたは別の何か(自我)に反応することになる。」
(3-9)

「あなたに実相をありのままに受け入れる意欲がなく、それゆえに実相(ハート)を自分自身に与えずにいるのでなければ、あなたがこのようなことをするはずはない。」
(4-3)

「自分が理解していないものを自分で判断(あなた側の努力)しないようにというのは、間違いなく賢明な忠告である。(真理について)個人的な思い入れをもっている者は信頼できる証人とはならない。なぜなら彼にとって真理とは、
彼が真理であってほしいと望むものになっているからである。」
(5-1〜2)

「あなたがそれらを(愛ある想念と助けを求める懇請を)真に知覚するなら、どちらもあなたの自覚に(無条件の)愛をもたらすことができるからである。そしてあなたの
緊張感のすべては、まさにこれをしないでいようとする*試みから生じている。
それならば、(愛である)神の救済計画とは何と単純なものだろう。」
(6-1〜4)

以上
夜も更けました
寝ます。
だいぶ前に
宝塚歌劇団トップスターの自伝エッセイ
をよんだとき

その本に
宝塚にはいったとき
先輩に
カラスは黒ではなく白いと教えられたら
それを信じる謙遜さが必要である
というようなことが書いていました

今思うと

コースにてらしあわせれば

カラス(肉体)は黒い(憎む対象?)のではなく
白い(愛から借りているエナジー) としてみなおして

攻撃のための道具ではなく

(第4レベルをとおした)愛の表現のための道具としてみなおす

ということにあたるのかなとおもいました

肉体を「物理的と」信じるなら
心は投影(そこ)で止まります

しかし

愛からかりたエナジーで心が肉体をつくっていたことをかくさないなら

心は肉体をその延長としてみなして、肉体(延長)で止まることなく
肉体を越えて相手の心にふたたびつながります

第4レベルを介して
互いの第2レベルに通じ合う感じです。

したがって物理学におけるニュートン的な主体・客体ではなく

第4レベルは客体でとまっているのではなく
その*背後にも相手の第2レベルがあり

心は無限へと延長して(解放されて)います)

自分がこちらにいる

という感覚ではなく

むこうまで無限にいるという感覚となります

これが
じゅんころさんが
「じぶんはこちら側にいるというのではなく、どこにでもいる」とおっしゃっている状態です
聖霊の解釈では
肉体は物理的と信じられることはありえず
心からはなれていません

心の表現としてみなされ

身体をとおして理解しやすい表現により
愛をつたえます

わかりやすく表現してもらえた相手の心は

この第4レベルのさらに背後にある彼の自分自身の愛の記憶(第2レベル)へとさらに延長(癒され)ていきます

かんたんにいうと
自我の投影だと
第4レベルは袋小路となっており心は肉体として停止します。

しかしハートの記憶延長の場合は
第2レベル
第4レベル(延長)
ふたたび相手の第4レベルの背後の
相手の第2レベルへと
コミュニケーションがつながるのです

これが無限の空間です

このしくみを説明しているのが

「奇跡講座テキスト
(中央アート出版)
8章 帰還への旅
察ゥ灰潺絅縫院璽轡腑鵑亮蠱覆箸靴討瞭体」

の説明箇所です


ハート(聖霊)の目的に統一されている肉体(延長)のつかい方であり、相手(むこう)にもつながっていきます。これが無限(スペース)の感覚の自覚をもたらします

ニュートン物理学の観点では第4レベルは投影として
そこでとまり

延長はされていきません

第4レベル(客体)でとまってしまい

肉体からふたたび第2レベルへ(相手の心)と延長することはありません

延長はさえぎることはありません

これが延長と投影(肉体で停止する)のちがいです

投影は閉鎖された空間であり
心に閉塞感をもたらします

肉体は物理的なものには「なれないのに」

そう信じることによって


それ(投影)は手段を
目的としてしまう(心が*肉体を心の想いではなく物理としてみてそこで止まる)自我の機能として見るのではなくて

第4レベルから
互いにふたたび相手の第2レベルの心へと)つながる
延長(想い)の機能として身体を観るのであるならば

そのとき肉体は全一(ハートの記憶のもの)となります
(4段落5行目、10段落3行目)

肉体は「ハート(源)の目的」に
きちんと統合・融合されています(帰還のための機能となった)
肉体という心の想いを

つまり手段を目的と混同すると

心は第4レベル(肉体)で止まってしまうということです

相手を客体としてしか扱っておらず

相手の心とつながれません

これが第4レベルにおいて閉塞感を感じる
自我の理由です

肉体は心のコミュニケーションのツール(想い)であり

肉体は心の顕現(*聖霊は物理的と信じない)であり

心は肉体でとまらないならば

相手の心へとさらに延長していきます

これが

ハート(解放)の感覚を
もたらす

そこでは
心と身体は全一的であり

「全一性の力は延長である。あなたの考えをこの世界で停止させずにいなさい。」(ラスト段落8行目)

となります。
今朝は

無限のスペース(わかりあう心)

としてかかせて
いただきました
おはようございます
〃´▽`)♪

今日もよいお天気です

今日は北川景子さんが
NHKの鶴瓶の家族に乾杯
にご出演されますね♪

今朝
島根出身のおばあさんが送迎のときにおっしゃってましたが
北川景子さんのご主人のDAIGOさんは竹下元総理大臣(島根県のご出身)
のお孫さんだそうですね

縁というのは不思議なものですね

北川景子さんは
「瞬 またたき」という記憶をテーマとする映画で

北海道のトンネル事故で
記憶をなくし
そこにほんとうの記憶があったことを

島根への旅のなかで

思い出しましす

命の記憶です

トンネルで亡くした恋人は
島根の出身という設定でした

兄弟との縁(島根の縁結び)により

愛の記憶(抽象・あるがまま)を思い出すことになる

というストーリーです

自分と兄弟のそれぞれに

第2レベルの心がべつべつにあるわけではなく

第2レベルの心
(愛の記憶)は
*ひとつしかありません

それゆえに

距離がなく
無条件の愛の記憶としてあります

その
無条件の愛の記憶の延長として
わかりやすく第4レベルで無条件の愛の記憶を伝える(マザー・テレサのように)ことが

わかり合う心をもたらします

自我は
あなたは愛されるために
なにかしなくてはならず

そうしてくれなければわたしは愛せない

といいます(複雑になる)



聖霊(ハート)は
あるがまま(無条件の愛)
の救済の単純によりそれを取り消します


()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第31章 最後の心眼
機サ澪僂涼噂磴(無条件の愛・現実)


「救済とは何と単純なものだろう!それがのべているのは、「かつて一度も真実でなかったものは、今も真実ではなく、これからも決して真実とはならない」ということに尽きる。」
(1-1〜2)
「それを学びたくないという気持ちだけが、これほどに簡単なレッスンを難しくすることができる」
(1-6)

「赦しについての聖霊(ハート)の単純なレッスンは、神とあなたの自己(ハート)からあなたに向かって呼びかけるので、あなたの(自我の)レッスンよりも大きな力をもっている」
(5-6)

「神の子(ハート
・現実)は無罪だというレッスン(記憶)から生じる結果としての世界(心眼)は、恐れがなく、一切が希望に照らされ、優しい親愛の光できらめいている世界である。

