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いつもある精神統一コミュの管理人のおすすめ映画(その9)

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コミュ内全体

「カケラ」
(満島ひかり ほか主演)

「眉山」*びざんとよみます
(犬童一心監督 松嶋菜々子ほか主演)

「ライムライト」
(チャールズ・チャップリン)

「ノルウェイの森」
(主演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子)

「おにいちゃんのハナビ」
(日本映画)

コメント(23)

あせらず たゆまず ゆっくりと 目覚めましょう

て気分で♪

さて

すべパー映画

最始動第一弾

「カケラ」満島ひかり ほか主演

を今朝観終わりました

この映画は
桜沢エリカさんの「ラブ・ヴァイブス」という作品が原作です

映画にでてくる二人の女性の最初の出会いは
白いひげ
です
イフアイステイ(愛に還る場所):(すべパー映画最短版の第2作品目の映画)の
真実の愛に気づくきっかけになったシーンも雪道であるのと同じ象徴です

この映画には象徴的なシンボルがちりばめられています

主人公の名前は北川であり名は春です

これは

冬のソナタと同じ象徴の 使い方であり

冬のソナタのヒロインの実家は「春川」という地名です

白は抽象の象徴ですが
それは冷たくはなく
あたたかいことをしめすために
春という象徴も同時につかわれるのです
それは
「北のカナリヤ」という映画でも同じです

この映画のテーマは
性をこえた愛であり
特別の関係をテーマとしています
さらに
性をこえた恋愛である特別の関係もさえもこえることをテーマとしています

こころをカケラと認識するとき
それを補うために
なにかを所属させるというより
心と心をつなぐ(ゆるす:愛の反映)
ことを意味しているとおもいます

いろいろな象徴としては

飲料水のキャッチボール

鳩(平和)

東京タワー(塔:抽象の象徴)

映画の終盤
みかん(太陽:*無条件の愛)

壁(ボールでノックする)

窓の外の数多くの鳩たち

空(解放)です






心のキャッチボール(愛への呼び掛けor愛の表現)

では

キャッチミスもよくあることです

それもゲームですから仕方ありません

でも

いずれ

うまくなるのでしょう

飲料(水)同士は融和するのが運命です(「カケラ」映画のように)

たとえば
一人で壁に向かって遊んでる少年は

自我の視点では
孤独でつまらない遊び
としかみえませんが

聖霊(ハート)の視座では

壁(こころ)を解放したいという奇跡衝動であり

友達とうまくキャッチボールするための練習
とみることができます

昨日の朝日新聞の夕刊の2ページ目にとてもよい
言葉がかかれていました

この世界(象徴)をみる新しい(ハートからの)見方です


『無機質な物を言わない「モノ」の写真が、自分に何かを語りかけてくる。そんな経験はありませんか。それは、撮影者とそれを見る人の想像力のバトンがつながった瞬間、心と心の会話かもしれません』

撮影者とはだれでしょうか

それは

(もうひとりのどこかの)私

です

そして(もうひとりの)私も聖霊(ハート)の力をかりて

共有されている自我の世界をもうひとつの(ハートの)見方で

融和(癒す)のです

氷がとけるように

それが幸せな夢(ハートがみる夢)です

たとえば東京タワー
は無機質な鉄の塔ですが

しかしそうではありません

つながりたい

という

電波塔

なのです

自然なハートの心の訓練
(めざめるための世界の見方)

ができるようになっていく

それもわたくしがシェアしている
数多くのすべパー映画の
の意味です(いつも精神統一があることに気づくだけではなく。)

そして映画をみるとき
なにかを感じたいという
心が開いた状態で人々は観ます
だから学びやすいですし
そうして
日常生活(じつは同じく映画)でも
同様に
ハートの視座から
世界をみて
目覚めを促進していくのです
ハートへの吸収と再放射(実相世界へと聖霊拡張)

のしくみについてのべます

どんな他人の怒りも

神の教師が認識したとき

その怒りの波動は

神の教師にうけいれられます

どのようにでしょうか

神の教師(真の赦しを行うもの)



