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いつもある精神統一コミュの遊びの終わり

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コミュ内全体

私とは何か



何か(神)への祈りは

同じものである

否定(分離)していた源を

うけいれようとする奇跡衝動である

何かが基盤であるとわかったときには

自我の力は基盤へと還る

神の子には夢みる力がある

夢には力がある

それを否定するわけではない

だが

その力は

基盤(エネルギー)へ還るのだ。

*これについては異論があるだろうが、僕は神の子に夢みる力があることを否定しない。真実のエネルギーではないだろうが、想像のエナジーを否定することは、神の子の万能の能力の一つを否定することになるからである。その意味では神の子に不可能な能力があるというほうが馬鹿げている。

話をもどすが

いつもある精神統一に気づく方法があるというとき

神に気づくという方法があると
相対的な表現をつかっているが

ほんらいの気づきは

いつも精神統一がある、ことに気づくという
一元的な気づきの意味である

方法(道)として提示するとき

仮説として

神に気づく方法があると
二元的な表現をしているにすぎない

存在の気づきとは


思考が基盤に気づくというプロセスをたどるが
(思考が対象に気づくより努力が減った状態)

自然(サハジャ)は

無努力の存在の気づき

である

あるがまま 自然な無限の空間

ほんらいのじぶんの状態に努力はいらない

それは

思考(私)から生じる、努力(対象)への気づき

あるいは

思考の源への気づき

という両方の努力の状態(後者のほうがらくであるが)

すなわち

私による努力か非努力への気づき

よりも

自然(サハジャ)な状態である

そして

無努力と

努力(選択の基盤である、私という努力)

との境目がないことに

気づくことにより

すなわち

いつも精神統一があることに気づく(サハジャの状態・癒された状態)

のである

さらに

燃え尽きたロープ(自我の脱け殻・努力の残像)もきえるときがくる

それは神自身が踏み出す一歩であるが

そのとき

サハジャの状態(実相世界)はきえ

サハジャ(実相・自然)

現実だけになる



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