一切があなたに呼びかけ、あなたの友となってあなたとつながらせてほしいと、優しく訴えかけてくる(愛への呼びかけ)。
そして、呼びかけが聞かれないままにされたり、誤解されたりすることはなく、
その呼びかけに使われたのと同じ言語(愛から借りたエナジー)で答えられないままに放置されることもない。そしてあなたは理解するだろう。この呼びかけこそが、世界であらゆる人や物が常に発していたものだったのに、自分はそれをそのように知覚していなかったということを。」
(8-1〜4)

()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第31章 最後の心眼
供ゥリスト(ハート)とともに歩む


「あなたは自分で真理を確立したいと思っている。そして何かについて決断しなければならないと考えるたびに、あなたは自分の願望により二つの選択肢を設定する。どちらの設定枝も真実ではない。*またそれらは異なるものでもない。あなたがそれらを素通りして、それらとは真に異なる選択である唯一の(現実の記憶であるハート)選択肢を見ることができるようになるには、その前に、私たちはそれらの両方(みせかけの選択肢と真実の源への選択)を見なければならない。ただし、このことが隠されるようにとあなたが作り出した夢(結果)の中で見るのではない。
 あなたがどちらかを選ぼうとしているそれ(みせかけの真理と非真理)
は選択ではなく、ただ、選択が自由だという幻想(自我)を与えるだけのものである。なぜなら、それらはいずれにしても一つの結果(みせかけの真理と非真理)しかもたらさないからである。したがって、それは実際には選択でも何でもない。(その選択の結果の夢として)先導者と追従者とが別々の役割で現れ、それぞれがあなた(自我)が失いたくない利点をもっているかにみえる。したがって、両者が溶け合ってひとつになることのなかに満足と平安(悟り)の希望があるように見える。あなたは、自分はこの二つの役割に分割されていて、永遠にそれら二つの間で引き裂かれたままだと見ている。そうして、どの友(みせかけの真実や悟りを選択している)も、どの敵(みせかけの真実に賛同していないようにみえる不甲斐ない者たち)も、あなたが自分自身をこのこと(みせかけの真理と非真理)から救済するのを助けるための手段(特別の関係)となる。
(2・3段落)

「あなたは自分が先導者の役割につきたいとき、自分がその役割(追従者)を与えた相手を憎悪する。そしてまた、あなたが自分のなかの追従者を出現させて、先導者の役割を放棄したいときには、先導者の役割を引き受けない相手を、やはり憎悪する。そしてあなたが兄弟を作り出したのはこのためであり…」
(4-3)

「おそらくあなたはそれを愛と呼んでいる。あるいは遂に正当化された殺害だと考えるかもしれない。」
(4-1〜2)

「キリスト(ハート)は先導者も追従者も見ることなく、全員に対し等しい優しさで呼びかけ、彼ら全員に対する一なる答えだけを聞く。」
(7-5)
()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

26章 過渡期

勝ド埓亀 (非・無条件の愛)の終わり

 
「いくつかのもの(攻撃)には意味(正当化)が与えられ、道理にかなっていると知覚される。

そして(あるいは)、いくつかのもの(攻撃)だけが無意味(不公平) であると見なされる(そしてそれへの対応も怒りとなる)。
これは
※すべての攻撃は無意味で、どれも等しく(現実的な)原因や結果を欠いており、いかなる種類の結果も生じない、
という*事実を否定している 。

彼ら(太字:実相のレベル)の輝く無垢性と、
それが自分自身のもの(第2レベル)であり、
自分と共に生けるものすべてに等しく属する(第4レベル)というあなたの自覚との間を遮るベールはすべて、
彼らの臨在を覆い隠してしまう。」
(2段落4〜7)

「根底にあるのは犠牲の原因の投影である。しかし、自分自身にこうしたことを求め(願望し)ているのは、他ならぬあなたであり、それは神の子(太字)に対して甚だしく不当なことである。
あなたには自分自身(の選択)以外に敵はいない。そして、彼をあなた自身として知らないからこそ、まさしく彼にとって敵なのである。
彼にとって、自らの本性を奪われ、
自分自身でいる権利を否定され、彼にはふさわしくないからと父の
(無条件の)愛とあなたの愛を犠牲にするように求められることほど、不当なことがあるだろうか。」
(3段落4〜7)

「そして、すでにそこに与えられている(無条件の愛の)目的の上にこれをつけ加えようとする。聖霊(無条件の愛)の目的は、あなたの神聖な賓客たちの臨在をあなたに知らせることである。そして、この目的には何も付加することはできない。なぜなら、この世界には
これ(に目覚める)以外には目的がないからである。」
(5段落3〜5)

「地上のすべての生けるものに対して単純な正義(無条件の愛)が否定されてきた
(無条件の愛を犠牲にする空想が自我の働きである)。」
(5段落8)

「どれほどのことを為しているか、あなたは知る由もない。世界は薄暗く険悪なものとなり、あなたには
救済が運んでくる
(無条件の)幸福な閃光を知覚しつ自分の道を明るく照らすこともできなくなる。」
(6段落1〜2)

「聖霊が不正義(非・無条件の愛)を内なる光
(ハート)のもとへ運び、そこですべての不公平が解決され、(無条件の)正義
と愛に置き換えられているからこそ、
この(救済された)世界は公平なのである。」
(6段落4)


()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

20章 聖性の心眼
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「神の子の断片たちは時間のなかで次第につながっていき、そのようにつながり合うたびに、時間の終わりが近くなる。つながり合うという奇跡の一つ一つが、永遠の強力な前触れである。統一されていて確実な、単一(ハート)の目的をもつ者は、決して恐れることがない。彼の目的を彼と共有する者は、彼とひとつにならずにはいられない。」
(1-5〜8)

「永遠の前触れ(ハートの瞬間:聖なる瞬間:現在)はどれもみな、(分離の)罪と恐れの終わりの歌を歌う。その一つひとつが、時間の中で、時間をはるかに越えたもの(ソース)について語る。(イエス:兄弟:愛の記憶と)一緒に発っせられた声は、すべての者に向って。彼らの胸をひとつのものとして鼓動させるようにと呼びかける。そしてそのひとつになった鼓動の内に愛の一体性(命)が宣言され、歓迎される」
(2-1〜4)

「あなたはそれぞれの聖なる瞬間を、時間の中の異なった時点として眺める。聖なる瞬間は決して変化しない。それが保有したことのあるすべて、そしてそれがいずれ保有することになるすべてが、まさに今、ここにある。過去(空想)はそこ(基盤自体)から何も取り上げず、未来(空想)がそれ(基盤自体)に何かを加えることもない 。だから、ここに一切がある。
ここに、すでに手段(ビジョン)と(ハートの)目的が完全に調和しているあなたの関係の麗しさがある。
ここに、いつの日かあなたが兄弟に差し出す完璧
な信が、すでにあなたに差し出されている。
そしてここに、いつかあなたが彼に与えることになる無限(無条件)の赦しが、すでに与えられており、これからあなたが見ることになる
キリストの顔が、すでに見えている。」
(6段落すべて)









()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

27章 夢を癒す


掘イ垢戮討両歡Г鯆兇┐董

「力は対立するということができない。
なぜなら対立は力を弱めることになり、弱められた力というものは、概念上の矛盾だからである。
弱い強さなどというものは無意味であり、弱めるために使われる力は、制限(空想)することに用いられる。したがって、その力は制限された弱いものにならざるを得ない。それがその(弱めるために使われる力の)目的だからである。
力が力であるためには、対立なきものでなければならない。弱さが力のなかに侵入すれば、力を力でないもの(空想)に変えずにはいない。弱めるとは制限(空想)することであり、自ら攻撃している概念(愛)に対し、それとは矛盾した正反対のもの(空想)を押しつけることである。」
(1-1〜7)