それを自我でうけとめないからです

自我の桶の底がはずれた状態でうけいれるのです
(神の教師により
どの程度まで完全に底がはずれているかはしりませんが:上級の神の教師には底がありません。しかし底がない桶(燃えつきたロープのようなもの)はまだあります。神の一歩があるまで。)

すると

怒りの波動(想念)は

こちらの自我ではねかえって

再投影(つまり再強化)

され怒りを産み出す

のではなくて

底がはずれているので

ハート
へ想いは
ながれこんでいやされます

しかし
桶はのこっているので

反射力があり

ハートから再放射されるのです

それが聖霊拡張体験(幸せな夢)となるのです

相手側は

吐き出してしまった波動(愛への呼びかけ)



ただしくキャッチされたので

その吐き出した波動は神の教師(兄弟)によっていやされたため

相手側の残りの自我はそのぶんだけ

逆に弱まるため
目覚めをたすけたことになります

もし

怒りに

あらたに怒りをかえしたなら

より再強化されてしまいますが

真の赦しは

逆なのです


さて

心のキャッチボールについてのべましたが

愛の表現については
そもそもただしくキャッチされやすいです

しかし

どちらかが自我がつよく顕れていると

誤解しうけとられて、愛の表現(真の動機のための表現)がキャッチされにくいです

それは
愛への呼び掛け
と同じくです
自我はつねに動機を誤解するのです

世界において
愛の表現
もしくは
愛への呼びかけだけがあったのだとすると

心のキャッチボールがうまくいき

心はつながっている(ひとつ)

であることが

だんだんとわかってきます(いつもある精神統一)

それがワンネスのまえぶれ(実相世界)です


(補足)
天国(実相・あるいは啓示)においては

いつもある精神統一の感覚は必要ではありません

なぜなら

統一(知覚をハートの源へ整理しなおす)

する必要はもうないからです

それは

永遠(いつもある)という現実だからです

映画「カケラ」
(補足)ラストあたりについての説明
*ネタバレ含む(と昨日のコメントもかくべきでした。すみません。)



ラストあたりで
二人がくっつきすぎ(特別な関係)のため、主人公のひとり(はるちゃん)は恋人にイライラを投影していました
(アツクルシイ、夜のライブに行ったが
そこにはいたくなかったのも、それを象徴しています。カミングアウトという悩みもありますが…)

そのあと
すこし離れようと
恋人(リコちゃん)は
はるちゃんへ言いました

さて

ここが

第二方便(手放す)



第一方便(いつもある精神統一)



狭間(はざま)なのです

冬のソナタと同じ問題です
(結婚式のあと、愛は想い出にしてしまい、想像の海に旅行し、別れてしまいます)
しかし恩寵により
再び
つながり(いつもある精神統一)
不可能な家(愛)の自覚はふたたび実現します

*これこそが

いつもある精神統一(最短版)の映画シリーズ(5作品)

が意味しているところなのです

だれもが

キリストの顔(いつもある精神統一:実相世界)

から

罪悪感のために手放し(分裂)

をしてしまうのです

じつは手放しとは

想いを手放すのであり

統合(いやし)しているのではありません

なぜなら

それは

私(コントロール:自我の信念)が

実現していないと信じてやりだしていることだからです

これは*実体験によって
手放しは
コントロールであり
分裂をまぬがれない

ことがわからないかぎり

納得はできないでしょうが。

さて
「カケラ」の映画では
二人が離れたあと
はるちゃんが
長いベンチに孤独に腰掛けていますが

そこで
べつの友達が
「空」をみせますが、
はるちゃんは悲しみます

なぜかというと

それは

冬のソナタと同じく
観念(記憶)としての
自我(分離)がつかんでいる「神」(空)だからです

そのために手放しをするというのが自我ののこされた分離の信念なのです

そのあと
恋人の
リコちゃんは

壁(手放し)に気づき

*帰る

自転車で
川沿いを走ります

これが

恩寵がはたらき

統合が再始動できたということです

それゆえラストシーンでは

主人公のはるちゃんの

窓の外には
数多くの鳥が空を待っているのです

これがいつもある精神統一(実相世界:愛の反映の世界)

なのです

いつもある精神統一の癒しがおきれば
行動(シナリオ)も愛の表現としてあらわれやすくなります
コントロールによる手放しでは体験できないマルチシナリオ(愛の表現)も体験できるでしょう
(補足)

