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一遍 (捨てるという生き方)コミュのわれ、生きながら成仏せり

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コミュ内全体

宗教に奇跡を望むことは、
教祖を神格化していたいという、
弟子たちの切なる願いではないでしょうか?

それにしても、一遍上人の数々の伝説は、
作り話と云うにはあまりにも、
多くの教訓を示唆しているのです。

紀州は熊野神宮へ行く途中の中辺路の山中で、
一遍は、一人の僧に出合いました。
聖絵ではこの僧に「権現」と書き加えてあります。
(下絵参照)
熊野権現が一遍の心を試そうとしたのか、
何かを教えようとしたのか?

一遍はいつものように、
「一念の信をおこして、南無阿弥陀仏と唱えて、
  この札を受け結うべし」
そう言って札を旅の僧にすすめます。
すると、この僧はこう言って断ったのです。
「信心が起こらないのだから、
 受け取ると妄語(ウソ)の罪を犯すことになる」
こう云われて一遍は動揺しました。
きっと、一遍のこころの深層部分にも、
信じることに対しての一抹の不安があったのではないでしょう?

阿弥陀仏の願いは摂取不捨です。
すべての人を無条件で極楽に導くのが誓願です。
しかし、「一念の信をおこして・・」ということになると、
救われることには「信心」が必要と云う、
条件付けがされたことになります。

一遍は考えました。
私の心は良いときも悪いときも、
自力の迷いの心ですから、
生死を離れる役にはたたない。
それなのに一遍は旅の僧に、
信じる心を求めてしまった・・
 この私の「信心」が果たして仏の御心にかなうものか?
かなわないものか?
そんな不確かな我が信心で、
極楽浄土へ往生できるのだろうかと?

それで熊野本宮の証誠殿において、
疑問を問いかけてもみたのでした。
どれくらいの時がたったでしょうか?
一遍がウトウトしたと思ったころ・・
白髪の長頭巾の山伏が現れたと記録にはあります。
長床には三百人ばかりの山伏が頭をつけて礼敬しているではありませんか。

白髪の山伏が、一遍の前に歩み寄りこう言うのです。
「融通念仏する聖(一遍)よ。
 お前の勧めによって衆生が往生するのではない、
 阿弥陀仏の十劫昔の悟りにより、
 一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決まっているのだ。
 信じる信じない、浄い浄くないを問わず、
 この札を配るべし」

この言葉で一遍の心の片隅にあった、不安は一掃されます。
煩悩まみれの凡夫の信心が何になるのか。
私の信不信、浄不浄が往生の条件である筈がない。
阿弥陀仏の本願・・
南無阿弥陀仏が往生するのであったと。

涙がとめどなく溢れ、やがて暁がくる。
一遍は立ち上がり、大床を踏み鳴らしこう叫びます。

 「われ、生きながら成仏せり」



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