「弱められた(つまり力のない)力」や「憎悪に満ちた愛(?)」などという二重概念を、誰が理解できるだろう。」
(1-9)

「(投影された兄弟)彼は、二重になった(無意味な)想念を表象しており、そこでは、半分が残りの半分によって相殺される。しかし、残りの半分もそれが相殺した半分によってただちに否定され、※そうしてどちらも消えてなくなる。(だから、※(無意味な)空想は現実においては無なのである)
(2-3〜4)

「だが、虚無もうつろな空間も、妨げとはなり得ない。実相についての自覚を妨げ得るのは、何かがそこにあるという信念である。」
(2-7〜8)

「それゆえ、この絵にはいかなる原因もない。原因がなければ誰が結果を知覚できるだろう。」
(3-4)

「満たされているとは見られていないうつろな空間(*第2レベル)



すでに使用されて何かが占められているとは見えていない未使用の時間枠は(*第4レベル)

(以前にもコメントしたようにコースは原因のレベルに近づくにつれて空間としてとらえる、結果のレベルをそのための距離をつくる時間枠として考えている)

真理(愛)に対し、中に入ってくつろぐようにと誘う無言の招待となる。」
(4-1〜2)

「対立するものがなく(癒され)、弱められていない力(パワー)が、
創造の本質である。
これには(もはや)象徴となるものはない。
いかなるものも、真理(力についての矛盾していない概念すら)を
超えたものを指し示すことはない。いったい何が、一切(の概念)を超えるもの象徴できるだろう。
しかし、真の取り消しは*優しいもの(ゆっくりとした目覚め)のはずである。それゆえに、最初にあなたの絵と交換に与えられるのは、もっと優しい別の種類の別の絵である。」
(4-4〜8)

「それは二重概念を表してはいない。それはまだ絵の半分(第4レベル)であり、不完全なものではあるが、それ自体の内部(第2レベル)においては同一である。それ(第4レベルの絵)が表象しているものの残りの半分(記憶)は未知のままであるが、それは(自我が産んだ二重概念に)相殺されてはいない。
こうして、神ご自身が自由に最後の一歩を踏み出せるようになる。このことのためには、あなたは絵(癒し)も補助教具(奇跡)も必要としない。そして、
究極的にすべての補助教具(全スピリチュアルの道)にとって変わるものは、ただそこに在るものである。

赦し(心)は消滅し、象徴(知覚)は薄れていく。

かつて目が見ていたもの、耳が聞いていたものは何も残されず、知覚されない。完全に無限なる
力が、(心を)破壊するためではなく、自らのものを受けとるためにやってきたのである。」
(6-4〜9、7-1〜2)














()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第29章 目覚め

.賓客(キリスト)の到来


「なぜあなたは、自分が自由(非束縛・ハート)であると学ぶことを、苦しみからの解放として知覚しようとしないのだろうか。なぜ、それを敵として見る代わりに、その真理を歓迎しないのだろうか。こんなにもはっきりと標示されていて迷うことなどあり得ない容易(無条件)の道が、なぜ、茨の生い茂る荒れた道や、辿っていくのがひどく困難な道に見えるのだろうか。それはあなたがその(無条件の)道を地獄に続く道と見ており、天国と神(ハート)の内に自分自身を見出すための、犠牲も損失もない単純な(無条件の)道とは見ていないからではないだろうか。自分は何も諦めなくてよいと認識し、損失は存在しない(パーフェクトな存在である)と理解するまで、あなたは自分が選択した(ハートへの)道について何らかの後悔を抱くだろう。
そして、その(ハートの記憶への)選択があなたに差し出した数多くの恩恵(愛の記憶の増大)を見ることはないだろう。しかし、あなたが見なくともそれら(奇跡)はそこにある。それら(奇跡)の原因(愛の記憶)は結果(奇跡)をもたらしたのだから、それら(奇跡)はその原因(ハートの記憶)が入ってきた場所(心)に存在しているはずである。
 あなたは癒しの原因(無条件の愛の記憶)を受け入れた。したがって、あなたは癒されいるはずである。そして、癒されたのだから、癒す力もまた、今やあなたのものとなっているはずである。奇跡(心の変化)は、原因(無条件の愛の記憶)もなしに結果として突然起こる分離したものではない。またそれ(奇跡)自体が原因なのでもない。しかしそれ(奇跡)は、それの原因(無条件の愛の記憶)がある場所に存在するはずである。それ(奇跡)はまだ(あなたには)知覚されてはいないが、(奇跡は)今や、(無条件の愛という)原因を与えられて生起した。そして、その結果(奇跡)はまだ見られていないがそこに存在している。今、内側(心のうち側)を見なさい。そうすればそこに、後悔すべき理由ではなく、大いなる喜びと平安への希望を抱かせる原因(ハートの記憶)が見えるだろう。」
(1・2段落)

「あなたの賓客(太字:キリスト:無条件の愛)はすでに訪れている。あなたが彼に求めたので、彼(太字)はやってきた。あなたは彼(太字)を完全には歓迎しなかったので、彼(太字)が入ってくるのが聞こえなかった。
だがそれでも彼の贈り物(心眼)も彼と共にやってきた。彼(太字)はその贈り物(心眼)をあなたの足元に置き、今あなたに、それらを見て自分のものとして受け取るよう求めている。それらの贈り物(心眼)を、自分は分離していて孤独だと信じて別々に歩んでいるすべての人々に与えるにあたり、彼(太字)はあなたの助けを必要としている。あなたが自分の贈り物(心眼)を受け入れるとき、彼らは癒されるだろう。なぜなら、あなたが立ち、彼らのための彼(キリスト)からの贈り物(無条件の愛による心眼)が置かれている聖き地では、そこに足を踏み入れたすべての者を、あなたの賓客(キリスト)が歓迎するからである。」

(4段落)


「あなたにはあなたの賓客(太字)は見えないが、彼(太字)が持ってきた贈り物(心眼)は見える。そして、それらの贈り物を見るとき、あなたもそこに彼の臨在(太字)があることを信じるだろう。なぜなら、今あなたに可能になっていることは、彼の臨在(太字)が保持している愛と恩寵がなければできなかったはずのことだからである。」
(5-6〜8)

「それが生ける神(太字)の約束である。すなわち、神の子(太字)が生命をもち、生きとし生けるもののすべてが彼の一部であり、それ以外のいかなるものも生命をもたない(空想である)、ということである。あなた(の自我)が「生命」を与えたもの(肉体)は、生きてはおらず、それは死を生命と知覚し、生きることを死ぬこと(※生きるということは、これから死んでいくことである)であると知覚して、生命から離れて生きていたいというあなたの*願望を象徴しているだけのものである。」
(6-1〜2)
平安達成への恐れ





()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第29章 目覚め

.不変なる住居(ハート)


「あなたの中には、この世界のすべてが忘れ去られている場所がある。それは、もはや罪や幻想の記憶が残っていない場所である。あなたの中(うち側)には、時間が消え去っている場所がある。そこでは永遠のこだまが聞こえている。」
(1-1〜2)