ちなみに
今まではかきませんでしたが
映画は
3回以上みたとき
ほんとうの意味しているところを
自覚
できるようになるでしょう

これは経験を積み重ねる
必要があるという意味ではなく

繰り返し経験したとき
思い出すことができるからです

すべてのすべパー映画を3回観ることは時間的には無理でしょうが

すべパー映画の最短版や厳選版は
3回以上観ることをおすすめします

体外離脱者ロバートモンローさんも
本のなかで
3回経験をくりかえせば
そのレッスンはおわる
とかいています

神の使者でも
繰り返しは必要なことであるとのべられています

赦しについても同じです

赦しても同じパターンが繰り返されるとき

まずは3回は忍耐して赦してください♪
そうすれば
そのパターンは無意識もふくめて完了するかもしれません

最短版(第4作品目)「そのときは彼によろしく」

(第5作品目)
「最終兵器彼女」
(命:ライフへの明け渡し)

の映画も同じく

3回以上観たとき
いつもある精神統一の自覚の基礎が安定します(わたくしの場合はそうでした)


厳選版から最短版へ
映画をインスピレーションによりチョイスしたとき

「砂時計」を載せないことにすこし躊躇しましたが

結局載せないことにしました

「砂時計」の映画は

海辺のラストシーンで

「努力をやめる(手放し)」

メッセージを感じたので

海辺のシーンは

愛の記憶とすりかえられてしまっていると気づきました

同時につながる(絆)も表現しているので迷いましたが

パワーを捨てる(手放す)は

いつもある精神統一の最終的な理解の障害になると

気づいたので

最短版の映画シリーズにはふくみませんでした



以上です
(補足)
明日「カケラ」という映画を返却しにいきますが

最後にもうひとつかいておきます

最終兵器彼女のラストシーン
も砂漠にワンちゃんがあらわれます

冬のソナタでも
海辺(この場合はまだ愛という観念ですが)にワンちゃんがあらわれます
*これは散歩されていたワンちゃんを偶然撮影したそうです

「カケラ」という映画にもラストシーン
ワンちゃんがあらわれます(ベランダ)

といううれしいスベパー事項です♪

わたくしは
動物病院での聖霊拡張体験はそこにいてたワンちゃんの家族連れがきっかけでした

ですから

わたくしにはワンちゃんが象徴としてあらわれてくるのは偶然ではなく
うれしい必然なのです


(補足)
興味のある方へ

スピリチュアルに役立つ映画は3回観たほうがいいとのべましたが

あくまで

フィーリング(観たいかどうか)にまかせたほうがよいと思います

わたくしはフィーリングの結果いくつかの映画にたいしてそうしたことがあるだけです

その証拠にアナとオットーという映画は一度しか観たことがありません

でも
すべパー映画の最短版や厳選版は3回以上
観賞しました(アナとオットーをのぞき)

そのほかのすべパー映画もいい映画だとかんじたら
繰り返し観たりしたものがあります

映画による
漠然としたハートの理解を
繰り返しハートが納得するまで観たりすることは

ハートを精確に思いだすことに役立つのだと思います

たとえば、「カケラ」という映画は

ラストの窓の外の空のシーンのひとつ手前のシーンで

部屋をふきそうじしています

そもそもふきそうじというのは

ちりをすてるためではなく

あつめるためにふくのです

それが統合(融合:いやし)です

漠然と映画を一回観ただけでは

汚れを
?とりのぞこうとしているというふうに見てしまいますが

それはパパジのいうように

ちりを払おうとしているのはおなじくマインドにすぎない

ということです

わたくしはこの映画は縁があると感じたので3回みました

それをシェアするということは

もしかしたら

みなさまの時間を節約することかもしれません

聖霊の体験はシェアされるので

みなさまは映画自体は、見る必要がなく
あるいは興味あるひとは感想とともに一度観みたりするだけでいいのかもしれません
あるいは3回みたりすることがハートを思い出すのに効果があるのかもしれません
わたくしにはよくわかりませんが
映画に関しては興味があればご覧ください。