「父と子(キリスト)の住居[すまい]を
あなたが(実際に)変えられると思ってはならない。
あなたのアイデンティティー(愛)は
彼ら(神によって創造された完全なもの同士の愛)の中にあり、彼らが居るところに、あなたも永遠に居るはずだからである。
天国の不変性はあなたの中に(うち側に)ある。それはあまりに奥深くあるので、気づかれることも目に留まることもないまま、世界の中のすべてはただそこを通りすぎていく。(ハートからくる)果てしない平安の静けき無限性が、
あなたを柔らかい抱擁の中に静かにしっかりと包み込む。」
(2-1〜4)

「この神聖な
(兄弟である)神の子はあなた自身と※同じである。彼は、あなたに注がれる彼の父の愛を映す鏡(ビジョン)であり、彼を創造して
今もあなたの中にも彼の中にも宿る
父の愛を、やさしく思い出させるものである。

深く静まり、彼の*内なる神の声を聞きなさい。そして、その声に彼の機能がなんであるかを教えてもらいなさい。
彼は
あなたが全一であるようにと創造された。」
(4-1〜3)

「あなたを取り囲む
静けさ(愛の抱擁・奇跡)は
彼の中に住まい、この(ハート・愛の)静けさの中から、
無垢性の内にあなた方が手を取り合う場である
(愛の安らぎの)幸せな夢が生まれる。」
(5-4)


「それは、邪悪で憎しみに満ちた別々の夢を見る代わりに、彼と共有する希望の夢である。この夢を共有することが、なぜ、それほど難しく見えるのだろうか。その理由は、
聖霊(無条件の愛)から機能を与えられない限り、それは憎しみのために作り出された夢であり、(いのちの)死(自我)に仕え続けることになるものだからである。
夢が取るどの形(条件)も、何らかの形で(無条件の愛の)死を求めている。
(無条件の愛の)死という君主に仕える者たちは、死すことを誓った往古の約束を守るために、それぞれに小さな槍と錆びた剣を携えて、分離した世界に礼賛に来ているのである。
 これが、夢について異なった機能を見る聖霊(無条件の愛)に使われないようにと隔離されてきたすべての夢の中の、(無条件の愛という平安の達成への)恐れの核心である。」
(7-2〜6、8-1)




()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第29章 目覚め

.自分の外を探すのはやめなさい


「あなたは自分が正しいことと、幸福であることの、どちらを好むだろうか。幸せがどこ(源・ハート)に宿っているかを教えられていることを喜び、それ(源・ハート)以外の場所をこれ以上探すのはやめなさい。さもなければ、あなたは失敗することになる。あなたには真理(ハート)を知り、自分の外に真理を探さずにいる力が与えられている。」
(1-9〜12)

「彼はここ(第4レベル)に来ることによって、自分自身の真理(ハート)を否定し、まるで一切なるものの*一部が切り離されて(神からの分離の信念)、他の部分が存在していないとろに(自我だけの中に)見出だされ得るかのように、一切なる(源・ハート)以上の何かを探し求めているのである。これが、
彼が肉体に与えている*目的である。すなわち、肉体は
彼に欠けているものを探し出し、彼を完全にしてくれるものをもたらすべしという目的である。
こうして彼は、自分が本来の自分とは違うもの(:自我)であると信じつつ、
見つけられないものを探してあてどなくさまよう。」
(2-1〜5)
「彼は、自分の探し求めている偶像(肉体)がまさに自分の死に他ならないということを理解していない。
その形は彼の外側にある*ように見える。
しかし、彼は内なる
神の子(ハート)を殺して自分(の自我)が神の子(キリスト)に対する勝利者であることを証明しようとしているのである。
これがあらゆる偶像がもつ(:偶像に与えた、自我の古い)目的である。なぜなら、これが偶像に課せられた役割であり、
これが※達成不可能な役割だからである。」
(3-2〜5)

「あなたは自分から
何か(・源)が欠如することがあり得ると信じており、(源を失った)欠如とは死だからである。犠牲にするとは(源を)放棄することであり、したがってそれなしでいることであり、損失を被ったということである。そして、この放棄によって、生命(ハート)が拒絶される。
自分の外を探すのはやめなさい。そうした探索が示唆しているのは、あなたは内側(源)においては全一ではなく、
自らの悲惨な状態(愛からの分離の信念)を見ることを恐れていて、
自分の本性を自分自身の外側に探すほうがよいと思っているということである。」
(4-2〜6)
「このすべてを変化させ、果てしない絶望の環のように見えたものの中に希望と解放の道を開くために必要なことは、自分は(帰還のための手段となりうるという)この世界の目的を知らないと結論することだけである。
あなたはこの世界(自体)がもっていない(心のためにすぎない)ゴールの数々をこの世界に与え、そうしてそれが(この世界が)何のためのものかを決定している。そしてあなたはその中に(その世界の中に)、自分の外側に見出だされる偶像(肉体)の居場所を見ようとする。
それらはあなたの本性を二分(:真実に対する空想をつくる)することによってあなたの内(源)にあるものを完成させる力をもつようになった(もつようにみえる)偶像である。
あなたが、あなたの夢を*選んでいるのである。
なぜなら、それらはあなた自身が望んでいるものであり、あたかもあなたに与えられた
(たとえば、出産された)
*かのように知覚されているものだからである。」
(8段落)
「しかし(輪廻のような)夢は、※※眠っている心(:自我)の中以外のどこにあるだろう。そして夢は、自らが外へ投影する映像を実在させることができるだろうか。私の兄弟よ、時間を省きなさい。時間が何のためにあるのか学びなさい。
そして、偶像(※※したがってこの段落から原因の自我の意味として語られている)が
そこ(時間のなかの肉体)に見られることによって悲しく病んだものにされてしまった世界において、偶像(自我)の終焉を早め(る選択をし)なさい。

あなたの神聖な心(ハートの記憶)は神(愛)への祭壇であり、
神(愛:現実)の居るところに偶像(自我)はとどまることはできない。
神(現実・愛)に対する恐れは、偶像を失うことへの恐れにすぎない。
しかし、あなたは自分の実相(ハート)を偶像(自我)にしてしまったので、
真理(ハート)の光に対抗してそれ(自我)を保護しなければならない。そして全世界が、この偶像(自我)を保持できるようにするための*手段となる。こうして(愛による)救済は、(自我にとっては)生命を脅かし、死をさしだす
かに見える。
 それは事実ではない。
救済(そして新しい目的のための手段である世界:ビジョン)は、死が存在しないこと(現実などではないということ)、
そして、生命[いのち]だけが存在することを証明しようとする。死を犠牲にすることで失われるものは何もない。
偶像(自我)は
神(愛)の座を奪うことはできない。
あなたへの神の愛を、
神(*愛)に思い出させてもらいなさい。」

(9段落、10-1〜5)

おはようございます
*^^*
そういえば
mixiに紹介してもらったきっかけは
母親が申し込んだ高知県への旅において、体調がよくなかった母親
のかわりとして一緒に
高知県へと旅行した
派遣の友人に紹介してもらったのです
(そのときmixiは紹介性でした。)

明治維新の龍馬を輩出した土佐(高知)を
一緒に旅した友人からmixiを紹介してもらったのは、そしてアコースインミラクルズ ACIMのコミュニティに参加したのは
なにか復活のための象徴的な出来事にみえてきます
*^^*

ちなみに、
友人がmixiを紹介してくれたのは

大阪の難波
(いわゆるミナミといわれる)の
心斎橋筋の
道頓堀(どうとんぼり)というの川のあたりで休憩していたときでした
(この川は
兵庫県の西宮市にある阪神甲子園球場
が本拠地の阪神タイガースが優勝すると、ファンが喜びのあまり川にとびこんで、テレビのニュースで条例違反かなにかで?警察沙汰になってるのを昔よくみました^^ゞ

ちなみに
奈良の大学のちかくの龍田大社の近くに住んでいた三重県から大学の親友も、そうとはしらずに川にとびこんでしまい、
警察のご厄介になってしまったと苦笑していました。

話をもどします

沖縄から大阪へ派遣で働きにきていた友人とは別れ際に
高知を旅することができましたが

最初に知り合ったときに
彼がmixiなるものをしていると知り

大阪で遊んでいたとき
道頓堀のあたりの椅子にすわって
(道頓堀の川は
新整備の途中で、のちに遊覧船ができました)
mixiの説明や紹介をしてくれたのです
そして、奇跡のコースはまだ翻訳はでていませんでしたが
ぼくは「神の使者」の本を読み終わっていたので

すぐ帰宅してからこのコミュニティに参加したのです
(当時はmixiネーム:マルコとして)

わたくしがmixiのアコースインミラクルズ ACIMのコミュニティに参加させていただいた経緯は以上となります
^^

ではこのへんで
みなさま
今日もよいビジョンを御過ごしくださいませ。
()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第29章 目覚め

.反キリスト(自我と偶像)


「いったい誰(自我)の声が、神(ハート)に対し入ってこないようにと要求できるというのだろう。「一切なるもの以上のもの(=力)」とは、あなたを怖がらせ、震え上がらせるようなものではない。キリスト(愛の力)の敵はどこにも存在しない。彼は、実在となり得るいかなる形もとることはできない」
(4-6〜9)


(ただし、選択する心が好奇心により誤って自我を選んで遊ぶことをした場合:この選択からは、ただの空想(もし?)を現実にするという選択になるので罪悪感が伴うが
愛はその選択をやめることを提案をしていても※強制したりはしない

愛とはそもそも自由であるからである。神の子が好奇心によりまだ自我を望んでいるかぎり

神・キリストの愛は空想を現実にすることをやめるように支配(強制)などしたりはしない。)


「偶像とは何だろうか。無である!生命をもつかに見えるようになる前にそれはまず信じられねばならない。恐れられるようになるためには力を与えられねばならない。その生命と力は、それを信じる者からの贈り物であり、
奇跡はこれを、天国の贈り物と永遠の平安にふさわしい生命と力をもっているもののもとに回復させるのである。奇跡は真理を回復させることはしない。真理は、間を遮るベールによって消されたことのない光である。奇跡はただそのベールを取り払い、真理(ハート)がありのままに、何にも邪魔されることなく輝くようにするだけである。真理が真理であるために信念は必要ではない。それは創造されたものだからである。したがって、それはただ在るのみである。」
(5段落)

「偶像は(自我への)信念によって確立され、信念が撤回されれば、偶像は「死ぬ」ことになる。これが反キリストである。すなわち、全能をの力を凌ぐ力や、無限なるものを超えた場所や、永遠なるものを超越した時間といったものが存在するという、奇妙な考えである。」
(6-1〜2)

「すべてが光そのものであるところに設けられる闇の場所や、果しなきものから切り離された陰鬱な洞穴にとって存在できる場所などない。偶像の居場所は、神が永遠にすべてのものを配し、神の意志(太字)以外のいかなるものにも存在する余地をまったく残さなかった場所の外側(アンリアル)である。」
(7-4〜5)


(一切であるもの以上を誤って望む:よりもっと
。「もし、わたしがここ(一切)からでていって、自分かってにできたら…」)


「今でも、実相に含まれていない贈り物を与えてくれそうな何らかの偶像
を探そうとしているのでなければ、ここ(この世界)にくることはない。
偶像を崇拝する一人ひとりが、自分の特別な神々(様々な偶像)が自分に他者の所有しているものよりも多くのものを与えてくれるだろうと希望を抱いている。より多くでなければならない。何をより多くは問題ではない。より多くの美、より多くの知性、より多くの富、さらには、より多くの苦難や苦痛(例 たとえば激しいスポーツの競技による)でさえもが対象である。とにかく、より多くの何かのために偶像は存在する。
そして、一つの偶像がしくじれば、もう一つがその代わりとなって、他の何かをより多く見つけるという希望を携えてくる。その「何か」が纏(まと)う形に騙されてはならない。偶像は、より多く得るための手段である。
神の意志(すでに一切であり満たされていること)に反しているのは、まさにこのことである。

 神には多くの子らではなくただひとりの子がいるだけである。誰がより多くをもち、誰がより少なく与えられるというのだろう。天国(ハート)の中であれば、神の子は、(空想で:)仮に偶像が彼の平安を乱すことができたとしても、ただ一笑に付すだけだろう。」

(8-5〜13、9-1〜3)






()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第29章 目覚め

.赦しの夢


「裁きの夢の中では、あなたは(アイデンティティを)攻撃し、(自我の)有罪宣告を受ける。そして、自分の裁きとそれがもたらす罰の間に挿入される偶像たちの奴隷となることを願う」
(3-7)

「実相世界も依然として一つの夢にすぎない。ただし、登場する人影たちは変わっている。彼らは(天国・ハートを裏切った自分とおなじような)裏切りをする偶像とは見られてはいない。
その夢の中では、誰も、何か別のものの代わりに用いられることはなく(:自我というもの、そしてその代わりである偶像として用いられることはなく)、
心が抱く想念と心が見るものとの間に挿入されることもない。

誰も、自分ではない何らかのものとして用いらることはない。子供じみたもの(偶像)はすべて片付けられているからである。そして、かつては裁きの夢であったものが、今や、すべてが喜び(ハートの記憶による平安)である夢へと変化した。
それ(喜び・平安)がその*夢のもっている目的(意味)だからである。
時間はほとんど終わっているので、ここに入ってこられるのは、赦しの夢だけである。
*そして、夢の中に入ってくる形態は今や、裁きではなく愛の中で兄弟として知覚される。」
(7)

「赦しの夢は、永続する必要はほとんどない。
それらは、心が思考(延長)することから
心を分離させるために作り出されてはいない。
赦しの夢は、その夢が
(裁きの夢のような)誰か別な者によって見られていることを証明しようとはしない。

そして、赦しの夢の中では、時間のはじまり以来聞かれたことはなかったが、誰もが覚えている旋律(愛からのエナジー)が聞こえる。赦しは、いったん完璧なものとなれば、すぐ近くまで超時性を運んでくるので、天国(愛)の歌(エナジー)が聞こえるようになる。それは耳で聞くのではなく。神の子の内側深くに永遠に(:いつも)あり続ける祭壇(ハートの記憶)から一度も去ったことのない聖性をもって聞く歌(エナジー)である。この歌を再び聞くとき、彼は、自分がそれ(エナジー)を聞いていなかったことは一度もなかったということを知る。」

(8-1〜6)
()*※は読書メモ

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(中央アート出版)


第30章 新たなる始まり

機シ菽任里燭瓩離襦璽


「そして、あなたが(ハート)から聞く答えは、最初にあなたが(自我で)見た通りの問題を解決しないかもしれない。これが(愛・ハートへの)恐れにつながる。なぜなら、それ(ハートからの答え)はあなたが(自我で)知覚するものと矛盾し、そのためあなたは(ハート・聖霊・兄弟から)攻撃されたように感じるからである。その結果、(攻撃という)怒りを覚える。こうしたことが(結果として)起こらないようにするための(決断にあたっての・原因のための)ルールがある。」
(3-1〜5)