どうしてこうも
映画との出会いがパーフェクトなのだろうか

今日DVDを返しに行った

そして今日借りた映画の1枚目を今夜観た



すべパー映画
「眉山」
犬童一心監督
松嶋菜々子ほか主演
びざんとよみます

この映画は

「カケラ」の映画と同じく、
大塚駅がでてきます

さて
そして映画の主人公の故郷は徳島県
(すべパー地図ではオーストラリア:母と旅行で行きました。)
です

眉山は不動の山(いつもある愛)です

白い着物

生き別れの父親や母親の愛や
神の愛

を思いださせてくれました

阿波おどりの光景は
さながら神をまつ実相世界のようでした

そしてなにより驚かせてくれたのは

この映画をみた今日という日の偶然(*必然)でした

この映画は

すべパー映画最短版の
「そのときは彼によろしく」
というDVD映画の新作案内にあり
すでに予告を見ていましたが

今日まで観るきもちが起こりませんでしたが

最近思いだし

偶然今日かりたのです

今日は8月23日です

そして映画のなかで阿波おどりがあるとのべられている日は

なんと
昨日
8月22日
です

わたくしは昨夜
「眉山を借りようと携帯のメモ帳
に題名を打っておいたのです

愛の偉大なる計画
に感謝いたします







眉山
https://www.youtube.com/watch?v=R5ZhQtij9x4&sns=em
おはようございます♪

今朝は朝早くから
朝食を食べ
仕事に行く前にDVD映画をもう1つ観ました

すべパー映画でした
(しかし今回はハートのフィーリングで皆様には観賞をおすすめしません*時間の節約のため)

このコメントにて
シェアをさせていただきます

まず

なぜこの映画を店で選んだかというと

富田林の藤沢台(最近引っ越すまえに住んでいたところ)の団地のあたりに

カンニング竹山さんという芸能界の人がロケで撮影にこられていて

通りすがりにベンチで話をしてるカンニング竹山さんを見ていたからです

わたくしは送迎の仕事をしてるので

縁があるため

DVDの新作予告で観た
「ねこタクシー」という映画を借りたのです


この映画でかんじたことは

心をゆるした間柄
という表現が

心の壁をなくした状態と
いうことです

あるいは信じる

という表現は

心と心を信じることを意味していて

これもつながる

という意味だとおもいます

そして信じるということは

同じ世界をみるということです

心に壁を作るなら

別個の世界観をみるしかありません

しかし

壁がいやされれば

職業はちがっても

同じ世界をみるということです

マインドではなくハートの世界です

そして
ほんとうはわたしたちは
同じ

なんだとわかってきます

おそらく

初恋というのは

身体が自分だと完全に信じ込んでいる子供や少年時代に
はじめて他人のこころを強く感じたことによるものであるとおもいます

ですから

悟りの過程でハートにきづいたら

もう初恋は特別なものではなかったと気づくのか
もしれません

わたしたちはそれ以外のみんなともひとつなのですから



今かいた感想は

最初の心をゆるす・信じる以降の文章は映画とは直接関係ありません
連鎖反応で映画をみているとき思いだしたことなのでついでにかきました。

映画のタクシー運転手は元英語の教師です
それもすべパーです
わたしの親やきょうだいは元英語の教師ですから


神の偉大なる計画に
感謝します

今日もよい一日を!
補足)
コメントの説明不足を補います
「ねこタクシー」の主人公(運転手)を演じているのがカンニング竹山さんです

ちなみにぼくが団地のあたりで会ったカンニング竹山さんのロケは映画のロケとは関係ございません
すべパー映画

「ライムライト」




小さい頃

いまは生き別れの父が
設計士(飛行機)の仕事から
帰宅して自宅でピアノで弾いていた曲が

ライムライトのテリーのテーマでした


(以下は映画ネタバレあります)


わたくしの若い頃の父はエンジニアで
飛行機のエンジンの設計
などをしていました

これについてはすべパー映画
厳選版でご紹介した

映画「アナとオットー」の
はじまりのシーンとおわりのシーンに飛行機が
象徴としてあらわれてくることと関係しています)