(自分で状況自体を判断を下してしまっているとき)
「(ハート・聖霊・兄弟からの)答えは
(ハート・聖霊・兄弟からの答えに対して、自我で)攻撃(怒り)を引き起こすことになるだろう。
もしあなたが、じっとして(ただ静かにして、ハート・いつもあるもの・兄弟の)答えが与えられることを求める気持ちになれないと感じている場合には、確かにこうした(結果・怒り・裁きが)起こっ
(てしまっ)たと思いなさい。」
(5-1〜3)


「少なくとも私は、今、感じているような気持ち(喜びではない)は好まないと決めることはできる」
(8-2)

「私はこれを見るための*別の見方を望む。」
(11-4)

「こうして、(奇跡を)求めるための準備が整った状態
があなたの自覚にもたらされる。」「この最後のステップは、(奇跡・ハートに)助けられることに抵抗がないと認めることに他ならない。」

「おそらく、これには別な見方がある。(ハートに)尋ねることで、私が何を失うことがあるだろう。」
 このようにして、今やあなたは意味のある質問をすることができ、その答えも意味をなすものとなる。
(12-3〜5)

「実のところ、唯一の質問は、あなたが何と一緒に決断することを選ぶか、ということだけである。実際、それがすべてである。」
(14-4)

「ここにはいかなる強要もあり得ず、」
「起こらざるを得ないこと(結果)を免れるという自由はない。」
(15-4〜5)

「それら(結果)はあなたとあなたの助言者によって、あなた自身と(第4レベルのこの)世界のために下される。」
(16-6)

「全世界に対し幸せを約束するためには、今日幸せであろうとする二人(兄弟)が必要なだけである。
自分たちが求めた喜びが完全に分かち合われることを保証するには、ひとりでは決断できないということを二人の者(兄弟)が理解することが必要なだけである。なぜなら、決断を強力にし、それ(決断)がもち得るすべての結果をそれ(世界)に与える基本的な法則(愛のための決断のためのルール)を、彼らは理解したからである。それには二人(兄弟)が必要なだけである。この二人(兄弟)は、決断が下される前に、つながり合っている。」
(17-1〜5)




おはようございます
昨日、心にメッセージがあらわれて

翼がどうこうとか
というメッセージだったので
同時にふと思い出した
コースの学習者さんの動画を検索してみたら
かんたんにミツカリました

天国は扉をもっておらず
それはマインドの扉(枠組み)
のことであった
と以前コメントしたこと

おなじようなことを語っておられます

この方のインスピレーションは
第2レベルから源への話についてです

肉体のなかにいるかのようにみえている
第4レベルの私は
自我ではなくハートの記憶(聖霊)への意欲
により

第2レベルのハートの記憶を望むことによって

おきてくる奇跡です

https://m.youtube.com/watch?v=VvpMPqO0zg0
ちなみに具体的メッセージを追加しておきます

この方が動画を
ユーチューブに公開した日付
をみますと、

先月の
「2018/03/17 に公開
2017年7月7日、2時間の動画から一部抜粋して36分の動画に編集しました。」

とあります。

この日(3・17)は
運命の映画
「ちはやふる 結び」

劇場公開の日
でした。

それに
この学習者さんは動画のなかでは

翼についての記述を
コースのテキストでさがしてみて
「平安への障害」の箇所(19章の言瓠)

でその説明をみつけたとおっしゃっています。

わたくしも
四月の復活祭にむけて
テキスト19〜20章(聖週間とか)をよんでいたので

そのころにたぶん
天国が扉をもっているわけではない
とコメントを
わたくしも
したりしていたのではないかとおもいます

そして今朝
心湧いたとおり
検索をしたら
3・17(ちはやふる)

の日にアップされていた動画をみつけました



愛の運命によるメッセージに感謝いたします
()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

30章 新たなる始まり
后ネ0譴量榲

 
「世界は希望の場所となる。その唯一の目的が、幸福という希望が成就される場所(実相世界)になることだからである。そして、この希望の外に立つ者はいない。なぜなら、「希望が単なる夢以上のもの(※現実の記憶:愛のエナジー)であるとしたら、世界の目的とは、必ずすべての者に共有されるような目的である」という信念において、世界は※すでにひとつに結ばれているからである。
 赦しという目的(いつもある精神統一の旅の帰還方向)がまだ残っているので、まだ天国は完全には想起されてはいない。
しかし、すべての者が、いずれ自分が赦しを越えていくということは確信している。彼は、自分の中で赦しが完璧になるまでそこにとどまるだけである。彼はこれ以外には何も望まない。」
(2-7〜8、3-1〜3)

「あなたの自分像(ビジョン)とあなたの本性(ハート)との間を遮っていた(自我の力動の)すべてを、赦し(奇跡)が喜んで洗い流してくれる(精神統一による癒し)。」
(6-2)

(わたしたちは自我の旅が終った時点から
もう一度
癒すために旅を振り返っている)

「正直に振り返る(※もう一度選択し直す)のでない限り、後ろを振り返ってはならない。そして、偶像があなたを誘惑するときには次のことを思いなさい。

 偶像が罪悪感という「贈り物」(すなわち結果)以外の何かを」もたらしてくれたことは一度もない。どれ一つとして苦痛という代価によらず買われたものはなく、その支払いをしたのはあなたひとりだけではなかった。」
(10-1〜3)

「神の意志は手を取り合った者たちの中に永遠に存在する。互いにつながり合うまでは、彼らは神(愛)が敵であると思っていた。しかし、彼らがつながり合って、一つの目的を共有したとき、彼らは自分たちの意志が一つであることを学ぶ自由を得たのである。」
(11-1〜3)





()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

30章 新たなる始まり

此ゼ呂靴寮掬性(現実性)

 
「怒りは決して正当化(現実化)されない。
(怒りによる)攻撃には何の(現実的)根拠もない。恐れからの脱出はここにおいて始まり、いずれ完結する。」
(1-1〜3)

「あなたに求められているのは、誤りに基づいている苦悩への、すなわち助けを求めている苦悩への
※自然な反応として、
(現実である愛の記憶による)赦しを見ることだけである。(愛の記憶による)赦しだけが
唯一の正気の応答である。」(2-7〜9)

「奇跡は
あらゆる形の病気を(愛の記憶・Visionにより)癒せるか、さもなければ、癒せないかのどちらかだということが真実にちがいない。」
(7-1)


「 父(愛)よ、あなたの完全無欠な子について感謝します。そして私は、彼(兄弟)の栄光の中に、私自身の栄光を見るでしょう。

 ここに神の意志(※愛)に打ち勝つことができるような
いかなる形の悪も存在(実在)しないという、喜ばしい声明がある。
すなわち
あなたの(誤った)願望をもってしても、
罪悪(自我)は
幻想(空想)を実在(現実)のものにすることに成功しなかったという喜ばしい確認である。
そしてこれは、真理(ハート)についての簡潔な声明でなくて何だろう。
 自分の内にこの希望(ハートへの意欲)を抱いて、兄弟を見なさい。
そうすればあなたは、
彼は彼の中にある真理(ハート)を変化させられるような誤りを
(現実に)犯すことはできなかったということを理解するだろう。

(9-4〜6、10-1)
()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

30章 新たなる始まり

察タ靴靴げ鮗(帰還のための)

 
「神(ハート)は世界の意味をあなたの(自我の)解釈に任せたりしただろうか。もし神(愛)がそのようなことをしていたなら、世界に意味はない。」
(1-1〜2)

「一つの恒常的な目的
(ハートの記憶による奇跡という目的)だけが、出来事に安定した意味を賦与することができる。しかし、それはすべての出来事に
*一なる意味だけを授けるものでなければならない。」
(3-1〜2)

「一つの共通の(、ハートの)目的だけが、
知覚を安定させ(いつもある精神統一)、この世界に対し、またここにおけるすべての体験に対し、一なる解釈を与えることのできる唯一の
(実相への)手段である。
この共有された目的の中で、
(愛の記憶による、)一なる判断が、あなたが見るすべての人や物によって共有される。
あなたは判断しなくてよい。というのもあなたはすべてのものに一なる意味が※(すでに)与えられたことを学んだからであり、それが至るところに見られることを嬉しく思っているからである。」
(4-1〜3)

「(兄弟によって)使われている象徴同士(今、兄弟がお互いがみているある出来事)が異なることを意味しているときに、どのようにしてコミュニケーションが真に確立され得るだろう。
聖霊のゴール(愛の記憶)は、あなたにも兄弟にも意味のある
一つの解釈(愛の記憶による癒し)を与えてくれる。
このようにして、あなたは彼と、彼はあなたと、コミュニケーションを行えるようになる。
あなた方が共に理解できる象徴(愛の記憶によるVision)において、
(愛のエナジー:Visionの)意味の犠牲が取り消される。
(意味の)すべての犠牲は、
出来事同士の間にある(神聖な)関係を見るあなたの能力の喪失をもたらしている。別々に(別々の視点で)見られたなら、これらの出来事には何の意味もない。なぜなら、それらを見て理解するための(ハートの)光がないからである。それらには何の目的もない。そして、それら(出来事)が何のためのものかが見えない。いかなる損失の想念の中にも、意味は存在しない。
それ(出来事)が何を意味するのかについて、誰もあなたに同意していない。
それは歪められた脚本の一部(の出来事)であり、(ハートによる癒しのための)意味のある解釈は不可能である。」
(6-1〜12)

「孤独(自我)の中から解釈してはならない。そのようにしてあなたに見えるものは、何も意味しないからである。それ(孤独)が表しているものの中でそれ(状況・出来事)は変化し、あなたは、この世界は不確かな場所であり、自分はその中を危険に囲まれながら半信半疑で歩いていると信じることになる。安定性を欠いているのは
(愛へのよびかけを癒すためではないという、)あなたの解釈だけであり、
それは、あなたの解釈が真の本性(愛・ハート)と整合していないからである。」
(7-1〜3)

「私たちには一なる解釈者(・精神統一する者)がいる。(その)聖霊の
象徴の使い方(愛の記憶による、象徴の癒し)を通して、私たちはつながり合い、象徴(Vision)が私たち全員にとって同じことを意味するようになる。共通の言語(Vision)によって私たちは兄弟全員に語りかけ、私たち全員に赦しが与えられていることが彼らと共に理解できるようになり、そうして、私たちは再びコミュニケーション(実相世界・実相の反映)を行えるようになる。」
(7-6〜8)



奇跡講座 不変なるハート・無条件の愛


()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

30章 新たなる始まり


次ド塋僂覆觴汰(ハート)

 
「実相(ハート)が不変である(いつもある)からこそ、奇跡は*すでにそこに存在しており、変化する一切を癒してあなたに差し出し、あなたが恐れのない幸せな形態の内にそれらを見られるようにする。奇跡はあなたに与えられ、あなたは兄弟をこのように見ることになるだろう。しかし、あなたが奇跡をいくつかの点で違ったものにしておきたいと望んでいる間は、そのようにはならない。それは、兄弟が癒されて*全一(愛からのエナジーしかない:ワンネスの記憶)になることをあなたが望んでいないことを意味するからである。彼の内なるキリスト(愛)は完全無欠である。あなたが見たいのはこれだろうか。それならば、あなたがこれよりも見たいと思うような兄弟についての夢(空想)はもたずにいなさい。そうすればキリスト(聖霊)をあなたのもとに来させたがゆえに、あなたは兄弟のなかにキリスト(聖霊)を見るだろう。そしてキリストがあなたの前に表れたとき、あなたは自分が彼と同質のもの(:愛からのエナジー、ワンネスの記憶)であることを確信するだろう。キリスト(ワンネス・一体)こそが、兄弟とあなたの中の不変なる(いつもある)ものだからである。」
(5段落)

「兄弟の真の本性(ハート)の代わりに保持していたいと思うような外観は一つもないと
(ハートへの意欲によって)決断するとき、あなたはこれを見るだろう。夢のほうを好むという誘惑により、ここに※不確かさを入り込ませないようにしなさい(確かなものは私以前のハートからの記憶しかありえない)。彼の本性についての夢(空想)に誘惑されるとき、罪(自我)を犯して恐れる者となってはならない。そうではなく。あなたが彼を見るとき、彼の中の不変なるもの(いつもあるもの)に取って代わる力を夢に与えないようにしなさい。もしあなたがその代わりに(ハートの記憶による)奇跡を要請(意欲)するなら、ただ色褪せて消えていかないような偽りの外観は一つもない。もしあなたが兄弟をその本性(無条件の愛)の※ままにあらしめようとするなら、彼が免れないような苦痛(努力)は一つもない。なぜ、あなたが彼の中にキリスト(無条件の愛)を見ることを恐れなければならないというのだろう。あなたは自ら見るものの中にあなた自身を見るだけである。彼が癒されるとき、あなたは罪悪感から解放される。彼の外観(ビジョン)はあなたの(心の)眼に映るあなた自身の外観(ビジョン)だからである。」
(6段落)



 

奇跡講座テキスト〜非二元への旅〜



()*※は補足


奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

6章 愛のレッスン



 
「自分が(兄弟から)攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じていない限り
怒りが生じることはあり得ない。
これら3つの全面的に非理性的な前提が与えられたなら、兄弟が愛ではなく攻撃を受けるにふさわしいという、
同様に非理性的な結論が必ず導き出される。

(1-3〜4)

「あなたは攻撃されることなどあり得ず、攻撃にはいかなる正当(現実的)な根拠(原因)もなく、あなたが何を信じるかはあなた自身の責任である。」
(1-7)

「あなたは私(イエス)を学びの手本とするように勧められてきたが、それは極端な例は特に役立つ学習教材となるからである。
誰もが(自我あるいは愛・現実の記憶を)教えており、しかも、いついかなる時にも教えている。
それが、あなたが何らか(自我からか愛の記憶からかのどちらかの)前提を受け入れた瞬間から、引き受けざるを得ない責任であり、
また、
何らか(どちらか)の思考体系がなければ

誰も自分の人生に秩序
(遊びへのコントロールか、帰還への精神統一によるコントロールか)をもたせることはできない。

ひとたびあなたが何らか(どちらか)の思考体系を構築したなら、あなたはそれに従って生きそれを教えることになる。

一つの思考体系に忠誠を尽くすという能力は、間違った対象に向けられる場合もあるが
(第2レベルの選択するわたしが、「自我」という対象を信じ、それを「主体」とすること
そして*二元的認識を空想ではなく現実として意識し、
その意識を投影すなわち第4レベルへ知覚すること)