つまり
想像上の神からの分離



明け渡し

です

明け渡しについては
「アナとオットー」の映画では
北欧(北極圏)でのもう一度の飛行機からの落下傘としてあらわれていますが

「最終兵器彼女」の映画では
北海道(*小樽)から宇宙への
精神統一(解放)
としてあらわれています

「ライムライト」では

ピアノ(父)とバイオリン(わたくし)の共演のあと

舞台から
飛行機のように落下傘ではないですが
桶(オケ)

これは北海道:抽象(ハート)の象徴としての
I AM:小樽(自己概念)
へうつり

最後に
テレーズ(テリー)のバレエで
覚醒(愛)をあらわしています

バイオリンニストは
脚が右足からわるくなり
ちぢみ
やがて両足が短くなります

これは

この世界(夢の舞台)からの引退を象徴しています

*じつはわたくしも右足の付け根が20代後半からあまり健康ではないのです(ですから介護でもどちらかといえば力仕事よりも運転の仕事をしています)


さて

ラストの舞台では
バイオリンとピアノの弦がきれてしまいます

しかし

?それでもピアノを弾きだし
バイオリンもふたたび
あらわれて弾きだします

これは

旋律(いつもある精神統一:愛の反映:赦し)はそもそも
ハートのものであることをあらわしているのです



ライムライト
https://g.co/kgs/rWLhyn

(補足)

なぜ
主人公(バイオリンをいつも持ち歩いている)が
最後の舞台で
相方として
ピアノを弾く者を共演者にえらんだかということは補足すれば次のような究極的な意味があります

テレーズが文具店(バレリーナではなく
いわばこの世界での夢の仕事)で働いていたとき
作曲家のピアノ演奏者に恋したことと関係しています

このときの文具店のテレーズは聖霊というよりは主人公と同じ道化師の状態をあらわしています

つまり
主人公の最後の舞台は

神のリーラ(遊戯:もしもの世界)
としての作曲家(設計士)のピアニストとの
昇華された赦しの象徴だということです

主人公とテレーズは
道化師(ともに放蕩息子)
であり
その正体はともに聖霊(文具店の売り子の正体はバレリーナ、年寄りの正体は高名な役者)です


街の文具店に作曲家があらわれますが
それは
いわば家庭や社会人としての設計士のころの父でした

そしてテレーズのなかの聖霊や主人公のなかの偉大なる力(宇宙の意志)をとおし

主人公たちは最後の舞台に立つのです
父との赦しの共演です

さいごに

聖霊が舞い踊ります

したがって

わたくしにとって
テレーズと主人公は同一人物(兄弟)にみえました

だからこそ

テレーズと主人公は一心同体の兄弟であり
離れられなかったのです

そして
さいごに

テレーズと主人公は
ピアニスト(神:父の象徴)とむすばれる運命にあると言うのです

これがわたくしが体験した

「ライムライト」の気づきでした

おはようございます

今週は
DVD映画をいつもより多く観ています(夏のクーポン券のおかげ)

今週
すべパー映画の代表としてご紹介したのは
「眉山」「ライムライト」です

代表というのは
ほんとうはすべての映画や生活との出会いはパーフェクトだから
例をあげているにすぎません(旅番組のうち各駅停車の駅のうち、急行列車が停車する駅を紹介してるようなものです。その駅がみなさんと共有しやすいからにすぎません)

いままでかいてこなかった映画にも
多くの気づきの影響をうけています

しかし

代表としてコメントをかいてきた映画には

全体像が把握できるもの

愛(エッセンス)への純粋な動機

自我がつかもうとする静寂(休息)という観念から
いつも精神統一(愛・統合)への気づきのシフト

すなわち捨てるのではなくもう一度拾い癒すこと

あるいは
物理的自然への肉体の五感憧憬や自我の静寂という観念
すなわち奇跡衝動の歪曲から
真実の癒し(いつもある統合の愛)

を示唆する映画

となっています

しかし
わたくしが
きづきに役立った

映画自体は特別性の関係を表現しているにすぎなないという見方もできます

しかし
聖書と同じく
読み方がちがえば
ちがう感想になります(聖書はマザー・テレサだけでなくオカルティストもよみますから)

自我はつねに動機を誤解しますから
すべての教材を特別性としてしかとらえません

そこには嫌悪感が居座っています

ハートで興味をもった場合にだけ

参考になるもの
とここではかいておきます

今朝みた映画は
なんていうか再確認のために観たような映画でした

さてその

今朝みた映画は

ノルウェイの森
https://g.co/kgs/cMT9LX

です

地名でいうと

兵庫県(神戸)〜北海道(旭川)

までがでてきます

途中
京都(サナトリウム:精神病院の療養地)や東京もでてきます

*北海道はラストのあたりで話のなかででてきます

湖(3人の光景:シーン)〜北海道(抽象)への旅

となっています

この映画は

特別性の終焉を暗示させています

それを終焉させるのは

幼なじみとの愛(エッセンス)

です

ただし
それは手放しというより

絆であることをあらわすため

特別性の恋愛からという

おわりかたを設定しています

(特別性が重要という意味ではありません)

いつか北海道をたずねます

主人公のセリフがそれを暗示しています

それはチャップリンが「ライムライト」で食べている
ミカン(太陽)
のような
無条件の愛なのです
























映画にでてくる
ビートルズの歌 Norwegian Wood

ノルウェーの森

の歌詞について
ネットでみつけた翻訳のなかでフィーリングがあったものが以下のものです
ほかの公式の有名な翻訳は特別性を暗示させているのでフィーリングがあいませんでした


ノルウェーの森

いつかぼくには ひとりの恋人がいた
彼女の部屋は ノルウェーの 森の中

彼女はぼくに 座るようにといったけれど
どこを探しても椅子は 見つからなかった

絨毯の上で ワインを飲みながら
話し続けていると 彼女は言った 寝ましょうと

彼女はぼくに ご苦労様といって笑った
ぼくはベッドを這い出して 風呂の中で寝込んだ

目覚めると 小鳥はいない 飛び去ったんだ
それでぼくは ノルウェーの森に 火をつけたんだ




抽象(愛)に感謝します
すべパー映画
(感謝)

さて

昨日わたくしはTSUTAYA(レンタルSHOP)に行き

眉山
ライムライト
ノルウェイの森

などを返却してきました

ここには紹介していないものもありますが
スピリチュアルの気づきにどれもすべパーで役立ちました

さて
夏のクーポン券がさいごだったので
昨日も
帰りに多目にレンタルをしました

店の棚でDVDを選んでるときに1本
花火にかんする映画を借りたくなったのでレンタルしました

今朝見終わりそうました

感動しました

見たあと
ハッと気づきましたが

今日
8月(パーフェクト・リバティ:PLの花火芸術の月)が終わるんですね。

観たタイミングもすべパーでしたね。

朝日新聞(わたくしが毎日読んでる新聞)のノベライズ
「おにいちゃんのハナビ」
が原作なのかもしれません。

事実にもとづいている
映画です

象徴となるkeywordをかいておきます(直接関係していない象徴もありますが間接的に関係があるものも含みます)

雪だるま(抽象の子:神の子)

新居

藤沢(神の子の記憶):富田林の前の自宅「藤沢台」:「雲のむこう、約束の場所」の主人公

オレンジ(太陽:無条件の愛:富田林の太陽に向かう町:わたくしの新居)

実相世界
神の子たち(無条件の愛:オレンジ)の
無数の彗星

以上です

興味のある方だけもし機会があればご覧ください

今日もよい一日を^^♪






不思議な症状(偉大なる力)

わたくしは
昨日奮発して7本DVDをかりました
そして
「おにいちゃんの花火」
という映画はさいごから2本目ぐらいの順番で見ようかななどと頭で考えていました

しかし

昨夜から
頭痛(血管が破裂しそうな)

という症状があらわれ

今朝は早く目が覚めてしまいました

そして

べつの映画をみようとしていたのですが

頭痛が急速にひどくなり

血管破裂〜?

というイメージがわきました

破裂

破裂

花火

なぜか

そう思いはじめ

予定をかえて

最初に今朝見ることにしたのです

感動して
見おわったときに気づいたのですが

今日が

8月(花火芸術の月)のさいごの日だったんですね

そして

映画をみおわったら

頭痛が

すっと

完全にもうきえました


不思議な出来事でした










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