それでもそれは信の一形態であり

※(帰還への旅においては)
正しい対象(第2レベルの選択するわたしが、対象『最初の自我(二元)』の発生を信じるのではなく
わたしの記憶(*対象ではなく)
へのほんとうは非対象的『非二元的な』記憶の選択)
に向け直すことが可能である

[すなわち
わたしは自我(二元)なのか、非二元(ハートの記憶)なのか
の決断を第4レベルのわたしの意欲により選択することになる。そしてその反映をこの世界で見ることになる]

(2段落)

愛のレッスン(十字架刑のメッセージ)



()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第6章 愛のレッスン

. 十字架刑のメッセージ


「私(イエス)は世界が裁く通りに迫害されたが、自分のためにこの評価を共有しなかったということである。そして、私はそれを共有しなかったので、それを強化しなかった。したがって、私は攻撃についての異なった解釈(不滅のハートへの助けを求める呼びかけということ)を差し出したのであり、この解釈を私はあなたと共有したいと思っている。あなたがそれを信じるなら、あなたは私がそれを教えるのを助けることになる。」
(5-3〜6)

「あなたの復活とは、あなたが再び目覚めることである。私(イエス)は再生の手本であるが、再生そのものは、単に、あなたの心が自らの中にすでにあるものに気づくことにすぎない。」
(7-1〜2)

(ジェットコースターのトラブルの記事においても、その兄弟たちは不滅の神のひとり子として
イエスやわたくしたちと一体である。)

「私の兄弟たちが、一つの声(ハート・聖霊の声)だけを聞くという私(イエス)の決断を共有しないとき、私は残念に思う。…教会とは祭壇のある場所(心)であり、祭壇(ハートの記憶)の場所が教会(心)を神聖にする。愛を喚起しないような教会(心)には、神(愛)が意図した目的に叶わない隠れた(自我の)祭壇がある。私は神(愛)の教会(ハートの記憶により癒される心)をあなたの上に(奇跡により)築かなければならない。」
(8-1〜6)

「私たちは同じ体験(十字架刑)をする必要はないが、それでも学ぶ者として対等である。
あなたが私(イエス)の体験から学び、それによって再び目覚めることができるとき、聖霊は喜ぶ。
それ(再びハートに目覚めること)が、それらの体験の唯一の目的であり、私が「道であり、真理であり、生命である」と知覚され得る唯一の方法である。」
(10-3)

「十字架のメッセージ(レッスン)は、次の通り、明白である。

愛だけを教えなさい。それがあなたの本性だからである。


(13-1〜2)

「聖霊(ハート)とは、父なる神(※愛)
と分離した神の子らとの間の親交(コミュニケーション)の絆だと思い出しなさい。聖霊(ハート)の声に耳を傾けるなら、あなたには、自分が傷つけることも傷つけられることもあり得ないとわかり、また、多くの者がこのことを自分で聞くことができる(いつもある精神統一に気づく)ようになるための助けとして、あなたの祝福を必要としていることがわかるだろう。あなたが彼らにこの必要(愛の記憶への融合の願望・呼び掛け)だけを知覚し、それ以外のものには応答しないとき、あなたは私から学んだことになり、私と同じく(愛への)熱意(:意欲)をもって自らの学びを分かち合おうとするだろう。」
(19段落)

いつもある声



()*※は読書メモ

奇跡講座テキスト
(中央アート出版)


第6章 愛のレッスン

.唯一のレッスン


「聖霊は答えであって質問(尋ねること)ではないということを思い出しなさい。自我は常に先に語る(つまり疑い・質問する)。自我は気まぐれで、自らの作り主(キリストから生まれた小さな狂気のマインド、つまりわたし)をよく思っていない 。自我は自分の作り主(マインド)が 今にも自分を支持し(信じ)なくなる可能性があると信じているが、その点に関して自我は正しい。

自我は自分を
あなた(マインド)の一部とは見なしてはいない。
ここに(心の第3分裂レベルへとはなれていく)自我の主要な誤りがあり、これが(心の第2の分裂レベルからはじまる)自我の思考体系の基盤である。」
(1-1〜7)

(その心の第2の分裂の誤ったほうである「自我の思考体系のはじまり」のもともとの発想になっているのは、マインド(分離)の発想なのである)
つまり
「自我は自らを分離していて、自らの作り主(マインド)の外に居る存在と見なすことが可能となり、そのようにして、
あなたの心(マインド)のなかの、あなた(マインド)が分離していて神の心(源)の外に居ると信じている一部分を

代弁するようになる。(空想であるわたし:つまり最初の分離マインドのなかの第2の心の分裂:「私」(現実化))」
(2-5)
「自我はその後、これまでに問われたことのある質問のなかで最初の質問をしたが、その質問、すなわち『(自我を作り出した)あなた(決断主体)は何であるか(どこからきたのか)』が、疑念のはじまりであった。(それはもう一方の源方向にある選択肢(聖霊の声)が答えである)」
(2-6〜7)
すなわち
「あなたはその答えをもっており、自我はあなたを恐れているからである。」
(2-9)

「聖霊は先に語る(質問する、尋ねる)ことはしないが、
常に答える。誰もが、いつかの時点で、何らかの形で、助けを求めて聖霊に呼びかけたことがあり、答えを与えられたことがある。聖霊(いつもある声)は真に答えるので、すべての時のために答える。ということは、すなわち、誰もが今、答え(いつもある声)をもっている、という意味である。」
(3-2〜4)
奇跡講座テキスト
2章--A-(8)

私は、真に助けとなるためだけにここに居る。
私は自分を遣わした聖霊(ハート)の代理としてここに居る。
何を語り、何を為すべきかを、案ずる必要はない。私を遣わした聖霊(ハート)が私を導くからである。
聖霊(ハート)が私と共に行くと知っているので、私はどこであろうと聖霊(ハート)が望むところに居ることに満足する。
聖霊(ハート)に癒すことを教えてもらうなら、私は癒されるだろう。
奇跡講座テキスト
(中央アート出版)

()は読書メモ

序文

これは奇跡(ハート)についてのコースである。 必修科目である。いつ受講するかだけがあなたの自由である。自由意志とは、あなたがカリキュラムを編成できるという意味ではない。ある時期に何を受講したいかを選択できるというだけのことである。このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。それは教えることのできる範囲を超えているからである。しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁(空想・自我)を取り去ることは、たしかに目指している。愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。 愛の対極は恐れ(:自我)であるが、すべてを包み込むものに対極はありえない。

したがって、この(ハートの)コースは次のように簡潔に要約できる。

 実在するもの(ハート)は脅かされない。
 実在しないもの(自我)は存在しない。

ここに神(愛)の平安がある。
奇跡講座テキスト
30章1節について

決断にあたっての(精神統一のための)ルール




今日のコメントは
まだ気づいてない自然への学習者のための

いつもある自然精神統一に気づくための


テキストの
決断にあたってのルールの
簡略説明
(今日は手順について)です


いちばん最初のテキストにある朝の
心得(意欲)の
二つは

原因



幸せな結果(ビジョン)

を意味しています

そして意欲が誤った場合には

「私に質問はない。私は何を決断すべきか(朝の意欲)を忘れていた」

の回復剤をつかいます


しかし
それでもハートへの意欲に向かえない場合は

「少なくとも〜」
から
さいごの
「おそらく、これには別の見方がある。尋ねることで、私が何を失うことがあるだろう」
をつかいます
そしてこれが
最初の朝のハートへの意欲と同じ
姿勢なので
回復しています。

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